すし職人ブログ19ー「すしJOY」について

「研鑽」と「業務」を分けろと言われても…

 

 

 

 

 我が国には「すし保険制度」が存在することは、前に述べたよね→「せとうち鮨」親方つれづれ草 - Nagasaoのブログ (hatenablog.com)。日本の無形文化財である「寿司」を広く国民に食べてもらうために、1960年代に導入された制度だ。この制度においてはすべての日本国民が、職場なり共同体を通じて組合に加入する。そして一定の保険額を納入する。誰かが寿司を食べたくなると、その金額の7割程度が、皆から集めた保険料より支払われる。これが制度の大綱だ。

 近年の人口の減少により、この制度の維持は加速度的に厳しくなっている。保険の新規加入者、つまり若者が減っているからだ。それでいて日本人の平均寿命はどんどん延びている。すなわち、すしを消費するためにかかる支出は増え続けている。このため歳出が歳入を上回り、システムの維持がむつかしくなっているのだ。

 そこで日本政府は、歳出を抑えようと躍起になっている。国立や公立のすし店に交付していた補助金をけちるようになった。それらの寿司店を経営ボードは職人たちの給料を減らそうとして、新たなシステムを導入しはじめた。

 “すしJOY”はそういうシステムの一つで、多くの病院に導入されつつある。店で働いている職人は、丸いペンダントを渡される。これは信号の発信器だ。そして受信器のほうは、寿司店の各フロアに置かれている。信号の受信記録を見れば、職人たちが寿司店にいるのかいないのか、いるとすればどこにいるのかがわかるようになっている。

 このシステムを考えだしたのは、嫌な奴だろうと思う。人間の発明した嫌なものには、手錠であるとか十字架であるとかいろいろある。そういうエグイ刑具を考え出した奴らは、いい人間とはとうてい思えない。友達なんかもいないに違いない。「すしJOY」を考えた奴も、そいつらと同じくらい嫌な奴に違いない。

 “すしJOY”の導入により、勤務時間中に職人たちが、店のどこにいるのかがガラス張りになった。ただそれがわかるようになったからと言って、職人たちの給与を下げる効果はそれほどなかった。たいていの職人は、勤務時間のあいだは真面目に店にいるからね。

 病院によってはむしろ、“すしJOY”を導入する前に比べると、職人たちに支払う給与がむしろ増えてしまった。今まではちょっと長く働いていても残業手当を申請しなかったのに、“すしJOY”が勝手に信号を拾ってしまうので、サービス残業の分が給与に加算されるようになったためだ。あたしは、これはかなり笑えるギャグだと思う

 単純に職人たちの所在をモニターするだけでは効果がないとわかると、役人のほうは、ますます馬鹿なことをやり始めた。「同じく店の中にいても、『寿司をつくっている時間』と『自分の修行をしている時間』があるでしょう。『寿司をつくっている時間』だけを、労働時間としてカウントしますよ」と言い始めたのだ。

 たとえば、魚をさばいている時間や、ネタの下ごしらえをしている時間、カウンターに立って寿司を握っている時間などは、「すしを作っている時間」、つまり勤務時間としてカウントして構わない。

 一方で、「すしの新しい握り方を考えている時間」や、「オカラを握って、すしを握るトレーニングをしている時間」や、「寿司の味を引き立たせる緑茶の銘柄を研究している時間」なんかは、勤務時間としてカウントすべからず、というのだ。つまるところ、寿司を握る行為、もしくはそれに直接関係する行為をしている時間だけを労働時間とみなすわけだ。

 役人たちはこういうわけのわからない区分を作ったうえで、職人たちに時間を色分けして報告するように要求している。「寿司を作るための時間」は「業務」として、「自分の修行のため時間」は「研鑽」として区別して報告せよというのだ。

 そして「研鑽」は勤務時間に含みませんよ、と馬鹿なことをのたまっている。お前らが勝手にやっているんだから、給料は払わないよ、という理屈である。

 この理屈はかなりおかしい。他の業種に当てはめてみると、それがよくわかる。

 たとえば警察官だ。警察官の多くは日ごろ柔道や剣道なんかをやって体を鍛えているよね。そうでないと暴力事件が起こった時に、犯人を逮捕することができない。また交通課の警察官なんかだと、白バイの運転を練習しているはずだ。上手にバイクに乗れなかったらスピード違反の車を捕まえられない。

 だけどいくらこういう努力をしても、寿司業界における「働き方改革」の基準に照らせばすべて「研鑽」とみなされる。「お前らが勝手にやっているから、給料は払わんよ」と考えられるわけ。警察官の場合、犯人を逮捕する瞬間だけが、仕事をしている時間とみなされることになる。

 また消防署なんかに行くと、時々消防士が訓練をしているよね。常日頃から体力を養っておかないと、いざというとき機敏に動けないからだ。当たり前のことだ。でも訓練をしている時間は、労働時間とはみなされない。だって、火事が起こってないから

 図書館の司書さんなんかも、本をジャンル別に整理したり、書評をかいたりという仕事で結構忙しい。こういう地道な下準備があってこそ、利用者は見つけやすくなるし、面白い本を見つけることができる。

 だけど「働き方改革」の基準に照らすと、こういう時間は遊んでいるのと同じだ。利用者が本を選んで、貸し出しの手続きをしている時間だけが、司書の働いている時間とみなされる。

 さいわいこれらの業種には「働き改革」は及んでないようだ。だけどいずれ、すし業界みたいに役人が入り込んでアホなことを言い始めるかもしれない。その道のプロになるための地道な努力は、次々と否定されるだろう。そうすると犯人にぶっ飛ばされて気を失うような弱っちい警官が増えるだろうな。ひとたび火事が起これば、消防士が火を消せないので火は燃え広がる。図書館に行っても、日ごろ書架を整理してないものだから本がどこにあるのかわからない、なんてことになってくる。なかなかありがたくない世の中だね。だけどもしかすると冷戦時代の東欧なんかは、実際にそんな感じだったのかもしれないね。変な髪形のデブが“首領”とか言って威張っているあの国なんか、今でもそうだろうな。

 と、こういう風に、「働き方改革」を徹底していろいろな職業に浸透させていったら、世の中が悲惨になるってことは、ちょっと考えるとすぐにわかる。

 そもそも「明らかに役にたっているモノや時間に対してだけ、お金を払う」なんて馬鹿な発想が、なんで出て来るんだろう?ここ数か月間考えていたのだが、先ごろあるレストランに行ってメシを食っているときに、その理由が判った。

 そのレストランは海辺にあって、海鮮料理を売りにしている。魚を飼っている水槽が店の中にある。客はその水槽からアワビだの鯛だのを網ですくってもらって、バター焼きにするなり、フライにするなりしてもらう。魚は100グラムあたりいくらと決まっていて、重量に応じて値段が決まる。例えばタイが100g当たり200円の場合、1キロの鯛を〆てもらったら、2000円が材料費ということになる。これに1000円くらいの調理費を足した価格が、その料理の値段になる。よくあるシステムだろ?

 ところが天才的に身勝手な発想をするアホっていうのが、やっぱりいるんだね。何種類かの魚を注文した30代くらいのカップルが、支払いの段階になって、なにか揉めている。

 何を揉めているのかと思ってきいていると、料金の算定方法が納得できないらしい。彼らいわく、釣り上げた鯛の重量は確かに1キロであったけれども、頭や骨は食べていない。また内臓は捨ててしまっているから、実際に彼らが食べたのは700グラムくらいのはずだ。したがって1キロ分の料金を払うのは納得できない、というものであった。

 あたしはその話を傍らで聞いていて、「こいつら、バカか?」と思った。魚は、頭も尾も、内臓もあるからこそ生きていける。つまりそれらの部分は、彼らが美味しく食べた身の部分を生産し、維持するためには不可欠なものなのだね。

 ところが彼らには、魚のうち、自分たちに役にたつ部分しか見えていない。あたかも魚が切り身で泳いでいるように認識しているのだ。

 そんな馬鹿な話、あるわけないだろ。店の人も最初は苦笑いしていたが、だんだん怒ってきた(当たり前だ)。「お客さん、無茶言わないでよ」とか、口調がぞんざいになって来たので、カップルもそれ以上文句をたれるのはやめて、料金を払って帰っていった。怖いのは、そいつらがヤクザ風でも迷惑系ユーチューバーでもなく、ごく普通の人間であったことだ。教師とか、役所に勤めている感じのタイプだったね。

 つまるところ今の時代、みんなが「消費者」になってしまっているのだね。製品が生み出される過程を知らずに、値段と性能だけを問題にする。「自分にとって役に立つか否か」を基準に価値判断をしている。モノを作るとか、生産的な仕事の裏にある苦労が、まったく無視されている。

 「すしを握っていう時間だけが、すし職人の労働時間」なんてことを言うやつは、もちろん自分で寿司を握ったことなんかないだろう。だけど壁に棚を取り付けるとか、料理を作るとか、そんなちょっとしたモノづくりも、ほとんどやったことがないに違いない。

 そもそも日本人という民族は、モノを作ることでやってきた民族なんじゃないか。職人肌の民族だから、機械や車なんか作らせると非常にいいものを作る。いままでそうやって来たんだから、あんまり方針を転換しない方がいいのではないだろうか。

 あたしの仕事は寿司を握ることである。しかし寿司を握る以外にも、世の中にはものをつくる仕事はたくさんある。建築業界の方々はビルや家を建てるし、農家の方々は米や野菜を作る。あたしはこういう他業種の方々の仕事にも、敬意を抱いている。もちろん専門的なことはわからない。しかし彼らが製品ないしは食品を作り出す、おおよその過程についてはなるべく理解しようとしている。また、実際にかなり興味がある。

 それだからあたしはよく、ビルの建築現場を通りかかったり、農家の人が田植えをやっているのに出くわしたりすると、立ち止まってじっと見る。ビルの土台がどういう風に固められるのか、田植えの機械がどのように稲を置いてゆくのかを見ていると、かなり面白い。

 こういう「立ち見」をあまり長い時間やっていると、単なる不審者になっちまう。だからせいぜい15分くらいが限度である。でも建築現場なんか半日くらいは見ていたいし、質問したいことが多々ある。「ビルの建築工程を見学するツアー」なんかがあったら、ぜひ申し込みたい。JTBとか近畿日本ツーリストで企画してくれないだろうか。参加者は全員、ヘルメット着用だね。

 そうだ。「すしJOY」を考えた奴らも、無理やり連れて行こう。とび職や配管工が苦労して働いている様子を見れば、すし業界の職人たちの苦労もちょっとは解るかもしれない。

 それでもガタガタ言うようなら、セメントの中に叩き込んで言ってやるぜ。「そこで『研鑽』せんかい!」ってね。

 

 

 

 

 

すし職人ブログ18―面接官の憂鬱

まず、椅子に座ってくれ(>_<)

 

 あたしはすし職人である。したがって寿司をお客さんに握るのが本分である。

 しかし今はどういうわけか、すし学校に勤務している。そうすると、すし職人でありながら、教師ということにもなってしまうらしい。

 それで、すしを握るのとは全く関係のない、わけのわからない仕事にも駆り出される。面接試験の試験官はその一つである。

 若者の人気の職業は、時代とともに変遷しうる。太平洋戦争の前は軍人が人気の職業であったし、石炭産業が興盛を極めた1960年代は、炭鉱の管理会社が若者たちにとって垂涎の就職先であった。高度成長期には製鉄業に、世のエリートたちは争って就職した。バブルのころは金融業に人気が集まった。

 令和の現在にあっては情報産業に優秀な人間が集まっている。しかしすし職人という職業も、「手に職がつく」というメリットがゆえに、それなりの人気がある。

 とくにコクリツのすし学校は月謝が安いので、志望する若者たちがひきも切らない。    

 わが「せとうち寿司学校」を受験する高校生たちもたくさんいる。あたし個人としては、やる気のある若者はみんな入学させてあげたいと思っている。だけど教室に入れる人数には制限があるので、やっぱりふるいにかけなくてはいけない。それで毎年、2月になると入試が行われる

 せとうち寿司学校の入試は、筆記試験ならびに面接から成り立っている。それぞれに対して配点が決まっていて、合計した得点の高い受験者120人ほどが、入学を許可される。われわれ教員たちは、試験に駆り出されて手伝いをやらされる。

 手伝いの内容はさまざまである。筆記試験についていえば、問題用紙を配ったり、不正行為がないか監視をしたり、回収された答案を採点したりする任務がある。面接試験では志願者に質問をして、論理性やコミュニケーション能力を評価する。筆記試験と面接試験の両方に駆り出される教員もいるにはいるが、大半の職人はどちらか一つだけを割り当てられる。

 なぜだかよくわからないが、あたしはここ数年ずっと、面接試験の係をやらされている。前にブログで、筆記試験の監督をするのは、自分の性格に合わないことを書いたことがある(ある名(迷?)案 - Nagasaoのブログ (hatenablog.com))。あたしは、何もしないで何時間も過ごすことが大嫌いなのだ。それを誰かエライ人が読んで「こいつに筆記試験の監督はムリ」と思ってくださったのかもしれない。ありがたいことだ(これからもその線で、よろしくお願いします)。

 しかし、だからと言って無罪放免してくれるほどコクリツの寿司学校は甘くない。かわりに面接試験の試験官を割り当てられる。本当はこれも嫌だ。でも筆記試験の監督よりはだいぶんマシだ。

 面接試験には、一定のルールがある。国立の寿司学校の場合には、ルールが特に厳しい。たとえば宗教や家庭環境について訊いてはならない。個人情報ならびに、憲法で保障されている信仰・思想の自由に抵触するからだ。それで気の小さな試験官は、なるべく無難な質問をしようとする。

 定番なのが「なぜ、すし職人になろうと思ったのか」という質問だ。

 もちろん本当に、寿司を握ることにあこがれを抱いて、寿司職人を志す学生も多いだろう。だけど、「手に職をつけておけば安心」考えて、寿司学校への進学を希望するやつも少なくない。さらに、家が大きな寿司店を営んでいて継ぐ必要があるから、どうしても寿司学校(総合大学の場合は「すし学部」)に入らなきゃいけないやつもいる。

 こういう理由を、素直に話すわけにはいかない。功利的な考え方を嫌う試験官もいるからだ。ちなみに、あたしは違う。生活のために仕事を探す、そしてそのスキルを身に着けるために、寿司学校に出願するというのは、すっきりしすぎるくらい筋の通った理屈だ。だから「寿司職人として成功し、豊かな生活を送りたいからです」って、本音を話す受験生がいたとしても、あたしなら減点なんか絶対にしない。たとえ動機がどのようなものであったとしても、プロとして恥ずかしくない腕さえ身につければ、それでよいではないか。

 ところが、そういう答えを嫌う試験官(つまり、すし学校の親方)が、一定数いることは事実である。それで受験生としては亡くなった「おばあちゃん」とか「おじいちゃん」にご登場願うことになる。「おばあちゃんがなくなる前、寿司を食べて幸せそうな顔をしているのを見た。だからすし職人になろうと決意した」なんて答える。

 小説や映画に啓発を受けた、なんて答える奴も多い。たとえば「寿司職人・黒雄(くろお)」という、手塚治虫が描いた漫画がある。これには天才的なすし職人が出てきて、実にカッコいい。それで「『黒雄』を読んで、すしを握ることに憧れました」となんて答える。

