「あの行列」について

これぐらい怖いと感じる人も、いるのでは?

 このブログは世間の評価を意に介さずに、書きたいことを書いています。それでぼくは「よくあんな事、書けますね」とか「度胸ありますね」とか、よく人に言われます。

 今回の話も、同業者の方にとっては、けっこうきわどい話です。だからあらかじめ言っておきます、読むのは自己責任ですからね。

 話は「あの行列」のことですよ。あの行列

 よく大学病院を題材にした小説とか、映画がありますね。それに必ず出てくる行列ですよ。たとえば「〇い巨塔」なんか、かなり有名なドラマですね。その予告編に、この行列が出てきます。白衣を着た人たちがしずしずと歩いてくるあの場面は、このドラマの内容を象徴しています。

 漫画の「〇龍」なんかにもこの行列が出てきます(ドラマにもなりました)。ものすごーく人相の悪いオッサンが先頭に立ち、それを計算高そうな手下たちが取り囲み、行列はしずしずと進んでゆきます。取り巻きから少し離れたところに美男と美女がなぜか居て、それがヒーローとヒロインだったりします。

 と、ここまで引っ張ってきて、いよいよ言っちゃいます。「教授回診」のことです。ぼくがなぜ、直接その言葉を出さずに、ここまで引っ張ってきたのかという理由は、あとでお話しします。

 このブログの読者には、病院とか医者とかに、全く無縁な方々もおいでになります。そういう方々のために「教授回診」とは何か、まず説明します。大規模な病院では、専門別に部門が分かれています。「循環器内科」とか「整形外科」とか「皮膚科」ですね。大学病院ではこれらの各部門の責任者が「教授」です。普通の大学病院の普通の科では、週に一度、教授が部下を引き連れて、入院患者をひとりひとり診察します。これが教授回診です。もしもあなたが大学病院に入院すれば、かなり高い確率で、教授回診を受けるか、あるいは目撃するはずです。

 教授回診を行う(建前上の)目的は、⓵診療科のトップである「教授」が各患者の状態を把握し ②それに基づいて部下に適切な指導を行う ということになっています。

 ところでぼくも、ある国立大学の医学部で教授をしています。それにも拘わらず、ぼくはこの「教授回診」を、いまはやっていません。教授に就任してから2年くらいは行っていたのですが、ある時からやめてしまいました。ぼく自身、教授回診というものにあまりいい思い出を持っていないからです。

 ぼくはある東京の私立大学を卒業し、長らく母校で働いていました。そこでは毎週、木曜日の朝8時から教授回診をやっておりました。そのときのぼくはまだ若く、教授ではありませんでした。しかし部下の一人として、ぼくも毎回、参加を求められていました。計算高そうな取り巻きの一人だったわけですね。

 ぼくの専門にしているのは形成外科と言って、身体の形を整えることを目的とした、外科の一分野です。患者さんに手術をした後には、手術したところにガーゼを貼ったり、包帯を巻いたりします。創部の安静と清潔を保つためには当然、必要な処置です。 

 ですが、その部分のかたちを見るためには、貼ってあるガーゼを外さなくてはいけません。それでぼくの母校では、教授回診の前に、あらかじめ患者さんのガーゼを外しておく規則になっていました。こうすれば教授がまわってきたときに、すぐにその部分をお見せすることができるからです。

 たしかに効率を考えると、これは合理的です。教授が一人ひとりの患者さんを回るたびにガーゼを外せば、一人の患者さんにつき2・3分はかかってしまいます。入院患者はいつも20人くらいいましたので、合計で40分から60分の時間がかかることになります。あらかじめガーゼを外しておけば、この時間が節約できます。

 しかし患者さんの立場に立つと、どうでしょうか

 傷を保護するガーゼが外されると、手術で切ったキズアトが「むき出し」になるわけです。多くの人は、自分のキズアトなんか見るのは怖いわけです。キズアトがむき出しの状態だと、傷が開くのが怖いので身動きできません。「大名行列」が自分のところにやってくるまで、何十分も、時には1時間以上もじっと待っていなくてはいけないわけです。トイレすらも行けないで。こういう負担を強いるのはよくないな、とぼくは常々、思っておりました。

