オペラによる町おこしから、新しい商売を考えたぜ

”演劇バー”はこんな感じでどうでしょう

 ぼくは香川県に住んでいる。

 香川県の南は徳島県である。高松と徳島の距離は60キロである。東京の都心部からだと八王子、大阪の梅田からだと明石くらいの距離である。

 こういうと「ちょっとあるな」と思う人もいるかもしれない。しかし地方に住んでいると、これくらいの距離なら「となり町」くらいにしか感じない。道路がいつも、ガラガラだからである。高速を使えばあっという間に着くし、下道で行ってもたいしたことはない。渋滞などほとんどないからだ。

 徳島県日本ハムの本社があって畜産物が美味しい。だからサンダルでもつっかけて「ちょっくら徳島に、ソーセージでも買いに行ってくるわ」という感じで、ちょくちょくお邪魔させていただいている。

 今回は徳島の「町おこし」にからむ話だ。

 年明けに徳島で、高校の「四国同窓会」に参加したところから始まる。ぼくの卒業した高校は東京にあるが、いろいろな事情で四国に「流れて」来る人間たちがいる。こうした「流れ者」たちは、現在のところ10~15人くらいいる。みんな仲が良いので、年に一回は集まって酒を飲む。

 四国には4つの県があるが、わりと均等に「流れ者」たちは分散している。おのおのの県に二人くらいはいるのである。それで順繰りに場所を換えつつ、会を開催するのである。前回は松山で開催した(「流れ者」たちの宴(うたげ) - Nagasaoのブログ (hatenablog.com))ので、今回は徳島で開催とあいなったのである。

 今回参加したのは合計5人である。

 徳島で証券会社の社長をしているTさん、愛媛の国立大学で教官をしているTさん、高知の四万十で農業プロジェクトをしているOさん、東京で弁護士をしているが司法教習は愛媛で行ったMさん、そして香川で外科医をしているぼく、というメンバーである。

 証券会社のTさんは中学校まで徳島においでになり、大学卒業後も徳島にずっとおられる。この方が幹事になって、いろいろと会の手配をしてくれた。そして、徳島が抱えている問題について語ってくれた。

 東京への人口集中と地方の衰退が取りざたされるようになって久しいが、徳島ももちろん例外ではない。それで、徳島という街を活性化するにはどうすればよいか、ということを、住民たちは真剣に考えている。

「徳島といえば阿波踊り」というくらい、阿波踊りは徳島の代名詞になっている。しかし、それ以外にはこれといったイベントがない。これを何とかしなくてはいけない。

 観光客の方は夏の一夜を徳島で盛り上がって「楽しかったね」でよいかもしれない。しかし観光客を泊めたホテルは、夏以外は休業、というわけにはいかない。観光客が舌鼓を打ったお寿司屋さんだって、他の季節は寝て暮らせるほど、夏だけで儲かるわけではない。だから、阿波踊りが行われる夏以外にも、全国からお客さんに、徳島に来てもらわなくてはいけない。

 どうすればよいか?

 そこで目をつけたのが「オペラ」である

 こういうと、「有名な劇団を呼んできてオペラをやり、お客さんを集める」のではないかと思うであろう。たしかにオペラ歌手は呼んでくるのではあるが、歌を唱って聴衆に聞かせる、というだけではないのである。徳島らしい工夫があるのである。

 その話をする前に、ちょっと「流れ者会」の模様をご報告する(宣伝して参加者を増やしたいからね)。

 Tさんの提案で、1次会は徳島湾に面した料理屋さんで行うことになった。この店は非常に変わっていて、釣り堀が併設されているのである。25mプールくらいの生け簀があって、そこで客に魚を釣らせる。生け簀にはタイ・カンパチ・ヒラメなどの高級魚が泳いでいる。

 店の人はぼくに釣竿を渡して、「魚を釣ってください」と言った。

 「釣ってください」と言われても、こちらは魚釣りなどほとんどしない。だから釣れるかどうか不安であった。

 しかし5分ほどで魚信を経た。タイがかかったのである。店の人に言われるままにゆっくりと糸を手繰り寄せ、タモで鯛を釣り上げた。要するにアホでも釣れる仕組みになっているのである。

