地方の「ベスト・キッド」たち

地方で研修

 はじめて封切されたのは40年ほど前にもなろうかと思うのだが、“ベスト・キッド”という映画があった。いじめられっ子の少年が、空手の修行を通じてたくましくなり、ついにはいじめっ子をやっつける話だ。勧善懲悪とスポ根のミックスしたストーリーで、しかもハッピーエンドである。非常にわかりやすくて、すっきりする。アメリカ映画の典型である。

 いじめられっ子の少年に空手を教えたのは、ミヤギという日系の老人である。ミヤギは沖縄出身で、空手の達人だ。彼は雑用を通じて、単調な反復動作を少年に叩き込む。たとえば壁塗りを少年に強要する。何万回と刷毛を動かすうちに、少年の手首はいつの間にか鍛えられる。練習の意味について疑いながらも、少年はミヤギの言うことを着実にこなしつつ、強くなってゆく。

 映画のクライマックスは、いじめっ子との試合だ。主人公は最初、押され気味であった。しかし、ミヤギの指導によりいつの間にか身についた手足の動きを使って、いじめっ子をノックアウトする。ラストシーンはミヤギのにんまりとした笑顔だ。

 最近、しみじみミヤギの気持ちがよくわかる。

 ぼくは香川県にある国立大学で、若い医師たちを教育している。手取り足取り教える、ということはしていない。いろいろやって見せるから、いいところは見て学びなさいよ、というスタンスをとっている。

 ただやはり若い人は伸びてゆくものだ。みんな手術が着実にうまくなってきているし、患者さんへの対応など、社会で生きてゆくスキルも少しずつ身についている。

 教育とは互恵的なものなのであろうか。彼らの姿を見て、ぼくのほうが新たな真実に気が付かされることも、しばしばある。

 最近とみに感じるのは、地方に生まれ育った人間は、独特の力をもっているということだ。「愚直の力」とでも表現すればよいのであろうか。こういうタイプの力があることは、東京で暮らしているころには、気が付かなかった。

 ぼくは9年前に香川に赴任してきたのだが、その前には東京の大学病院で働いていた。その大学病院は、東京でもかなりの中心地にある。ものの10分も電車に乗れば新宿に着くし、六本木には歩いて行ける。全国に大学病院はあまたあるが、遊ぶ環境としては3指に入る。

 そういう華やかな環境の中で、若い医師たちは、仕事を終えたらよく集まって飲みに行っていた。手術が終わって1時間もすれば、当番だけ残してだれもいなくなる。いわゆる「オン・オフがはっきりしている」生活を送っているのである。「働き方改革」を推奨する役人が、泣いて喜ぶライフスタイルだ。

 ところが香川の大学病院では、状況がだいぶ違う。

 ぼくは手術をやり終わっても、職場に残って夜中まで仕事を続けることがよくある。その日の手術を反省して、新しい方法を考えるのである。「ここはこうすればよかった」、「いやいやこうすればさらによくなるだろう」などと、図など描きながら考えているうちに、それに没頭してしまうのである。それでつい、時間が過ぎてしまう。

 けれど若者たちには、仕事が終わったらさっさと帰って、飲みに行くなりデートするなり、自由な時間を楽しみなさいよ、と言っている。こういうと、あたかもぼくが人格者のように聞こえるかもしれない。しかし、決してそういうわけではない。自分だって若いころは、仕事が終わるとソッコーで大久保のチャイナタウンや、六本木に繰り出していたからだ。だけど今は、仕事をしていることが純粋に面白い。ただそれだけだ。

 まあ理由はどうあれ「早く帰りなさい」と、若い医者たちにはいつも言っている。

 ところが、はやく帰れといくら言っても、香川の若者たちはよく夜遅くまで残っているのである。「何をやっているの」と訊くと、「患者さんが心配なので残っています」とか、「さっきの手術の写真を整理しています」とか答える。

 こういう真面目さをもった若者は、東京の大学病院にいたときにはあまり目にしなかった。長い手術があっても、担当でない人たちはさっさと帰ってしまっていたし、自分の仕事でないことには手を出さない。つまり「要領がいい」のだ。地方の若者たちには、こういう要領の良さがない

 香川に来たばかりのころには、ぼくにはそこが大変もどかしく思われた。たとえば学会の準備などを東京の若者にさせると、ぱっぱっとパワポでまとめあげる。そして物怖じせずに、大勢の前で発表する。ところが香川の若い医師に同じことをやらせると、準備に倍の時間がかかる。ひとつひとつ理解しないと、次のステップに進まないからだ。

 一緒に手術をやると、両者の気質の違いが肌でわかる。大学病院では規模の大きな手術が多い。5-6時間の手術はザラで、長い手術になると12時間以上かかることもある。

 こういう大きな手術となると、すべての手順を一人でやるわけにはいかない。ぼくは、血管を縫ったり骨を切ったりという、核心となる操作については、責任をもって自分で行っている。だが皮膚を縫うなど簡単な操作に関しては、若手に任せることが多い。もっとも、きちんとできているか否かには、しっかり目を光らせているが。

 東京にいたころに若い医者にこういう「下請け」の仕事をやらせると、なるべく早くすませようとする傾向があった。よく言えば効率的、悪く言えば手っ取り早くやるわけだ。ぼくも、そのころはそれが当然と思っていた。それゆえ、なぜ「効率的」に作業を行うのか尋ねたことはない。

 おそらく二つの理由があるのであろう。

 一つ目は、なるべく早くすませて帰りたいことだ。娯楽へのアクセスが良いので、スイッチをはやく「オフ」に切り替えて、遊びに行きたかったのであろう。

 二つ目は、核心部分をじっくりと見学したかったのであろう。簡単な操作とはいっても、よそ見をしながらやるとミスが出る。したがって、それを行っている間は、ぼくが行っている操作を見学することはできない。そうするといつまでたってもその手術ができるようにはならない。だから早めにデューティをこなしてしまって、あとはお手本をよく見よう、そう思っていたのであろう。

 二つの理由の性質は、かなり異なる。しかしいずれも、「要領の良さ」という点においては共通している。もちろん例外はあるけれど、おおざっぱにいって都会の若者たちにはこうした傾向が強い。

 これに対して、地方の若者たちはどうか。

 与えた仕事を、じつに真面目にやるのである。たとえば舌がんの手術では、大腿部の筋肉を移植して、失われた舌を作り直す。口の中と、大腿部が手術の対象になるのだが、手術の核心は口の中の操作であることは容易に想像がつくと思う。大腿部については、移植する筋肉を採取してしまえば、あとは単純に縫い合わせるだけだ。こういう簡単な作業は、初歩の修行として若者たちに割り当てられる。

 先ほど述べたように東京の若者たちは要領がよい。それで、大腿部の皮膚を縫うのはパパっと済ませてしまって、あとは術者の操作を見学するなり、休憩するなりする。

 ところが地方の若者たちは2時間も3時間もかけて、丁寧に、丁寧に縫うのである。むしろ術者であるぼくのほうが、「お前らなあ。丁寧に仕事やるのはいいけど、こっちもちゃんと見とけよ」と、注意する始末なのである。

 都会の若者と、地方の若者で、なぜこうした気質の違いが出るのであろうか。

 理由はいろいろあるのであろうが、受験環境の相違がひとつの大きな原因だと思う。東京では良い塾が多い。そういう塾では受験問題を分析して「ここが出る」と教える。そして受験生たちは、重要な点を集中的に学習する。ところが地方では良い塾は少ない。だから問題集を買ってきて1ページ目から解いてゆくような、地味な学習をするほかはない。

 勉強への取り組み方が異なるので、頭の使い方もだんだんと異なってくる。東京の受験生は「どこが重要か」を選別することにまず関心が向かうが、地方の受験生は目の前の問題をまず解くことに集中する。

 このメンタリティの相違は、「銀行員」と「農民もしくは職人」の違いにたとえるとわかりやすいのではないか。農場なり工場をつくる場合、銀行員ならばプロジェクト全体を、まず俯瞰するであろう。その上で各プロセスにかかる費用を計算し、資金の点から計画を練るはずだ。

 ところが農民もしくは職人はそう考えない。その土地が野菜の栽培に向いているかをまず考える。あるいは工場に隣接する河川の水量は、タービンを冷却するために十分か否かを、まず考える。

 ぼくは地方で9年近く暮らすうちに、こういう「農民・職人的」な態度の大切さが、だんだんとわかってきた。

 手術はいつも計画通りにゆくとは限らない。東京の大学病院にいた際には、こういう場合、「焦り」や「いらつき」が生じる傾向があった。なぜなら東京では「こうなるはずだ」という型があって、それから逸脱するのを極端に嫌う空気があるからである。

 駅のアナウンスを聞いてみるとよくわかる。山手線が1分遅れると、「ご迷惑をおかけして、まことにすみません」と放送が入る。

 ところが、地方ではあまりこういう雰囲気はない。ちょっとくらい計画どおりにいかなくても、「まあそういうことも、あるんでないかい?」と、おおらかに受け止められる。たとえば岡山駅から高松に向かう急行は、乗り継ぎが悪いと5分でも10分でも発車しない。

 そういう雰囲気のなかで手術をしていると、問題に対する対処の仕方が、知らない間に変わってくる。「どう計画を修正しよう」と焦るのではなく、手を動かしているうちに、自然と解決策を思いつく、という感じになってくるのだ。頭で考えるのでなく、体で考えるようになるのだ

 禅宗には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。言語化できない感覚こそが、大切ということだろう。そういうセンスが、手術を繰り返しているうちに身についてくる。つまりだまって黙々と手を動かす、ということで「動く座禅」を繰り返しているのだ。こういう動作、あるいは生活態度をずっと続けていると、突然、新しい手術の方法を思いついたり、難局の突破口が見えたりする。何十年間も外科医としてキャリアを積んできて、ひとかどの手術技術をもっている人にならば、この感覚はわかってもらえると思う。

 また実際に、ぼくが「この人は手術が上手だな」と思う人は、地方で仕事をしている場合が多い。もちろん東京や大阪の外科医の中にも、手術が上手な人間はたくさんいる。だが彼らとて、高校まではずっと地方にいたとか、若い時に長らく田舎で仕事をしていたとか、どこかの段階で、かならず地方での生活を体験している。