 もっとも「すし職人になろうと思った動機」については、まだ答えやすい。受験生にとって困るのは「なぜ本校を志望したのか」という質問だ。

 あたしの勤務している「せとうち寿司学校」は、瀬戸内海に面した、「せとうち県」にある。「せとうち県」に住んでいる高校生にとっては、この質問に答えるのは簡単だ。「寿司を握ってお客さんに食べてもらうことにより、せとうち県を発展させたいから」とか、「せとうち県で育つうちに、皆さまにお世話になった。お世話になった人たちに、寿司を握ってお礼をしたいから」とか答えればよい。きわめて明瞭

 だけど、県外に住んでいるのにわざわざ受験しにくる学生もいる。というより、そちらの方が多い。だいたい6割くらいの学生が、大阪・神戸・東京などの高校を卒業しているのに、四国にあるせとうち県までやってくる。

 それらの大都市にも当然、すし学校はある。それなのになぜわざわざ都落ちしてくるかというと、ニッポンのすし業界の実情に大きな理由がある。さきほどに書いたように、すし職人は今のところ、かなり人気のある職業の一つだ。だから、すし職人を志す高校生は多い。結果として、入学試験の倍率もかなり高くなる。とくに国立のすし学校は学費が安いので、サラリーマンの家庭でもなんとか支払える。それで、応募者が殺到することになる。

 そして若い人たちは、都会に住みたがる。だから本郷すし学校とかナニワすし学校といった、大都市にある国立の寿司学校は、異常なくらい入学するのがむつかしくなっている。

 東京や大阪にあっても、私立のすし学校の場合には、国立にくらべて入学するのはずっと易しい。しかし、私立の寿司学校で学ぼうとすると、卒業までにサラリーマンの平均年収の5倍から10倍くらいの学費がかかってしまう。それは一般家庭には、かなり厳しい。

 わがせとうち寿司学校も、いちおう国立のすし学校である。それゆえ入学するのは、それなりにむつかしい。それでもなお本郷すし学校や左京すし学校なんかよりは、入りやすいし、学費も安い。ゆえに全国から受験生が殺到する。つまり、よその土地からくる学生の多くは、親の経済力と自分の学力を天秤にかけて、せとうち寿司学校にターゲットを絞るわけだ。

 こういう学生たちに「なんで、せとうち寿司学校を志望したのですか」と尋ねるのは、ちょっと酷ではないかと、あたしは思う。「ぼくはどうしてもすし職人になりたいですが、東京の国立すし学校はハードルが高すぎて」なんて、本音を言えるわけがない。

 恋愛や結婚に例えてみるとよくわかる。「なぜ、日本にはたくさんのすし学校があるのに、せとうち寿司学校をわざわざ選んだの?」と訊くのは、「なぜ世の中には大谷翔平みたいに、イケメンの上、性格もよく、収入も桁違いに多い男もいるのに、ぼくと付き合うの?」と訊くのと同じだ。「ちょっとあたしには大谷翔平は無理そうだから」なんて答えられるわけがない。

 だからあたし自身は「なぜ本校を志望しましたか?」なんていう質問は、絶対にしない。さっきも言ったように、きっかけがどうあれ、しっかり修行して、きちんとした職人になりさえすれば、それで良いと思っているからだ。ついでに言わせてもらうと、せとうち寿司学校を出ていても、都会の一流校を出た人間に遜色ない職人はたくさんいる。卒業してからの修行が大切なのだ。

 とにかく受験生諸君は、「本校を志望した理由」なんか訊かれて「うぜー」と思っていることは、間違いない。だけど試験官の中にはなぜか、この質問を好む人が大変に多いのだ。

 受験生の方もそれはわかっていて、あらかじめ準備をしてくる。もともとは縁もゆかりもなかった、せとうち県に来る理由を探すわけだから、どうしてもこじつけ的な理由が多くなる。

 こじつけには二つのパターンがある。「地域が気に入ったから」というパターンと、「せとうち県の人となんらかの縁があって」というパターンだ。

 「地域が気に入ったから」の具体例はこんな感じだ。「こどものころ、両親に連れられてせとうち県に旅行に来ました。海も山もあって、実に美しい県だと思いました。それで是非、せとうち県で学びたいと思って、貴学を志望しました。」

 せとうち県は「うどん」が名物だ。だからこれにかこつける奴もいる。「ぼくは昔から、『うどん』が好きでして。それで、せとうち県が向いていると思いました」なんて言う。

地域礼賛パターン」には他にも、「瀬戸内の島々にあこがれていたから」とか「弘法大師の故郷だから」なんていうものある。

 だけどせとうち県の場合、「地域礼賛」のネタはそんなにあるものじゃない。せとうち県は住みよいところではあるが、東京や大阪、京都なんかに比べるとインパクトは弱い。

 この点、北海道や沖縄なんかはもっと理由づけがしやすいのではないだろうか。これらの地域には、「北の国からすし学校」とか「ガジュマルすし学校」などがある。これらのすし学校にも、都会から受験生がたくさん来ているはずだ。

北の国からすし学校」の場合には、「北海道のきびしい自然の中で自分を鍛えたいと思いまして」とか「ぼくはスノボとキタキツネが好きでして」とか、それこそ「テレビドラマの『北の国から』を見て(古いか)、きれいな所だと思って」とか、いくらでも理由が挙げられる。

「ガジュマルすし学校」も「沖縄の文化には昔から関心がありました」とか「ウィンドサーフィンが好きで」とか「サンシンが好きで」とか、いろいろ理由がつけやすい。この点、せとうち寿司学校の受験生はちょっと大変だね。同情するよ。

 そこで「せとうち県の人となんらかの縁があって」と、切り口をちょっと変える奴がいる。いうなれば「人縁パターン」だね。

「人縁パターン」は「地域礼賛パターン」よりもずっとバリエーションに富む。まず親戚のうちに一人でも、せとうち県の出身者がいたらしめたものだ。「年上の従妹が、せとうち県の人と結婚しまして」なんて、つながりをやたらと強調してくる。その「いとこ」がたまたま寿司職人だったとすると、こりゃもうビンゴ!だ。「せとうち出身の彼(彼女)がキビキビ働く姿にあこがれまして」なんて、胸を張って言える。

 しかし、せとうち県の人口はたかだか100万だ。だから従妹が結婚する可能性はあんまり高くない。そうするともう、「コネ」を赤の他人に求めるしかないじゃないか。それで、たとえばこんな答えをする。

 「小学校のときの先生で、せとうち県出身の人がいました。その先生が、ぼくは大好きでした。だから、せとうち寿司学校を志望しました。」

 そうかい、そうかい。あたし自身は、せとうち県の出身ではないよ。でも、せとうち県の人間のことをそこまでよく思ってくれて嬉しいよ。だから「その先生は男だった?女だった?」とか、「何歳ぐらいの先生だった?」なんて訊かないよ。安心してくれ。だいたい、「個人的なことは聞いてはいけない」と、試験官のマニュアルに書いてあるからね。

 でも、答えの「ウラ取り」をおそれて、用心深い答えをする受験生もいる。

 「小さいころ両親に連れられて、せとうち県に旅行にやってきました。その時にバスに乗ったのですが、そのバスの車掌さんが非常に親切でした。それで、『将来は、せとうち県で寿司職人になって、恩返しをしよう』と思いました」なんて答える。

 そうかい、そうかい、ありがとうね。

 せとうち県も地方の例にもれず、人口が減少している。だから君みたいな若者が残ってくれたら、とても嬉しいな。だから、あたしはあえて突っ込みをいれないよ。でも、気を付けた方がいいな。突っ込もうと思えば、いくらでも突っ込みができるからね。

 たとえば、「バスの車掌さんに恩返しをしたい」のならば、そのバス会社に入ってあげた方が喜ぶと思うよ。交通業界は人手不足が深刻だからね。その車掌さんも夜勤が多くて、苦労していると思うな。君が同じ会社に入ってマンパワーを増やしてあげれば、その車掌さんも楽になるだろう。論理的に考えると、「そのバス会社に入る」が、君の目指すべき方向性なんでないかい?

 もっと突っ込めるよ。たしかにバスの車掌さんに親切にされるのは嬉しいことだ。だけど、その時から18歳の今まで、君に親切にしてくれたのは、その車掌さんだけ?小学校の先生はどうだった?逆上がりのできない君を、放課後に指導してくれなかった?高校のサッカー部の顧問はどうだった?日曜日なのに、君たちの試合に監督に来てくれなかった?そういう方々の出身地にある寿司学校を、受験した方がいいのではないかな?

 あるいは本当に、今までの君の人生で、その車掌さん以外のすべての人は、君に不親切だったの?それじゃ君がかわいそうすぎる。まるで昔話の「泣いた赤鬼」みたいじゃないか。

 まあ、あんまりいじってもかわいそうだから、ここら辺でやめておこう。

 こんな風に「突っ込み」を入れることは簡単だ。でも、試験で緊張している君たちをいじるほど、あたしは意地悪くない。

 だから、これからも面白い話をたくさんつくって…いやいや失言、創っているわけじゃないものね。いろいろなお話しを聞かせてね!

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの行列」について

これぐらい怖いと感じる人も、いるのでは?

 このブログは世間の評価を意に介さずに、書きたいことを書いています。それでぼくは「よくあんな事、書けますね」とか「度胸ありますね」とか、よく人に言われます。

 今回の話も、同業者の方にとっては、けっこうきわどい話です。だからあらかじめ言っておきます、読むのは自己責任ですからね。

 話は「あの行列」のことですよ。あの行列

 よく大学病院を題材にした小説とか、映画がありますね。それに必ず出てくる行列ですよ。たとえば「〇い巨塔」なんか、かなり有名なドラマですね。その予告編に、この行列が出てきます。白衣を着た人たちがしずしずと歩いてくるあの場面は、このドラマの内容を象徴しています。

 漫画の「〇龍」なんかにもこの行列が出てきます(ドラマにもなりました)。ものすごーく人相の悪いオッサンが先頭に立ち、それを計算高そうな手下たちが取り囲み、行列はしずしずと進んでゆきます。取り巻きから少し離れたところに美男と美女がなぜか居て、それがヒーローとヒロインだったりします。

 と、ここまで引っ張ってきて、いよいよ言っちゃいます。「教授回診」のことです。ぼくがなぜ、直接その言葉を出さずに、ここまで引っ張ってきたのかという理由は、あとでお話しします。

 このブログの読者には、病院とか医者とかに、全く無縁な方々もおいでになります。そういう方々のために「教授回診」とは何か、まず説明します。大規模な病院では、専門別に部門が分かれています。「循環器内科」とか「整形外科」とか「皮膚科」ですね。大学病院ではこれらの各部門の責任者が「教授」です。普通の大学病院の普通の科では、週に一度、教授が部下を引き連れて、入院患者をひとりひとり診察します。これが教授回診です。もしもあなたが大学病院に入院すれば、かなり高い確率で、教授回診を受けるか、あるいは目撃するはずです。

 教授回診を行う(建前上の)目的は、⓵診療科のトップである「教授」が各患者の状態を把握し ②それに基づいて部下に適切な指導を行う ということになっています。

 ところでぼくも、ある国立大学の医学部で教授をしています。それにも拘わらず、ぼくはこの「教授回診」を、いまはやっていません。教授に就任してから2年くらいは行っていたのですが、ある時からやめてしまいました。ぼく自身、教授回診というものにあまりいい思い出を持っていないからです。

 ぼくはある東京の私立大学を卒業し、長らく母校で働いていました。そこでは毎週、木曜日の朝8時から教授回診をやっておりました。そのときのぼくはまだ若く、教授ではありませんでした。しかし部下の一人として、ぼくも毎回、参加を求められていました。計算高そうな取り巻きの一人だったわけですね。

 ぼくの専門にしているのは形成外科と言って、身体の形を整えることを目的とした、外科の一分野です。患者さんに手術をした後には、手術したところにガーゼを貼ったり、包帯を巻いたりします。創部の安静と清潔を保つためには当然、必要な処置です。 

 ですが、その部分のかたちを見るためには、貼ってあるガーゼを外さなくてはいけません。それでぼくの母校では、教授回診の前に、あらかじめ患者さんのガーゼを外しておく規則になっていました。こうすれば教授がまわってきたときに、すぐにその部分をお見せすることができるからです。

 たしかに効率を考えると、これは合理的です。教授が一人ひとりの患者さんを回るたびにガーゼを外せば、一人の患者さんにつき2・3分はかかってしまいます。入院患者はいつも20人くらいいましたので、合計で40分から60分の時間がかかることになります。あらかじめガーゼを外しておけば、この時間が節約できます。

 しかし患者さんの立場に立つと、どうでしょうか

 傷を保護するガーゼが外されると、手術で切ったキズアトが「むき出し」になるわけです。多くの人は、自分のキズアトなんか見るのは怖いわけです。キズアトがむき出しの状態だと、傷が開くのが怖いので身動きできません。「大名行列」が自分のところにやってくるまで、何十分も、時には1時間以上もじっと待っていなくてはいけないわけです。トイレすらも行けないで。こういう負担を強いるのはよくないな、とぼくは常々、思っておりました。

 さらに辛かったのは、思慮が不十分な(とぼくには思える)コメントを、教授にされることでした。ぼくは乳房や「あばら」のかたちを美しく整える手術が得意で、それをライフワークにしています。乳房のかたちや大きさには、患者さん一人ひとりの好みがあります。手術を行うに先立ち、ぼくは患者さんと細かいカウンセリングを行います。そして患者さんが何を求めているのかを拾い上げます。

 手術にはいろいろなやり方がありますが、何かを得ようとすると、何かを失います(世の中すべてのことに言えることですが)。たとえば女性の胸郭の手術を行う場合、乳房も大きくして、「あばら」のかたちもきれいにして、デコルテ(鎖骨回りの輪郭)も美しくして、皮膚の切開も小さくして行うことができれば、それにこしたことはありません。

 しかし「あばら」のかたちを徹底的にきれいにしようとするなら、何本もの肋骨を切り、組み換える必要があります。それを行うには、どうしても皮膚の切開が大きくなります。

 また、デコルテのかたちを美しくするためには、他の部分から軟骨や脂肪を移植しなくてはいけません。移植の材料は体のほかの部分から取ってきます。したがって、患者さんの胸だけではなくて、お腹や太ももにもメスを入れる必要があります。

 ぼくはこういう得失を考慮し、一人ひとりの患者さんに対して練りに練った手術を行っているつもりです。それにも関わらず、母校での教授回診の際には、こういう苦労をまるで斟酌しないコメントをされることが、よくありました。

 たとえば、女性の患者さんに対して乳房の手術を行う場合、乳房が大きければ大きいほど良い、というわけではありません。肩幅が狭く、小柄な女性に対して大きな乳房をつくってしまうと、奇異な感じがします。また理知的なイメージを自分に求める女性は、往々にして乳房が大きいことをむしろ嫌います。バストがあまり大きいと知性的に見えない、ということなのでしょう(この考え方には賛否があるとは思いますが)。

