SR太郎様のこと

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鮒寿司

 かなり前のことになるが、6~7人で日本料理を食べに行ったことがある。その際に鮒寿司が出た。鮒寿司は琵琶湖名物の発酵食品で、その濃厚な味わいには定評がある。いわゆる「なれ寿司」のひとつで、塩と麹のぬか床に魚を漬けて保存する、珍味である。

 鮒寿司は酒飲みにとっては無上の酒肴であるが、その臭いは強烈だ。だから、皿に盛られた鮒寿司がテーブルに出された瞬間、皆は一瞬「ウッ」という表情になった。
 ぼくはその手のものがすごく好きなので大歓迎だったのだが、その場にいた女子の一人が「こんな臭い食べ物、信じられなーい」と言った。
 彼女の反応に対し、ぼくの上司だった先生が「これは鮒寿司といって、酒飲みの間では珍重されるものだ。買えばこれだけで1万円はするよ」と教えてあげた。
 この話を聞くと彼女は「えー。そんなに高いものなの。じゃー食べる」と言って、出された鮒ずしを食べ始めた。しかも驚くことに、非常においしそうにだ。

 この経験はかなり昔のことだが、非常に強烈な印象を受けたので、今でも鮮明に覚えている。
 当たり前のことだが、彼女が値段を知る前と知った後で、鮒寿司の質が変わったわけではない。鮒寿司そのものは、まったく同一だ。にもかかわらず、彼女にとっては、値段を知る前には単なる「臭いもの」であった鮒寿司が、値段を知った後には「美味」に変貌したのである。
 もしも値段を知らされる前に、その場にいただれかに無理やり鮒寿司を食べさせられていたのならば、彼女にとって鮒寿司は嗅覚的には臭く、味覚的にはまずく、視覚的には気持ち悪いものであったことであったはずだ(ちなみにその当時はパワハラなんて言葉はなかったから、ぼくの上司が人格者でなかったらそうしていたかもしれない)。

 しかし値段を知った後は、彼女は鮒寿司をそれなりに美味しそうに食べていた。きっと嗅覚的には少し癖はあるが香ばしく、味覚的にもそれなりの珍味で、視覚的にも何となく美しく思えたのだろう。
 ぼくはそれまで、五感というものは動物が生存する上で必要な本能なので、社会的な要因に左右されないはずであると信じきっていた。
 だが彼女の変貌ぶりは、このぼくの常識を打ち破り、その代わりに新たな発見をさせてくれた。

  金銭的な価値の認識は、五感をも変えうるのだ。

 彼女の態度があさましいと非難をしているのではない。そういう単純な話をしているのではない。値段という人為的な価値が、動物の属性である生体的感覚をも変えうることに、ぼくは驚愕したのである。
 モノには絶対的な価値などありはしない、人がそのモノにつける価格によって、そのモノには本当にその価値がついてしまうのだ。


 この発見はぼくにとってはかなり、革命的なことだった。
つまり、モノの値段を高く設定しさえすれば、まさにその(高い)値段がゆえに、われわれはそのモノをいいものと思ってしまう、ということだ。

 

 ここでS様の話に移る。S様は、今でこそご高齢のためにテレビに出ることも少なくなったようであるが、ひと昔前には、ぼくのように全く芸能界に関心のない人間でも知っているスターだった。「SR太郎様」といえば日本最強の、おばさまたちのアイドルだった。ディナーショーでもやろうものならチケットはあっという間に売り切れて、プレミアがつくほどであった。歌舞伎座などで公演をやろうものなら必ず満席、と飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

  このような大スターとぼくが知り合いであるわけもない。しかし、ある一件がゆえに、ぼくはS様を尊敬している。
 20年ほど前、ぼくは東京のとある美容クリニックでアルバイトをやっていた。そのクリニックでは「若返り治療」と称して、顔面のマッサージとレーザーを組み合わせたケアをやっていた。一回の治療に、普通のサラリーマンの月収分ほどのお金がかかっていたので、世の中には金持ちも多いなと思っていた。