 つまり地方で外科の修行をしている若者は、自分で気が付かないうちに、東京では学びえないものを身に着けているのだ。

 ぼくの勤めている大学の学生は、半分くらいが東京や大阪・名古屋の進学校の出身だ。残りの半分が四国や、山陽地方に生まれ育った者たちだ。都会からきた学生たちは、卒業したら当たり前のように、きらびやかな出身地に帰ってゆく。「地元」からきた学生たちは、いかなる想いで、去り行く友たちの背中を見るのか。

 「地元」派の若い医師たちは、高校時代には、都会の国立大学に進むほど成績は良くなかったのかもしれない。卒業して何年間経っても、いまだにそのことで劣等感をもっている人間も多い。ベスト・キッドのいじめられっ子みたいなものだ。ところがまさに田舎にいるがゆえに、東京にいる同年輩が学べない能力も、学びとっているのだ。いつかは、そのことに気が付く日がくるはずだ。その時にぼくは、ベスト・キッドのジジイように、ニヤリと笑うと思う。明るくはない、陰険な笑顔で(もともとの性格でもあるが)。その日を今から、楽しみにしているのである。

 

 

 

 

 

せとうち寿司ブログ14―ギャグブログ「委員会」

 

 

 

 すし職人むけの雑誌で、「造形すし学」というのがある。「造形すし学」は、美しく寿司を握ることをテーマにしている月刊誌だ。あたしはこの雑誌で、今年(2023年)の1月から連載を始めた。このブログの読者の皆さんの中には、読んでくれている人もいると思う。

 連載の内容は、魚の「ひれ」についてである。「ひれ」の構造は非常に複雑で、理解するのはなかなかむつかしい。だから若い寿司職人たちを対象に、「『ひれ』の構造と機能」についてなるべくわかりやすく解説しているのだ。東北にある「伊達政宗すしセンター」の師匠がこの方面の達人なので、二人で相談しながら書いている。あたしの勉強にもなってありがたいことだ。

 しかし、あたしがこの連載を始めたのを見て、驚いている人達がたくさんいる。「なんでまた、急に連載を始めたの?」と、ほかの職人たちによく訊かれる。今回は、その理由について書く。

 ちょっとややこしい理由なんだが、日本の社会全体に蔓延している問題点にもちょっと関連する話なので、すし業界以外のみなさまにも、知っていただきたい。

 順を追って説明するね。

 まず、想像してみてください。もしもあなたが大学生でだね、なにかのスポーツにハマったとするよ。毎日熱心に練習するので、だんだんうまくなる。そうすると、みんなと一緒に練習して、切磋琢磨したくなるよね。

 ところがあなたの大学には、そのスポーツの部活はない。だからあなたは新しく、部活をつくろうとする。そのためには顧問が必要だ。そこで、理解のありそうな先生を捕まえて、「新しく顧問になってください」とお願いにゆく。快諾すると思いきや、その先生は「悪いけど、忙しいから」と断った。とんでもない教師だよな!学生のやる気を台無しにしている。

 あるいはあなたが、ある街の町内会長だとするよ。町内で何かイベントをやって、皆を楽しませたい。噂によると、面白い技をもっている職人が、町内に住んでいるらしい。そこであなたは、その職人に講演を頼むことにした。

 あなたは思う「面白い話を聞けば、町内の皆様もきっと喜んでくれるだろう!」

 ところが講演のリクエストを、その職人はにべもなく断った。なんと付き合いの悪いやつだ!その職人は!

 あるいはだね、あなたは、ある学校の理事で、国際交流に力を入れている。外国の学校と、積極的に付き合っていこうと思っている。そんなあなたの国際性を知ってか、タイの学校があなたにメールを送ってきた。「今後あなたの学校と、交流活動をしてゆきたい。話をしたいので、1週間ほどわれわれの学校に、おいでになりませんか?」

 あなたはもちろん、快諾する。そして考える。ほかのだれかにも協力してもらえないだろうか。そうだ、よく北京とかハルビンに、よく行っているあいつを誘おう。アジアとの交流には熱心そうではないか!そう思って、ある職員に、タイに一緒に行かない?と誘う。ところがその職員はあなたの依頼を、にべもなく断る。失礼な奴だ!

 

 こに出てくる3人の野郎どもは、どうしようもないやつらだ。そうは思わないか。1番目の奴は、学生の創造性を育もうとはしない、教員としてあるまじき姿だ。2番目の奴は、地域のコミュニティを大切にしない。自分勝手だ。3番目の奴は、国際交流への貢献をしない。利己的だ。

 実はだね、これらはみんな実際の話で、しかも同じ人間がやったのだ。そいつはもう、救いようのないほど自分勝手な野郎だよな。生きてたって仕方がない、そう思わないか?

 ところがだね。実はそいつは……あたしなんだ

 しかもだね、この1週間のうちに、これら3つのことを全部、やってしまった。

 まず、最初の話だ。あたしはすし職人を養成する学校で教員をしているんだが、学生たちはさまざまなクラブを作って、楽しんでいる。ところが、ゴルフ部はないんだ。それでゴルフの好きな学生たちが、あたしに顧問になってくれと言ってきた。しかしあたしは、「悪いけど、あたしはゴルフのことはよく知らないから」といって、顧問を断った。

 2番目の話だが、せとうち県の役人がやってきて、あたしに講演の依頼をした。寿司職人としてのあたしの経験談を、来月、県民に話してやってほしいという。あたしは、丁重にお断りした。

 3番目だ。すし学校の偉いさんが、あたしに言ってきた。「タイの学校から要請があって、今後、交流活動をやってゆきたい。タイ交流委員会をつくるから、君にも入ってもらいたい。」しかしあたしは「お客さんの予約がたくさん入っていますんで」と言って断った。

 この三つの行為から判断すればだね、あたしは、教育者としてもダメだし、地域社会にも溶け込んでないし、国際人としても自覚が足りない、ということになる。そうだろ?

 しかし、あたしにだって理由ってものがある。まずゴルフ部の顧問を断った件だ。あたしは胸鰭のあたりの調理をするのがすごく好きで、したがって得意である。そのため大阪や東京の店からも、寿司を握ってくれと、よくお呼びがかかる。それで大阪には毎月、東京には2か月に1回は、すしを握りに行っている(とくに大阪の店は、ナニワすし学校ならびに甲子園すし学校を卒業した職人たちがいろいろ手伝ってくださり、非常にありがたい。)

 あたしの住んでいる、せとうち県から大阪までは2時間半、東京までは5時間半かかる。いずれも日帰りで行くのは、ちょっと厳しい。だから少なくも1泊か2泊はするのだが、平日に2・3日連続で職場を空けるのは気が引ける。それゆえ、週末に入り込む形で出張をする。つまり土日を、仕事に使っているわけだ。

 もしもあたしがゴルフ部の顧問を引き受けたとするよ。学生たちはおそらく、週末にほかの学校と試合をするはずだ。ゴルフはあまりケガをしないスポーツだとは思う。だけどやっぱり、遠征先で食中毒になったり、熱射病になったりするかもしれない。そういうことが起こっても、大阪や東京で仕事をしているあたしには、対応ができない。だから顧問を断った。

 次に県からの講演を断った件だ。すしを食いにくるお客さんにも、いろいろある。まず「すしが食いたくなったからとりあえず、手近なすし屋に行ってみよう」と思うお客さんがいる。こういうのが、どちらかというと普通だろう。一方で、特徴のある寿司を食いたくて、ネットで全国の職人を検索し、その職人の店にわざわざ行くお客さんもいる。あたしのお客さんは、後者がほとんどだ。わざわざ遠方からおいでになってくださる苦労を思うと、胸が熱くなるこちらとしても全力ですしを握らないといけないな、と心から思う。それがあたしの生きがいだ。つまり「近いから、あの店に行ってみるか」というお客さんは、あたしの場合には少ない。

 せとうち県は小さな県であるが、立派なすし屋は多い。すし店の競争が激しいから、役人としても、あたしの店に宣伝の機会をあげるよ、という気持ちだったのだろう。

 でもおかげさまで、遠方からおいでになるお客さんで、あたしの店の予約は、だいたい1年くらい先まで埋まっている。だから近場で宣伝をする必要性が、それほどないのだ。

 それに、あたしはかなり詳しいホームページを作成している。あたしのやっていることに興味を持ってくださる方がいれば、少し検索すれば必ずヒットするはずだ。ネット上に動画も配信しているから、わざわざ会場を準備してくれなくたって、用は足りているはずだ。こういう理由で、役人の誘いを断った。

 最後に、タイ交流委員会の件だ。言っとくが、あたしはタイ料理は好きだよ。パクチーとタイカレーなんか、大好きだ。タイは「微笑みの国」というから、いつかは行ってみたいとは思うよ。

 しかしだね、あたしは中国を相手に「すしツーリズム」をやろうというプロジェクトに、真剣に取り組んでいる。これだけでも結構、いそがしい。動画を創ったりして宣伝しなきゃいけないからね。いままではコロナの流行のために控えていたのだが、これからは上海とか北京に出張することが増えると思う。年に2回は行くことになるだろう。シンガポールとかアメリカでもすし学会があったりするから、それでもう、年に3・4回は海外に行かんといかん。

 これでもし、タイとの交流の仕事がさらに増えたらだね、年に5・6回、外国にゆくことになるではないか。仕事は下に任せて、自分は年に5回も6回も海外にいっている親方も、たしかにいるよ。でもあたしは自分で寿司を握っているから、そんな余裕はない。それでタイ交流員会のメンバーになるのは断ったのだ。

 要するにあたしには、「ひいきにしてくれるお客さんたちのために、きちんとした寿司を握る」という、ミッションがある。それ以外のことには、あまり時間とエネルギーを使いたくない

 でもあたしだって、専門のことだけをやっておけばいい、というほど世の中は甘くないのもわかっている。いやしくもすし学校の親方を任されている以上、「寿司を握る」だけではなくて、世の中になにかプラスアルファをもたらさなくてはいけない。そういう義務もあるのは知っている。だから各方面からの依頼を断ることに、少しは良心の呵責を感じているのだ。

 それで罪滅ぼしというか、なにか人様のお役にたてないかを考えた。たどり着いたのが「ひれの構造と機能」について、教科書を書くことだったわけ。「ひれ」の構造はかなり複雑で、あたし自身、修行時代には「ひれというものは、なんでこんなに複雑なのだろう」と、悩まされたものだ。それについていつも、うんうん言いながら考えていた。そうすると何かの拍子に、ふっと「悟る」ことがある。目の前がぱっと明るくなる感じで、いままで分からなかった問題に、急に答えが見つかるのだ。こういう積み重ねを経て、複雑である鰭の構造が、ようや理解できた。自分の発見したことを、いつか若い職人たちに伝えたいと、あたしはかねてから思っていたのだ。それで「ひれの構造と機能」について連載を始めた。あたしにとっては、この仕事は全く苦にならない、というか、かなり楽しい。もともとあたしはものを書くのが好きだし、あたしの本業である「すしを握る」ってことに直結しているからね。

 なにより、人の役に立つのは気分がいいものだ。この間、あたしの書いた記事を読んだ若い職人が「あれを読んでようやく、鰭の構造がわかりました」と言ってくれた。それを聞いてあたしは、とてもうれしかった。

 どうだね、あたしだって根っからのひねくれものというわけじゃない。世間様に対して、少しは貢献しているだろ?

