「うどん」というTattoo

"Digital Tattoo"

 ラーメン屋でテレビをつけてあったので何気なく見ていたら、かなり面白いドラマだったので1時間も長居してしまった(店に悪いので、ちゃんと生ビールも2杯追加した)。
 ドラマのタイトルは“Digital Tattoo”というもので、おそらく多くの人はこのタイトルを見ただけで内容が想像つくと思う。不用意に写真や動画をSNSやネットに投稿してしまうと、拡散してしまって回収が不可能になる。だから、投稿した内容が自分を毀損する性質の場合には、生涯ネガティブなイメージに苦しむことになる。 

 一度入れてしまうと完全にとるのは無理、そして人々の白眼視を受けるという点で、そうした投稿は刺青とよく似ている。だから”Digital Tattoo”というタイトルがついたわけだ。Digital Tattooの社会的な怖さを想うと戦慄を禁じえないが、その内容はさておいて、ことネーミングだけに限っていうと、本当に良いセンスであると思う。

 

クリスタルキングのこと

 Digital Tattooの場合に人を悩ませるのは、一回投稿してしまうとすぐに炎上するようなきわどく、かなりマイナスの程度が強い情報であろう。だがそこまでの破壊性はないにしても、「自分で作ってしまった、あるいは人に作られたイメージで損をする場合」は、他にもある。
 たとえば昔、クリスタルキングというバンドがあった。この名前を挙げるだけで、多くの人は「ああ、あの『大都会』のね」と反応するだろう。澄んでいながら力強い発声力を持つボーカルが響かせる、「あー、果てしない夢を追いかけて―」というサビの部分は、この歌が発表されるや瞬く間に多くの人の心を捉えたし、35年も経た今ですら、時折CMに使われたりしている。
 ところが、である。このバンドは「大都会」のあまりのヒットに、その後かなり苦しんだのである。バンドとして創作活動を行う中で、当然のごとくクリスタルキングは多くの歌を作っていた。ぼくも彼らの他の歌をいくつか聴いたことがあるが、そのいずれにも件の高音ボーカルの歌唱力がかなり生きていて、良い歌だ。彼らとしても当然、他の歌も人々に聴いてもらいたかったのであるが、「大都会」のイメージがあまりにも強すぎたために他の歌を歌う機会がなくなったのである。
「テレビに出演すると、まずは『大都会』を歌ってくださいと言われるので、ほとほと嫌になっていました」とバンドのメンバーは述懐している。
 要するにクリスタルキングは、最初に作り上げた、あるいは作り上げられたイメージに固定されてしまって、思うような活動ができなかった。一度できたイメージに苦しむ点では、Digital Tattooとよく似ている。

 

香川県は美しい

 さて、ここから本題に入る。ぼくが今住んでいる香川県も、同じような理由で損をしている、とぼくには思えるのだ。
香川県は、かなり良いところだ。ぼくは今までいろいろな場所に住んだことがあるが、こと日常的な住み良さに限っていえば、香川県はどの場所にも負けない。もっとも、海外に行くためには関西国際空までバスで3時間かけていく必要があるので、出張の際には不便を感じる。また、ぼくの診察をお受けになるために本州から来ていただいている患者さんもかなり多いのであるが、岡山から1時間もかけて、瀬戸内海を電車でわたっていただいたり、飛行機でおいでになったりする労をとっていただかなくてはいけない。これはぼくにとっては大変に心苦しいことだ。そういうマイナス面もあるから、香川こそが日本で最も良い場所である、とまでは言わない。

