人間が3人集まると派閥ができる、とよく言うよね。
会社や銀行を舞台にした小説や漫画なんかでも、必ず派閥争いの話が出てくる。
最近もハンザワ何とかとかいう、銀行員が主人公のドラマが大ヒットしたよな。
あたしも、ツケで寿司を食おうとする常連がいたりすると、「倍返しだよ」なんてギャグを飛ばしてた。もちろん言われた方はドン引きして、ソッコーで金を払ってたけどな。
金を持ってんだったら、最初からツケなんて言うんじゃねーよ、ハハハ。
派閥の話に戻るが、我が国の会社や銀行は、基本的にはチームプレーで動いている。だから集団への帰属意識が強いのは自然なことだろう。
当然の帰結として、個人の幸福値も、集団の中での順位付け、つまりマウントに大きな影響を受けるということになって来る。
だけど集団の中でのマウントというのは、人間社会に固有のものではなくて、むしろ動物としての本能なんだろうな。
だってほら、サル山だってボスとか、No2がいるっていうじゃないか。
サルですら集団の中の序列に気を遣うわけだ。
人間の社会はサルの社会よりもずっと複雑だ。
好むと好まざるにかかわらず、人間が世の中で生きて行こうと思えば、必ずなんらかの集団に帰属しなくてはいけない。
だから人間の社会に「派閥」というものがあるのは、まあ自然なことだ。
とはいえ、それは役所とかカイシャインの話だ。
われわれのような職人は、基本的には個人の技で勝負している、はずだ。
だから派閥なんか、関係なさそうに見えるだろう。
ところがそうじゃなんだ。やっぱりわれわれ、すし職人の世界にも派閥はある。
むしろ、すし職人の派閥意識はカイシャインよりもずっと強い。
一般の社会から見たら、「はあ?アホちゃうか?」と思うことがまかり通っている。
今回は、なぜ職人の世界に派閥なんてものがあるのかを説明しよう。
その前に、「すし保険制度」について簡単におさらいしようか。
乱獲や地球温暖化のために、とれる魚の量がどんどん減ってきたことが、すべての発端だ。
魚が獲れなくなると、当然、値段が上がる。
すしの主たる材料は魚だから、すしの値段も高騰する。
昭和の時代には1人前が2000円とか3000円だったすしの値段も、いつの間にか20000円や30000円になってしまった(作者注:本ブログは仮想的な近未来を想定しています)。
となると、普通の国民は簡単には寿司が食べられない。
しかし、寿司は日本を代表する食文化である。
もし国民が寿司を食べることができなくなると、何百年と続くこの文化も、廃れてしまう。
そこで行政が介入した。
すべての日本国民から給料の一部を天引きして、「すし保険基金」なるものを作った。そして国民が必要に応じてすしを食べる際には、この基金から7割ないし9割の援助をすることにした。
この制度によれば、国民が寿司を消費するにあたり、その一部が国民共通の財源、つまりは税金から支払われることになる。
となると、勝手に寿司を握る奴に金を払うわけには行かない。
すしを握って報酬を得ることができる職能を、国家資格にすることにした。
政府はまず、「すし職人養成学校」を認定した。
そして「すし職人養成学校」を卒業したものだけが、国が行う技能試験を受験することができるように制度を定めた。
さらには、その試験に合格して初めてすし職人として鮨が握れるように決めた。
こういう「すし保険」の制度が始まったのは何十年か前のことだけれども、それ以前にも「すし職人養成学校」は存在していた。
例えば東京には「本郷すし学校」というのがあったし、京都には「左京すし学校」というのがあった。大阪には「ナニワすし学校」というのがあった。意見はいろいろあるとは思うが、ここら3つあたりが、わが国の寿司学校のビッグスリーだ。
「あった」と過去形で言うと今は存在しないようだが、そんなことはない。今でも在る。
「すし保険」が導入されるまでは、こういう老舗のすし学校しか存在しなかった。
ところがこういう老舗はそれほど多くはない。だから、その卒業生に限って寿司を握らせていたのでは、日本国民全体に寿司が行き渡らない。これは、「すべての日本国民に(必要に応じて)寿司を食べてもらう」という「すし保険」の精神に悖(もと)ることになる。
だから国は、すし職人養成学校を増やすことに決めた。40年前ほどの話だ。
新潟出身の大物政治家が大いに働いた。
それまでは基本的に、人口が100万人以上いる都市だけに「すし職人養成学校」はあったのだが、ひとつの県に少なくとも一つはすし学校を作りましょう、ということに決めた。それで、いまあたしの勤めている「せとうち寿司学校」のような新しい寿司学校が出来た。
一方、「本郷すし学校」とか「左京すし学校」など、歴史の古いすし学校は、ずっと昔から多くの職人たちを輩出してきた。
東京の名の通った寿司屋の親方は、だいたい「本郷すし学校」の出身であったし、大阪ならば「ナニワすし学校」の出身者が多勢を占めていた。
これに対し、「せとうち寿司」のような寿司学校ができたのは、ずっと後になってからだ。
そうするとどういうことが起こると思う?