 とは言えやはりタイを釣ると嬉しいものだ。記念撮影をしてもらった。

タイを釣りました

 

 弁護士のMさんもタイを釣り上げた。参加者は5人だから、タイ2匹くらいが適切であろう、ということで宴会に移った。2匹のタイを刺身・塩焼き・煮つけ・バジル焼きの4通りで調理してもらい、これを肴に宴会が始まった。

タイの刺身

タイの煮つけ

タイの塩焼き

タイのバジル焼き

 Tさんは、昨年演じた”椿姫”の舞台動画を見せて下さりながら、詳しい説明をしてくださった。「徳島オペラ」は7年前から始まった。スローガンは「みんなでやるオペラ」である。

 Tさんを含む中心メンバーが何人かいるのであるが、それらのメンバーは周りの人に「オペラやりませんか」と、職場や近所の人に声をかけた。

「オペラやりませんか」などと言われて、「それはいい考えだ!」「やろう!」などとすぐに乗ってくる人はまずいない。だからまず、プロジェクトの概要について、ひとびとに説明する。

 まず、オペラの主役はイタリアからプロ歌手を呼ぶ。そして、演劇の指導ならびに重要な役割には、東京から演劇経験者を招聘する。本当はすべて徳島市民の手作りで行えるのが一番いい。しかしオペラプロジェクトはまだ発展途上である。やはり外部の力を借りざるを得ない。ゆくゆくは全てを、徳島市民の力だけで行える日もくるであろう。

 もともと日本にもオペラの普及を目的とする団体がある。「さわかみオペラ」という財団である。この財団から准プロが徳島に来て、演劇の指導をしてくれることになった。

 徳島市民も、もちろん大いに演劇に参加する。運営のコアメンバーが、重要な役どころをやる。彼らはもともと素人ではあるが、必要に応じてダンスや歌を練習する。もちろん劇そのもののリハーサルも、何十回も行う。

 これらの人々が中心になってオペラが演じられるわけだが、劇にはエキストラ役もたくさん登場する。こういうエキストラには個々のセリフはない。しかしみんなで声を合わせていうセリフはあるし、合唱にも参加する。

 例えば「踊りほど素敵なものはないわ」と椿姫が歌えば、「そうだ、踊りこそ最高だ!」とエキストラたちが声を合わせる。

 たくさんの人間が一緒に歌うので、セリフを間違えたってべつにどうということはない。だから気楽である。それでいて、舞台に立って歌う楽しさは、味わうことができる。こんなエキストラであれば、まったくオペラのド素人であったとしても、「まあ、やってみようか」という気になってくるであろう。そうやって、少しずつ参加者をあつめるのである。

 オペラが成立するだけの十分な人数を集める傍ら、コアメンバーたちは週に2回とか3回とか、練習を行う。

 こういう努力を何か月か続けたあと、いよいよ本番となる。最初は観客も参加者もあまり多くはなったが、この7年でかなり増えてきて、大規模なイベントになりつつある。2023年の講演は、11月の末に行われた。大成功に終わったとのことである。観客は予想をはるかに上回っていた。

「みんなでやるオペラ」と言っても、さすがにタダというわけにはいかない。まず練習を行うために、週に何回か、場所を借りる。このためにお金が必要である。また、主演女優はイタリアから呼んできたわけであるが、やはり謝礼は必要である。

 それで執行部は、費用を集めるためクラウドファンディングを行った。これでかなりの資金を集めることができたし、講演のチケットも完売して、財政面でも黒字であったそうだ。

 なにより大きな収穫は、徳島の市民たちが、演劇の面白さを知ったことだ。皆が集まってなにかを達成するのは非常に楽しいものだ。演劇に加えて、そういう喜びもあるのであろう。もともと徳島には阿波踊りの文化がある。連帯感を共有する下地があったから、オペラも成功したのかもしれない。

 理由はどうあれ、オペラは徳島の名物として定着しつつある。今後の町おこしの重要な切り札になってゆくであろう。

「流れ者会」も繁華街のバーに河岸を移し、そこでさらにオペラの話に花が咲いた。

「流れ者」たちが記念撮影を、オペラのポーズで行ったことは、言うまでもない。バーのママさんが写真を撮ってくれたのであるが、なぜか撮り終えた後、「私は大学では保育学を専攻してたのよ」とつぶやいた。アホなオッサンたちをみて保育園を連想したのかもしれない。