 そもそも、どんな人でも「世の中のために役に立ちたい」と、多かれ少なかれ思っているんではないだろうか。だから、上の方から「君はこれをやりなさい」と強制するのはいかがなものか。なにをやって世の中に役立つかは、なるべくその人に決めさせるべきだ。あたしの場合にはそれが、若い職人たちのために教科書を書くことだった、ということだ。

 部活の顧問になって学生の面倒を見るのが好きな人もいるだろうし、旅行に行けるならどこでも行くが好きな人も、そりゃいるだろうよ。そういうボランティアをあたしは否定しないし、やってる人を見ると偉いと思うよ。でも悪いけど、あたしは興味ない。

 近年、経済的地位の凋落により、「日本社会は、じつは生産性が低い」ということがバレてきてるよね。その理由はずばり、「人の時間とエネルギーは有限」ということを前提にしていないからだとあたしは思うね。

 「何かをやろう」を誰かが思いつく。そのプロジェクトそのものはいいことだ。それに参加する人を募るのも、自然なことだ。ただそれに参加すると、それなりのエネルギーを費やす。当たり前のことだ。

 プロジェクトの作り手はさまざまだ。あたしのケースで言えば、学生たちであり、県の役所であり、すし学校の幹部たちだ。だけどそういうバラバラの組織によってつくられた、複数のプロジェクトをまとめて相手するのは、あたしという一個人であるわけだからね。「複数の組織 VS 一人の人間」の関係であることを、もうちょっと考えて、その人のキャパを越えないかどうか、を検討してほしい。

 この問題は、おそらくすし学校だけではなくて、日本の社会全体に共通しているのではないだろうか。銀行に勤めている友人が言っていたんだが、とにかく無駄な会議が多いと。たとえばある靴メーカーに対して融資が企画されるとすると、「靴ビジネスに対する勉強会」などが開かれて、その部署のものが全員参加なんだと。それで、靴の製造工程やコストの説明が延々と繰り広げられるんだと。

 融資一般に対する知識は銀行員のキャリアアップになると思う。でも靴底を作成するのに必要なコストは、その担当者だけが把握してればいいんでないかい?素直に考えるとそうなると思うのだが、プロジェクトをつくる側は、「情報を共有」とか「チームワーク」なんて錦の御旗を持ちだしてくる。そうすると参加を断るのは相当な勇気がいる。それで、ずるずると参加せざるを得ない。そして、自分にいとっては重要性の少ない(というか全く無関係な)仕事に、貴重な時間とエネルギーを費やすことになる。

 だから繰り返しになるけど、「人の時間とエネルギーは有限」ということを、社会全体であらためて認識すべきじゃないだろうか。雇われる側だけではなくて、雇う側もね。

 近年になってようやく、「このままいったら地球がやばい」ということが、みんなわかってきた。それで「エコシステム」という言葉が普及してきた。これと同じで、「このまま行ったら日本はやばい」のだから、人間のエネルギーには限界があることを、いまこそみんなで認識しようじゃないか。その上で仕事に優先順位をつけて、どうでもいい仕事はバッサリ切った方が、生産性が上がるはずだ。いい標語が必要だね。「ジョブリミット」なんかいいかもしれない。人間ができる仕事(ジョブ)には限界があるのだから、それを合理的に運用しましょう、という思想がよくわかる。つまらん雑用を押し付けられそうになると、「ちょっと、ジョブリミ的に…」なんて言えばいいんじゃないか。

 ここまで言えば、さすがにみんなわかってくれただろう?

 なに、わからない!「あんた個人の都合もあるかもしれないけど、それじゃあ組織が回らない」そういうんだね。

 あーそうかい。そこまで言うなら、あたしにも考えがある。断った三つの仕事を、みんな引き受けようじゃないか。ゴルフ部の顧問もやるし、県の講演もやるし、タイ交流委員会も引き受けようじゃないの。

 そのかわり、あたしのいうことも聞いてもらうよ

 まずゴルフ部だ。毎日、朝練をやってもらおうじゃないの。あたしは朝起きると運動するのが好きだ。お客さんの予約が多い日以外には、1時間くらいランニングをやっている。それに付き合ってもらおうではないか。あたしだって一人で走るより、みんなと一緒に走るほうが気合が入る。それに、足腰を強くすれば、ゴルフにだって役立つだろ。毎日6時半に、すし学校の正門前に集合な。言っとくけど、雨でも休まんよ。

 つづいて県による、講演要請の件だ。1回だけなんてケチなことを言わず、毎月、やってあげよう。その代わり、県民大ホールでやらせてもらうよ。せとうち県の県民ホールはかなり立派で、1000人くらいは入れるよな。松任谷由美オフコースのライブも、ここでやっていた。この会場で、胸鰭に関する講演をやってあげる。観客は30人くらいしかいないと思うのだが、仕方ないよな。だってあんたたちのリクエストなんだから。欲を言わせてもらえば、竹原ピストル泉谷しげるとの合同ライブがいいね。あたしはあいつらが好きなんでね。

 また、タイ交流委員会の件。これも引き受けて、タイとの交流をきっちりやってあげるよ。タイの学生が見学に来る際には、土日をつぶして瀬戸内の島々を案内するよ。タイにも行こうじゃないの。だけど、タイにゆく途中で、毎回、上海にもよらせてもらうよ。別々に行ったら、年に何回も職場を離れなきゃいけない、そういうわけにはいかんからね。今まで上海とかハルビンにゆくときには飛行機代は自腹で払ってたんだが、これからは委員会に払ってもらおうか。なにしろ、公の仕事なんだからね。

 こういうと「とんでもない要求ばかりしてんじゃねーよ」と思う人が多いだろうな。

 でも、組織が個人にいろいろ要求してくるわけだから、個人の側から組織に要求したっていいじゃないか。その理屈をわかってほしくてたとえ話をしただけの話で、あたしは極めて常識人なのだ(文句あるか)。そこんとこ、ヨロシク。

 何回も繰り返して悪いけど、「一人の人間ができることの量は有限であるのに、それを考えないのが、日本社会の特徴」ってことは、みんなに認識してほしいね。こういう認識を共有するだけで、日本人の働き方は、ずいぶん変わるんじゃないか。生産性を増すには、そうしないとダメだと思う。

 ここまで言ってわからないのなら、あたしも奥の手を使わせてもらうよ。個人である立場を捨てて、集団の方についてやる。あたしだって、すし学校なり、すし職人学会という「組織」の一部であるわけだからね。そういう組織の部長会なり評議員会に出て、「ギャグブログ委員会」の設立を提案する。最近、ロシアは戦争を仕掛けるし、円は下がるし、物価は上がりっぱなしで、いいニュースが少ない。こういう時勢にあってこそ、ギャグが必要だと思うのだ。それが、あたしがブログを書いてる理由のひとつだ。「ギャグで世の中を明るくする」とても正しいことではないか。だからみんなでやろうよ!毎月1回は委員会を開催して、そこで自分の書いた話を朗読しようよ!だれが反対する人がいたら、挙手をお願いしまーす。いねーよな、そんな不届きな野郎は!

 もっとやってやろうか。「タイ交流委員会」があるのだったら、「ウガンダ交流委員会」があったって悪くないよな。タイもウガンダも、日本にとって大切な外国なことに変わりはないんだからね。タイ委員会だけをつくるのは、民族差別だ。だから今度、県会議員に働きかけて、せとうち県-ウガンダ交流協会をつくってもらおう。

 こういう風にだね、際限なく人の負担を増やすのは、迷惑だろう?だからもうそろそろ、やめようよ。あたしだって、いい年して「ギャグブログ委員会」とか「ウガンダ交流会」なんて、アホなことを言いたくないからね。世間体が、あんまりよくない。といいつつ、けっこう楽しんでるけどさ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうでも、イーヤス

すし屋vs家康

 

 「どうする、家康」というドラマが流行っているらしい。主役である徳川家康を演じているのが有名なタレントであることもあって、このドラマはかなり人気があるそうだ。

 しかしぼくは、徳川家康が嫌いなので、このドラマは見ない。徳川というか、江戸時代が嫌いなのだ。

 江戸時代はミラクル・ピースともいわれるように、平和な時代であった。

 「またつむじ曲がりなことを言って!江戸時代こそ日本の原点だ。その時代を創った始祖を批判することは、わが国の基礎を否定するもの同じだ!」と息巻く人もいるであろう。 

 無理もない。

 でもちょっと抑えて、しばらく読み進めてほしい。家康ファンの人以外はね。

 

 最初に断っておくが、こう見えてもぼくは、愛国者なのである。愛国者といっても右翼のように、天皇を奉ったり、大和民族の誇りなどを強調したりするタイプの愛国とは違う。ああいうのは愛国「主義」者なのであって、ぼくのような「愛国者」とは異なる。

 最近、日本円が弱くなっている。ぼくは自分の資産のかなりの部分を、日本円で保有している。日本は資源のない国だから、多くの物資を輸入に頼っている。円の弱化は、物価の高騰につながる。同じ額面の資産を有していても、物価が高騰すれば、資産の価値は相対的に下落する。そうすると、いつのまにか貧しい生活をおくることになる。それは嫌だ。