例えば東京で働いている職人たちは、「本郷すし学校」で修行してから店を持った奴が多い。東京のほとんどの老舗の親方は「本郷すし学校」の出身だ。
同様に、京都で働いている職人のなかには「左京すし学校」で修行した奴が多い。
彼らは、自分たちの出身母体に誇りを持っている。
新しくできた「すし学校」のことを一応は認めながらも、やっぱり、すし学校には序列があると思っている。
こういうと、鼻持ちならないエリート意識のように思えるかもしれない。
ところが、彼らが、自分たちこそ正統な寿司文化の伝道者であると思うのは、それなりの歴史的理由があるんだ。
新しい寿司学校を創る際には、昔からあるすし学校を卒業した人間を招聘してきて教官になってもらったんだ。
出来たばっかりの寿司学校には卒業生はいない。だから、寿司の技術を教えられる人間も当然いない。人に教えられるほど高い技術を持った人間は、伝統のある寿司学校を出た人間だけだ。それゆえ、設立初期における教官は、他の学校を卒業した人間になってもらった。
瀬戸内地方は大阪であるとか京都に近いから、その地域にある有力な寿司学校に人材の派遣をお願いした。たとえばあたしが働いている「せとうち寿司」は京都の老舗寿司学校である「左京すし学校」の人に親方になってきてもらっていたし、隣県にある「坊ちゃん寿司」は「ナニワすし学校」を中心に人材の派遣をお願いした。
地域によって事情は異なっている。
関東地方の場合には東京が近いから、新しくできたすし学校は、本郷すし学校を出た人間に教官になってもらう場合が多かった。東北地方の場合には、仙台にある七夕すし学校だった。
こうした経由があるから、全国の寿司学校は多かれ少なかれ、本郷すし学校であるとか、左京すし学校の流れを汲んでいるんだ。
さっき、すし学校のビッグスリーは「本郷すし学校」「左京すし学校」「ナニワすし学校」と言ったが、伝統的なすし学校にはこれ以外にも「時計台すし学校」「七夕すし学校」「シャチホコすし学校」「明太子すし学校」なんかがある。これらのすし学校は戦前の、大日本帝国の時代からあるので、総称して「旧帝国すし学校」と呼ばれている。
「旧帝国すし学校」の卒業生が、すし界のエリートをもって自任している話に戻ろう。日本全国のすし学校が、これらの学校の流れを汲んでいるのが、彼らのプライドの一つの根拠であることは、今、説明した。
もう一つの根拠は、旧帝国すし学校を卒業した職人たちの能力は、おしなべて高いんだ。とりわけ、「本郷すし学校」や「ナニワすし学校」に属する、あるいはそこを卒業した人間たちの能力は、ものすごく高い。
あたしが自分で言うのもなんだが、すし職人たちの給与は、他の職業に比べるとずいぶんと高いんだ。平均的なサラリーマンの2倍から3倍はもらっている。
国が寿司職人というギルドにお墨付きを与えたわけだから、これは当然の帰結だ。だれでも自由な参入ができるわけではないからね。
経済的な状況が良くなると、その業界を志す人間が増える。誰だって豊かで安定した生活を望むからね。それで、寿司学校の入学試験はずいぶん難しくなってしまった。
ただ入学試験が難しくなったのは「本郷すし学校」や「ナニワすし学校」のような老舗だけではない。国立や公立の寿司学校ならば、おしなべて難関になった。
大企業ですら倒産やリストラをする時代、手に職をつけておけば大丈夫、と考える若者が多くなったためだ。
全般的に国公立のすし学校に入るのは難しくなったけれど、「本郷すし学校」や「ナニワすし学校」に入学するのはとりわけ難しい。やっぱりこういうところを出ていると、職人の世界でも一目置かれるからね。
こういう、トップクラスのすし学校に合格するためにはかなりの才能と努力が必要だ。
入学の時点で努力をしてきた人間は、だいたい卒業しても努力を継続するからね。職人としての腕もかなり高い奴が多い。