 それだからぼくは、手術を行う前に患者さんと徹底的にカウンセリングをして、できるだけ希望に沿うようにしているのです。

 話を母校の教授回診に戻します。ある患者さんに対して、彼女のリクエストにより、ぼくは小ぶりな乳房をつくりました。それに対して教授は「あばらのかたちは合格点だが、乳房が小さい」とのたまいました。

 彼は乳児の口や鼻の手術を専門にしていました。その領域に関しては、確かに彼の造詣は深かったと思います。ですがぼくの専門である、胸まわりの手術については、ぼくの方がはるかに、知識も経験も上でした。

 いまならぼくも「素人が何を言うか」くらいの気持ちで、鼻で嗤う余裕があります。しかしその時にはまだ30代でしたので「このオッサン、ホンマ、どついたろか!」と思ったものです(どつきませんでしたけど)。

 そんなこんなで、ぼくは自分で手術した患者だけは、教授になるべく見せないように努力するようになりました。たとえば研修医たちに「おれの患者さんだけは、ガーゼを外したまま、(キズアトをむき出しの状態で)待たせるなよ」と言い含めました。

 また教授が廻ってきて診察をする際には、なるべく彼が患者さんに近づかないように、彼と患者さんの間に立つようにしました。ぼくは日本人としては大柄で、180センチを超えています。一方、そのときの教授は、横幅はあるものの、身長は163-4センチ程度でした。これだけ身長差がありますので、ブロックはよく効きました。ぼくは大学時代にラグビーをやっていたので、インターセプトは得意なのです。さすがにタックルまではしませんでしたが、この「ブロック」を導入してからは、患者さんについてあまり無遠慮なコメントをされることは少なくなりました。もっとも、こんなことをやっていれば教授に好かれるはずもなく、ほどなくして「いずれはどこか、よその大学に出ていけ!」と宣告される羽目になったわけですが。

 ただ公平のために書いておきますと、このときの教授は少なくとも、よく漫画に出てくるような権謀術数を使う、陰険な人間ではありませんでした。直情径行でアスペルガー症候群を疑わせるところは確かに、多々ありました。しかしその点は、こんなブログを書いているぼくだって似たようなものです(読んでるあなたたちもね)。共通点があるからこそ、彼とぼくとは、とりわけ相性が悪かったのかもしれません。

 教授回診には労力的な無駄もあります。ぼくの母校では、その部門に属している医師全員が参加することになっていました。しかし大学病院の医師、とくに若い医師は、非常に忙しいわけです。教授回診を行う日だって、いつもと同じように手術はあるし、外来診察もあるわけです。手術の前に麻酔科の先生と打ち合わせをしたり、外来の前に患者さんの病歴をチェックしたりしなくてはいけないわけです。大名行列を行っている間は、こうした業務はできません。それゆえ気が焦ります。これほどの労力資源を投入してまで教授回診を行う意味はあるのだろうかと、ぼくはよく考えておりました。

 たしかに権威が好きな方も世の中には大勢います。そういう患者さんたちは「教授様の診察を受けられた」と喜ぶかもしれません。ですが今の時代、「教授」と言ったって医者の一人としか見ない患者さんもたくさんおられるわけです。初めて会うオジサン(もしくはオバサン)に「経過はいいですよ」なんて言われても、こういう方々は「ハア?(ヤンキーまたは女子プロレスラー風に発音してください)」としか思わないのではないでしょうか。

 このような訳で、ぼくは自分が教授になってからは、教授回診を行わなくなりました。もっとも、部門の責任者として、形成外科に入院している患者さんのことは把握しておく必要はあります。ですが部門内の会議で、カルテを参照しながら受け持ちからの報告を聞けば、患者さんの状態を理解することは十分に可能です。また、自分が手術した患者さんは、1人か2人だけ部下を連れて、自分で毎日診に行きます。部下が手術した患者さんでも、自分の目で見ておいた方がよいな、と思う場合もあります。そのような時には、その患者さんの担当医たちと2・3人で診にゆきます。行列など作らず少人数で行けば、患者さんに威圧感を与えないですみますから。

 ここまで、ぼくは教授回診についてネガティブな意見を書いてきました。読者の皆様は、ぼくが「教授回診など、みんな止めてしまえ!」と思っているように感じられるのではないでしょうか。たしかに、ぼくには教授回診にあまり良い思い出がないし、今の自分の環境にはそぐわないから、やっておりません。しかし、人様が教授回診を行うのを否定しているわけではないのです。なぜなら、教授回診にはメリットもあるからです。

 第1に、教授回診に、本当に教育効果がある場合もあるからです。形成外科においては、赤ん坊の手術の専門家が、女性胸郭の形成手術についても熟知している場合は、まずありません。同じく形成外科の分野といっても、使う技術や知識が、両者でまったく異なるからです。自分の専門ではない分野の患者さんも含めて一緒くたに回診を行うから、教授がトンチンカンなコメントをしたりするわけです。

 ですが、たとえば小児科の場合には、対象とする疾患がかなり絞られています。世の中には珍しい病気もあるにはありますが、小児科の場合、大部分の患者さんは、喘息とか腎臓病とか肺炎などで、だいたいのパターンは決まっています。だから教授が回診する時に、自分にとって全く専門外の患者さんを診なくてはいけない、というような状況はあまり多くありません。ですから教授としても、患者さんの状態を瞬時に把握し、適切な指示を与えることができます。こういった教授回診ならば、有意義と言えます。

 第2に、教授回診を行うことは、部門の秩序を維持する上で効果があります。企業が朝礼を行うのと同じで、部門に属する人間たちが一同に会することで連帯感が生まれます。高校の野球部などは、練習を始める前に必ずグラウンドに全員が整列し、キャプテンの号令に合わせて一礼します。これは別にグラウンドに敬意を払っているのではありませんよね。野球部の一員としての帰属意識を確認しているのです。ぼくは個人的にはこうした集団主義は好きではありません。しかし、よい医療を提供するためにチームワークは不可欠です。チームワークを涵養するための一つの手法として教授回診を利用することに対し、ぼくは意義を唱えません。

 第3に、若い医師たちに対して、ひとつのロールモデルを示す効果があることです。マスコミは大学病院の教授や准教授を、権威主義とか権力志向とか好き勝手に叩きます。ですが彼らは医学研究を行うことで日本国に貢献していることは、まぎれもない事実なのです。もしも彼らが一般の病院に勤める医師たちと同じように、ただ患者さんを診ているだけであれば、先進国として恥ずかしくないだけの医療を提供することは、とうていできないはずです。それにも拘わらず、政府は意味不明な雑用を課し、予算を低く抑え、人員を減らし、これでもか、と言わんばかりに大学病院の医師たちの処遇を悪くしています。このため大学病院は若い医師たちにとって、どんどんと人気がなくなっています。回診で先頭に立って颯爽と歩く教授の姿が、彼らにとってちょっとでもカッコよく見えるのならば、大学病院で働こうという奇特な若者も、増えるかもしれません。つまるところ教授たちはその演技力によって、政府が支払うべき助成金を補っているわけです。こう考えると、せつないですね。

 このように、教授回診にはブラス面もあるわけです。ぼく自身はかなりのひねくれ者ですが、ぼくの友人の教授連には、いい奴たちもかなりおります。そういう友人たちが教授回診のプラス面を活用して、すこやかに教授としての任務を果たしているとすれば、それに対して文句をつける権利など、ぼくにはありません。

 仮にぼくが「教授回診など止めてしまえ」という暴論を吐いてしまうとします。こういう暴論は若い医師やマスコミにとっては、飛びつきやすいものです。トランプ大統領が妙な人気があるのと、似た現象です。だから「教授回診不要論」などが独り歩きしてしまうかもしれません。そうすると、教授をしている友人たちに迷惑がかかってしまうでしょう。それはよろしくない。いくら無遠慮なぼくでも、それくらいの配慮は持っているのであります。今回の話を「教授回診は必要か?」などと言った大上段の問いで始めずに、もじもじと「あの行列」などと婉曲的な表現から入って行ったのは、それが理由です。要するにぼくは「教授回診など止めてしまえ」とまで言う気は、さらさらありません。自分はやっておりませんが。

 それでは、話の落としどころは、どこへ持ってゆけばよいのでしょうか?今回の話では、教授回診のネガティブな側面についてはじめに書きましたが、だんだんポジティブな側面に移ってゆきました。論理展開が180度転換したので、話がぼやけてしまっています。このままでは歯切れが悪くて、ブログを終えることができません。いったい、教授回診というものについて、どのように話をまとめ上げたらよいのでしょうか?ぼくは3日くらい、悩みに悩みました。

 そして気が付きました。「教授回診というものの是非」を論じれば、結論は出ません。先ほど書いたように、それが意味のない場合もあるし、有意義な場合もあるからです。だから「教授回診の是非」を論じることをやめて、「教授回診という制度をどう発展させるか」に思考の舵をとるべきなのです。

 すると天啓のように、名案が浮かびました。

教授回診をやるなら、参勤交代もやったらええんとちゃう?(なぜか関西弁)

 教授回診が他の国でも存在するかどうか、ぼくは外国人の友人たちに訊いてみました。かれらの国籍は、アメリカ・中国・ドイツ・ベトナム・タイ・アゼルバイジャン・ロシア・アイルランドです。これらの国々で、教授回診という制度がある国は、ひとつもありませんでした。おそらく教授回診なるものが存在するのは、世界でも日本だけなのでしょう。

 日本人のDNAにマッチするからこそ、この制度は生きながらえているに違いありません。教授回診はよく、江戸時代の「大名行列」と揶揄されます。「大名行列」がわれわれ日本人のDNAにマッチしたとすれば、「参勤交代」だってマッチするのではないでしょうか。そもそも「大名行列」の本来の目的は参勤交代にあったはずです。大名行列と参勤交代をセットにする、すごく良いアイディアではありませんか!

 具体的にどうするか。

まず、東京の大学と地方の大学をグルーピングします。たとえば慶〇大学は東北にある秋△大学と、東京〇子医大は四国にある高〇大学と、ペアを組みます。そして1年おきに(2年でもいいですけど)ホームグラウンドを交換します。たとえば2024年は慶〇大学のチームは秋〇大学病院で診療を行い、秋△大学のチームは慶〇大学病院で治療を行います。2025年は逆にします。

 「地方と東京の等価交換は、東京の大学にとって不利だ」と思う人も多いかもしれません。明治期に日本が中央集権国家に変遷して以来、地方はなぜか忌み嫌われているからです。ですが医師の世界に関して言えば、地方に暮らすメリットは、実はかなり大きいのです。

 まず地方では給与が高い。大都市に住みたい医師が多いので、雇用側としては給与の水準を下げています。したがって東京の医師の給与水準は、かなり低いものになっています。反対に地方では医師が不足しているので、給与を高くしないと雇用ができません。このため給与水準が高くなっています。四国など、東京より2割か3割ほど、俸給が高くなっています。

 また、医師として腕を振るう、もしくは磨くチャンスは、実は地方の大学の方が、都市部の大学よりも実は多いのです。こういうと「大都市の方が人口は多いのだから、患者の数も多いだろう」という反論があると思います。しかし大都市部の医者の数は、人口の割合以上に多いのです。だから一人当たりの医師が治療する患者さんの数は、地方の大学病院の方が多いが現実です。これは都心部の大学病院と、四国の大学病院の双方で10年以上勤務したぼくが言うのだから、間違いはありません。

 ぼくは一度、自分が年間に執刀する手術の件数を数えたことがあります。東京の新宿区の大学病院に勤務していた時より、四国に来てからの方が1.6倍に増えました。

 仕事面の条件が良いだけでなく、地方暮らしは、精神的なゆとりの面でも利点があります。これについては多くの本で書かれているのでここでは詳しく触れません。ただ、都会の高校から都会の大学に進み、旅行以外では都会をでたことのない人たちが「東京が一番」などと言っているのを聞くと、それは「食わず嫌い」ですよ、と言ってあげたくなります。「参勤交代」で一度、地方暮らしを味わってみれば、地方の暮らしも捨てたものではない、ということに気が付くのではないでしょうか。そうすると、彼らの人生も豊かになると思うのですが。

 「参勤交代には莫大な費用がかかるだろ!」というお叱りを受けるかもしれません。江戸時代の参勤交代は徒歩で移動したから、それは時間も費用もかかったでしょう。でも今は新幹線も飛行機もありますから、昔ほどは宿泊費も日数もかからないはずです。3日もあれば十分ではないでしょうか。

 クロネコヤマトの引っ越し便を頼めば、ちょっとは費用がかかるかもしれません。ですがそれぐらいは、自分で出しなさいよ!集団で移動するのですから、クロネコヤマトも、駕籠(=医師たちの車)の移動や「つづら(=本や手術道具などの入った箱)」の配送なんかをひっくるめた、「参勤交代パック」をつくって、値段をお得に設定してください。

 このように、(少しだけ強引に)「教授回診=大名行列」と「参勤交代」のマリアージュを提唱したところで、今回のブログもめでたく締めくくらせていただきます。

 「参勤交代を強要されるほうが、教授回診を否定されるより、はるかに迷惑だ!」といわれる方もおいでかもしれません。たしかにそうかもですね、アハハ。

 

 

 

 

 

 

 

 

オペラによる町おこしから、新しい商売を考えたぜ

”演劇バー”はこんな感じでどうでしょう

 ぼくは香川県に住んでいる。

 香川県の南は徳島県である。高松と徳島の距離は60キロである。東京の都心部からだと八王子、大阪の梅田からだと明石くらいの距離である。

 こういうと「ちょっとあるな」と思う人もいるかもしれない。しかし地方に住んでいると、これくらいの距離なら「となり町」くらいにしか感じない。道路がいつも、ガラガラだからである。高速を使えばあっという間に着くし、下道で行ってもたいしたことはない。渋滞などほとんどないからだ。

 徳島県日本ハムの本社があって畜産物が美味しい。だからサンダルでもつっかけて「ちょっくら徳島に、ソーセージでも買いに行ってくるわ」という感じで、ちょくちょくお邪魔させていただいている。

 今回は徳島の「町おこし」にからむ話だ。

 年明けに徳島で、高校の「四国同窓会」に参加したところから始まる。ぼくの卒業した高校は東京にあるが、いろいろな事情で四国に「流れて」来る人間たちがいる。こうした「流れ者」たちは、現在のところ10~15人くらいいる。みんな仲が良いので、年に一回は集まって酒を飲む。

 四国には4つの県があるが、わりと均等に「流れ者」たちは分散している。おのおのの県に二人くらいはいるのである。それで順繰りに場所を換えつつ、会を開催するのである。前回は松山で開催した(「流れ者」たちの宴(うたげ) - Nagasaoのブログ (hatenablog.com))ので、今回は徳島で開催とあいなったのである。

 今回参加したのは合計5人である。

 徳島で証券会社の社長をしているTさん、愛媛の国立大学で教官をしているTさん、高知の四万十で農業プロジェクトをしているOさん、東京で弁護士をしているが司法教習は愛媛で行ったMさん、そして香川で外科医をしているぼく、というメンバーである。

 証券会社のTさんは中学校まで徳島においでになり、大学卒業後も徳島にずっとおられる。この方が幹事になって、いろいろと会の手配をしてくれた。そして、徳島が抱えている問題について語ってくれた。

 東京への人口集中と地方の衰退が取りざたされるようになって久しいが、徳島ももちろん例外ではない。それで、徳島という街を活性化するにはどうすればよいか、ということを、住民たちは真剣に考えている。

「徳島といえば阿波踊り」というくらい、阿波踊りは徳島の代名詞になっている。しかし、それ以外にはこれといったイベントがない。これを何とかしなくてはいけない。

 観光客の方は夏の一夜を徳島で盛り上がって「楽しかったね」でよいかもしれない。しかし観光客を泊めたホテルは、夏以外は休業、というわけにはいかない。観光客が舌鼓を打ったお寿司屋さんだって、他の季節は寝て暮らせるほど、夏だけで儲かるわけではない。だから、阿波踊りが行われる夏以外にも、全国からお客さんに、徳島に来てもらわなくてはいけない。

 どうすればよいか?

