すし職人ブログ18―面接官の憂鬱

まず、椅子に座ってくれ(>_<)

 

 あたしはすし職人である。したがって寿司をお客さんに握るのが本分である。

 しかし今はどういうわけか、すし学校に勤務している。そうすると、すし職人でありながら、教師ということにもなってしまうらしい。

 それで、すしを握るのとは全く関係のない、わけのわからない仕事にも駆り出される。面接試験の試験官はその一つである。

 若者の人気の職業は、時代とともに変遷しうる。太平洋戦争の前は軍人が人気の職業であったし、石炭産業が興盛を極めた1960年代は、炭鉱の管理会社が若者たちにとって垂涎の就職先であった。高度成長期には製鉄業に、世のエリートたちは争って就職した。バブルのころは金融業に人気が集まった。

 令和の現在にあっては情報産業に優秀な人間が集まっている。しかしすし職人という職業も、「手に職がつく」というメリットがゆえに、それなりの人気がある。

 とくにコクリツのすし学校は月謝が安いので、志望する若者たちがひきも切らない。    

 わが「せとうち寿司学校」を受験する高校生たちもたくさんいる。あたし個人としては、やる気のある若者はみんな入学させてあげたいと思っている。だけど教室に入れる人数には制限があるので、やっぱりふるいにかけなくてはいけない。それで毎年、2月になると入試が行われる

 せとうち寿司学校の入試は、筆記試験ならびに面接から成り立っている。それぞれに対して配点が決まっていて、合計した得点の高い受験者120人ほどが、入学を許可される。われわれ教員たちは、試験に駆り出されて手伝いをやらされる。

 手伝いの内容はさまざまである。筆記試験についていえば、問題用紙を配ったり、不正行為がないか監視をしたり、回収された答案を採点したりする任務がある。面接試験では志願者に質問をして、論理性やコミュニケーション能力を評価する。筆記試験と面接試験の両方に駆り出される教員もいるにはいるが、大半の職人はどちらか一つだけを割り当てられる。

 なぜだかよくわからないが、あたしはここ数年ずっと、面接試験の係をやらされている。前にブログで、筆記試験の監督をするのは、自分の性格に合わないことを書いたことがある(ある名(迷?)案 - Nagasaoのブログ (hatenablog.com))。あたしは、何もしないで何時間も過ごすことが大嫌いなのだ。それを誰かエライ人が読んで「こいつに筆記試験の監督はムリ」と思ってくださったのかもしれない。ありがたいことだ(これからもその線で、よろしくお願いします)。

 しかし、だからと言って無罪放免してくれるほどコクリツの寿司学校は甘くない。かわりに面接試験の試験官を割り当てられる。本当はこれも嫌だ。でも筆記試験の監督よりはだいぶんマシだ。

 面接試験には、一定のルールがある。国立の寿司学校の場合には、ルールが特に厳しい。たとえば宗教や家庭環境について訊いてはならない。個人情報ならびに、憲法で保障されている信仰・思想の自由に抵触するからだ。それで気の小さな試験官は、なるべく無難な質問をしようとする。

 定番なのが「なぜ、すし職人になろうと思ったのか」という質問だ。

 もちろん本当に、寿司を握ることにあこがれを抱いて、寿司職人を志す学生も多いだろう。だけど、「手に職をつけておけば安心」考えて、寿司学校への進学を希望するやつも少なくない。さらに、家が大きな寿司店を営んでいて継ぐ必要があるから、どうしても寿司学校(総合大学の場合は「すし学部」)に入らなきゃいけないやつもいる。

 こういう理由を、素直に話すわけにはいかない。功利的な考え方を嫌う試験官もいるからだ。ちなみに、あたしは違う。生活のために仕事を探す、そしてそのスキルを身に着けるために、寿司学校に出願するというのは、すっきりしすぎるくらい筋の通った理屈だ。だから「寿司職人として成功し、豊かな生活を送りたいからです」って、本音を話す受験生がいたとしても、あたしなら減点なんか絶対にしない。たとえ動機がどのようなものであったとしても、プロとして恥ずかしくない腕さえ身につければ、それでよいではないか。

 ところが、そういう答えを嫌う試験官(つまり、すし学校の親方)が、一定数いることは事実である。それで受験生としては亡くなった「おばあちゃん」とか「おじいちゃん」にご登場願うことになる。「おばあちゃんがなくなる前、寿司を食べて幸せそうな顔をしているのを見た。だからすし職人になろうと決意した」なんて答える。

 小説や映画に啓発を受けた、なんて答える奴も多い。たとえば「寿司職人・黒雄(くろお)」という、手塚治虫が描いた漫画がある。これには天才的なすし職人が出てきて、実にカッコいい。それで「『黒雄』を読んで、すしを握ることに憧れました」となんて答える。