もちろん、全員が全員優秀と言うわけでもない。天狗になってしまって修行を怠る奴もいるにはいる。ただ、どういう集団だって例外はいるだろう。
とにかく、「本郷すし学校」や「左京すし学校」、「ナニワすし学校」の学生の能力はかなり高いし、卒業生には腕のよい職人が多い。これは客観的な事実だ。
こういう名門校を卒業した人間たちはプライドが高すぎて、サービス業であるすし職人に必要な愛想がかけているとか、人間性の点で批判する奴は世間に多い。
だが、あたしはそういうのは単なる嫉妬だと思う。
すし職人は「すしを握る」という能力のみによって評価されるべきだ。
それに、彼ら「すしエリート」たちの高いプライドに見合うポジションが、このところどんどん少なくなっている。
20年くらい前までは、本郷すし学校なんかを卒業した人間は、たいていどこかのすし学校の教官、つまりは親方になっていた。
これは、新設のすし学校の卒業生がまだまだ一人前になっていなかったからだ。すしの世界は深いから、25年か30年くらい修行して、ようやく人に教えられるようになる。年齢からいうと50歳前後というところか。
新設のすし学校は、40年くらい前にこぞって設立された。だから20年くらい前は、それらの学校の卒業生は、1期生ですらまだ40歳前後だった。それで親方が引退しても、また別の伝統あるすし学校からその後任を連れてこざるを得なかったんだね。
ところが時間が経つにつれて、新設のすし学校を卒業した人間たちの層も厚くなってくる。だから、もはや本郷すし学校や左京すし学校から、わざわざ先生として来ていただかなくても良くなった。
こういう現象を見ていると、あたしはいつも「歴史は繰り返す」と言う言葉を思い出す。
これまで述べた、新設のすし学校と、伝統のあるすし学校の関係は、何かの関係に似ていると思わないか?
先進国と途上国との関係だ。
例えばインドは、昔イギリスに支配されていたよね?
マハラジャなんていうのもいるにはいたらしいが、傀儡(かいらい)として利用されているだけで、実質的な統治者はイギリス人だった。
イギリスはインドから富を収奪するために統治をおこなっていた。
インドの側としても近代化が遅れていたから、イギリス人に手伝ってもらわないと国が運営できなかった、という側面はあっただろう。
ただし統治される側としてはやっぱり、あまり気分のいいものじゃない。
自前の人材もそれなりに育ち、近代的な制度も固まるにつれて、別にイギリス人に統治してもらわなくても、自分たちで国を運営していこうじゃないか、という雰囲気になってくる。
それで独立運動が起こって、イギリスを排斥したわけだよな?
すし学校の世界でも、今、まったく同じような現象が起きている。
新設のすし学校は、設立の初期においては、伝統あるすし学校にお世話になったかもしれない。
でも成人になった子供が親の干渉を嫌うように、いつまでも保護者のようにふるまわれると、やっぱり「うぜー」と思うよね。
すし養成学校の親方は、だいたい10~15年間やって引退するのが普通だ。
一人の親方が引退するとなると、次の親方を決めなきゃいけない。
こういう時、新設のすし学校では、本郷すし学校であるとか左京すし学校に人材を求めるのが、10年くらい前までは普通だった。
ところがさっき言ったように、彼らもそろそろ、そういう老舗のことを「うぜー」と感じている。
だから、もう本郷すし学校のお世話にならなくても良いです、左京すし学校の方々はお引き取りください、ということになって来る。
ところが、それらのエリートすし学校としては、急にそういうことを言われても困る。彼らはすし界のエリートたらんとする志を早くからもっているので、指導者になるつもりで修練をしてきた人間が多いからね。
突然いらないと言うのは納得いかないよ、今まで通り招いてくれよ、と思う。
しかし新しい寿司学校としては、いつまでも彼らの世話にはなりたくない。