 そこで目をつけたのが「オペラ」である

 こういうと、「有名な劇団を呼んできてオペラをやり、お客さんを集める」のではないかと思うであろう。たしかにオペラ歌手は呼んでくるのではあるが、歌を唱って聴衆に聞かせる、というだけではないのである。徳島らしい工夫があるのである。

 その話をする前に、ちょっと「流れ者会」の模様をご報告する(宣伝して参加者を増やしたいからね)。

 Tさんの提案で、1次会は徳島湾に面した料理屋さんで行うことになった。この店は非常に変わっていて、釣り堀が併設されているのである。25mプールくらいの生け簀があって、そこで客に魚を釣らせる。生け簀にはタイ・カンパチ・ヒラメなどの高級魚が泳いでいる。

 店の人はぼくに釣竿を渡して、「魚を釣ってください」と言った。

 「釣ってください」と言われても、こちらは魚釣りなどほとんどしない。だから釣れるかどうか不安であった。

 しかし5分ほどで魚信を経た。タイがかかったのである。店の人に言われるままにゆっくりと糸を手繰り寄せ、タモで鯛を釣り上げた。要するにアホでも釣れる仕組みになっているのである。

 とは言えやはりタイを釣ると嬉しいものだ。記念撮影をしてもらった。

タイを釣りました

 

 弁護士のMさんもタイを釣り上げた。参加者は5人だから、タイ2匹くらいが適切であろう、ということで宴会に移った。2匹のタイを刺身・塩焼き・煮つけ・バジル焼きの4通りで調理してもらい、これを肴に宴会が始まった。

タイの刺身

タイの煮つけ

タイの塩焼き

タイのバジル焼き

 Tさんは、昨年演じた”椿姫”の舞台動画を見せて下さりながら、詳しい説明をしてくださった。「徳島オペラ」は7年前から始まった。スローガンは「みんなでやるオペラ」である。

 Tさんを含む中心メンバーが何人かいるのであるが、それらのメンバーは周りの人に「オペラやりませんか」と、職場や近所の人に声をかけた。

「オペラやりませんか」などと言われて、「それはいい考えだ!」「やろう!」などとすぐに乗ってくる人はまずいない。だからまず、プロジェクトの概要について、ひとびとに説明する。

 まず、オペラの主役はイタリアからプロ歌手を呼ぶ。そして、演劇の指導ならびに重要な役割には、東京から演劇経験者を招聘する。本当はすべて徳島市民の手作りで行えるのが一番いい。しかしオペラプロジェクトはまだ発展途上である。やはり外部の力を借りざるを得ない。ゆくゆくは全てを、徳島市民の力だけで行える日もくるであろう。

 もともと日本にもオペラの普及を目的とする団体がある。「さわかみオペラ」という財団である。この財団から准プロが徳島に来て、演劇の指導をしてくれることになった。

 徳島市民も、もちろん大いに演劇に参加する。運営のコアメンバーが、重要な役どころをやる。彼らはもともと素人ではあるが、必要に応じてダンスや歌を練習する。もちろん劇そのもののリハーサルも、何十回も行う。

 これらの人々が中心になってオペラが演じられるわけだが、劇にはエキストラ役もたくさん登場する。こういうエキストラには個々のセリフはない。しかしみんなで声を合わせていうセリフはあるし、合唱にも参加する。

 例えば「踊りほど素敵なものはないわ」と椿姫が歌えば、「そうだ、踊りこそ最高だ!」とエキストラたちが声を合わせる。

 たくさんの人間が一緒に歌うので、セリフを間違えたってべつにどうということはない。だから気楽である。それでいて、舞台に立って歌う楽しさは、味わうことができる。こんなエキストラであれば、まったくオペラのド素人であったとしても、「まあ、やってみようか」という気になってくるであろう。そうやって、少しずつ参加者をあつめるのである。

 オペラが成立するだけの十分な人数を集める傍ら、コアメンバーたちは週に2回とか3回とか、練習を行う。

 こういう努力を何か月か続けたあと、いよいよ本番となる。最初は観客も参加者もあまり多くはなったが、この7年でかなり増えてきて、大規模なイベントになりつつある。2023年の講演は、11月の末に行われた。大成功に終わったとのことである。観客は予想をはるかに上回っていた。

「みんなでやるオペラ」と言っても、さすがにタダというわけにはいかない。まず練習を行うために、週に何回か、場所を借りる。このためにお金が必要である。また、主演女優はイタリアから呼んできたわけであるが、やはり謝礼は必要である。

 それで執行部は、費用を集めるためクラウドファンディングを行った。これである程度の資金を集めることができたし、講演のチケットも売れた。財団の性質として利潤を追求するわけにはいかないが、赤字は少しずつ減ってきているとのことだ。

 なにより大きな収穫は、徳島の市民たちが、演劇の面白さを知ったことだ。皆が集まってなにかを達成するのは非常に楽しいものだ。演劇に加えて、そういう喜びもあるのであろう。もともと徳島には阿波踊りの文化がある。連帯感を共有する下地があったから、オペラも成功したのかもしれない。

 理由はどうあれ、オペラは徳島の名物として定着しつつある。今後の町おこしの重要な切り札になってゆくであろう。

「流れ者会」も繁華街のバーに河岸を移し、そこでさらにオペラの話に花が咲いた。

「流れ者」たちが記念撮影を、オペラのポーズで行ったことは、言うまでもない。バーのママさんが写真を撮ってくれたのであるが、なぜか撮り終えた後、「私は大学では保育学を専攻してたのよ」とつぶやいた。アホなオッサンたちをみて保育園を連想したのかもしれない。

「流れ者」たち

 

 ぼくはこのオペラプロジェクトに、地方に生きる人間の底力を感じる。10年ほど前まで、ぼくは東京に住んでいた。この10年ほど四国に暮らしてみて、はじめて気が付いたことがある。東京と地方では、人々が楽しみを求める方法が異なるのである。

 たとえば東京の人の多くは、「国際劇場で京劇をやっているから見に行こう」とか「〇〇デパートで青森展をやっているから、青森名産の弁当でも買ってこよう」といった、休日の過ごし方をする。なにか既成の枠組みがあって、それを利用しようという思考回路なのである。「なになにがあるから、それを楽しみに行こう」というわけだ。

 地方にすんでいると、こういう考え方はしなくなる。その理由は簡単で、そういう「枠組み」がないからである。歌舞伎座もないし、大した美術館もないし、デパートもない。なになにがあるから」の部分が欠落してしまっているので、東京流の予定の立て方が成立しないのである。それで東京の人間は「地方には文化がない」という。

 しかし「なにもない」ことは一種のチャンスでもあるのだ。自分で楽しみを創造することができるからである。

 地方が良い点は、もう一つある。なにか新しいことを始める場合、萎縮せずに自由にやれることだ。たとえば東京で「椿姫をみんなでやりましょう」ということには、なかなかなりにくいと思う。オペラを見るところはたくさんあるし、プロの劇団もたくさんある、「恥ずかしくて素人芝居なんかできませんよ」ということになるのではないか?

 しかし地方は違う。比較の対象になる劇団がないから、レベルなど少しくらい低くても気になりはしない。NHKの「のど自慢」を例にとるとわかりやすい。「のど自慢」を武道館でやると、参加者はかなり緊張するであろう。相当に心臓の強い人間でないと、声が出にくいであろう。地方都市の公民館などでやるからこそ、のびのびと歌えるのである。

 歌手など見ても、大物はだいたい地方出身、はっきり言って田舎者である。中島みゆきやドリカムは北海道出身であるし、長渕剛は鹿児島出身、吉田拓郎は広島、松任谷由美は東京だが、八王子の田舎出身だ。

 彼らに才能があることは疑いはない。しかし青年期までを田舎で過ごしたからこそ、萎縮することなく創造性をはぐくみ、メジャーデビューにつながったという面があるのではないか?

 徳島のオペラだって同じである。それは始めたばかりだから、悪く言えば田舎芝居の域をまだ出ていないであろう。しかし毎年イベントをやっていれば、10年後にはかなりの水準に達するのではないだろうか。いずれにせよ、何かを始めるということは尊いことである。徳島市民たちに敬意を払いたい。

 ところで「徳島オペラ」からヒントを得たのであるが、「演劇バー」というものが新しい商売にならないであろうか

 「演劇バーってなんじゃ?」と皆様思われるかもしれない。わからないのは当然だ。ぼくが勝手に考えたものだからだ。

 演劇バーとは、舞台をしつらえて、客がそこで演劇をやるバーである。スナックなど行くと、カラオケを歌うためのステージがあって、そこに照明が当たるようになっていますね。そこのステージで演劇をやってはどうか、ということである。

 そんなことが広まるはずもない、という人もいるであろう。しかしカラオケバーはどうか。

 「カラオケ」が流行してきたのは、1980年代の中ごろのように記憶している。それまでは、人前で歌を歌うなんてことは、並の人間にはできるものではなかった。音楽の教師か牧師さんくらいのものではなかったか。

 ぼくは小学生のころ、音楽の教師に指名されて、皆の前で歌を歌うように命じられたことがある。授業中に漫画を読んでいたのがばれて、罰としてその歌を歌うように命じられたのだ。

 歌う曲名も指定された。「夏の思い出」であった。「夏が来れば思い出す~。はるかな尾瀬~、とおい空」という、あの歌だ。1週間の時間をやるから、歌詞を完璧に覚えて、クラス全員の前で歌えという。クラス全員の哄笑の中で、ぼくは意識が遠のくほどの絶望感を感じていた。

 それからの1週間、ぼくは毎日、大震災が起こるように祈りをささげた。学校への放火すら考えた。しかし都合よく災害が起こるはずもなく、1週間後の音楽の授業は無情にやってきた。

 子供というのは残酷なものだ。ぼくの歌う姿を見てヤジろうと、近隣のクラスからも悪童たちがわざわざ見にやって来た。

 ぼくにとっては、まさにこの世の地獄であった。声が少し裏返ると教師は容赦なくやり直しを命ずる。友人の悪童たちは、ぼくの失態を真似、ヨーデルなどを歌ってはやし立てる。そうするとますます緊張するので歌詞を間違えて「はるかな尾瀬」を「かすかな尾瀬」などとうたってしまう。悪友たちはますます喜ぶ。あまつさえ、そのころはやっていたドリフターズがきデカ」のギャグを真似て、ぼくを笑わせようとする。よりひどい失態を演じることを期待しているのだ。

 こうして、ぼくにとっては緊張、教師にとっては罵倒、悪友たちにとっては嘲笑にまみれた1時間は過ぎ去った。ことほど左様に、昭和50年代くらいまでは(少なくとも小学生にとっては)歌を歌うことは恥ずかしい行為だったのである。ぼくだけではなく、ほとんどの日本人にとっても同じであろう。

 しかし現在のカラオケの盛況を見よ。「盛況」などという言葉を使うのが恥ずかしいほどに、カラオケは人々の生活に入り込んでいるではないか。同じように演劇も、人々にとっての日常の愉しみになりうると、ぼくは思うのである。

 それで先ほどの「演劇バー」の話に戻る。ぼくの構想の中の「演劇バー」は以下のようなものだ。

 まず、店には舞台がしつらえている。舞台は広いに越したことはないが、賃料の問題で、広い舞台を準備するのは難しいだろう。2×3メートルくらいの広さがあれば十分だ。そこで、客が劇を演じるのである。

 演じると言っても、商業演劇のように何時間も演じるのではない。物語のごく一幕を演じるのである。だれもが知っている物語に限る。たとえば「走れメロス」などが良い。「走れメロス」は中学校の教科書にのっているから、たいていの人が知っているであろう。その一場面のみを演じるのである。たとえばクライマックスの部分だけでも良い。「走れメロス」のクライマックスは、メロスが刑場に走ってきて、国王が親友を処刑するのを止める場面である。

 この場面を演じるには「メロス役」「親友役」「国王役」の3人が居れば足りる。3人以上の仲間で飲みに行く場合には、仲間うちで役を分担すればよい。2人で飲みに行った場合でも、別のグループと協力して演じることができる。その結果、「役者」が4人になった場合には、4人目は観客役、もしくは処刑人役、もしくはメロスにマントを渡す少女役をやってもよいであろう。

 「走れメロス」のように、もともとだれもが知っている物語ならば、台本の読み合わせを1回やれば、ワンシーンくらいすぐに演じられると思う。間違えたっていいんだし。「走れメロス」以外にも「ウイリアム・テル」であるとか、「忠臣蔵」などもいいかもしれない。要するに、だれもが知っている物語ならば何でもいい。

 ぼくはつねづね思っているのだが、「演じること」は人間にとって、けっこう根幹的な欲求なのではないか?なぜなら誰しもが日常の生活の中で、何らかの役割を演じているからだ。自分では気が付かなくとも、ぼくたちは誰かの息子や娘を演じ、父や母を演じ、上司を演じ、部下を演じ、市民を演じ、日本人を演じている。「別の自分」を演じることは、「今の自分が、何を演じているか」を見つめ直す、いい機会だ。生き方を探る参考にもなるし、ストレスの発散もになるに違いない。

 このブログを読んで賛同してくれる人はいませんか?ためしに一度、やって見ると面白いと思うのですが。

 二人でカラオケバーに行ってやりますか。あなたはメロスやってください。私は国王役をやりますよ。セリヌンティウス(メロスの帰りを待っている友人)役は、たまたまバーにいる適当なオッサンの客を引きずってきてやらせましょう。オバサンでもいいけどね。

 でもメロスみたいに、ほんとに殴っちゃだめですよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諸行“有料”―ぼくが般若心経を覚えたわけ

もしかしたら、こういう事だったのかもしれない

 

 世の中には般若心経というものがある。仏教の経典の一つだ。すべてのものは移り変わり、同じくとどまるものは何一つない、ということが書いてある。言っていることは身も蓋もないのだが、それこそがまあ人生の真理なのであろう。

 ところで、ぼくはこの般若心経を、一通り覚えている。最初から最後まで一字一句間違えずに暗唱しろ、と言われると、ところどころ怪しいところはある。しかし今でも、2日くらいの準備時間をもらえれば、諳んじることができる。けっこう真剣に、般若心経のことを勉強した時期があるからだ。

 なぜワタクシが、般若心経を覚えたのか

 これは、ある高貴なお坊様のお導きによるものだ。今回はそれを書きますので、読んでやってくれんとね(なぜか九州弁)。流れがわかりやすいように、時系列で書くことにする。

 