 自分だけではなく、家族や友人など、自分の周囲の人たちが貧しくなってゆくのをみるのも嫌だ。だから日本の経済が弱くなってもらっては、非常に困る。

 こういうきわめて現実的な理由から、ぼくは、いかにしたら日本という国の国力を強くすることができるのか、いつも、けっこう真剣に考えているのだ。

 政治評論家などは、テレビ番組にでたりして、少子化を解決すれば経済は発展するとか、いや税制の改革が必要だとか、勝手なことをほざく。

 しかし、彼ら自身が何かをしているわけではない。自分が何もせずに、ああだこうだと騒ぐのは、ぼくにはカッコ悪く見える。

 こういうと「ではあんたは何をやっているんだ」と、人は問うであろう。

 ぼくは形成外科医である。世間様に対して売り物になるのは、形成外科の知識と技術以外には、なにもない。したがって形成外科の技術をもって、わが国に貢献するしかない。ぼくの患者さんは、いまのところ大半が日本国民だ。国民をしっかり治療することで、日本という国にそれなりに貢献はしていると思う。

 しかし国内の人だけを治療していては、日本の経済力を強くする役には立たない。だから外国の方々に日本に来ていただいて、治療を提供する体制を創ろうと思っている。そのために日々、努力をしている。

 志を実現するためには、具体的な計画を立てなくてはいけない。具体的に、どの国の方々においでになっていただくか、からスタートするべきだ。

 この点、やはりナンバーワンの商売相手は中国であろう。人口は日本の10倍以上であるし、地理的にも近い。

 こういうわけでぼくは、中国大陸の動向には、常にアンテナを張っている。そんな中で常々思うのは、中国の人たちは、実に創意工夫に富んだ発想をすることだ。

 たとえば、ある北京のレストランは、味が良くて値段が安いので、いつもお客であふれている。予約をして行っても、30分くらいは待たされる。お客としては、この30分がなかなか辛い。そこで店側としては、あるサービスを提供し始めた。

 なんのサービスか。

 なんと、ネイルアートをするのである。レストランで

 たしかに良いアイディアである。客としては時間が有効に活用できる。ネイルアートの美容師にしても、単独で商売するより、料理と抱き合わせた方が、集客の効率が良い。男性客などはさすがにネイルアートなどしないだろうが、人がやっているのを見るのも面白い。皆がwin-winのやり方なのだが、日本人にはこういうやり方は、なかなかできない。食事は食事、美容は美容と分けて考えるのが普通だ。考え方が硬い。

 一方、中国人は「なんでもやってみよう」的な精神にあふれている。失敗したら止めればよいという、合理的な楽天性に支えられているのだ。

 中国人は商売だけではなくて、死生観にもこうした楽天性があるように思える。

 今はもちろん廃止されているが、20世紀の初めくらいまでは、罪人を処刑する前に、街を引き回す習慣が、中国にはあった。罪人は後ろ手に縛られて、馬もしくは車に乗せられる。刑場に向かう短い時間に罪人は、ある行為を行うことを群衆に期待される。

 なんの行為か。

 なんと、俳優になり切って、京劇の名セリフを大声で唄うのである。

 たとえば謀反をして捕まった場合には、「民草は飢えているのに、役人は食い放題。懲らしめようと暴れたが、天に時無し。あいにく捕まってこの有り様。めげずに生まれ変わって、再び天下の大盗賊とならん」こんなセリフを、引き回しの車の上、もしくは馬の上で歌うのである。観衆たちはこうしたセリフを聴いて、「好(ハオ)、好(ハオ)」と喝采をする。

 ぼくはこの、やけっぱちというか、開き直りの精神が、大変に気に入っている。どうせ数十分後に殺されるのであるならば、最後くらいは自分の好きなことをやりたい。

 かといって、何を食いたいとか、どこへ行きたいとか言ってみても、かなえられるものではない。それならばせめて、好きな歌を歌ってやろう。おれの境遇にあった歌を歌って、おれが生きてきた証拠を、観衆の心に刻み付けてやる

 非常に合理的な考え方ではないか!

 ぼくは「意地」は、人間にとって、とても大切なものだと思っている

 どんな人間でも、自分なりの価値観を持っている。

 たとえそれが時流に合わなかったとしても、そして死刑になるほど権力者には忌まれるものであったとしても、それを貫く姿勢は美しいと思う(ただ、凶悪犯罪で死刑になる奴はダメだよ。政治犯の話だよ)。

 わが国にも江戸時代くらいまでは、「引き回し」の習慣があったらしい。

 今はもちろん、そんな習慣はなくなってしまっている。しかし世の中、何が起こるかわからない。「引き回し」制度が復活する可能性だって、ゼロというわけではない。

 さらに、こんなアホなブログなんか書いているぼくは、政治犯として極刑に処せられるかもしれない。

 ここだけの話、ぼくはなんの歌を歌うか、ひそかに決めているのである。そういう場合に備えて。

 あまつさえ、堂々と歌うことができるように、ときどき練習をしているのである。ただ、その歌がなんであるかは、今は言えない。

 要するにそれぐらい、”ひきまわしsinging”における開き直り精神が、気に入っているのである(ここらへんの論理構成、しっかりしてるな)。

 ところが日本においては、処刑の前に歌を歌うなどということは、聞いたことがない。農民などが一揆をおこして、鎮圧されるシーンなどは、ときどき日本映画にも出てくる。首謀者は馬に乗せられて、引き回される。「お上と世間様に、申し訳ないことをした」的な表情をして、うつむいて黙って馬の背に揺られてゆくのが、ありふれたスタイルである。

 このときに死刑囚が芝居を演じた話など、聞いたことがない。家族や友人が首謀者に近寄ったときに、「皆によろしくな」くらいのことを言うのが関の山である。そして近寄った人は、役人に蹴散らされる。こういうのが日本人的な美学なのであろう。だまって耐えるのが「潔くて良い」わけですね。

 ところがぼくは、「ちょっと情けないんでないかい」と思うのである(なぜか北海道弁)。 

 そもそも一揆をおこしたことには、それなりの理由があったはずである。

「藩の財政運営が下手で、年貢という形で農民にしわ寄せをした」とか、「災害対策を怠ったために凶作になった」とか、要するに上のやり方に憤りを感じたから、一揆をおこしたわけでしょ?

 だったら最後までそれを主張すべきとちがうか?どうせ処刑されるんだし

 一揆がうまくいかなかったことと、その正当性には、直接の関係性はない。たとえ失敗したって、立ち上がったことには何らかの「理」があったはずだ。結果が失敗に終わったって、その「理」まで引っ込める必要はない。堂々と押し通せばよいではないか。それこそ、人間の意地というものではないか。

 そう思っているので、「負けたら謝る」というメンタリティが嫌いだ。でも悲しいかな、今の日本には、このメンタリティが蔓延しているように思える。 

 たとえば、米国との関係だ。第2次大戦でコテンパンに負けたことは仕方がないと思う。国力に差があり過ぎた。また戦後、米国の同盟国になったことも、戦略的には正しかったと思う。

 ただ、多くの日本人の米国に対する態度を見ていると、どうも必要以上にへりくだっているように、ぼくには見えるのである。外国と付き合うにあたり、礼儀は確かに必要だ。でも、こちら側の態度とあちら側の態度に、温度差を感じる場合が多々ある。

 ぼくの身近な例について、述べさせていただく。

 たとえば米国の医学会と、日本の医学会では「協定」というものが結ばれている。交流の機会を増やして、相互の治療水準を上げてゆこうというのがその趣旨である。この趣旨そのものは、とてもいいことだ。ぼくとしてもなんら異存はない。

 ところが取り決めの詳細を詰めてゆく中で、日本側はいつも、だんだんと負けてくるのである

 手術のやり方について情報交換をするはずであったのが、いつの間にか、アメリカで開発された手術機械を、日本でも使う約束をさせられたりしている。または、一緒に研究をやりたいからぜひアメリカに来なさいなどと言われて、若い医者が何年も、ただ働きをさせられたりしている。あるいは、アメリカの医学界にもっと参加しなさいと言われて、20万も30万もする参加費を払わされているのである(本当に、アメリカの学会の参加費はバカ高い)。

 実質的にはかなりの損をしているのに、国際交流ができたと無邪気に喜んでいる。あまりに人が良い。こういうところが、ぼくとしては歯がゆいのである。

 「日本の医者にも米国で診療をさせんかい!」とか「円安だから、アメリカで生産している薬は日本人にとっては高すぎる。値引きせんかい!」とか、もっともっと要求すればよいのである。

 でもいざとなると、腰が引けてしまってこれができない。情けないことだ。

 しかし、である。日本人の本当の姿は、こんなに情けなくはないはずなのである。

 というより日本人という民族は、本来はかなりしたたかな民族なのではないか、とぼくは思っているのである。それが今回のブログで言いたいことだ。

 今の日本人は江戸時代を、日本社会のデフォルトとみているのではないだろうか

 たしかに江戸時代には、武士は規則に縛られた官僚社会の中に生き、百姓は重税に苦しむ弱い存在であり、商人の社会は世襲制で硬直していた。江戸時代だけをみると、たしかに日本人は活力を欠いた民族に思える。

 ところが江戸時代というのは、日本人が「例外的に」おとなしかった時代ではないか、という気がするのですね。ぼくには。

 中世以前の日本人は、実にたくましい生き方をしている

 たとえば日本の社会は、上下関係を重視した、秩序ある社会と、思われている。「主君のため」という江戸時代の価値観が、その根底にある。

 しかし中世以前には、家臣が主君を打倒する「下剋上」が、ごく普通に行われていた。

 農民にしても、中世の農民は、江戸時代における弱い立場を微塵も感じさせない。領主から無理な年貢を要求されると、鍬を刀に持ち替えて、あっという間に一揆をおこす。戦争でもあれば徒党を組んで、兵隊として参戦する。

 今の日本人は、国際的には弱腰である。

 ところが13世紀から16世紀ごろには、九州の漁民など朝鮮半島や大陸に乗り出していって、かなり強引に商売をしていた。いわゆる「倭寇」だ。なんともたくましい生き方をしていたのである。