 さらに辛かったのは、思慮が不十分な(とぼくには思える)コメントを、教授にされることでした。ぼくは乳房や「あばら」のかたちを美しく整える手術が得意で、それをライフワークにしています。乳房のかたちや大きさには、患者さん一人ひとりの好みがあります。手術を行うに先立ち、ぼくは患者さんと細かいカウンセリングを行います。そして患者さんが何を求めているのかを拾い上げます。

 手術にはいろいろなやり方がありますが、何かを得ようとすると、何かを失います(世の中すべてのことに言えることですが)。たとえば女性の胸郭の手術を行う場合、乳房も大きくして、「あばら」のかたちもきれいにして、デコルテ(鎖骨回りの輪郭)も美しくして、皮膚の切開も小さくして行うことができれば、それにこしたことはありません。

 しかし「あばら」のかたちを徹底的にきれいにしようとするなら、何本もの肋骨を切り、組み換える必要があります。それを行うには、どうしても皮膚の切開が大きくなります。

 また、デコルテのかたちを美しくするためには、他の部分から軟骨や脂肪を移植しなくてはいけません。移植の材料は体のほかの部分から取ってきます。したがって、患者さんの胸だけではなくて、お腹や太ももにもメスを入れる必要があります。

 ぼくはこういう得失を考慮し、一人ひとりの患者さんに対して練りに練った手術を行っているつもりです。それにも関わらず、母校での教授回診の際には、こういう苦労をまるで斟酌しないコメントをされることが、よくありました。

 たとえば、女性の患者さんに対して乳房の手術を行う場合、乳房が大きければ大きいほど良い、というわけではありません。肩幅が狭く、小柄な女性に対して大きな乳房をつくってしまうと、奇異な感じがします。また理知的なイメージを自分に求める女性は、往々にして乳房が大きいことをむしろ嫌います。バストがあまり大きいと知性的に見えない、ということなのでしょう(この考え方には賛否があるとは思いますが)。

 それだからぼくは、手術を行う前に患者さんと徹底的にカウンセリングをして、できるだけ希望に沿うようにしているのです。

 話を母校の教授回診に戻します。ある患者さんに対して、彼女のリクエストにより、ぼくは小ぶりな乳房をつくりました。それに対して教授は「あばらのかたちは合格点だが、乳房が小さい」とのたまいました。

 彼は乳児の口や鼻の手術を専門にしていました。その領域に関しては、確かに彼の造詣は深かったと思います。ですがぼくの専門である、胸まわりの手術については、ぼくの方がはるかに、知識も経験も上でした。

 いまならぼくも「素人が何を言うか」くらいの気持ちで、鼻で嗤う余裕があります。しかしその時にはまだ30代でしたので「このオッサン、ホンマ、どついたろか!」と思ったものです(どつきませんでしたけど)。

 そんなこんなで、ぼくは自分で手術した患者だけは、教授になるべく見せないように努力するようになりました。たとえば研修医たちに「おれの患者さんだけは、ガーゼを外したまま、(キズアトをむき出しの状態で)待たせるなよ」と言い含めました。

 また教授が廻ってきて診察をする際には、なるべく彼が患者さんに近づかないように、彼と患者さんの間に立つようにしました。ぼくは日本人としては大柄で、180センチを超えています。一方、そのときの教授は、横幅はあるものの、身長は163-4センチ程度でした。これだけ身長差がありますので、ブロックはよく効きました。ぼくは大学時代にラグビーをやっていたので、インターセプトは得意なのです。さすがにタックルまではしませんでしたが、この「ブロック」を導入してからは、患者さんについてあまり無遠慮なコメントをされることは少なくなりました。もっとも、こんなことをやっていれば教授に好かれるはずもなく、ほどなくして「いずれはどこか、よその大学に出ていけ!」と宣告される羽目になったわけですが。