「流れ者」たち

 

 ぼくはこのオペラプロジェクトに、地方に生きる人間の底力を感じる。10年ほど前まで、ぼくは東京に住んでいた。この10年ほど四国に暮らしてみて、はじめて気が付いたことがある。東京と地方では、人々が楽しみを求める方法が異なるのである。

 たとえば東京の人の多くは、「国際劇場で京劇をやっているから見に行こう」とか「〇〇デパートで青森展をやっているから、青森名産の弁当でも買ってこよう」といった、休日の過ごし方をする。なにか既成の枠組みがあって、それを利用しようという思考回路なのである。「なになにがあるから、それを楽しみに行こう」というわけだ。

 地方にすんでいると、こういう考え方はしなくなる。その理由は簡単で、そういう「枠組み」がないからである。歌舞伎座もないし、大した美術館もないし、デパートもない。なになにがあるから」の部分が欠落してしまっているので、東京流の予定の立て方が成立しないのである。それで東京の人間は「地方には文化がない」という。

 しかし「なにもない」ことは一種のチャンスでもあるのだ。自分で楽しみを創造することができるからである。

 地方が良い点は、もう一つある。なにか新しいことを始める場合、萎縮せずに自由にやれることだ。たとえば東京で「椿姫をみんなでやりましょう」ということには、なかなかなりにくいと思う。オペラを見るところはたくさんあるし、プロの劇団もたくさんある、「恥ずかしくて素人芝居なんかできませんよ」ということになるのではないか?

 しかし地方は違う。比較の対象になる劇団がないから、レベルなど少しくらい低くても気になりはしない。NHKの「のど自慢」を例にとるとわかりやすい。「のど自慢」を武道館でやると、参加者はかなり緊張するであろう。相当に心臓の強い人間でないと、声が出にくいであろう。地方都市の公民館などでやるからこそ、のびのびと歌えるのである。

 歌手など見ても、大物はだいたい地方出身、はっきり言って田舎者である。中島みゆきやドリカムは北海道出身であるし、長渕剛は鹿児島出身、吉田拓郎は広島、松任谷由美は東京だが、八王子の田舎出身だ。

 彼らに才能があることは疑いはない。しかし青年期までを田舎で過ごしたからこそ、萎縮することなく創造性をはぐくみ、メジャーデビューにつながったという面があるのではないか?

 徳島のオペラだって同じである。それは始めたばかりだから、悪く言えば田舎芝居の域をまだ出ていないであろう。しかし毎年イベントをやっていれば、10年後にはかなりの水準に達するのではないだろうか。いずれにせよ、何かを始めるということは尊いことである。徳島市民たちに敬意を払いたい。

 ところで「徳島オペラ」からヒントを得たのであるが、「演劇バー」というものが新しい商売にならないであろうか

 「演劇バーってなんじゃ?」と皆様思われるかもしれない。わからないのは当然だ。ぼくが勝手に考えたものだからだ。

 演劇バーとは、舞台をしつらえて、客がそこで演劇をやるバーである。スナックなど行くと、カラオケを歌うためのステージがあって、そこに照明が当たるようになっていますね。そこのステージで演劇をやってはどうか、ということである。

 そんなことが広まるはずもない、という人もいるであろう。しかしカラオケバーはどうか。

 「カラオケ」が流行してきたのは、1980年代の中ごろのように記憶している。それまでは、人前で歌を歌うなんてことは、並の人間にはできるものではなかった。音楽の教師か牧師さんくらいのものではなかったか。

 ぼくは小学生のころ、音楽の教師に指名されて、皆の前で歌を歌うように命じられたことがある。授業中に漫画を読んでいたのがばれて、罰としてその歌を歌うように命じられたのだ。

 歌う曲名も指定された。「夏の思い出」であった。「夏が来れば思い出す~。はるかな尾瀬~、とおい空」という、あの歌だ。1週間の時間をやるから、歌詞を完璧に覚えて、クラス全員の前で歌えという。クラス全員の哄笑の中で、ぼくは意識が遠のくほどの絶望感を感じていた。