修行その壱:母の四十九日から納骨まで

 ぼくの母は北九州小倉の出身である。1960年代に、山口県下関の出身であるぼくの父親と結婚して上京し、2003年に逝去した。

 母は、郷土愛の強い人間であった。東京に暮らしていても、旧友たちに会うために年に何回も小倉に帰っていた。同窓会などがあれば、かならず参加していた。だから母が逝去したとき、遺骨を郷里に収めてあげればきっと喜ぶであろうと、ぼくは考えた。今にして思えば、単純な考えであったが。

 四十九日を東京で済ませたあと、母親の実家に近いお寺に、遺骨をしばらく置かせてくれないかと電話をかけてみた。

 お寺の奥様が電話に出た。和尚様の奥様は「大黒様」というから、以下、この奥様のことを「大黒様」と記す

 ぼくは、母の遺骨を安置させて欲しい旨を、大黒様にお話しした。

 大黒様は、ぼくが東京に住んでいることを聞いて、不機嫌な声を出した。「うちでは北九州の方以外は、お骨はお預かりしてないんですよ」という。さらに「納骨堂は今いっぱいで、何年か先まで順番待ちなのですよ」という。

 ぼくはがっかりした。しかし地域の皆様の信仰を守るというのは、お寺さんの在り方として筋が通っている。また、順番を守らなくてはいけないのは、社会のルールだ。それで「ありがとうございました。では別のお寺さんに頼んでみます」と告げた。

 大黒様は「申し訳ございませんね。ところであなた、ご職業はなんですか?」とお聞きになった。

 ぼくの職業と、母の納骨とは何の関係があるのであろう?ぼくは疑問に思ったが、素直に「外科医をしております」とお応えした

 奥様はなぜか、急に上機嫌になった。外科医にもいろいろあって、ぼくはかなり貧乏な方の外科医である。ところがどうも大黒様は「外科医=リッチ」とお考えのようなのだ。「本当は、納骨堂はいっぱいなんですけど、特別に空きがあります」という。

 ぼくは理系の人間なので、彼女の言う意味がよく分からなかった。例えば飛行機の座席が200あるとする。その場合200枚の切符を売ってしまうと、もう空席はないはずだ。200-200=0のはずである。

 ところが大黒様の論理によると、200-200=1ということらしい。この論理がどうしてもわからなかったのだが、こちらは仏門については素人である。ニュートン力学の常識では、量子力学は理解できないではないか。同じように、ぼくの常識では推し量れない、深い理(ことわり)が、仏の世界にはあるのであろう。そう思って、とりあえず大黒様のご厚意に甘えることにした。

 電話をかけた1か月後に、お骨を持って小倉にある、そのお寺を訪れた。

 大黒様ならびに和尚様は、いきなり料金の話に移った。お骨を納骨堂で保管していただくには、保管料が必要である。この保管料は、電話でお聞きした時には、福沢諭吉(新円だと渋沢栄一だろう)40人ということであった。

 ところが和尚様は、ぼくに福沢諭吉60人を要求した。ちなみに、今回は尊いお寺様の話であるので何円とか何ドルとかいう記載はなるべく避ける。かわりに「諭吉」という言い方にする。

 なぜ20人もの多くの諭吉を請求するのであろうか?そんなに福沢諭吉のファンなのであろうか?もしかしたらぼくが、福沢諭吉が創設した大学を卒業したせいかもしれない。しかし、ぼくは卒業校のことまでは大黒様にお話ししていないはずだ。信徒の素朴な疑問に答えるのも、和尚様の職務の一つであろう。それでぼくは、なぜ20人多くの諭吉に登場を願うのか、和尚様に、おそるおそるお尋ねしてみた。

 そうすると和尚様は「遠くに住んでいる人だと、どうしても時々しか来てくれないから」という。

 つまり納骨堂を頻繁に訪問するよりも、まれにしか訪問しない方が、余計に料金をチャージされるシステムになっているらしいのだ。非常に独創的な課金システムである。

 たまにしか来ない方が「割高」になるのは、話はわかる。例えば東京ディズニーランドに、1週間のうち何曜日に来てもいいパスポートが、年間7万円だったとする。

 このとき、「金曜日だけ入場できるパスポート」があったとする。1週間が7日だからと言って、「金曜日だけ入場できるパスポート」が年間1万円というわけにはいかないであろう。おそらく2万とか3万とか、単純に7等分するよりも、少し割高になるであろう。

 ところがこのお寺では、金曜日だけのパスポートの方が、毎日来てもよいパスポートよりも高いのである!時々しか来ない方が「割高」になるのは理解できる。しかし「高く」なるのは、経済学的常識に照らすとおかしいのではないだろうか?

 そう思ったのであるが、仏の世界のむつかしい理は、俗人であるぼくに、解ろうはずもない。誤った道に迷いこんで、地獄にでも叩き落されたらたまったものではない。釜ゆでとかにされるのは嫌だ。熱いし。それで、お坊様の言葉に、だまって従うことにした。

 お坊様は現金で支払えという。ぼくは40人の諭吉は携えてきていたのだが、60人も連れてきていない。財布の中にいた諭吉を足し合わせても、15人ほどの諭吉がまだ不足していた。そこでぼくは北九州銀行へ走っていって、25人ほどの諭吉を引き落としてきた。

 お坊様は60人の諭吉を受け取ると、おもむろにぼくら遺族を本堂にいざなった。そこで「納骨の儀」が行われた。お坊様は10分くらいお経を読むと、再び納骨堂にぼくらを案内し、コインロッカーのようなクローゼットにお骨を安置させた。

 ここで再び大黒様が出てきて、「法要料」として諭吉10人を、ぼくに要求した。これにはびっくりした。納骨料として60人の諭吉を渡しているのに、さらに10人を支払うのか

 レストランなどでは、飲食の料金に加えて10~20%を「サービス料」としてチャージするところがある。ぼくはそういう店にはなるべく行かないようにしている。そもそも飲食料金はサービス料金の包含を前提として、設定されている。だから原材料費が2000円のステーキの値段が、8000円にもなるのだ。それなのに新たにサービス料をプラスするのはおかしい、というのがぼくの持論である。二重課金ではないか。

 ところが人間の心理とは不思議なものだ。ぼくはそのとき、大黒様の要求を不条理とは感じずに「15人ではなくて25人の諭吉を引き落としてきて良かった!」などと思ってしまったのである。お経にはトランス効果があるといわれている。先ほどありがたいお経を聞いたせいで、ぼくは一種の催眠状態に陥っていたのかもしれない。それで恭しく、余っていた諭吉の中から10人を大黒様に差し出した。

 大黒様はそれをふんだくって、いや、受け取ってくださった。領収書などくださらなかった

 ぼくは、所得税(もしくは法人税)はどうなっているのか気になった。商売をやっている人たちにとっては、税務署は鬼より怖いという。しかしお坊様は御仏のお使いなのであるから、税務署なんか小指の先で追い払えるに違いない。

 また、大黒様はぼくに試練を課しているのかもしれない。仏教では人がなくなると、三途の川を渡るという。三途の川の脇には奪衣婆(だつえば)という妖怪がいて、川を渡ろうとする人々の衣服をはぎ取るという。ぼくもおそらく死後は、そのような目に合うことになるのだろう。その際にぼくが狼狽しないように、レーニングの意味でお金をはぎ取ってくださっている可能性もある。きっとそうに違いない。

 とにもかくにも法要を終えて小倉から東京に帰るときには、ぼくの財布はすっかり軽くなっていた。現金の手持ちがほとんどなくなってしまったので、新幹線の駅弁が買えず、ポテトチップを食事代わりにした。

 

修行その弐:1周忌

 8か月ほどのち、一周忌が執り行われた。ぼくは再び小倉に行った。母の親類縁者10数人が集合し、読経と法要がなされた。法要が終了した際、ぼくは謝礼をお坊様に渡した。

 何人の諭吉を渡すべきか、ぼくはかなり悩んだ。一周忌における謝礼の相場がわからなかったからだ。ネットで調べると、「諭吉3人から10人」と書いてある。幅がありすぎる

 ぼくは考えた。「納骨の儀」では、すでに大量の諭吉をお坊様に支払ってある。ゆえに、今回はそれほど大勢の諭吉をお渡ししなくてもよいのではないだろうか?そこで、5人ほどの諭吉を封筒に入れてお渡しした。

 お坊様は封筒を、大黒様にお渡ししたあと、ぼくを接客室に案内した。接客室にはなぜか、若いアイスホッケー選手の写真が、ところ狭しと飾られていた。さらに、彼の来たユニフォームや、獲得したトロフィーなども陳列されている。

 アイスホッケーの選手は、お坊さまのご子息ということであった。京都に龍〇大学という、仏教系の学校がある。ご子息はそこで学びながら、アイスホッケーに打ち込んでおられるということであった。

 お坊様は、アイスホッケーという競技を行うには、いかに多くのお金がかかるのかを力説してくださった。それはそうだろう、とぼくは思った。スケートリンクを借りるのには高いお金を支払う必要があろう。防具やスティックも高そうだ。怪我をすることもあるだろうから、保険などにも入っているのかもしれない。

 ぼくは、初めは興味深くお聞きしていた。しかしお坊様があまりに長い時間、アイスホッケーのお話を続けるので、次第に考え始めた。なぜゆえにお坊様は、アイスホッケーについて、微に入り細にわたってご講義をしてくださるのであろうか?とくに、この競技には非常にお金がかかることについては、繰り返し説かれている。ぼくは法要に来たのであって、アイスホッケーのことを勉強しに来たのではない

 しかしお話をしてくださっているのは、徳の高い(はずの)お坊様である。きっと、ぼくのような俗人には解らない、仏教の奥義を伝えてくださろうとしているに違いない。そういえばアイスホッケーのスティックは、警策(きょうさく)に似ている。警策とは座禅の時に僧侶が持っている棒だ。禅を組むものの心に邪心が起こらぬように、肩を「びしっ」と叩くあれだ。お坊様の息子さんがなぜアイスホッケーをされているのかさっぱり訳が解らないが、もしかしたら将来、お父上を継いで僧侶になった時に、警策を使う訓練をしているのかもしれない

 お話をお聞きしているうちに、大黒様が応接間の入り口にやってきた。

 大黒様はお坊様を手招きして外にいざなったあと。なにやらひそひそ話をし始めた。「お布施」という言葉が漏れ聞かれる。密談が終わると、お坊様はぼくの前に戻ってきた。

 先ほどとは打って変わって、険しい顔をされている。お坊様は「ちょっとこっちへおいでなさい」と、ぼくを本堂にいざなった。そして天井を指さした。天井は金箔で葺いてある。お坊様は言われた。「来年にはこの天井をふき替えるつもりなんですよ」

 ふき替えには諭吉が600人ほど必要だという。

 さらにお坊様は「お布施」という言葉についての解説をし始めた。「お布施とは、感謝の気持ちを表すものですよ」という。

 それは解っているつもりだった。感謝を込めて5人の諭吉をお渡ししたのだが、なにか問題があったのであろうか?

 ぼくは、お坊様の話の連続性のなさに戸惑っていた。お坊さまは最初、アイスホッケーの話をされていた。それが突然、天井の修理費になった。そして今は、お布施の意義について説いてくださっている。話題について、まるで論理的な相関性がない。

 例えば、「アイスホッケーの話からカナダの話になり、それが発展して為替レートの話に移るのならば、話の流れに違和感はない。「アイスホッケーはカナダが強いですよね。円安のせいで、カナダに行くのもなかなか大変になって…」という感じである。

 しかし「アイスホッケー」「天井」「お布施」の三者を、どのように関連付けたらよいのであろうか?ぼくには全く見当もつかなかった。

 「アイスホッケー」と「天井」は、何とか結びつけることができる。「このあいだアイスホッケーの試合を見ていたら、選手が打ったパックの勢いが強すぎて、天井に当たったんですよ」という風にだ。

 しかし「お布施」と結びつけるのはかなり苦しい。「天井に当たったパックが落ちてきて、お布施に当たったんですよ」などと言おうものなら、吉本の芸人でなくとも「なんでホッケーリンクに、お布施が置いてあるねん!」と突っ込みたくなるであろう。

 不可解さに困惑するぼくをみて、和尚様は「反省しているな」と思ったのであろう。再三、「お寺の経営も近頃は大変だ」「本堂の維持は、かなりお金がかかるものだ」「アイスホッケーにも相当な費用がかかって…」という言葉を繰り返しながら、ぼくを寺から解放した。寺の玄関を出るときにふと見ると、黒塗りのベンツが、お庭に鎮座していた。

 

修行その参:お葉書ならびにお電話によるお導き

 ぼくは東京に帰ってしばし平穏な日々を送っていたが、2週間後にお寺からお葉書が送られてきた。「本堂の修理を行いますので、ご寄付をお願いします」とある。諭吉30人が1口で、最低でも1口は寄付して欲しいそうだ。

 ぼくは豊かではない。母の葬儀にもかなりの出費があったし、納骨堂の管理費や「納骨の儀」にもかなりの諭吉をお支払いしてある。東京から小倉まで往復する費用だって馬鹿にならない。さらにこちら側の勝手な都合ではあるが、住民税を払い終えたばかりの時期でもあった。

 ぼくは外科医をしているが、手術を終えて患者さんが退院したあと、患者さんにご寄付をお願いしたことは、いままでただの一度もない。ベンツだって持っていない

 和尚様のご要求にお応えできなくても、地獄に落とされることはないのではないだろうか?そう思ったので反応せずに放っておいた。

 ところがさらに2週間ほどして、大黒様じきじきに、ありがたいお電話を受けたのである。大黒様は「お葉書、お送りしましたよね」という。嘘をいうと閻魔様に舌を抜かれるので、ぼくは「はい」とお応えした。

 「和尚がお話したはずですが、お布施とは感謝の心なのですよ」と言う。

 ぼくは考えた。「お布施が感謝の心を表す」のが正しい命題としても、「感謝の心はお布施でしか示せない」という命題は、必ずしも真ではないのではないか?今度、数学を専門にしている友人に聞いてみよう。

 考えているぼくに、大黒様は畳みかけた。「本堂が立派になれば、お母さまも喜ばれますよ。

 これもまた難解な理論である。母の遺骨が安置されているのは納骨堂である。本堂とは別の建物だ。本堂と納骨堂とは20メートルほど離れている。たとえばぼくの隣の家が改築しても、ぼくの居住環境は変わらないだろう。それと同じで、本堂にある天井の金箔が新しくなったとしても、故人にとってはあまり変わらないのではないか?