 ただその治療の効果については正直なところ、ぼくの目には明らかとは思われなかった。1時間程度のケアを終えると顔面はたしかに張りが出て、つやつやになる。しかし張りがでるのはマッサージを施したことによる血行の改善と、それに伴う軽度の浮腫である。つやつやになるのは、塗布したローションが顔面の光沢を増しているだけである、ぼくはそう思っていた。

 しかし、鮒ずしの値段を聞いた後おいしそうにそれを食べ始めた女子のように、モノやサービスの価値をその実質ではなくて、それについた値段で判断する部分が、人間の心には存在するのだ。そして、そのクリニックで行っているケアは、患者たちの心のそうした部分を満足するわけであるから、ぼくがとやかく言う筋合いはない。

 さらに、その頃はまだ若かったぼくにとっては、皮膚のたるみやシミにさしたる関心がなかった。だから審美的な診断能力にも自信がなかった。
 それゆえ、「自分にはわからないけれども、老いを自覚し始めた患者たち本人にとっては、もしかしたら効果が自覚できているのかもしれない」とも思っていた。


 実際のところリピーターもある程度はいたようだし、あからさまに賛辞を述べて帰ってゆく客すらもいた。その中には誰もが知っているテレビタレントや政治家も何人かいた。
 かれらは「ほんとうによくなりました」とか「先生はゴッドハンドですね」とか、施術した医師に言って帰ってゆく。
 ぼくはへそ曲がりなので「ほんとうによくなりました」に対しては、「じゃー今までは病気だったのかい」とか、「先生はゴッドハンドですね」に対しては「メスを使わなくてもゴッドハンドというのだろうか」などと心のなかで突っ込みを入れながらも、なにぶん自分のバイト代もそれらのお客さんのお払いになったお金からいただいているのだから、皆さんよかったですね、ありがとうございます、と心の中で手を合わせていた。

 ところがS様は違った。

 S様の施術が終わったあと、受付でなにかもめているので聞き耳を立てていると、どうやらクレームをつけているらしかった。「ぼくは効いていないと思うけどね」と言っている。S様はリピーターではなく、芸能会の仲間から紹介されてその日初めてクリニックを受診したのだった。施術が終わって何十万円かの費用を請求されたとき、「高級な美容室と思えば数万円の費用を払うのは納得できるが、数十万円の費用を支払うのは納得できない」というのがS様のクレームの主旨であった。


 結局、紹介された友人の顔を立ててその日の料金はしぶしぶ支払いはしたが、再び受診することはなかったと聞いている。ぼくは週に1日だけアルバイトに行っていただけなので、本当のところはわからない。

 この出来事はクリニックにとっては単なる迷惑事であったに違いない。だが、ぼくがS様を見直すきっかけにはなった。
 S様はその当時、芸能界の寵児と言ってもよいくらい人気があった。だから、一般庶民のぼくらにとってはバカ高い施術料など、ものの数ではなかったろう。そもそも、その料金を自分で支払う必要があったのかどうかもわからない。芸能人にとって容貌は命だから、衣装代などと同じように経費ということで落とせたかもしれない。
 それより、その料金にクレームをつけて週刊誌ネタにでもなったら、それこそイメージダウンになって損失を招くはずだ。だから苦笑いをしながらも支払っておく、というのが普通の態度であると思う。
 にもかかわらず自分が効かないと思うものは、効かないのではないかとはっきり言ったS様は、ひとかどの人物であるなとぼくは感じ入ったものだ。
 つまりS様は先に挙げた鮒寿司嬢とは異なって、高い値段という他律的な価値観を受け入れず、自身の五感を信じ抜いたということだ。

 ましてや周りは専門家ばかりである。S様がクレームをし始めると医師や看護師が何人か集まってきて、サイトカインとかなんとか医学用語を交えながら、どのような効果があるとか説明していた。サイトカインまで持ち出されると普通の素人は黙ってしまうだろうが、S様はまったくブレることなく、自分の鑑識眼のみを最後まで信じていた。やはりどのような業界でも、一流になる人間は違うものだ、とぼくは思ったのである。
 

 かくして、S様はぼくという一人のファンを得たのであった。

 しかし、そのことがS様にとっては全く役に立たなかったことも、言うまでもない☺。