 それからの1週間、ぼくは毎日、大震災が起こるように祈りをささげた。学校への放火すら考えた。しかし都合よく災害が起こるはずもなく、1週間後の音楽の授業は無情にやってきた。

 子供というのは残酷なものだ。ぼくの歌う姿を見てヤジろうと、近隣のクラスからも悪童たちがわざわざ見にやって来た。

 ぼくにとっては、まさにこの世の地獄であった。声が少し裏返ると教師は容赦なくやり直しを命ずる。友人の悪童たちは、ぼくの失態を真似、ヨーデルなどを歌ってはやし立てる。そうするとますます緊張するので歌詞を間違えて「はるかな尾瀬」を「かすかな尾瀬」などとうたってしまう。悪友たちはますます喜ぶ。あまつさえ、そのころはやっていたドリフターズがきデカ」のギャグを真似て、ぼくを笑わせようとする。よりひどい失態を演じることを期待しているのだ。

 こうして、ぼくにとっては緊張、教師にとっては罵倒、悪友たちにとっては嘲笑にまみれた1時間は過ぎ去った。ことほど左様に、昭和50年代くらいまでは(少なくとも小学生にとっては)歌を歌うことは恥ずかしい行為だったのである。ぼくだけではなく、ほとんどの日本人にとっても同じであろう。

 しかし現在のカラオケの盛況を見よ。「盛況」などという言葉を使うのが恥ずかしいほどに、カラオケは人々の生活に入り込んでいるではないか。同じように演劇も、人々にとっての日常の愉しみになりうると、ぼくは思うのである。

 それで先ほどの「演劇バー」の話に戻る。ぼくの構想の中の「演劇バー」は以下のようなものだ。

 まず、店には舞台がしつらえている。舞台は広いに越したことはないが、賃料の問題で、広い舞台を準備するのは難しいだろう。2×3メートルくらいの広さがあれば十分だ。そこで、客が劇を演じるのである。

 演じると言っても、商業演劇のように何時間も演じるのではない。物語のごく一幕を演じるのである。だれもが知っている物語に限る。たとえば「走れメロス」などが良い。「走れメロス」は中学校の教科書にのっているから、たいていの人が知っているであろう。その一場面のみを演じるのである。たとえばクライマックスの部分だけでも良い。「走れメロス」のクライマックスは、メロスが刑場に走ってきて、国王が親友を処刑するのを止める場面である。

 この場面を演じるには「メロス役」「親友役」「国王役」の3人が居れば足りる。3人以上の仲間で飲みに行く場合には、仲間うちで役を分担すればよい。2人で飲みに行った場合でも、別のグループと協力して演じることができる。その結果、「役者」が4人になった場合には、4人目は観客役、もしくは処刑人役、もしくはメロスにマントを渡す少女役をやってもよいであろう。

 「走れメロス」のように、もともとだれもが知っている物語ならば、台本の読み合わせを1回やれば、ワンシーンくらいすぐに演じられると思う。間違えたっていいんだし。「走れメロス」以外にも「ウイリアム・テル」であるとか、「忠臣蔵」などもいいかもしれない。要するに、だれもが知っている物語ならば何でもいい。

 ぼくはつねづね思っているのだが、「演じること」は人間にとって、けっこう根幹的な欲求なのではないか?なぜなら誰しもが日常の生活の中で、何らかの役割を演じているからだ。自分では気が付かなくとも、ぼくたちは誰かの息子や娘を演じ、父や母を演じ、上司を演じ、部下を演じ、市民を演じ、日本人を演じている。「別の自分」を演じることは、「今の自分が、何を演じているか」を見つめ直す、いい機会だ。生き方を探る参考にもなるし、ストレスの発散もになるに違いない。

 このブログを読んで賛同してくれる人はいませんか?ためしに一度、やって見ると面白いと思うのですが。

 二人でカラオケバーに行ってやりますか。あなたはメロスやってください。私は国王役をやりますよ。セリヌンティウス(メロスの帰りを待っている友人)役は、たまたまバーにいる適当なオッサンの客を引きずってきてやらせましょう。オバサンでもいいけどね。

 でもメロスみたいに、ほんとに殴っちゃだめですよ(笑)。