 しかしそれは悟りを得ていない俗人の考えで、お寺さんの世界では常識を超越した論理が存在するのかもしれない。やはりまだまだ、ぼくの修行が足りないのだろう。

 落胆しつつ、「ありがとうございます。よく考えさせていただきます」と答えた。

 「信心はかたちで表してくださいね!」大黒様はドスの利いた声で何度も念を押しつつ、ようやく電話を切ってくださった。

 ぼくの職場である、病院にもときどき「誠意を見せろ」という方がおいでになる。医者や看護師の態度に不満があったり、待たされる時間が長かったりした際に、サービス改善を求めてそういう要求をする。

 意見を呈示してくださるのは大変にありがたいことだ。しかしこちらとしては、もともと誠意をもって仕事をしている。だから「誠意はお見せしているつもりですが」とお答えするしかない。

 そうすると彼らは激高して大きな声を出されたりする。発声の練習をするのは、ストレス解消のためにはとてもいいことだ。ぼく個人としても、元気のいい方は大好きだ。しかし他の患者さんの迷惑になるのは困る。したがって泣く泣く、高松東警察署のおまわりさんにお電話することなることになる。

 大黒様の「かたちで表しなさい」という言い方は「誠意を見せろ!」というヤンチャな方々と、少し通じるものがあるように、ぼくには思われた。

 しかし大黒様と、〇クザの方々とが同じなわけはない。両方とも人相は悪いけれど。やはりぼくの修行が足りないせいに違いない。ぼくはもっと、仏教のことを知らなくてはいけない。そう思ったので、仏教の基礎を学ぶことに決めた。

 

修行その四:般若心経との出会い

 数ある経典の中でも、最も有名なのは、般若心経である。仏教にはいろいろな種類のお経がある。だがそれらのエッセンスは、すべて般若心経に通じるという。そして幸いなことに、般若心経に関しては数多くの解説書がでている。ほとんどが素人にも解りやすいように、やさしく書いてある。

 それで本屋さんに行って、「やさしい般若心経」という本を購入してきた。

 読んでみると、これがなかなか面白い。ぼくはそれまで、お経というものは、無味乾燥な漢字の羅列かと思っていた。しかし学び始めてみると、おのおのの言葉は周到に配置されており、修辞にも工夫が凝らされていることに気が付いた。

 たとえば、構造が対称な繰り返し部分が織り込まれている。「色即是空、空即是色」などがそうだ。また、似たようなフレーズが続く箇所がある。「不生不滅、不垢不浄、不増不減」などである。こうした規則性があるので、思ったよりもずっと覚えやすいこのである。

 これに加えて、お経というものには音楽性がある。声に出して読んでみると、何となく心が清らかになった気がする。それで手帳に般若心経を書き写して、暇なときに見返していた。するといつのまにか、だいたい覚えてしまった。

 

修行その五:和尚様および大黒様へのお別れ宣言

 般若心経は幾千年にわたる、人類の叡智の結晶である。数週間だけ学んだぼくが、般若心経を理解したというのは、うぬぼれもいいところだろう。しかしこのお経は「物事にとらわれるのはやめなさい」という、お釈迦様のお言葉のように思われた。そう考えると、ふっと心が軽くなる気がした。

 目下のところぼくを悩ませているのは、「本堂の天井を修理するから諭吉を30人以上払え」という、お寺さんからの要求である。和尚様および大黒様からのありがたい要求であるので、お断りするのは気が引ける。もしかしたら、死後に地獄に堕ちて、針の山に登らされるかもしれない。それは痛いから嫌だ

 しかしいくら和尚様と大黒様が偉かったとしても、お釈迦様には及ぶまい。そしてお釈迦様は「物事にとらわれるのはやめなさい」とおっしゃっておられる。だとしたら、和尚様と大黒様の要求に「とらわれない」選択をしても、お釈迦様に応援していただけるのではないか!

 そうだ、そうしよう。お釈迦様に味方になっていただければ、死んだあとに針の山に登らされなくても済むに違いない!

 現実的な問題として、ぼくの仕事も大変になってきていた。そのころぼくはまだ30代で、外科医として脂の乗り始めた時期だった。一例でも多くの手術をこなしたいので、休みはあまりとりたくなかった。法事のたびに寺に来なさいと和尚様には厳命されている。しかし東京から北九州まで何回も往復するのは大変だ。それに、お寺に行くたびに多量の諭吉を請求されると思うと、気が重い。結論から言えば「故郷に遺骨を安置してあげたい」という最初の考えは、単純すぎたと認めざるを得ない。

 それで、墓地を東京近郊に購入して、そこにお骨を移し替えることにした。

 2か月ほど探した。タイミングよく、よい霊園が千葉県の柏に見つかった。それで、お寺に電話をおかけした。

 大黒様が出た。

 ぼくは、北九州にたびたび伺うのはなかなか厳しいこと、お寺さんに心配をおかけするのは申し訳ないので、お骨を千葉の墓地に移し替えようと思っていることを、お話した。

 大黒様は、「それなら最初からうちの寺に来なければよかったのに」とおっしゃった。

 まことにその通りである。だけど、ぼくが外科医であることを知ると、急に納骨堂を空けてくれたのは誰だったっけ?そうは思ったが、お骨はまだお預けしたままである。故人の手前、あまり大黒様を怒らせたくはない。

 それで「畏れ入ります。近く、お骨を取りに伺いますから」と話した。

 大黒様はガチャっと電話をお切りになった

 

修行その六:お骨の引き取りと「般若心経デビュー」

 大黒様(ならびに和尚様)のご機嫌を損ねたぼくは、「やばいな」と思っていた。母はもう故人になってしまっているから、危害を加えられることは、まずなかろう。しかしお骨がお寺さんにとって「招かれざる客」になってしまったことは、いくら鈍いぼくにも、よくわかった。そういう状況でお骨をおいておくことは、気がひける。

 それで万難を排して時間を作り、北九州にお骨を取りに行くことにした。大黒様に電話をかけて、お寺さんに伺う日時を告げた。

 大黒様は不機嫌な声で「じゃあ、わかるようにしておきますから」と言った。

 なにが「わかる」のかがよくわからなかったが、不興を買った手前、詳しくは聞けない。ぼくだってそれくらいの遠慮はするのである。

 

 ともあれお伝えしておいた日時に、ぼくはお寺を訪れた。7月初旬の、暑い日だった。

 小倉に在住している叔父が、同行してくれた。この叔父は何年か前に逝去してしまったのだが、かなり腕っぷしが強く、若かりし頃には小倉商業高校で番長をしていた。子供だったぼくは、いつもあこがれの目で彼を見ていた。

 お寺は小倉駅から離れているので、お骨を移送するためにはどうしても車が必要だ。しかしタクシーだと、お骨を乗せるのを嫌がる可能性がある。それで前もって、ぼくが車を出してくるよう、叔父にお願いしておいたのである。叔父は腕っぷしが強いから、和尚様ならびに大黒様と武力衝突が起こっても、頼りになるはずだ。

 お寺の玄関にたどり着くと、若い男が出てきた。近くの専門学校生で、アルバイトで留守番をしているとのことであった。

 ぼくは、東京からお骨を取りに来た旨をお伝えした。

 学生は「お聞きしておりますよ」答え、ぼくら二人を納骨堂にいざなった。

 母の遺骨を納めたクローゼットの扉は空き放たれ、お骨が取り出せるようになっていた。ぼくはお骨を取り出すと、「和尚様にご挨拶したいのですが」と言った。

 すると学生は、和尚様の伝言を教えてくれた。「ご自由にお持ち帰りください。

 この言葉を聞くと、叔父は色めき立った。

 「『ご自由にお持ち帰り』とは何事だ。荷物じゃねえんだよ!

 学生に文句を言おうとする叔父を、ぼくは引き留めた。学生は和尚様のお言葉をそのまま伝えているだけで、彼自身には何の咎(とが)もない。

 それに、ぼくとしては少しほっとしていた。電話で大黒様は、かなり怒っておられた。和尚様も怒っておられるであろう。応接間で見かけた、アイスホッケーのスティックを持って殴りかかられたらどうしよう。そこまでいかなくとも、嫌みの一言くらいは言われるであろう。それに比べると、居留守くらいかわいいものだ。

 それよりも、ぼくは別のことが気になっていた。1年前にお骨を納めた際には「納骨の儀」が行われた。「納骨の儀」があるのならば、お骨を引きとる際にも「退骨の儀」が必要なのではないか?

 荷物ならば勝手に持って行っても問題はないであろう。しかし何と言っても「お骨」なのだから、クロネコヤマトの宅急便よろしく、あっさり持ち出すべきではないのではないだろうか。といって、和尚様はおいでにならない。

 仕方がないので、自分で念仏を読むことにした

 幸いにして般若心経はだいたい覚えていたし、手帳にも書き写してある。本堂を勝手に使って、念仏を唱えてやろうかとも思った。

 しかしながら本堂の天井を修理するための「ご寄付」はしていない。だから大黒様が突然出てきて、「本堂使用料」として諭吉を何十人も請求される可能性もある

 そう思って、納骨堂のクローゼットの前で「般若心経」を唱えさせていただいた。

 もうここに来ないで済むと思うと、晴れ晴れする思いであった。

 実はぼくは、手切れ金、いや「退骨の儀」の謝礼として10人ほどの諭吉を準備していたのである。これは、自分にあげることにした。だって、念仏を唱えたのは自分なのだから

 学生には諭吉は多すぎると思ったので、樋口一葉を一人、渡してあげた。みたところ二十歳になるかならないかのその学生は、嬉しそうに受け取った。車を出してくれた叔父にもお礼をしようとしたが、叔父はどうしても受け取ってくれなかった。

 お骨を叔父の車に運ぶ際に、寺の庭を通った。見覚えのあるベンツが停まっていた。夏の太陽が黒い車体に映っていた。

 

修行その七:その後

 以上が、ぼくが般若心経を読むことができるようになった顛末である。

 小倉のお坊様と大黒様には、本当に感謝している。彼らは、ぼくから大量の諭吉をふんだくる、いや徴収することによって、ぼくの金銭に対する執着に喝を入れてくださった。そのおかげでぼくは無常観に目覚め、般若心経に興味を持った。あまつさえ、自分で唱えることすらできるようになった。お坊様ならびに大黒様は悪徳、いや徳をもってぼくを導いてくれたわけだ。

 母の遺骨は、千葉県の柏にある、ある霊園に移した。この霊園は無宗派であるので、法事を行う場合でも特定のお寺さんにお願いする必要がない。3周忌や7周忌など、しっかりと行うべき法事の際には、ぼくは霊園を通じてお坊さんの手配をお願いする。

 霊園はお坊様のコミュニティに連絡を取ってくれ、日時の合うお坊さんがおいでになってくれる。つまりはパートタイムのお坊さんにお願いするわけであるが、明朗会計である。法事の規模に応じて諭吉3人とか5人とか指定してくださるので、本当に助かる。

 お盆やお彼岸には、ぼくは自分で般若心経を読む。自分でも「プチ法事」が行えるようになったのは、お経を覚えたからこそである。それもこれも、あのお坊様のおかげである。本当に感謝の言葉しか見つからない(笑)。

 

 母のお骨の件でお寺さんともめてから、もう20年も経ってしまった。

 お坊様はお元気であろうか?お寺さんが今どうなっているのか検索してみた。伝説上の動物を名前に含む、そのお寺のホームページは簡単に見つかった。若い僧侶が奥方と二人、幸せそうに写真に写っている。どうやらアイスホッケーの息子さんが、あとを継いだらしい。

 写真では、なかなかの好青年に見える。大学時代にアイスホッケーに打ち込んだおかげで、スポーツマン精神を身に着けたのであろう。良かった、良かった。

 でも君のホッケースティックの何本かは、ぼくの払った諭吉が化けたのですよ。だからお父様に、あんまり怒らないように言うといてや(九州弁)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せとうち寿司親方ブログ17―ナポレオンか、長八か

長八さん選挙ポスター

 前回の話(りんご寿司学校ならびに、サンタクロース寿司学校における親方選考の話)はデリケートな内容なので、すし業界の人間たちからの反応は少ないだろうと思っていた。ところが意外に反響が大きくて、驚いた。

 親方選考については、あからさまに語られることがほとんどない。密室の中の話になっている。ただしその効果は非常にドラマチックである。「すしの巨塔」という小説によく書いてあるが、首尾よく親方に選考されて有頂天になる奴がいる。一方で、運なく選考に漏れて「人生終わった」みたいに落ち込む奴もいる。

 あたしに言わせると、これらの態度は、両方とも正しくない。

 まず、うまくいった方の奴だ。当選してうれしがるのは結構なことだ。しかし、全てが自分の実力だと思うのは間違いだ。派閥の力関係とか、選考のタイミングとか、必ず「運」が絡んでいる。

 同じ理由で、仮に落選したって嘆き悲しむ必要はない。本人の実力以外の要素で結果が決まる場合が多々あるからだ。

 親方選考に出馬して落選すると、何週間かして通知が候補者に届く。この文面が慇懃無礼もいいところなのだ。「厳正な選考を行った結果、今回は残念ながらご希望に添えませんでした」と書いてある。

 あたしは自分がそういう目にあったことがあるので、こういう通知を受け取る気持ちが非常によくわかる。なぜ落選したのか、その理由が全くわからない。選ばれた人を見ると、さほど業績があるとは思えない。モヤモヤしながら落ち込む気持ちは、経験したものでないとわからない。 

 あたしみたいに図太い奴なら「ふざけんな。バカヤロー」と開き直って、すぐに立ち直る。だけど真面目な人は、訳も分からず拒絶されて、気持ちが滅入ってしまう。せっかく今まで努力してきたのに、説明もせずに、不条理な結果だけ突き付けるのは残酷である。そして失礼である。

 親方選考に出馬するのは、40代の半ばから50代の半ばくらいの職人だ。今の若い職人たちには、すし学校で働くのは人気がない。しかし中年の職人たちが若いころには、すし学校に残ってアカデミックキャリアを進むのが、すし業界における王道のコースであった。親方という地位は、そのコースにおいてはゴールである。つまり彼らは、この地位を目指して努力してきたわけだ。実力さえあれば報われる、と信じつつ。

 それなのにしばしば、にべもなく門前払いされる。その理由もわからずにだ。

 これをマラソンに例えるとだね。一所懸命に練習して大会に出て、だれよりも早く走って、ゴールのテープを切る寸前に、横から割り込んできたやつに金メダルを獲られるようなものだ。真面目にやっている奴は、たまったものではない。努力するのが馬鹿らしくならない方がおかしい。

 ところがだね。すし学校の側としても、やむにやまれぬ事情があるのだ。

 あたしにも昔は、親方選考というのが神秘的なものに見えていた。すばらしく優秀な人が何回も選挙に落ちたりするし、ほとんど聞いたことのない奴が、ポッと選ばれたりする。非常に摩訶不思議な世界だと思っていた。

 しかし自分が親方になってみると、他の親方を選ぶ立場になる。自分の勤めているすし学校では審査員になるし、他のすし学校の選考が行われる際には、外部の専門家として意見を求められることもある。こうなると、選考の裏側がとても良く見える。一見すると摩訶不思議な結果がなぜ時々起こるのかが、非常によくわかるようになった。

 たとえば以前、あるすし学校で起こったことを話そう。仮にそのすし学校を「カステラすし学校」としようか。

 ある部門で親方を公募したところ、7人の候補者が立候補した。その中でダントツに優秀なのは「辛子蓮根すし学校」に勤めている職人だった。だいぶ差があって2番手が、カステラすし学校生え抜きの職人だった。辛子蓮根すし学校の職人は40代の前半と若く、カステラの方は50代の半ばであった。

 年齢において10歳以上も差があるのに、業績においては辛子蓮根のほうが、カステラよりも圧倒的に多かった。その世界における知名度も、辛子蓮根の方が図抜けていた。それなのに、カステラの方が選考されたのである。

 理由は二つある。

 第1に、カステラすし学校と、辛子蓮根すし学校がライバル関係にあったことだ。その地域における覇者は「明太子すし学校」であるが、カステラと辛子蓮根は、2番手の地位をめぐって昔から争っている。