それで、旧帝国すし学校派と、新設のすし学校派の派閥に分かれて争ったりすることになる。
じつはこの問題は「すし業界」ではかなり微妙な問題で、多くの人間が気づいてはいながらも、あからさまに取り上げる奴は少ない。一種のタブーになっている。
それはなぜかというと、大半の人間が「伝統すし学校」派か、「新興すし学校」派のどちらかに属しているからなんだ。
たとえばインドで独立運動が起こっていたときを考えてみてくれ。
インドに住んでいるイギリス人が、あまりイギリスの事を持ち上げるとインド人たちの反感を買っただろう。場合によっては命の危険もあったかも知れない。インド人の事を悪く言っても同じことだ。
インド人にしたってイギリス人とあまり仲良くしたりすると、裏切り者としてインド人に狙われかねないし、逆にインド人の民族意識をあまり高揚させたりすると、イギリスの配下にある警察につかまったりする。
こういうふうに、対立の構図が明らかな場合には、そのいずれの側にいる人間も、大きな声でものは言えない。
この点、あたしの立ち位置はかなり特殊なんだ。
あたしは今、せとうち寿司の親方として働いているが、卒業したのは、せとうち寿司学校ではない。かと言って、せとうち寿司学校の創設に大きく貢献した、左京すし学校やナニワすし学校を卒業したわけでもない。
あたしの卒業したのは、東京にある、そこそこ老舗の寿司学校だ。四谷すし学校というんだが、本郷すし学校がアメリカ、左京すし学校がイギリスだとすると、まあイタリアみたいな存在だ。
出身から言えばイギリス側に属しているわけでもインド側に属しているわけでもないから、好きなことが言えるし、やれるわけだ。
というと、あたしがいかにも無責任なように聞こえるかもしれない。
だけどそう思っていただいては、大いに困る。
あたしは、せとうち寿司の先代の親方に呼ばれて、瀬戸内にやってきた。せとうち寿司を左京寿司や本郷寿司に負けないくらいの寿司屋にしてくれ、と言われたんだ。
そういう期待には応えたい。
また、足掛け7年もせとうち寿司に勤めていると、やっぱりせとうち寿司に愛着がわいてくる。あたしが卒業したのは四谷すし学校ではあるが、今ではせとうち寿司学校の生徒や卒業生の方が、ずっとかわいい。
さっきの例えで言うと、インドにひょんなことからやって来て、いつの間にかインドおよびインド人のファンになった、イタリア人みたいな立ち位置だ。
ところが、ずっとイギリス人的な立場にいる人間は、こういう微妙な立ち位置と言うのが理解できない。
2年前くらいだったかな?
青森県にある「りんご寿司学校」の親方に呼ばれて講演に行ったことがある。
あたしは若いころ、武者修行のために全国のいりいろな寿司屋で働いた。
弘前にある「りんご寿司学校」にも1年ほど、お世話になった。それで、そこの親方とは知己にあったんだ。
講演の中であたしは、自分が開発した、魚の胸鰭の新しい調理法をみなさまにご紹介した。
話が終わったあとに、聴衆から質問を受け付けた。
そうすると手を挙げる奴がいる。よく見ると、あたしの出た「四谷寿司」の昔の親方じゃないか。
あたしとこの人とはかなり相性が悪く、事あるごとに怒鳴られていた。
何を言うのかと思って身構えたんだが、「おれの指導してやった四谷寿司の後輩が、立派になって、私もうれしい」なんてことを言っている。
なんのことはない、自分の出た学校を自慢したいだけなんだね。
彼のふるまいを見てあたしは、「人間というものは自分の価値観の中でしか、ものを見られない」ということが、つくづく解った。
あたしは、昔はともかく、今はせとうち寿司の人間だ。
だから仕事をするにしても教育をするにしても、せとうち寿司の職人たちの利益を第一に考える。
これが世間一般の常識じゃないか?
たとえば、少し昔になるけど落合って野球選手がいた。
落合はもともと巨人で選手をやっていたが、中日に監督で移籍したよな?