 ただ公平のために書いておきますと、このときの教授は少なくとも、よく漫画に出てくるような権謀術数を使う、陰険な人間ではありませんでした。直情径行でアスペルガー症候群を疑わせるところは確かに、多々ありました。しかしその点は、こんなブログを書いているぼくだって似たようなものです(読んでるあなたたちもね)。共通点があるからこそ、彼とぼくとは、とりわけ相性が悪かったのかもしれません。

 教授回診には労力的な無駄もあります。ぼくの母校では、その部門に属している医師全員が参加することになっていました。しかし大学病院の医師、とくに若い医師は、非常に忙しいわけです。教授回診を行う日だって、いつもと同じように手術はあるし、外来診察もあるわけです。手術の前に麻酔科の先生と打ち合わせをしたり、外来の前に患者さんの病歴をチェックしたりしなくてはいけないわけです。大名行列を行っている間は、こうした業務はできません。それゆえ気が焦ります。これほどの労力資源を投入してまで教授回診を行う意味はあるのだろうかと、ぼくはよく考えておりました。

 たしかに権威が好きな方も世の中には大勢います。そういう患者さんたちは「教授様の診察を受けられた」と喜ぶかもしれません。ですが今の時代、「教授」と言ったって医者の一人としか見ない患者さんもたくさんおられるわけです。初めて会うオジサン(もしくはオバサン)に「経過はいいですよ」なんて言われても、こういう方々は「ハア?(ヤンキーまたは女子プロレスラー風に発音してください)」としか思わないのではないでしょうか。

 このような訳で、ぼくは自分が教授になってからは、教授回診を行わなくなりました。もっとも、部門の責任者として、形成外科に入院している患者さんのことは把握しておく必要はあります。ですが部門内の会議で、カルテを参照しながら受け持ちからの報告を聞けば、患者さんの状態を理解することは十分に可能です。また、自分が手術した患者さんは、1人か2人だけ部下を連れて、自分で毎日診に行きます。部下が手術した患者さんでも、自分の目で見ておいた方がよいな、と思う場合もあります。そのような時には、その患者さんの担当医たちと2・3人で診にゆきます。行列など作らず少人数で行けば、患者さんに威圧感を与えないですみますから。

 ここまで、ぼくは教授回診についてネガティブな意見を書いてきました。読者の皆様は、ぼくが「教授回診など、みんな止めてしまえ!」と思っているように感じられるのではないでしょうか。たしかに、ぼくには教授回診にあまり良い思い出がないし、今の自分の環境にはそぐわないから、やっておりません。しかし、人様が教授回診を行うのを否定しているわけではないのです。なぜなら、教授回診にはメリットもあるからです。

 第1に、教授回診に、本当に教育効果がある場合もあるからです。形成外科においては、赤ん坊の手術の専門家が、女性胸郭の形成手術についても熟知している場合は、まずありません。同じく形成外科の分野といっても、使う技術や知識が、両者でまったく異なるからです。自分の専門ではない分野の患者さんも含めて一緒くたに回診を行うから、教授がトンチンカンなコメントをしたりするわけです。

 ですが、たとえば小児科の場合には、対象とする疾患がかなり絞られています。世の中には珍しい病気もあるにはありますが、小児科の場合、大部分の患者さんは、喘息とか腎臓病とか肺炎などで、だいたいのパターンは決まっています。だから教授が回診する時に、自分にとって全く専門外の患者さんを診なくてはいけない、というような状況はあまり多くありません。ですから教授としても、患者さんの状態を瞬時に把握し、適切な指示を与えることができます。こういった教授回診ならば、有意義と言えます。