 こういう状況において、辛子蓮根すし学校を出た人間に親方になってもらうことは、カステラ寿司学校にとって、大きな恥辱となる。ライバル他社から社長がくるようなものだからね

 第2は、辛子蓮根の候補者の年齢が若すぎたことだ。選考の時点で40代の前半だったので、5年たってもまだ50歳に届かない。まだまだ若いから、これからさらに腕を磨くであろう。

 そうすると、65歳の定年までカステラすし学校に居ついてくれずに、ナニワすし学校であるとか本郷すし学校のような、超一流のすし学校に引き抜かれる可能性もある。

 それはまだ良いにしても、母校である辛子蓮根すし学校に戻られたりしては、カステラすし学校としては面子が丸つぶれだ。カステラ生え抜きの人間たちの士気を、大きく損なう。

 カステラ側としても、優秀な人材に来てもらいたいのはやまやまだ。しかし組織防衛という観点からみると、どんなに優秀だとしても、辛子蓮根の候補者を選ぶことは、リスクが大きすぎる。だから「この人はバツ」ということになってしまったのだ。

 落選通知の紙っぺらに書いてある「厳正な選考」というのは、こういうことなんだ。

 真実を書くのならば「あなたは優秀です。ですが我々のライバル校の出身なので、ちょっと政治的に困るのです。いくら優秀でも、日本人が韓国の大統領になれないのと同じです。また、あなたはまだ若いので、そのうちどこかに引き抜かれるかもしれません。辛子蓮根すし学校に戻られたりしたら、私たちとしては面子丸つぶれです。だから無難な人を採用しました」なのである。

 ここまで読むと、多くの人は「すし学校というのはとんでもないところだ。仲間内だけを優先する、ムラ社会だ」と、憤るかもしれないね。実際あたしも、まだ親方になっていなかったころには、つまり選ばれる立場であった時には、そう思っていた。

 ところがいざ、選ぶ側になってみると、「身内びいき」にはある種のメリットがあることがわかった。身内をトップに据えると、組織運営のコストが、ものすごく下がるのである。平たく言うと、部下をまとめやすくなるのである。

 すし学校の仕事は大変だ。市中のすし屋に比べて、難易度の高い寿司を握らなくてはいけなかったり、緊急で寿司を握らなくては行けなかったりする。それなのに、給料はむしろ、普通のすし屋よりも安い。

 そういうライフスタイルは、「楽してリッチに」という現代の若者のトレンドとは、明らかに真逆を行っている。だから最近では「すし学校なんかで働くなんて、まっぴらごめんだよ」と考える若い職人がとても多くなっている

 それゆえ、ほとんどの寿司学校はリクルートに必死だ。いくらプライドをもって仕事していたって、人が集まらなくては始まらないからだ。カステラ寿司学校ももちろん例外ではない。カステラ県はお世辞にも都会とは言えない。だから若い職人たちはなかなか居ついてくれない。大阪とか東京に出て行ってしまう。地元出身の職人を中心に、カツカツの人数で仕事を回しているのが現状だ。

 こういう状況において、生え抜きの人間をさしおいて、辛子蓮根出身の人間をトップに据えてしまうと、どうなるか。

 カステラ寿司学校の若い職人たちは、「自分たちが母校に残って頑張っても、トップには立てないかもしれない」と不安になる。何十年も安月給で務めた挙句、土壇場になってトンビに油揚げを攫われたら、たまったものではない。

 「それだったら俺は辞めて、好きなところで働くぜ。その方が給料高いし」と思わないわけがない。それですし学校を辞めてしまったり、新しい親方の言うことを聞かなかったりすることになる。こうなると、組織は瓦解する。

 だからどうしても、内部にずっといて気心の知れた奴を昇進させることになる。

 つまるところ組織防衛のために、年功序列システムを採用しているのだ

 ところで、経済学ではミクロ経済学マクロ経済学があるよね。ミクロ経済学においては、個人や家計の行動を解明する。マクロ経済学においては、国家など、大きな集団の行動を解明する。この考え方が、すし学校における親方選考に応用できるのではないか。

 候補者の能力を基準にして当落を決めるのは、ミクロ経済学的な視点と言えるだろう。「こいつは優秀だから、しかるべき地位につくべき」という考え方だ。これに対して、すし学校側の利益・都合を優先するのは、マクロ経済学的な視点と言えるだろうね。「われわれの組織を維持するには、どういう奴を選ぶのがよいか」という考え方ね。

 二つの基準は、まったく異なる。落選した人間が結果を不条理に思うのは、ミクロ的な視点から見ているからだ。個人中心の考え方ね。でもマクロ的な視点―つまり組織運営の立場―から見ると、摩訶不思議に思える結果も、実は合理的だったりする。さっき挙げた、カステラすし学校の例みたいにね。

 それではミクロ的な選考と、マクロ的な選考では、どちらがあるべき姿なのであろうか? 

 あたしは、昔はバリバリの「ミクロ派」であった。実力のあるものが認められない世の中はおかしい、と憤慨すらしていた。

 ところがすし学校を運営する側に組み入れられてしまうと、組織防衛というものが、いかに大切なものかということがわかってきた。

 たとえば人口が何百人かの村があって、そこで村長の選挙をやるとするね。二人の人間が立候補したとする。ひとりは都からやってきた奴で、ナポレオンとか諸葛孔明みたいに、才気あふれるバリバリの奴だ。もう一人は、村にずっと住んでいて面倒見の良い、長八さんだ。「ナポレオンが日本の村長に立候補するわけないやろー!」なんていう、現実的な突っ込みはおいといて、どちらの村長を選んだ方が、村のためになるか、考えてみようではないか。

 これは村によって違うだろうね。隣村を侵略して、領土を拡大しようなんて野心をみんなが持っている村であれば、ナポレオンを村長に選ぶであろう。

 でもナポレオンが村長になったとしたら、軍事訓練をやれとか、武器を買うからもっと働けとか、おそらく言い始めるだろう。だから村のみんなが、「今のままで、まあまあ幸せ」と思っているのであれば、長八の方を選んだ方がよい。ナポレオン一人がヒーローになるより、村のみんながちょっとずつハッピーな方が、良いではないか!

 この考え方は、大いに「あり」だ。だってナポレオンのせいでみんなが村を出て行ってしまったら、畑を耕すやつがいなくなってしまうではないか!

 それゆえ、わが国においては、長八さんの方が選ばれることが多いのだ。さっきのカステラすし学校の話でいうと、生え抜きが長八さんで、辛子蓮根すし学校のほうがナポレオンだね。

 この点があたしもようやくわかってきた。そしてその利点を評価するようになった。聖徳太子だって「和をもって尊しとなす」とおっしゃっているではないか)。それこそがわが国における「この国のかたち」なのだ。

 また、マクロ的な視点で選んでも、能力の高い人間がトップにつく場合もある。先に述べた「隣村を侵略して領土を広げようぜ」みたいな野心を、みんなが持っているような村では、長八ではなくてナポレオンを選ぶだろう。

 すし学校でも同じことだ。「世界に通じる寿司職人を養成しよう」なんてイケイケの雰囲気を持っている寿司学校もある。西日本でいうと左京すし学校とか、ナニワすし学校だね。こういう寿司学校では、しばしば能力を基準にして親方の選考を行う。また、こういうすし学校で働いている人間は、もともと能力が高い。だから能力を基準に選考した場合でも、年功序列で決めるのと、結果が同じになる場合が多々ある。つまり状況によっては、ミクロ視点とマクロ視点とが一致しうるのだ。

 いままでの論点をまとめるとだね。

 ⓵ すし学校の親方の選び方には、ミクロ的視点(=個人的能力を優先)と、マクロ的視点(=組織の秩序を優先)がある。

 ⓶ 多くののすし学校においては、マクロ的視点を採用している。

 ⓷ ミクロ的視点とマクロ的視点が、一致する場合もある。

 ということだ。

 ところで、あたしの論調もだいぶ行ったり来たりしているよね。

 このブログの最初では、「能力を基準として選考しないのはおかしい」みたいな勢いだった。しかしだんだん、「でもすし学校側にも事情があるんですよ」という説明に変わってきた。そして二つの考え方(ミクロ視点とマクロ視点)を紹介して、それらの関係を解説した。

 話に紆余曲折が多いので、ここまで読んでくださった皆さんは、「それであんたは一体、何が言いたいの?結局、ミクロとマクロ、どっちを支持するの」と思っているだろう。

 あたしが望むのは、「すし学校における親方選考は、こういう風に行われている」という現実を、世間の皆さんに知ってもらうことなのだ。マクロ派かミクロ派かというと、「心情的にはミクロ派だけど、まあマクロ方式をとる大学があるのも仕方がないんでないかい?」という考えだ。

 というより、経済政策なんかと同じで、「マクロ方式」と「ミクロ方式」は時期に応じて割合を変えてゆくべきだと思っている。「どっちがいい」という単純な話ではないのだ。

 また、「マクロ方式」を取っているすし学校の内部にも、「ミクロ方式」の方がいいんじゃないか、と思っている親方もたくさんいる。たとえば、さっきのカステラすし学校の話は、カステラすし学校に勤めている親方から聞いた。彼はカステラすし学校を卒業している。しかし身内ばかりが選ばれるのを見て「このままじゃまずい」と思っている。それであたしに、裏の事情を教えてくれたのだ。

 すし業界以外の人たちには、ぜひともこういう現実を知ってもらいたい。彼らに真実が伝われば、外部からの目が厳しくなるだろう。親方を選考するにあたって、第3者委員会の設置が義務付けられるようになるかもしれない。あるいは、「なぜその人を選んだのか」を、文科省なんかに報告することが義務付けられるかもしれない。それがすし業界を良くすることにつながると、あたしは思うのだ。

 20世紀には、わが国の科学技術は世界でもトップクラスであった。でも21世紀になって、順位がどんどんと下がってきている。

 研究予算が削られていることが、凋落の原因としてよく指摘される。

 もちろんそれも一因ではあるのだが、「マクロ基準」の悪い面がでていることが、より大きな原因ではないかとあたしは思えるのだ。

 「組織の維持」というマクロ基準に照らせば、どうしても「変わった奴」というのがはじかれてしまう。

 すし業界は狭い。どのすし学校もひとつの学年は100人くらいしかいない。この100人が入学から卒業まで、6年間も一緒に過ごす。

 学生時代や若い時に、すこし変わった生き方をしてしまうと、「あいつは変わっている」というレッテルを貼られてしまう。そしてムラ社会の中で、こういうレッテルはいつまでたっても消えない。だから母校の親方選考においては、非常に不利である。

 それで、他のすし学校に転出せざるを得ない。でもさっき挙げたカステラすし学校みたいに、多くのすし学校は、他の学校の出身者に対してとても冷たい。

 こういうわけで、ちょっと変わった奴は、母校ではよろしくない風評があるし、かといって外にも出られない。行く場所がなくなってしまうのだ。これがわが国の科学技術が衰退している主因だと、あたしは思っている。

 独創的な奴っていうのは、往々にして変人である。和を重んじるのは、司馬遼太郎さんのいう「この国のかたち」で、それはそれで良い点も多い。だから「マクロ的基準」を撤廃しろとは言わないけど、「ミクロ的基準」にもうちょっと立ち返った方がいいんじゃないだろうか。

 職人の都合を「ミクロ基準」、おのおののすし学校の都合を「マクロ基準」とすると、国全体の都合は「メガ・マクロ基準」とでも言えばいいのだろうか。

 国は、景気に応じて、個人の購買力と、企業の体力をバランスにかけた政策をとる。個人のためには給付金を出したりするし、後者のためには法人税を下げたりする。

 そういうふうにだね、すし学校の親方選考においても、状況に応じて基準を変えた方がいいんじゃないか、というのがあたしの意見である。

 だけど、わが国では、内部からの浄化というのはなかなか起こりにくい。

 だからすし業界以外の国民に現実を知ってもらって、外からすし業界にいろいろ言って欲しい。それだからあたしはすし業界の現状を皆様にお伝えしているわけ。身の危険を冒しながらだ。おのおののすし学校が、自分だけの都合を考えていては、国民全体のためにはよくないものね。長八さんばかりじゃなく、たまにはナポレオンも選んだ方がいいと思う。

 

 ブログをここまで書いて疲れた。一息入れよう。

 ふと見ると、郵便物が来ている。日本すし学会からだ。なんだろう。開けてみよう。

 なになに、「すし教育委員会の、委員になってください」と書いてある。

 すし教育委員会ね。すし学会が開かれたときに、全国の若い職人に対して、教育セミナーをやってくれってことね。

 お力になりたいのはやまやまだ。でもあれやると、すごく時間がとられるんだよね。スライド準備するの、大変だしなあ。

 そんな時間とエネルギーがあるのだったら「せとうち寿司」の弟子たちを、もっと教えてあげたいな。だってあたしは、今は「せとうち寿司」の親方なのだから。あいつらいつも、一所懸命働いているからね。他の学校の若い職人たちは、そこの親方が教えればいいんでないかい?

 というわけで、「お断りいたします」にマル

 なに、「お前こそ、自分のすし学校のことしか考えてないだろ」って?

 そーだよ。あたしは「ナポレオン」じゃなくて「長八」だからね。人間だれでも、身内がかわいいのさ。悪いか!