 とくに素晴らしいのは、合戦の際の作戦の立て方で、きわめて創意工夫に富んでいる。たとえば太平記には、楠正成がわずか数百人の手勢で、万を超える(鎌倉)幕府軍を苦しめた話が出てくる。幕府軍が石垣を登ろうとすると、油をぶっかけて登りにくくするばかりか、火をつける。

 かくのごとく、中世における日本人は、とてもとても逞しかった。

 現代の日本人はリストラなんかされると、しゅんとしてしまう。

 だが中世の日本人だったら、自分をリストラした会社の前に行って、会社の無理を言い立てるであろう。

 現代社会は中世の社会と違って、そう簡単に戦争など起こすわけには行かない。

 だが日本人が中世のメンタリティをもっているのならば、少なくとも、例えば米国となにか取り決めをする際に、原爆を落としたことに対する非難を、ごねごねいうことであろう。原爆こそ戦争犯罪だと、ぼくは信じている。

 「ゴネる」というのは、外交の基本なのではないだろうか。

 フランスなど大したものだ。

 第2次大戦中の、フランスの政権(ペタン政権)は、実は親ナチスの立場をとっていた。つまりフランスは日本やイタリアと同じ枢軸国で、本来ならば敗戦国なのである。

 しかし大戦が終わってドイツが敗けると、「あの政権はわれわれの意図したものではない」とゴネた。そして「イギリスに亡命していたドゴール政権こそが、われわれの本当の政権なのだ」という強引な理屈をつけて、いつの間にか「戦勝国」になってしまった。そのしたたかさは、大したものである。日本も見習うべきだ。

 でも先ほど書いたように、中世の日本人は、まことに逞しかった。

 フランスと同じくらい、ゴネるのもうまかったに違いない。

 日本人は江戸時代に無理やり抑え込まれてしまったのではないか。

 それが300年というあまりに長い期間続いたので、日本人自身が、われわれはおとなしい、草食系の民族と誤認している気がする。

 ちなみに、中世以前の日本人の元気さは、大阪や九州あたりには残っているように思える。

 ぼくは大阪や九州の人たちとは、非常に相性がいい。

 ひとつの理由は、彼らが関東の人間にはない活力を持っていることだと思う。もともとこれらの地域は、「アンチ江戸」でやってきたので、中世の元気さが残っているのではないか。こういう人たちもいるので、ぼくは日本人の将来を悲観はしていないのである。いずれ日本人は、本来の元気さを取り戻すはずだ。

 なにしろ、江戸時代が終わってから、まだ150年しか経っていないのである。

 300年かけて飼いならされた性根が抜けるまでには、同じ期間が必要なのではないか。ただそれだけのことである。

 人間と同じで、国にも「成熟」というものがあるはずだ。

 日本が外国にズダボロに敗けたのは、第2次大戦が、歴史上で初めてのことだ。

 それで「しゅん」してはいけない。

 ドイツがこれほど早く復興したのは、昔からしょっちゅう敗けていたからだと思う。

 負け慣れしているので、敗けても、また次に勝てばいいという逞しさがあるのではないか。

 日本人だってもう150年くらい経てば、第2次大戦で負けたことも、今まさに経済戦争で負けていることも、いい教訓として、逞しくなってゆくに違いない、とぼくは思っている。

 だって、中世の日本人は実に逞しかったのだから。

 こう考えているので、江戸時代という時代が、ぼくは嫌いなのである。

 それで、「どうする、家康」なんていうドラマのタイトルを見ると、「どーでも、イーヤス」なんてオヤジギャグを言って、せせら笑うのである。

 家康ファンは読まないでね、と言っても、もう遅いか(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せとうち寿司親方ブログ13-「マウント」について

この人にはちょっと無理だろうなー。

 ここ数年だと思うのだが、「マウント」という言葉が流行っているね。「マウント」というのは、人前で自慢をして、自分の優位性をひけらかすことだよね。

 たとえば車の話が出ると「いやー、ぼくはフェラーリに乗っていてね」とか「最近、俺のマジェスタ、調子が悪くってね」とか、自慢する奴がいる。

「いい車をもっている」という点において、マウントをとっているわけだ。

 旅行についても、さりげなく自慢する奴がよくいるね。たとえばヨーロッパの話なんかが出たりすると、ワタクシはパリによく行って、どこそこのホテルに泊まる、そのホテルのレストランでは鴨肉の料理が美味しくて、なんて話を長々とする奴だ。こういうのは旅行マウント、もしくはスノッブマウントとでも言うのかな。

 こういう「何について自分は優れている」という、「自慢しているポイント」が特定できるのは、わりと素直なマウントだね。「マウントの初級者」とでもいうんだろうか

 マウントも「応用編」になると、自慢のポイントを言葉で明示しない。たとえば会社の記念式で、社長だの会長だので、長々と話をする奴がいるじゃないか。早く終われよと、そいつ以外の全員が思っているんだが、嬉々として20分も30分も話をする奴らだな。こういう奴らの話の中には、たしかに自慢の部分は多い。ただし長時間、自慢だけをし続けることはけっこう難しい。だれだってそれほど多く、自慢ができるネタを持ってるわけではないからね。でもやっぱり、聴いている方としては「マウント」されているように感じる。

 話の内容が自慢だけというわけではないのに、なぜ「マウント」に感じるのだろうか?あたしが思うに、彼らが伝えようとしているのは、実は話の内容そのものではない。それよりも「俺は、お前らを話に長時間つき合わせておくだけの、権力を持っているんだよ」というメッセージを、より強く訴えたいんだ。

 つまり、自分の強い立場について、マウントしているわけ。

 「他人の時間を支配できること」について、直接的な言葉ではなくて、態度で誇示している。だからそういう奴の話には「あー」とか「えー」とかいうムダな間投詞が多い。これらの間投詞には意味はない。だが、話を引き延ばす効果はある。それゆえ、「できるだけ聴衆を引き留めておく」という、話し手の真の目的には、非常になじむ。こういうのは、言ってみれば中級編のマウントだろうね。

 

 かと思うと、柔道で言うと「巴投げ」みたいな高度なテクニックを使ってマウントする奴もいる

 たとえばドラマなんかで、主婦が集まってだべったりするシーンがよく出てくる。メンバーの一人の子供がいい大学にいったり、旦那が出世したりすると、「お宅のお子さんは地頭がいいから」とか「夢は社長夫人ね」なんて、さりげなく嫌味をいう奴らがいるよね。望んでもいない人に「マウント」を強要しているわけだ。

 こういう奴らの本当の目的はもちろん、他人を褒め上げていい気持ちにさせることではない。

 その証拠に、「うちの子はいくら言ってもゲームばっかりやってて」とか「うちの宿六は酒ばっかり飲んで」みたいな、自分に関する内容に、必ず話を持ってゆく。他人を持ち上げると見せかけて、自分への同情を買っているわけだ。こういうのは「逆マウント」ともいうべきなんだろうが、マウントの上級編だね。

 こんなふうに、「マウント」のいろんなテクニックを分類してみたら、けっこう笑えるだろ?

 マウントすることを芸風にしている芸人がいるよね。デ〇夫人とか、マ〇コ・デラックスとか、神〇うの何かもそうじゃないか?彼女らのスタンスは「自分は特別」という視点から、他人の行動を論評することだよな。いわゆる「上から目線」が芸風だ。

 マウント芸人はみんな女、もしくは女を装った男だよな(ひと昔前ならば「おカ〇」と言えたのだが、今そういうとちょっとまずいね)。

 男の社会にはもともとマウントがあふれているから、男がマウントをしてもシャレにならないからだろうね。ただ例外的に、男でもためらわずにマウントする奴はいる。たとえば麻〇太郎だ。あれはもう根っからのアホだから、相手にしたって仕方がない。自分が笑われていることにすら、気が付いていなんじゃないか。

 ところで、マウントは「悪」なんだろうか?

 さんざんマウントについてギャグをならべておきながら、いまさら言うのもなんだが、あたしは必ずしも「マウント」は悪だとは思っていない。それは以下のように考えるからだ。

 まず「人々がまったくマウントをしない社会」が仮にあるとしてだね、それがどういうものかを想像してみようじゃないか。

 「マウント」とは自分の欲望の達成について、他人に顕示する行為だよね。すなわち「マウント」と「欲望」には、密接な関係がある

 あたしはすし職人だから、経済のことはよく解らない。だけど、「景気」と「欲望」は、切っても切れない関係にあることは、なんとなく肌でわかる。

「別に趣味はありません。週末には家族と近くの公園に行って、うちで作ってきたおにぎりを食べるのが楽しみです」なんて奴ばっかりなら、経済活動は活発にならない。

 みんながみんな、「私は地味にいきているんでございます。人に自慢なんてとんでもない」なんて、昔話に出てくる正直者のおじいさんみたいな生き方をすると、やっぱり世の中は発展しないんじゃないか。

 ついこの間、悪友と飲んだのだが、「夏休みをどう過ごしたか」という話になった。

 「おれはこの間、マジェスタに乗って温泉行った。高級オーベルジュだから、大人は一人15万とられたぜ。家族4人で45万だったぜ」なんて、マウントされちまった。

 だけど、こういうアホがいるから、「この野郎」と思って人々は発奮し、一所懸命に働いたり勉強したりする。それで世の中が活性化する。つまるところ、それが「景気」なのではないだろうか?だとすると「マウント」は人々を刺激する起爆剤みたいなもので、あながち悪いものとは言えないんじゃないか。

 でも、だからと言って野放図なマウントを許していいとも思えない。マウントするやつは気持ちいいかもしれないが、される方はあんまり愉快ではないからね。

 だから「これを守るなら、マウントしても良い」みたいな「ルール」があればいいんじゃないだろうか

 いったいどういうルールを創ればいいんだろう?