そうすると中日のために死に物狂いに働くのが当然だ。巨人―中日戦の際に手心なんか加えるわけがない。
銀行なんかでも同じはずだ。たとえば都市銀の銀行員が、外資の銀行に転職したとする。
両行が何らかの案件をめぐって対立した場合、「自分の古巣だ」なんて言って勝ちを譲ると思うかい?寝言は寝て言えよ。
こういうふうに普通の世の中では、自分の古巣がどこであるかなんて二の次だろう。
それなのに「すし職人」の世界では、卒業した学校で人種が決まるかの如く考えている奴がたくさんいる。
そういう輩はとりわけ、名門のすし学校を卒業して、そこにずっといる奴に多い。
目の前にいる昔の親方はまさにその典型で、母校およびその傘下の組織のみにいて、現役生活を終えたんだ。つまり、他の世界というものを全く知らない。
だから奴は、四谷すし学校を出たあたしが「せとうち寿司」の親方になったと聞くと、「四谷ずしのナワバリが増えた」みたいにしか考えられない。
奴がそう思うのは勝手だが、「せとうち寿司」が四谷寿司の傘下みたいに思われると、「せとうち寿司」の人たちに申し訳ない。
それであたしは、得意になって話している、その昔の親方に「何をおっしゃっているのかはわかりませんが、あたしは今はせとうち寿司の人間なのであって、もう四谷寿司の人間じゃありませんから」と言った。
すると奴は目を白黒させていたな。
そういう、卒業校に応じたいわば「民族主義」は、昔は「本郷すし学校」であるとか「左京すし学校」、あるいは「ナニワすし学校」の卒業生にとっては、かなり有利に作用していた。
さっきも言ったように、すし学校の教官であるとか、名門・老舗の店の親方は、そういうエリートたちが独占していたからね。
ところが、最近は「民族主義」の流れが変わってきている。
むしろエリート達に不利になってる場合が、多々あるんだ。
今回の話もだいぶん長くなったから、一つだけそういう例を挙げておしまいにする。
数年前のことだったが、ある私立のすし学校の親方が引退して、新しい親方を選ぶことになった。仮にそのすし学校を「二代目すし学校」としようか。
二代目すし学校の親方たちは、もともと本郷すし学校や四谷すし学校を卒業した人間たちが多かった。純粋に腕で選考を行った結果、そうなっていたんだと思う。
そこで新しく親方を選ぶ段になって、本郷すし学校を卒業した人間が立候補した。
この男はあたしの友人なんだが、ハッキリ言ってメチャクチャ優秀だ。寿司を握る腕も申し分ないばかりか、新しい寿司を考え出す創造性も持ち合わせている。後輩の指導もきちんとするし、性格も良い。ついでに顔も良い。
だからあたしは、是非とも彼に、二代目寿司の親方になって欲しいと心から思っていた。
ところが蓋を開けてみると、二代目寿司学校のたたき上げが、親方にそのまま昇進してしまったんだ。
この結果をみて、あたしはびっくり仰天した。
そこでいろいろと調べてみると、哀しい事情があるのがわかった。
二代目すし学校の卒業生たちは、本郷すし学校とか、一流のすし学校を出た人間たちが母校を動かしているのが、もうほとほと嫌になっていたんだね。
だから親方を選ぶシステムを変えてしまったんだ。
いままでは、寿司を作る技量や、新しい料理を作る創造性を基準にして、有識者で作る委員会で、新しい親方を選考していた。
それを、リジチョーが選ぶシステムに変えてしまったんだ。
リジチョーってのはつまり、ドーソーカイの代表だ。
そしてドーソーカイってのは、そのすし学校の卒業生の集団だ。
本郷すし学校を出た人間たちがいくら優秀だって、数の点では二代目すし学校の人間たちにかないっこない。
そういうことで、端からみると、少なくともあたしから見ると、いとも不可思議な人事がまかり通ってしまったわけだ。
こういう「アホちゃうか」という現象が起こっているのは、二代目すし学校だけではない。日本全国で、同様な現象が起こっている。
幸いにして、「せとうち寿司」のようなコクリツでは、今のところこれほどおかしい人事は少ない。やっぱり公的な組織だから、ある程度のブレーキはかかるんだ。
でも私立のすし学校はなんでもありだから、当面のところ、こういうおかしな人事は続くだろう。あたし自身も何回かこういう被害にあっているので、今後、おいおい書いてゆく。
さきほど、本郷すし学校や左京すし学校を出た優秀な人間のポストがどんどん少なっている、と言った意味がわかったかい?
平たく言うと、かれらは優秀であるがゆえに、組織的に嫉妬され、排斥されているわけだ。
でもそれこそが、現代って時代なのかもしれない。
だってほら、アベさんもアソーさんも、かなりのバカなのに総理大臣までやったじゃないか。
というわけで、どんどん危ない話になりそうなので本日はここまで。
(注)本ブログに登場する学校名や人物は架空のものであり、実際の人物や団体とは関係がないことをお断りしておきます。