 と、開き直ったところで、今回はここまで。

 

 

 

 

せとうち寿司親方ブログ16―人間の「運」について

運だけはいい奴ら

 先月(2023年9月)の初旬に、東北に行った。

 あたしは魚の胸鰭のあたりを調理するのが得意だ。そのことについて話してほしいと、りんご寿司の親方にリクエストを受けたのだ。

 実は27年前に、あたしはりんご寿司で1年ほど修行していた。りんご寿司の親方はその時はまだ見習い職人だったが、あたしとはその時に友人になった。彼とはいまでも仲良く付き合っている。

 あたしは平成の初めごろに、四谷すし学校を卒業した。そしてそのあと何年か、関東で働いていた。ところがある日突然、(当時の)四谷すし学校の親方から電話がかかってきた。来月からりんご県に行って働けという。

 東京の人間はおしなべて、首都圏を離れるのは嫌がる。上からの命令でしぶしぶ赴任するにしても、栃木や群馬が関の山だ。四谷ずしの親方はなんらかの事情で、りんご寿司学校から人を送ってくれるよう頼まれたのだろう。しかし行きたい奴がいないので困っていた。

 ところがあたしは、無鉄砲というかいろんなところに行ってみたいと思うタイプだ。だから「こいつならまあ、東北に行けと言っても文句も言わないであろう」と、四谷寿司の親方は考えたのだと思う。そのようなわけで、あたしは1年ほどりんご県で修行をすることになったのだ。1990年代の後半のことだ。

 その時のあたしはまだ、多感な20代であった。それで関東とは文化の全く異なる、りんご県での生活は非常に新鮮であった。りんご県に友達もたくさんできた。このたび何十年ぶりかにりんご県を訪れると、やっぱり昔の友人たちの消息が気になった。

 あたしはりんご寿司学校の中でも、魚の「皮」を扱う部門に、親しい友人がたくさんいた。そして風のたよりに、「皮部門」の親方がそろそろ引退することを聞いていた。

 それであたしは、りんご寿司の親方に訊いた。

 「りんご寿司、皮部門の親方を募集しているよね。あれもう決まったの?」

 「決まりましたよ。」

 りんご寿司の親方があたしに敬語を使っているのは、あたしの方が5歳ほど年上だからだ。親方になっても、謙虚でいい奴なのである。

 「ふーん。それで、やっぱり准親方がそのまま、昇進したの?」

 「それが…」

 りんご寿司親方いわく、選考の最中に(選考は半年くらいかけて行われる)、その准親方が身罷ってしまったということだ。そして、最有力候補であった彼ではなく、ナンバー3であった「握り師」が親方に昇進しとのことだった。

 「准親方」だの「握り師」だの言われても、すし業界以外の方にとっては、何を言っているのかさっぱりわかるまい。だから、それらの職位について少し説明する。

 すし学校ではいろいろな部門がある。稚魚を専門に扱う部門もあるし、頭を主に扱う部門もあるし、目玉を専門に調理する部門もある。30部門ほどに分かれるのだが、「親方」というのは、その一つの部門の統括者である。

 「親方」の次のポジションは「准親方」という。さらに「握り師」「握り手」と続く。ここまでが「スタッフ」と言って、寿司学校における正式の職員である。これらの職位を持たない若い職人たちは「すし員」と呼ばれている。寿司学校に籍をおいて、卒後教育を受けている連中だ。

 教育が完了すると「すし員」たちは、市中の寿司店で働いたり、自分で開業したりして、寿司学校を離れる。ただマニアックなすしを握りたかったり、新しい寿司の握り方を開発したい、といった希望があったりする場合には、寿司学校に残って「握り手」から始まるアカデミック・キャリアを歩むことになる。その「上がり」のポストが「親方」なのだ。さらに詳しく知りたい方は、山崎某という作家が「すしの巨塔」という小説を書いているから、それを読んで欲しい。

 親方に就任するのは45歳から55歳くらいなのだが、いったん親方になると、定年(多くは65歳)まで辞めない奴が多い。そいつの引退が近くなると、次の親方はだれにしようか、という選考が行われる。

 りんご寿司だとか、あたしの勤めているせとうち寿司のような、国立の寿司学校では、この選考は全国公募で行われる。全国の寿司学校に「誰か適任の職人はいませんか」という掲示を出して候補者を集め、その中から選考をするのだ。

 審査員はすべて、募集をかけている寿司学校の内部メンバーである。だからその学校の「准親方」が出馬する場合には、他から来る候補者に比べて、ものすごく有利だ。ゆえにあたしはてっきり、りんご寿司の「皮部門」でも、准親方がそのまま親方に昇進するのかと思っていた。じっさいに事態は当初は、そのように動いていたらしい。

 ところが親方選考というのは、候補者にとって、とても心理的プレッシャーがかかる。それで「皮部門」の准親方は、身体を壊してしまった。

 大本命であった准親方が急にいなくなったものだから、ポジションが急に、ナンバー3であった「握り師」にまわってきて、彼が新しく親方に就任したわけだ。

 この話を聞いてあたしは、人生と「運」の関係を再認識した。やはり運がいい奴はなんもしなくてもハッピーになるし、運がよくない奴にはスポットライトは当たらないのだ。

 あたしは、すし業界の外の世界においては、いかなる選考を得て人々が出世するのかよく知らない。例えば三井物産の重役になるには、なにをすればよいのかなんてことは全然知らない。

 でも寿司職人の世界においては、ある部門の親方が選ばれるにあたり、かなり熾烈な競争が行われることは、身に染みてわかっている。そういう選考において「運」の占める割合の、なんと大きいことか。

 あたし自身も「運」に翻弄された経験がある。

 10年ほど前、関東地方にある“サンタクロース寿司学校”の親方選考に応募したときのことだ。あたしを含めて8人の候補者が応募してきた。

 サンタクロース寿司学校における親方選考においてはまず、親方会(各部門の親方から組織される会)の中から、7人の選考委員が、互選により選出される。委員は、選考の対象となる分野に関係が深い部門の親方が選ばれる。たとえばあたしの専門である「すしを美しく作る部門」の委員としては、鱗(うろこ)部門や、骨部門、皮部門なんかの親方が選ばれた。

 こうして選出された委員が組織する委員会においては、まず書類審査で候補者を半分に減らす。それで、最初8人いた候補者が4人に減った。そして、勝ち残った候補者たち4人が、選考委員会に呼ばれて面接を受けた。

 面接においては、どういう寿司を握ることができるのか、今までにどんな寿司を開発してきたのか、サンタクロース寿司のために何ができるのか、なんてことが訊かれ、それぞれの項目について評点がつけられた。

 評価の対象になるのは面接での受け答えだけではない。候補者たちが書いた本や、メディアへの知名度や、業界における評判なども勘案して、多角的に評点がつけられる。

 その評点が最高であったものが親方会に、「選考委員会の推す候補者」として推薦される。大多数のすし学校においては、これが最終決定になる。これが自然だと、あたしは思う。なぜなら選考委員たち以外の親方は、候補者の専門分野のことをまったく知らないし、彼らに会いもしないからだ。

 しかしサンタクロース寿司学校では、かなり独特のシステムを採用していた。評点が次点であった候補者も、なぜか親方会に報告されるのだ。

 あたしの評点がもっとも高かったので、7人の選考委員はあたしを「選考委員会の推す候補者」として親方会に報告することにした。

 それまでの20年くらいはずっと、この「選考委員会の推す候補者」が親方会の承認をうけて、そのまま当選となっていた。だから選考委員会の評点で首位となったあたしは、すっかり当選した気持ちになっていた。また実際に、サンタクロース寿司学校の何人もの親方から「おめでとう」とか「今後、よろしく」という電話を受けていた。

 ところが2か月後に行われた親方会において、なんとあたしの就任が否決されてしまったのだ!そして次点であった候補者が繰り上げ当選した。これには、まったくぶったまげた

 なぜこんな滅茶苦茶なことが起こったのかあとで調べたところ、以下のような事実が判明した。

 サンタクロース寿司学校の「すしを美しく作る部門」の准親方は、あたしより7歳年上であった。彼を仮にAとしよう。あたしが親方に就任すると、自分よりかなり年下の者が上肢になることになる。それは当然、彼にとって面白くない。

 それでAはいろいろ方法を考えた。すると、選考委員会の評点において次点の候補者が、自分と同じ年齢であることがわかった。しかももともと、彼とAとは旧知の仲だった。それでなんとかあたしを落選させて、次点の候補者を当選させることができないか、二人で作戦会議をしたらしい。

 そうすると運の良いことに(あたしにとっては不運なことに)、目玉を扱う部門でも親方の選考がまさに進行中で、しかも似たようなことが起こっていることがわかった。サンタクロース寿司でずっと働いていた准親方も出馬したのだが、委員会の審査で次点になってしまったのだ。

 そしてますます(Aたちにとって)運の良いことに、「目」部門の審査でトップになっていたのは、四谷寿司学校の出身者であった。あたしの卒業したすし学校だ。

 これを知ったとき、彼らは「ラッキー!」と大喜びしたと思う。あたしをやっつけるための、とてもいい材料が見つかったからだ。

 すし職人の世界には「すし閥」というものがあって、卒業した学校にごとに集まって派閥をつくる。サンタクロース寿司学校の親方会では「本郷すし閥」、「左京すし閥」、そしてあたしの卒業校である「四谷すし閥」が三つ巴の派閥を形成していた。

 この状況で「すしを美しく作る部門」と「目玉部門」の2つの部で四谷すし学校の卒業生たちが親方になってしまうと、「四谷すし閥」の構成員が一挙に二人も増えてしまう。それでは派閥間の均衡が崩れるので、「本郷すし閥」と「左京すし閥」にとっては歓迎すべきことではない。

 ここを狙ってAと次点の候補者たちは、「四谷すし閥」をターゲットとするネガティブキャンペーンを、猛烈な勢いで展開した。2023年の現在において、「悪の権化」として世界中で最も嫌われているのはロシアのプーチン大統領だろう。四谷寿司も「悪の帝国」として喧伝されたと伝え聞いている。各部門に行って、「四谷すし学校」を卒業した奴らにろくな奴はいないことを、力説して回ったとのことだ。Aは、果ては親方会に出席をもとめて、涙ながらにあたしの評判の悪さを訴えたという。そのときに親方会に出ていたあたしの友人(彼も「四谷すし閥」ということになる)が、あとになって教えてくれた。

 Aはサンタクロース寿司学校の卒業生なので、友人がそこかしこにいた。それでネガティブキャンペーンは大成功し、「悪の権化」である二人、つまりあたしと、「目」部門の選考においてトップ評点だった職人は、枕を並べて討ち死にしてしまった。

 先に書いたように、サンタクロース寿司学校においては、それまでの20年間ずっと、選考委員会の決定がそのまま最終決定になっていた。だからこのどんでん返しは、20年来の珍事であった。しかも、「すしを美しく作る部門」と「目玉部門」において、同時にそれが起こった。これはとてもインパクトのある事件なので、業界ではかなり話題になった。

 経過の公正性はどうあれ、落選したということは、あたしにとっては汚点である。だからあたしは、このことについてはあまり人に話さなかった。ただ不思議なことに、あたし(たち)が嵌められたことを知っている人はたくさんいて、すし学会などに行くと「大変でしたね」と声をかけてくれたものだ。

 さらに、そうした不遇を気にかけてくれる人々はやっぱりいるものだ。それらの人々に援けられて、あたしは別の寿司学校(いまいる「せとうち寿司」だ)で、親方のポストに就くことができた。

 振り返って考えると、もしそのときあたしが波風なくサンタクロース寿司学校の親方に就任していたとすれば、おそらく一生、関東以外の土地を詳しく知ることはなかっただろう。流浪癖のあるあたしにとっては、あまり面白い人生ではない。だから、あたしにとっては結果オーライではある。小林秀雄は「人はその性格に合った事件にしか、遭遇しない」と言ったが、まったくその通りだと思う。

 ちなみに、あたしとともに嵌められた「目玉部門」のトップ評点者も、ほどなくして三鷹すし学校の親方に就任した。この点から見ても、結果オーライではある。

 さらに言えば、あたしがせとうち寿司学校の親方に就任する際には、左京すし学校出身の職人たちに援けていただいた(もちろん、サンタクロース寿司の左京ずし閥とは別の人たちではあるが)。つまり「昨日の敵は今日の友」になったわけだ。本当に選挙というか政治というものの複雑さが、骨身に染みてわかった

 このように、すべて結果オーライにはなったのだが、サンタクロース寿司学校には言いたいことがある。選考委員会の審査評点は残っているはずだ。それらを公表していただきたい。私立とはいえ、寿司学校は文科省からの助成金を受けている。つまり公器なのであるから、選考経過の記録ぐらいは残っているはずだ。それらの記録を見れば、次点候補者が繰り上げ当選したことは、だれの目にも明らかなはずだ。

 実はこういう不条理な選考はすし業界にあふれていて、サンタクロース寿司学校以外でも掃いて捨てるほどある。それを野放しにしていては、日本の寿司学校全体のレベルが下がってくると思うのだ。それを防ぐために、もっと情報を開示して欲しい。

 すこしヒートアップしたが、ここで「運」の話に戻ろう。

 あたし(と目玉部門のトップ評点者)にとって残念な結果に終わったことには、いくつもの偶然が重なっている。

 まず、Aがあたしより年下であったならば、たぶんネガティブキャンペーンを張らなかっただろう。新しい上司が来たって、それが年上ならばAとしてはべつに屈辱ではないからだ。

 また、もしも「美しく寿司をつくる部門」と「目玉部門」の選考が同時に行われていなければ、ネガティブキャンペーンは失敗に終わっていたはずだ。両部門の次点候補者がタッグを組んで動いたからこそ、キャンペーンは成功した。

 さらに目玉部門のトップ評点者が、あたしと同じ四谷すし学校の出身でなければ、やはりネガティブキャンペーンは成立しなかった。たとえば彼が左京すし学校の出身であったならば、「左京閥」と「四谷閥」の構成員が一人ずつ増えるわけなので、派閥間の均衡はあまり崩れず、浮動票は動かなかったであろう。

 逆にあたしが四谷すし学校の卒業生ではなくて、たとえば「からっ風すし学校」の出身であったとする。やはりこの場合も派閥の力関係は変わらない。だから浮動票は動かず、選考委員会の決定通りに、あたしが当選していたと思う。

 このようにいくつもの偶然が重なって、あたし(と目玉部門のトップ評点者)にとっては喜ばしくない結果になった。

 でもここまで偶然が重なると、もう運命としか言いようがない。運命に逆らってもろくなことはない。神の思し召しに背いてはいけない。だから当初はかなり落ち込んでいたあたしも、2-3か月で吹っ切れた。

 長々と自分の話を書いて申し訳ないが、すし業界における親方の選考においては、いかに偶然、つまり「運」が重要であるか、お分かりになったのではないか。あたしが言いたいのはそこだ。

 親方の地位についていなくたって、寿司を握るのがうまい職人はたくさんいる。寿司を握ることだけに命を懸けるようなタイプの人間は、偏屈な奴が多い。だから周りからの評判が必ずしも良くはない。実はあたしもそういう口で、みんなに人気のあるタイプではない。

 ひどい目にあってから、あたしの価値観はかなり変わった。すし業界において親方になるには、ことほど左様に運が必要なのだ。実力も大切には違いないが、運の方がずっとものをいう。そう思うと、親方なんて肩書にこだわるのはアホらしくなってしまった。それで、親方だの理事だのといった肩書には関係なく、面白い奴とか、いい仕事をしている奴とだけ付き合うようになった。

 全国の寿司学校にはたくさん親方がいる。でもあたしのように波風を経て就任した奴は、実は少数派なのだ。大多数は寿司学校を卒業したあと母校で働いてきて、前任の親方ないしは母校の権力者に気に入られ、指名されて、親方に就任している。そういう職人たちの中には、「自分は実力があるからこそ、指名をされた」と思っている奴も多いだろう。

 しかし、上の人間と気が合ったことそのものが「運」である。「虫の好かない野郎だぜ」と上の方に思われていたら、どんなに優秀でも指名はされない。また、自分の同期にメチャクチャ優秀な奴がいなかったからこそ、平穏無事に出世コースに乗ってこれたとも言える。それだって「運」である。

 より掘り下げていけば、親方になる・ならないはおろか、平和な環境で寿司職人をやっていられることそのものが、運なんだよな。

 たとえば第二次大戦で落とされた原爆の放射能が、まだ残留していたとしたらどうだろう。日本が、人間の住めない場所になっていたとすれば、寿司どころの騒ぎではない。

 また、地殻変動が起こって、映画みたいに日本が沈没したらどうだろう。やっぱり寿司なんか握っている場合ではない。

 また元寇の時に、フビライ・ハンが日本侵攻をあきらめなくて、日本がモンゴル帝国の版図に組み込まれていたならば、羊肉の寿司を握っているかもしれないよな。

 という風に、あたしらが生きていられることそのものが、運の結果なんだよな。だからちょっとくらい運が悪くても、文句言っちゃいけないよな。すべては諸行無常なのだ。

 般若心経が読みたくなってきたので、今回はここまで。