 あたしが思うに、「それなりの代償を払うこと」だと思う。

 この関係をあからさまにシステム化した場所がある。銀座のバーだ。この間、あるすし学会の招待講演で、銀座の一流と言われるバーのママの話を聴いた。

 われわれすし職人は、客商売である。だから接客のプロから秘訣を聴いて、サービス向上に役立てなさいよ、というのが講演の主旨だった。

 あたしは熱心に、銀座のママの話を聴いた。

 その結果、銀座のバーとは、客が(ホステスに対して)マウントをする場所であり、ホステスたちの仕事の本質は、「いかに客に気持ちよくマウントさせるか」につきることが、よく解った。

 だけど彼女たちだって、望んでマウントされてるわけではない。だれがすき好んで、オッサンたちの「重役になりました」だの「年収が何千万あって」だの、自慢話を聞くもんか

 もし彼女たちがバーのホステスではなくてラーメン屋をやっているとするよ。カウンターに座ったオッサンが、ラーメン食い終わっても2時間も3時間も自慢話をしたとするね。彼女らがそいつに、頭からラーメンのスープをぶっかけたとしても、あたしが裁判官なら無罪にする

 オッサンたちは、バーに来るたびに何十万円も落とす。だからこそ、彼女たちはマウントを認めているのだ。

 つまり銀座のバーとは、客にとっては、金銭を支払ってマウントを楽しむ場所であり、ホステスにとってはマウントされる代償として金銭を受け取る場所なわけだ。マウントすることの代償=金銭 という関係が、非常にクリアカットである。

 

 さきほどデ〇夫人とか〇ツコ・デラックスとか、マウントを売りにする芸人の話が出たよね。彼女たちとて、マウントのコストを支払っている

 どういうことか。

 もともと「マウント」という言葉は、サルが仲間内の序列を明らかにするために、他のサルの背中に乗っかる行為をさしていた。つまり、「マウント」はサルの専売特許だったんだよな。

 そのサルの専売特許だった行為を、人間に対して用いるということはだね。「無駄に威張るやつは、サル並み」と間接的に言っているわけだよね。だから「おだまり!」的な、高圧的スタンスをとってはいるものの、結局、笑われているわけだよね。だって、やっている行為はサル並みなんだもの。みんな、それがおかしいから、芸人たちが出演する番組を見るんじゃないか?

 マウント芸人たちは一見、世の中であるとか、ある人を批判しているように見える。だけど聴衆が注意を払っているのは、言われている対象ではなくて、じつは言っている奴なんだよな。

 「マウントしやがって、アホだなー」と思っているわけだ。そういう風に人に嗤われることが、彼女らがマウントの代償として支払っているコストなんではないか。

 もっとも聴衆は、純粋に彼らを嗤っているわけではなくて、彼らが自分たちの思っていることを言ってくれているので、快哉している部分もあるとは思うけどね。

 それにマウント芸人たちの多くは、実は自分が嗤われていることに気が付いているんじゃないか(麻〇太郎と違って)。それを知りつつ、売りにしている可能性が高いね。ある意味で頭がいい(麻〇太郎よりはね)。

 

要するにだ。

 ①「マウント」は景気を刺激する上で役に立つ。だから完全に否定すべきではない。

 ② しかし「マウント」をする場合には、対価を支払うべきである。

これがあたしの考えである。

 「へー、マウント認めちゃうの、あんたは」と思う人もいるかもしれないね。

 でも考えてみると、人間の社会活動の多くは、マウントなんじゃないか?

  たとえば、ピアノを習っている奴なんかは、ときどき発表会にでるよね。あれは「私はこれだけ上手にピアノを弾けますよ」ということを、皆に知らしめることが目的だ。自分のピアノのスキルをみんなに自慢しているわけで、マウントじゃないか。

  展覧会に絵を出すのだって、マウントだ。だって、自分はこれだけデッサンのセンスがありますよ、と皆に言っているわけだから。結婚式なんか、「マウント」の最たるものだよな。だって、自分が配偶者を得るだけの魅力を持っていることと、家族を養うだけの経済力を持っていることを示しているわけだから。

  というと、「あんたこそマウントしてるだろ。こんなブログ書いて」という人もいるだろうね。

  そうです。まったくその通りだ

  あたしは自分の考えを、皆さんに伝えたくて駄文を書いている。たまたまうまく書けた時には、「読んでみろよ、面白いだろー」みたいな、ドヤ顔的な気持ちになることもある。そういう角度から見ると、このブログは、たしかにマウントだ。

  だからこそ、あたしは代償を払っている。

 人々は「せとうちの野郎は、またこんな話を書きやがって、アホやなー」と思っていることだろう。「つまんねーよ。こんな話」と思われる方も多かろう

 そういう風にだね、揶揄されたり嫌われたりするリスクが、このブログを書く代償だと思っている。そもそも、ものを書くってことは、そういうリスクと隣り合わせなんじゃないか。

 それにだね、こういうアホなブログだって、社会をある程度は活性化させてるんじゃないか?さっきも言ったように、休みの日には公園で弁当食うのが楽しみな人間ばかりになってしまうと、景気は良くならないだろ。それと同じで、文章書いても投稿しないと、やっぱりインスタとかフェイスブックがにぎやかにならないじゃないか。

 そういうわけで、すし職人の話もまだまだ、しつこく続いてゆきます。これからもよろしくお願いします

 と、自分に都合よくまとめたところで、今回は終了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山中の「駅前食堂」に、土佐のサムライを見た

燦然と輝く看板

 高知県が、ぼくは大好きだ。

 ラテン系というか、人間が明るくて、瞬発力がある。「ヤンキー濃度」が高い、と評されることもある。

 しかし「ヤンキー」のどこがいけないのであろうか。ぼくも高知にちょくちょく通うようになってから、親しい友人が何人かできた。もちろんみんな、今はまっとうな職業についている。しかし昔の写真などを見せてもらうと、たしかにヤンキーであった人もいる。

 彼らと一緒に酒を飲んだら、すごく楽しい。白金台や代官山あたりのスノッブよりもずっと義理堅く、思いやりもある。いろいろな話も知っている。

 だからぼくは暇を見つけては、高知に遊びにゆく。

 ぼくの住んでいる香川県から高知県へは、車で行けば2時間かかる。「車で2時間」と聞くと、都会に住んでいる人には、とても遠いように思えるかもしれない。

 しかし実際には、非常に近く感じられるのだ。ぼくの身体感覚では、池袋から横浜に電車で行くのと、同じくらいに思える。関西ならば梅田から三宮といったところか。

 高知が近く感じられる理由は、二つある。

 第1に、運転によるストレスが全くない。

 香川から高知には高速道路が通っているのであるが、この高速は絶対に渋滞しないのである。ぼくは長らく関東に住んでいた。それゆえ休日になると車で箱根や軽井沢によく遊びに行っていた。東名高速や関越に乗っていくのだが、連休ともなると必ず渋滞につかまった。それが当たり前だと思っていた。

 しかし四国では絶対に、こういう渋滞は起こらない。「渋滞のお知らせ」も出ることは出る。ただし四国においては、時速50キロで走行しなくてはいけなくなると、もはやそれが「渋滞」なのである。したがって、運転するのがきわめて快適なのである。

 第2に、景色が良い。

 四国という場所は、「山のある島」である。島であるがゆえに海が近いし、中央部の四国山脈が「島」を南北に分断している。そのため、ある程度の距離を移動するとなると、海も、山も、渓谷も、湖も、すべて車窓に入る。景色のバリエーションが富んでいるゆえ、運転していて退屈しないのである。

 四国に「お遍路」の文化があるのは、日本人ならば皆、知っているだろう。ところが、他の地方には「お遍路」はない。なぜ四国にだけ「お遍路」の文化があるのか、ぼくはときどき考える。これは先ほど述べた、景色の多様性と無関係ではないのではないか。

 もともと、歩くという行為と信仰とは相性が良い。だからこそ巡礼(pilgrimage)という概念が一般化するのだろう。わが国に宗教が発生、もしくは伝来してから、かなりの時間が経った。長い歴史の中で、真実や救いを求めて「歩く」行為をした先人たちは、数えきれないほどいたに違いない。しかし歩く文化が形をとって残ったのは、四国における「お遍路」だけである。なぜか?

 四国が、ほどよい大きさの島であったことは理由の一つであろう。「お遍路」をする人たちは、救いを求めて歩くのだ。多くの場合には社会生活が順当とは言えず、したがってあまり豊かではない。当然、栄養状態も良くない。

 ゆえに九州で「お遍路」をすれば、広いは暑いはで、行き倒れになるリスクがある。北海道など論外である。この点、四国は気候が穏やかだし、歩くのに難儀をする場所もそれほど多くない。それだから四国だけに「お遍路」文化が根差したのだろうと思う。

 行き倒れのリスクがそれほど高くないことに加え、四国の道は景色の変化が大きい。山道を歩いていたと思えば急に広い川辺が現れ、おだやかな砂浜を歩いていたと思えば、いつのまにか波の打ち寄せる岸壁になっている。こういう変化の多さが、巡礼をするにしても魅力的だったのではないだろうか。

 要するに、四国の道は変化に富む。運転していて面白いのだ。そんなわけで、ぼくは気が向けば、ぶらりと高知へ出かける。

 

 その週末もぼくは、高知に出かけて友人と酒を飲んだ。土曜の夜は、高知の市内に泊まった。日曜の午前にホテルを出た後、高松に帰るために道路を運転していた。

 この道路は国道32号線と言い、四国山地を縦断している。運転がしにくい、いわゆる「酷道」の一つではあるのだが、景色がすこぶる良い。

 渓谷に隣接しているので、山を彩る花や木々の美しさも、深山独特の幽玄さも、同時に味わえる(図1)。

図1:国道32号線の車窓より

 たまに車を停めて渓谷をのぞき込むと、水が非常に澄んでいる(図2)。アユやイワナにとっては、さぞや住み心地がよいであろう。

図2:渓谷の水が澄んでいて美しい

 心洗われるドライブの道すがら、小さな看板が、なぜかぼくの目に入った。

 その時は気にせずに運転を続けたのだが、1-2分後に、言葉にならない違和感を覚えた。なにか重大なことを見落としたときの、あの感じである。

 「なんか変なこと書いていなかったっけ?

 さきほど何気なく目に入った、あの看板が原因であると、ぼくの本能は告げていた。

 そこで、引き返して、なにが書いてあったか確認することにした。

 看板周辺の景観を、まずお示しする(図3)。食堂がある。さっき見た看板は、この食堂のものであった。

図3:道路わきにたたずむ食堂

 「毎日牛乳」とかかれた看板の裏に、キーワードが隠されていた(図4)。

 「駅前食堂」と書いてある

図4:駅前食堂?