 もっとも「すし職人になろうと思った動機」については、まだ答えやすい。受験生にとって困るのは「なぜ本校を志望したのか」という質問だ。

 あたしの勤務している「せとうち寿司学校」は、瀬戸内海に面した、「せとうち県」にある。「せとうち県」に住んでいる高校生にとっては、この質問に答えるのは簡単だ。「寿司を握ってお客さんに食べてもらうことにより、せとうち県を発展させたいから」とか、「せとうち県で育つうちに、皆さまにお世話になった。お世話になった人たちに、寿司を握ってお礼をしたいから」とか答えればよい。きわめて明瞭

 だけど、県外に住んでいるのにわざわざ受験しにくる学生もいる。というより、そちらの方が多い。だいたい6割くらいの学生が、大阪・神戸・東京などの高校を卒業しているのに、四国にあるせとうち県までやってくる。

 それらの大都市にも当然、すし学校はある。それなのになぜわざわざ都落ちしてくるかというと、ニッポンのすし業界の実情に大きな理由がある。さきほどに書いたように、すし職人は今のところ、かなり人気のある職業の一つだ。だから、すし職人を志す高校生は多い。結果として、入学試験の倍率もかなり高くなる。とくに国立のすし学校は学費が安いので、サラリーマンの家庭でもなんとか支払える。それで、応募者が殺到することになる。

 そして若い人たちは、都会に住みたがる。だから本郷すし学校とかナニワすし学校といった、大都市にある国立の寿司学校は、異常なくらい入学するのがむつかしくなっている。

 東京や大阪にあっても、私立のすし学校の場合には、国立にくらべて入学するのはずっと易しい。しかし、私立の寿司学校で学ぼうとすると、卒業までにサラリーマンの平均年収の5倍から10倍くらいの学費がかかってしまう。それは一般家庭には、かなり厳しい。

 わがせとうち寿司学校も、いちおう国立のすし学校である。それゆえ入学するのは、それなりにむつかしい。それでもなお本郷すし学校や左京すし学校なんかよりは、入りやすいし、学費も安い。ゆえに全国から受験生が殺到する。つまり、よその土地からくる学生の多くは、親の経済力と自分の学力を天秤にかけて、せとうち寿司学校にターゲットを絞るわけだ。

 こういう学生たちに「なんで、せとうち寿司学校を志望したのですか」と尋ねるのは、ちょっと酷ではないかと、あたしは思う。「ぼくはどうしてもすし職人になりたいですが、東京の国立すし学校はハードルが高すぎて」なんて、本音を言えるわけがない。

 恋愛や結婚に例えてみるとよくわかる。「なぜ、日本にはたくさんのすし学校があるのに、せとうち寿司学校をわざわざ選んだの?」と訊くのは、「なぜ世の中には大谷翔平みたいに、イケメンの上、性格もよく、収入も桁違いに多い男もいるのに、ぼくと付き合うの?」と訊くのと同じだ。「ちょっとあたしには大谷翔平は無理そうだから」なんて答えられるわけがない。

 だからあたし自身は「なぜ本校を志望しましたか?」なんていう質問は、絶対にしない。さっきも言ったように、きっかけがどうあれ、しっかり修行して、きちんとした職人になりさえすれば、それで良いと思っているからだ。ついでに言わせてもらうと、せとうち寿司学校を出ていても、都会の一流校を出た人間に遜色ない職人はたくさんいる。卒業してからの修行が大切なのだ。

 とにかく受験生諸君は、「本校を志望した理由」なんか訊かれて「うぜー」と思っていることは、間違いない。だけど試験官の中にはなぜか、この質問を好む人が大変に多いのだ。

 受験生の方もそれはわかっていて、あらかじめ準備をしてくる。もともとは縁もゆかりもなかった、せとうち県に来る理由を探すわけだから、どうしてもこじつけ的な理由が多くなる。

 こじつけには二つのパターンがある。「地域が気に入ったから」というパターンと、「せとうち県の人となんらかの縁があって」というパターンだ。

 「地域が気に入ったから」の具体例はこんな感じだ。「こどものころ、両親に連れられてせとうち県に旅行に来ました。海も山もあって、実に美しい県だと思いました。それで是非、せとうち県で学びたいと思って、貴学を志望しました。」