 だかしかし、居住するとなると非常に良い場所であることは疑いがない。高松の中心部には新宿・渋谷とまではいかないにしても、新橋や恵比寿程度の繁華街ならばあるので、飲みに行ったり外食をしたりする分には、店の選択に不自由しない。
 また、車で30分も行けば海にも温泉もある。ことに海の風光はすばらしい。瀬戸内海に県境の半分が接しているために、まさしく白砂青松という感じの海水浴場もあれば、せり出した半島の丘から、眼下に広がる島々を俯瞰することもできる。いろいろな海の楽しみ方ができるのである。高松港からは一日に何本も、いろいろな島にゆく船がでているので、散歩する感覚で島遊びをすることもできる。
 少し山に入ればよく手入れされた里山だ。初夏には青々とした涼しげな水田のあぜ道でセミの音を楽しみながら散歩が楽しめる。ビワやミカン、野いちごやキンカンなども自生していて勝手に取って食べても何も言われない。秋にはモミジやブナで鮮やかに彩られた山間で、ドライブを楽しむこともできる。
 また、瀬戸内が交易の中心であった奈良・平安時代から続いてきた地域なので、歴史に裏付けられた落ち着きも感じられる。例えば坂出は、かつては日本一の製塩都市であったため、豪商が建てたであろうという感じの家屋が洗練された街並みを作っていて、古都の赴きがある。金比羅山が江戸期には、西日本を代表する遊興地であったことは、説明の必要もあるまい。
 かくのごとく、香川という場所は良いところなのだ。

 

  なのに、である。
   「うどん県」

 

 ぼくはこのネーミングを、かなり残念に思っている。クリスタルキングが「大都会」のイメージに囚われてそれ以上の発展を妨げられたのと同じで、人々は香川県と聞くと必ず、うどんを連想するようになってしまった。久しぶりの友人に会ったときに、ぼくが今は香川県に住んでいることを話すと、「うどんが美味しいんでしょ」と言われる。100パーセントの確率で言われる。
 そうしたときにばくは、かなり複雑な表情をしているだろうと思う。たしかに、うどんはそれなりに美味しい食べ物ではあるし、「香川のうどんは美味しい」と県民が誇りに思うこと自体は、良いことだ。

 

 ただ、それを県のネーミングにしますかね?

 

眼鏡の女の子

 古典的なマンガのパターンのひとつで、メガネをかけていて勉強ばかりしている、つまりはドンくさいと思われている女の子が、実ははかなりの美人で、恋愛によって目覚めるというのがよくある。その恋愛の対象が、ちょっとワルな男の子だったりすると、ベタな少女マンガのストーリーになるだろう。

「オッサンが少女マンガを持ち出すんじゃねーよ」というお叱りを覚悟しつつ、ぼくがこんな話を持ち出すのは、この例に当てはめて考えると、ぼくが香川県に対して持っている気持ちを、非常に上手く伝えられるからだ。
 香川県は、うどんを前面に出し過ぎて、その本当の良さが、うどんのイメージに隠れてしまっているのだ。美しい自然も海産物もあるのに、イメージは「うどん」、ザッツオール。ぼくはこの、香川県の信じられない宣伝下手を見ると、本当に歯がゆくなる。

 先ほどの少女マンガの例えでいうと、香川県ガリ勉・メガネの女の子だ。自分の本当の魅力を伝えられずに、あるいはそもそも自分で気がついていないので、損なイメージを周りに拡散させてしまっている。ちょいワル男子はガリ勉メガネちゃんに、「君は、本当は美しいのだから、あえてマイナスのイメージで見られているのが私はもどかしい。もう少しアピールして、本来得るべき高い評価を得なさいよ」と言いたいのだ、 ただし、いかんせん思春期のガキだから「お前ほんとにブスだなー。もうちょっとかわいくしろよ!」と言うような、半分、憎まれ口の言い方に実際はなるであろう。

 つまり香川県はメガネをかけたガリ勉女子、で、ぼくはそれをひそかに思慕するちょいワルガキなのだ。「うどん」などというメガネは外してしまった方が、その魅力が素直に伝わる。だからそのイメージを払拭しなさい、「うどん県」なんていうのは止めなさい、とぼくは言いたいのだ。

 

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背負ったtattoo

こんな呼び方は?

 ではどのように呼ぶのが良いかというと「オリーブ県」が良いと思う。
瀬戸内海を地中海に見立てれば、香川はイタリアそっくりだ。海にせり出した半島は数多く、雨が少ないので太陽がよく照っていることが多い。果物は自生していて、道に落ちて腐るほどある。ニンニクと塩の名産地でもある。こういう、カラっとした明るい感じと、穏やかな内海の感じはイタリアそっくりだ。また実際に、小豆島はオリーブの名産地でもある。
「オリーブ県」はいいネーミングだと思うが、そのまえにUDONというTattooを取ってしまわないとね。余計なお節介ですみません。ちょいワルなガキなもんで。