 ぼくは気が付いた。これが違和感の原因だったのだ。

 「駅前?どこよ、駅って?」

 食堂の主人が、自分の店になんと名前を付けようと自由だ。しかし、いやしくも「駅前食堂」を名乗る以上、駅前でなくては困る。国民として、それぐらいのルールは守ってほしい。前日に元ヤンキーたちと酒を飲んだせいで、ぼくもヤンキーっぽい気持ちになっていた。だから、ひとつ文句でもいいに行ってやろうかと思った。

 ところが、ところがである。よく見るとたしかに、駅はあった。ぼくが、気付かなかっただけなのである。

 「駅のような大きなものに気が付かないなんて、こいつアホか?

 と皆様、思われていることであろう。しかし、かなり意外なところにあるというか、特殊な駅なのである。

 状況を説明する。

 香川と高知を結ぶ鉄道は土讃線といって、四国山地を縦断して両県を結ぶ。山地を縦断する点においては、ぼくが運転していた国道32号線も同じである。

 しかし両者は、並行して走っているわけではない。ときおり交差はしながらも、基本的には別々に走行している。

 図5をご覧になっていただけると、両者の位置関係が何となくわかっていただけると思う。

図5:道路と高架線路の位置関係

 食堂の近傍において、鉄道は道路と3次元的に交差している。運転しながら線路は目に入っていたのだが、まさか駅があるとは思わなかった。

 地上から15m程度離れた位置に、その駅は存在していた(図6)。

図6:「駅」の看板

 このようなところに駅があるとは!

 ぼくは、食堂の後方にある階段を登った。(図7

図7:ホームにのぼる階段

 無人駅なので、勝手にホームに入ることができる。駅のホームに立ってみた。

 この駅は鉄筋を組み上げたトラス構造をとっており、幾何学的にとても美しい。

 

図8:ホームの様子

図9:駅の通路

         図10:鉄筋の組み合わせが、非常に美しい

 この駅は「機能美」という言葉をそのまま、形にしたようだ。なぜ鉄道にハマる人があれほど多いのかが、しみじみよくわかった。

 高架から渓谷を見下ろしてみた(図11)。

図11:駅から渓谷を見下ろす

 

 

 駅は渓流から20メートルくらいは離れているのだが、静かなので水のせせらぎがよく聞こえる。渓谷の脇の木々も、とても美しい。(図12)今は冬なので花は少ないが、紅葉が美しい。春や夏は、さだめし絶景であろう。

         図12:駅の近くの道。紅葉がきれい。

 よくこのような場所に、駅をつくれたものだ

 ぼくは、わが国の土木技術の高さに驚嘆した。同時に、建設にたずさわった方々の苦労を思うと、胸が熱くなった。人工美と自然美が、見事に共存している。これを見て心を動されない人間は、いないのではないだろうか。

 もっとも、ホームから転落したらそのまま渓谷に落下して、本当の意味での天国行きになる。この点だけは注意だ

 駅のホームから、くだんの食堂を見下ろしてみた。(図13)こうしてみると、たしかに「駅前食堂」である。

図13:駅から見下ろす、「駅前食堂」

 ホームからの景観があまりに美しかったので、10分くらい見とれていた。

 そのあと階段をおりて、「駅前食堂」を観察しに行った(図14)。

図14:階段を下りる

 昭和の香りが満載である。昭和40年代にタイムスリップしても、まったく違和感はない。ボンカレーオロナミンCの、さび付いた看板があれば、さらに良い(ここら辺の感覚がわからない人は、これから先を読まない方が、いいと思います)(図15-16)。

図15:食堂の外観

図16:食堂の正面

 店の裏手では柿を干している。(図17)周辺には畑もあるから、野菜は自給をしているのだろう。ぼくはこういう生き方が大好きだ。文字通り、地に足がついた感じがする。

図17:店の裏で作っている、干し柿

 

 そこで、この食堂で早めの昼食をとることにして、ドアを開けた。

 床はコンクリートだ。タイルすら敷いていない。

 廃材置き場からとってきたようなテーブルが、3組おいてある。椅子が明らかにミスマッチである。きっと、廃業したスナックからもってきたに違いない

 いい、実にいい!(ここらへんが解らない人は、読むのやめてください)

 石油ストーブがおいてあって、その傍らにおばあさんが座っていた。きっと、この近辺の農家の人なのであろう。

図18:食堂の内装

 房の手前には、ガラスケースがおいている。(図19)その中には実際の料理が、値段別においてある。どれも低価格で、100円から250円くらいである。ちなみに250円メニューは「かぼちゃとみょうがの天ぷら」と「きんき煮つけ」「鯖塩焼き」「香の物盛り合わせ」である。どれも美味しそうだ。車で来ているのでビールを飲めないのが、つくづく残念である。

図19:メニューとガラスケース

 どれにしようか迷っていると、先ほどのおばあさんが言った。

 「お茶はそこに入ってるから、自分でついでね。」

 おばあさんは客ではなく、この店の一員であったのだ。

 指さす先を見ると、小さな台の上に魔法瓶かおいてある。そのわきには、ワンカップ大関の空き瓶が5、6個おいてある。ワンカップの瓶が、湯飲みなのだ!ぼくは嬉しくて、ぞくぞくしてしまった(ここらへんの感覚わからない人は、読むのやめてね)。

 厨房はガラスケースの向こうにあった。3坪ほどの広さの中で、50歳くらいのオッサン(ぼくもオッサンだが)が、前掛けをして調理をしていた。この人が店主なのであろう。

 ぼくはガラスケースの中から、卵焼きとウィンナー、ならびに小松菜炒めを取り出した。そして店主に向かって、ご飯と味噌汁を注文した。

 店主はぼくと目を合わせた。ストレンジャーであるぼくに驚くでもなく、いぶかりもせず、黙ってうなずいた。

 ぼくはバス停に置いてあるような椅子に腰かけると、ワンカップの容器でお茶を飲み  ながら、食事が出てくるのを待った。

 しみじみ落ち着く

 ぼくは厨房の中のオッサンを眺めながら、ぼんやり考えた。

 若干小柄ではあるが、眼光鋭く、動きは俊敏である。この人も昔は、きっとヤンキーだったのだろう。

 面白い奴に違いない、とぼくは思った。

 「駅前食堂」と名付けた、気概が良い。

 マンションの広告には「駅まで徒歩5分」などとよく書いている。わが国では、特に大都市圏では、駅までの近さが利便性の指標なのだ。とくに「駅前」は最強である。東京でいえば目黒の駅前や、大阪で言えば福島の駅前にあるタワマンなど、何億円するか分かったものではない。

 そういう豪邸と比べれば、土佐のド田舎の「駅前」など、自転車置き場ほどの価値もない。それなのにあえて「駅前」を名乗る、そこがいい。

 「ここだって駅前だぜ」という、人間の意地を感じる

 「七人の侍」という映画がある。舞台は戦国時代の農村だ。農民たちは、近隣に巣くう野武士による収奪に、苦しんでいた。勘兵衛(志村喬)をはじめとする7人の侍たちは、農民たちに乞われて、彼らを指揮しつつ野武士たちと戦う。ぼくはこの映画は、古今東西のすべての映画の中で、最高だと思っている。

 「七人の侍」の中で、三船敏郎演じる「菊千代」が、屋根に旗を突き立てるシーンがある。野武士との戦闘で仲間を失い、悄然とする村人たちを鼓舞するためである。この旗が良い。薄汚れた布切れに、〇を6つと△をひとつ、そして「た」の字を書いただけのものだ。〇と△は侍たちを、「た」は農民たちを表すのだが、シンプル極まりない。(図20

図20:「七人の侍」より

 しかし立てられた旗が風にたなびく姿をみて、サムライと農民たちはふたたび勇気を取り戻す。

 ぼくはこのシーンに、特別な意味を読み解く。

 「七人の侍」がつくられたのは、昭和29年である。戦争でズダボロに負けてから、たった9年間しか経っていない。今の時代から回顧的に見れば、朝鮮特需を経て高度経済成長が勃興しつつある、明るい時代に見えるかもしれない。しかしそれは結果論に過ぎない。実際に昭和29年の日本に身を置いてみれば、人々はまだまだ、外国に対する劣等感の中で暮らしていたのではなかろうか。

 虫けらのごとき存在であった農民たちが戦う姿に、日本人は自らの姿を重ねたに違いない。戦争には敗けたが、それがどうした、そういう意地があったに違いない。

 ぼくはそうしたタイプの意地に、大きく共感する。 

 人はだれしも、なにものかに抑えられて、あるいは縛られて生きている。

 ただ「俺は俺」と開き直れば、そんなものはどうということはない

 あえて「駅前」食堂と命名したこのオッサンも、そういうセンスを持っているに違いない。

 これこそ正しい高知県人、つまり「ヤンキー」魂である。

 ただ高知県の「ヤンキー」たちの名誉のために言わせていただくと、大阪の盛り場などにいる「半グレ」と、高知のヤンキーとは、明らかに性質が違う。

 前者は単なる犯罪集団だ。しかし高知のヤンキーは、正確に言えば「10代のころは不良をしていたが、その後はまともになり、きちんと働いている」人たちなのである。その多くは農業や漁業、もしくは工場や商店経営など、自営業者である。

 これは高知県の産業構造に、大きく関係する。高知県には大企業がない。したがって、ほとんどの人が一次産業にたずさわるか、自分で店を経営せざるを得ない。サラリーマンをデフォルトとする東京とは、状況がまったく異なる。

 就職をしないのだから、大学へ上がる必要もそれほどない。だから高校時代をかなりゆったりと過ごす。生命力の強い子は、エネルギーを持て余してヤンキーになる。そういうことなのである。言ってみれば、ヤンキーがクラブ活動みたいなところがある。

 また、そうした活動を通じて相互のネットワーク、つまり地縁が強まる。これは農業や漁業など、土地に根差した職業に就くにあたって、実利があるのである。

 たとえば漁師の場合、おのおのが別々に漁に出て行っては、作業の効率が悪い。各人の役割を分担して、守らせる必要がある。構成員の密なネットワークがあってこそ、円滑に仕事を進めることができる。ヤンキーたちは長幼の序を非常に大切にするが、無意識的に、社会生活を始める前の訓練をしているのではないか?