 せとうち県は「うどん」が名物だ。だからこれにかこつける奴もいる。「ぼくは昔から、『うどん』が好きでして。それで、せとうち県が向いていると思いました」なんて言う。

地域礼賛パターン」には他にも、「瀬戸内の島々にあこがれていたから」とか「弘法大師の故郷だから」なんていうものある。

 だけどせとうち県の場合、「地域礼賛」のネタはそんなにあるものじゃない。せとうち県は住みよいところではあるが、東京や大阪、京都なんかに比べるとインパクトは弱い。

 この点、北海道や沖縄なんかはもっと理由づけがしやすいのではないだろうか。これらの地域には、「北の国からすし学校」とか「ガジュマルすし学校」などがある。これらのすし学校にも、都会から受験生がたくさん来ているはずだ。

北の国からすし学校」の場合には、「北海道のきびしい自然の中で自分を鍛えたいと思いまして」とか「ぼくはスノボとキタキツネが好きでして」とか、それこそ「テレビドラマの『北の国から』を見て(古いか)、きれいな所だと思って」とか、いくらでも理由が挙げられる。

「ガジュマルすし学校」も「沖縄の文化には昔から関心がありました」とか「ウィンドサーフィンが好きで」とか「サンシンが好きで」とか、いろいろ理由がつけやすい。この点、せとうち寿司学校の受験生はちょっと大変だね。同情するよ。

 そこで「せとうち県の人となんらかの縁があって」と、切り口をちょっと変える奴がいる。いうなれば「人縁パターン」だね。

「人縁パターン」は「地域礼賛パターン」よりもずっとバリエーションに富む。まず親戚のうちに一人でも、せとうち県の出身者がいたらしめたものだ。「年上の従妹が、せとうち県の人と結婚しまして」なんて、つながりをやたらと強調してくる。その「いとこ」がたまたま寿司職人だったとすると、こりゃもうビンゴ!だ。「せとうち出身の彼(彼女)がキビキビ働く姿にあこがれまして」なんて、胸を張って言える。

 しかし、せとうち県の人口はたかだか100万だ。だから従妹が結婚する可能性はあんまり高くない。そうするともう、「コネ」を赤の他人に求めるしかないじゃないか。それで、たとえばこんな答えをする。

 「小学校のときの先生で、せとうち県出身の人がいました。その先生が、ぼくは大好きでした。だから、せとうち寿司学校を志望しました。」

 そうかい、そうかい。あたし自身は、せとうち県の出身ではないよ。でも、せとうち県の人間のことをそこまでよく思ってくれて嬉しいよ。だから「その先生は男だった?女だった?」とか、「何歳ぐらいの先生だった?」なんて訊かないよ。安心してくれ。だいたい、「個人的なことは聞いてはいけない」と、試験官のマニュアルに書いてあるからね。

 でも、答えの「ウラ取り」をおそれて、用心深い答えをする受験生もいる。

 「小さいころ両親に連れられて、せとうち県に旅行にやってきました。その時にバスに乗ったのですが、そのバスの車掌さんが非常に親切でした。それで、『将来は、せとうち県で寿司職人になって、恩返しをしよう』と思いました」なんて答える。

 そうかい、そうかい、ありがとうね。

 せとうち県も地方の例にもれず、人口が減少している。だから君みたいな若者が残ってくれたら、とても嬉しいな。だから、あたしはあえて突っ込みをいれないよ。でも、気を付けた方がいいな。突っ込もうと思えば、いくらでも突っ込みができるからね。

 たとえば、「バスの車掌さんに恩返しをしたい」のならば、そのバス会社に入ってあげた方が喜ぶと思うよ。交通業界は人手不足が深刻だからね。その車掌さんも夜勤が多くて、苦労していると思うな。君が同じ会社に入ってマンパワーを増やしてあげれば、その車掌さんも楽になるだろう。論理的に考えると、「そのバス会社に入る」が、君の目指すべき方向性なんでないかい?

 もっと突っ込めるよ。たしかにバスの車掌さんに親切にされるのは嬉しいことだ。だけど、その時から18歳の今まで、君に親切にしてくれたのは、その車掌さんだけ?小学校の先生はどうだった?逆上がりのできない君を、放課後に指導してくれなかった?高校のサッカー部の顧問はどうだった?日曜日なのに、君たちの試合に監督に来てくれなかった?そういう方々の出身地にある寿司学校を、受験した方がいいのではないかな?

 あるいは本当に、今までの君の人生で、その車掌さん以外のすべての人は、君に不親切だったの?それじゃ君がかわいそうすぎる。まるで昔話の「泣いた赤鬼」みたいじゃないか。

 まあ、あんまりいじってもかわいそうだから、ここら辺でやめておこう。

 こんな風に「突っ込み」を入れることは簡単だ。でも、試験で緊張している君たちをいじるほど、あたしは意地悪くない。

 だから、これからも面白い話をたくさんつくって…いやいや失言、創っているわけじゃないものね。いろいろなお話しを聞かせてね!