 第2に、教授回診を行うことは、部門の秩序を維持する上で効果があります。企業が朝礼を行うのと同じで、部門に属する人間たちが一同に会することで連帯感が生まれます。高校の野球部などは、練習を始める前に必ずグラウンドに全員が整列し、キャプテンの号令に合わせて一礼します。これは別にグラウンドに敬意を払っているのではありませんよね。野球部の一員としての帰属意識を確認しているのです。ぼくは個人的にはこうした集団主義は好きではありません。しかし、よい医療を提供するためにチームワークは不可欠です。チームワークを涵養するための一つの手法として教授回診を利用することに対し、ぼくは意義を唱えません。

 第3に、若い医師たちに対して、ひとつのロールモデルを示す効果があることです。マスコミは大学病院の教授や准教授を、権威主義とか権力志向とか好き勝手に叩きます。ですが彼らは医学研究を行うことで日本国に貢献していることは、まぎれもない事実なのです。もしも彼らが一般の病院に勤める医師たちと同じように、ただ患者さんを診ているだけであれば、先進国として恥ずかしくないだけの医療を提供することは、とうていできないはずです。それにも拘わらず、政府は意味不明な雑用を課し、予算を低く抑え、人員を減らし、これでもか、と言わんばかりに大学病院の医師たちの処遇を悪くしています。このため大学病院は若い医師たちにとって、どんどんと人気がなくなっています。回診で先頭に立って颯爽と歩く教授の姿が、彼らにとってちょっとでもカッコよく見えるのならば、大学病院で働こうという奇特な若者も、増えるかもしれません。つまるところ教授たちはその演技力によって、政府が支払うべき助成金を補っているわけです。こう考えると、せつないですね。

 このように、教授回診にはブラス面もあるわけです。ぼく自身はかなりのひねくれ者ですが、ぼくの友人の教授連には、いい奴たちもかなりおります。そういう友人たちが教授回診のプラス面を活用して、すこやかに教授としての任務を果たしているとすれば、それに対して文句をつける権利など、ぼくにはありません。

 仮にぼくが「教授回診など止めてしまえ」という暴論を吐いてしまうとします。こういう暴論は若い医師やマスコミにとっては、飛びつきやすいものです。トランプ大統領が妙な人気があるのと、似た現象です。だから「教授回診不要論」などが独り歩きしてしまうかもしれません。そうすると、教授をしている友人たちに迷惑がかかってしまうでしょう。それはよろしくない。いくら無遠慮なぼくでも、それくらいの配慮は持っているのであります。今回の話を「教授回診は必要か?」などと言った大上段の問いで始めずに、もじもじと「あの行列」などと婉曲的な表現から入って行ったのは、それが理由です。要するにぼくは「教授回診など止めてしまえ」とまで言う気は、さらさらありません。自分はやっておりませんが。

 それでは、話の落としどころは、どこへ持ってゆけばよいのでしょうか?今回の話では、教授回診のネガティブな側面についてはじめに書きましたが、だんだんポジティブな側面に移ってゆきました。論理展開が180度転換したので、話がぼやけてしまっています。このままでは歯切れが悪くて、ブログを終えることができません。いったい、教授回診というものについて、どのように話をまとめ上げたらよいのでしょうか?ぼくは3日くらい、悩みに悩みました。

 そして気が付きました。「教授回診というものの是非」を論じれば、結論は出ません。先ほど書いたように、それが意味のない場合もあるし、有意義な場合もあるからです。だから「教授回診の是非」を論じることをやめて、「教授回診という制度をどう発展させるか」に思考の舵をとるべきなのです。

 すると天啓のように、名案が浮かびました。

教授回診をやるなら、参勤交代もやったらええんとちゃう?(なぜか関西弁)

 教授回診が他の国でも存在するかどうか、ぼくは外国人の友人たちに訊いてみました。かれらの国籍は、アメリカ・中国・ドイツ・ベトナム・タイ・アゼルバイジャン・ロシア・アイルランドです。これらの国々で、教授回診という制度がある国は、ひとつもありませんでした。おそらく教授回診なるものが存在するのは、世界でも日本だけなのでしょう。

 日本人のDNAにマッチするからこそ、この制度は生きながらえているに違いありません。教授回診はよく、江戸時代の「大名行列」と揶揄されます。「大名行列」がわれわれ日本人のDNAにマッチしたとすれば、「参勤交代」だってマッチするのではないでしょうか。そもそも「大名行列」の本来の目的は参勤交代にあったはずです。大名行列と参勤交代をセットにする、すごく良いアイディアではありませんか!

 具体的にどうするか。

まず、東京の大学と地方の大学をグルーピングします。たとえば慶〇大学は東北にある秋△大学と、東京〇子医大は四国にある高〇大学と、ペアを組みます。そして1年おきに(2年でもいいですけど)ホームグラウンドを交換します。たとえば2024年は慶〇大学のチームは秋〇大学病院で診療を行い、秋△大学のチームは慶〇大学病院で治療を行います。2025年は逆にします。

 「地方と東京の等価交換は、東京の大学にとって不利だ」と思う人も多いかもしれません。明治期に日本が中央集権国家に変遷して以来、地方はなぜか忌み嫌われているからです。ですが医師の世界に関して言えば、地方に暮らすメリットは、実はかなり大きいのです。

 まず地方では給与が高い。大都市に住みたい医師が多いので、雇用側としては給与の水準を下げています。したがって東京の医師の給与水準は、かなり低いものになっています。反対に地方では医師が不足しているので、給与を高くしないと雇用ができません。このため給与水準が高くなっています。四国など、東京より2割か3割ほど、俸給が高くなっています。

 また、医師として腕を振るう、もしくは磨くチャンスは、実は地方の大学の方が、都市部の大学よりも実は多いのです。こういうと「大都市の方が人口は多いのだから、患者の数も多いだろう」という反論があると思います。しかし大都市部の医者の数は、人口の割合以上に多いのです。だから一人当たりの医師が治療する患者さんの数は、地方の大学病院の方が多いが現実です。これは都心部の大学病院と、四国の大学病院の双方で10年以上勤務したぼくが言うのだから、間違いはありません。

 ぼくは一度、自分が年間に執刀する手術の件数を数えたことがあります。東京の新宿区の大学病院に勤務していた時より、四国に来てからの方が1.6倍に増えました。

 仕事面の条件が良いだけでなく、地方暮らしは、精神的なゆとりの面でも利点があります。これについては多くの本で書かれているのでここでは詳しく触れません。ただ、都会の高校から都会の大学に進み、旅行以外では都会をでたことのない人たちが「東京が一番」などと言っているのを聞くと、それは「食わず嫌い」ですよ、と言ってあげたくなります。「参勤交代」で一度、地方暮らしを味わってみれば、地方の暮らしも捨てたものではない、ということに気が付くのではないでしょうか。そうすると、彼らの人生も豊かになると思うのですが。

 「参勤交代には莫大な費用がかかるだろ!」というお叱りを受けるかもしれません。江戸時代の参勤交代は徒歩で移動したから、それは時間も費用もかかったでしょう。でも今は新幹線も飛行機もありますから、昔ほどは宿泊費も日数もかからないはずです。3日もあれば十分ではないでしょうか。

 クロネコヤマトの引っ越し便を頼めば、ちょっとは費用がかかるかもしれません。ですがそれぐらいは、自分で出しなさいよ!集団で移動するのですから、クロネコヤマトも、駕籠(=医師たちの車)の移動や「つづら(=本や手術道具などの入った箱)」の配送なんかをひっくるめた、「参勤交代パック」をつくって、値段をお得に設定してください。

 このように、(少しだけ強引に)「教授回診=大名行列」と「参勤交代」のマリアージュを提唱したところで、今回のブログもめでたく締めくくらせていただきます。

 「参勤交代を強要されるほうが、教授回診を否定されるより、はるかに迷惑だ!」といわれる方もおいでかもしれません。たしかにそうかもですね、アハハ。