 ぼくは医学生を教えている。医学生の中にはいろいろなタイプがいるが、一番苦手なのは、無気力・無反応の学生だ。言われたことはこなすのだが、「何か質問ある?」と聞いても、意味不明な微笑を浮かべるだけで、自分の意見を言わない。こういう学生が増えている。

 ぼくはエネルギーのある人間が好きだ。入試制度は最近、多様化が進んでいる。特に医学部の場合、地方勤務を嫌がらない医師を育てようということで、「地域特別枠」なども設けられている。これにならって医学部にも、「ヤン…」、ではなくて「ちょっとヤンチャな高校生、特別枠」も設けてもよいのではないか?たまたま勉強する環境がないけれど、ヤンキーの中にも、地頭の良い子はたしかにいる。成績だけよくて無気力な学生より、よほどいい医者になると思うのだが。

 そんなことを考えているうちに、料理が運ばれてきた。(図21

 

図21:個人的なフルコース

 腹が減っていたせいもあるのだが、すべてのものが非常に美味しい。

 卵焼きなど、味になんともいえない力強さがある(図22)

図22:昭和の弁当に入っていそうな卵焼き

 ぼくは大学時代、かなり真剣にラグビーをやっていた。夏合宿などでは、めちゃくちゃに腹が減る、ゆえに食事が非常に美味しかった。その時と同じ美味さである。そういえば、床がコンクリートのこの食堂は、ぼくが所属していたラグビー部の部室によく似ている。

 ワンカップ酒の瓶で飲む、ほうじ茶がとりわけうまい。

 千利休は、陶工の長次郎に命じて、素朴な茶碗を作らせた。わび・さびの精神を体現するためである。しかし利休さんよ、ワンカップの容器で飲む茶の美味さを、アンタ知ってるかい

 ぼくはこの食堂にすっかり満足した。

 支払いをしようと声をかけると、店主は厨房から出てきた。

 ぼくはお金を渡しながら、「とてもおいしかったです」と言った。

 「ありがとう。また寄ってね。」

 そう返ってくるかと思った。

「あたりめーだろ。俺が作ったんだから」くらいの返答であれば、ぼくとしては100点満点をあげたい。ただ、いくらなんでも、そこまで期待するのは厳しかろう。

 しかし、しかしである。店主は、意外な言葉を発した。

 「お客さん、テニスが得意なんじゃない?

 「???」

 この言葉は、かなり意外だった。

 なぜそう聞くのか、尋ねようとした時、常連のお客さんが何人か入ってきた。

 それで、問い返すタイミングを失ってしまった。

 帰りの運転の最中、オッサンの言葉の意味を考えてみた。

 だれかぼくによく似た、テニスの選手がいるのであろうか?

 あるいはオッサンは昔テニスをやっていて、ぼくの醸し出す雰囲気に親近感を覚えたのか。こちらはオッサンを品定めしていたのだが、オッサンもこちらを品定めしていたのであろう。

 しかし「テニス」とは?

 いまだに、さっぱり意味が解らない。しかし少なくとも、ネガティブな意味ではなかろう。そんなことをまさか客に聞く店主もおるまいが、「お客さん、借金ある?」とか「お客さん、失業中?」などよりは高い評価である、と考えてよいのではなかろうか。

 要するに、あの元ヤンキーの(と決めつけている)店主の「面接」において、一次審査くらいはパスしたと考えてよいであろう。何回か通えば、彼とも友達になれそうだ。

 こうして、ぼくの高知におけるヤンキー・シンジケートは、ますます拡大してゆくのであった。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せとうち寿司親方つれづれ日記12―俺のクリスマスソングは竹原ピストルだぜ!

この歌詞、みんな変だと思わんのですかね?

 あまり人前では言わないが、あたしはクリスマスが苦手なんである。

 「せとうちの野郎は、またつむじ曲がりなことを言って!」と、非難されるのはわかっている。でもまず、次の文章を読んで欲しい。

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 トーマスは高校から帰ってくると、母親に用事を言いつけられた。ウォルマートにオセチ・ボックスをとりに行けと言うのである。今夜の家族パーティで食べるためである。    

 トーマスは五大湖湖畔のある州に住んでいる。この地方の冬の寒さは厳しい。トーマスは外に出るのは気が進まなかった。しかしここで母親の言いつけを断ると、明日のガンジツ・ホリデイに父親からもらうオトシダマ・チップの100ドル札が、3枚から2枚に減る可能性がある。そこでトーマスはコーヒーを一杯飲んで体を温めると、雪の中をウォルマートに向かって行った。

 街は寒く、息は凍る。しかし、ショーガツという、年間最大のフェスティバルを迎えて活気がある。大通りには若いカップルがたくさんいる。いつのころからか12月31日、つまりショーガツ・イブは『恋人たちの祭日』になってしまった。ひと昔前の景気が良かったころには、ショーガツ・イブには高級なスシ・バーで食事をして、高価な指輪を彼女に送ることが、男の甲斐性だと考えられていた。そういう時代に生まれなくて、本当に良かったとトーマスは思う。

 ウォルマートにたどり着くと、トーマスはオセチ・ボックスを配布するコーナーへ行った。ネット予約しておいたオセチ・ボックスを受け取るためである。オセチ・ボックスの大きさは値段に応じて異なる。安いものはウメ・セットと言って100ドルだが、高価なマツ・セットは1000ドル以上する。オセチ・ボックスの中央には、大きくて真っ赤なソーセージが入っている。焼き上げたのちに、皮の部分を染色するのだ。この着色料は、本来はゼリービンズに使われるものだと聞く。トーマスの家では時々、ソーセージを食べる。しかし赤く染めたソーセージは、ネンマツ・イブにしか食べない。なぜ赤く染めるのか、詳しくは知らない。ヒノマル・フラッグの丸模様と同じ色だからであろうか。ソーセージの半分は切れ込みをいれていて、放射状に広がっている。オクトパスを模しているのであるが、これほど大きなソーセージとなると、もうほとんどハムと言ってもいいだろう。ソーセージのもう片方には、ヒノマル・フラッグがさしてある。そういえば今日は街中でも、ヒノマル・フラッグの模様の帽子や服を身に着けた人が多い。

 本当に最近の日本人気は相当なものだ。ヒノマル・フラッグは車のステッカーやTシャツ、食料品のパッケージなど、いたるところに使われている。ここはアメリカなのに、とトーマスは思う。

 オセチ・ボックスを受け取ると、帰路についた。途中、ブッキョー・テラの前を通りかかった。この街の大半はキリスト教徒だ。だからテラは、ふだんは閑散としている。ところが今日は長蛇の列ができている。Zazenを組みながら年越しの瞬間を迎えるのが、流行になっているからだ。

 ブッキョー・テラとしても大みそかは書入れ時であるので、Omamoriというグッドラック・チャームを売っている。これを買えば来年1年、病気にも事故にもあわないということになっている。

 大みそかにおけるブッキョー・テラの盛況を見て、これにあやかるキリスト教の教会も増えている。Year endの瞬間から、108回の鐘を打ち鳴らすのである。

 トーマス家の晩餐は、19時からはじまった。トーマス一家はキリスト教の信者なので、いつもは食事の前には神に祈りをささげる。

 しかしショーガツ・イブだけは特別の儀式を行う。

 まず、家族みなでスキヤキ・ソングを歌う

 歌い終わると、手のひらを打ち鳴らす。これには定められたリズムがある。3回拍手をしたあと、大きく1回手を鳴らす。これを3回繰り返す。この拍手はサン・サン・クドというらしい

 サン・サン・クドが終わると、いよいよ楽しみにしていたオセチ・ボックスを食べ始める。

 オセチ・ボックスには真っ赤なオクトパス・ソーセージの他に、スウィート・ポテトのマーマレードや、チョコをまぶしたビーンズも入っている。これらはそれぞれ、king-tongならびにkuro-mameというそうだ。King-tongを食べると保有している株価があがり、kuro-mameを食べると免疫力がつくらしい。医療費の高いアメリカでは喜ばしいことである。

 しばらくすると玄関のベルが鳴った。宅配のピザが届いたのである。ネンマツのピザは特別で、mochiというライス・ケーキの上にチーズが乗っている。これもなにか宗教的な理由があるようなのだが、トーマスは普通のピザの方が好きだ。

 晩餐と家族の団らんを楽しんでいるうちに、23時になった。トーマスの父親は外出のために身支度をし始めた。ブッキョー・テラに行って鐘の音を聞きつつ、zazenを組むためである。

 しかしトーマスはベッドに入った。明日はNew Year Dayであるので学校は休みだ。しかし、キンチャンズ・カソー・フェスティバルというイベントにDorae-monの着ぐるみを着て参加するので、早く起きる必要があるのだ。

 明日もらう、オトシダマ・チップの額を気にしながら、トーマスは眠りについた。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 この文章はあたしが書いた。外国の社会科やなんかの教科書は、ある国の生活について紹介する際、そこの住民の視点に立って日記風に書く。そうすると具体的なイメージが湧きやすいからだ。その書式にのっとって、あるアメリカの高校生の視点から書いてみた。

 もちろんこれは現実ではなく、架空の話だ。

 でもこの話が現実になっていた可能性だって、あながちゼロというわけではない。

 現実には悲しいことに、日本の国力は凋落している。しかしバブル景気のころには飛ぶ鳥を落とす勢いだった。もしもかじ取りをうまく行っていれば、今頃はアメリカをしのぐ経済大国になっていた可能性だってある。強者に憧れるのは世の常だ。だからこの話のようなことだって、もしかすると現実に起こっていたかもしれない。

 そろそろ本題に入ろう。

 仮に、仮にだよ。もし上の話が現実だったとするよ。日本人であるあなたは、トーマス君一家のふるまいを、どう思うかね。

 「アメリカにも日本の文化が浸透して、喜ばしいことだ」

 そうかい、そうかい。でも優等生的な解答だな。本音を言おうよ。本音を。

 「正月をパロってくれるのはありがたいけど、なんか笑っちゃうよね

そうだろ?本音は。日米友好のために、はっきりそういう人は少ないだろうけどね。

真面目な人だと、「おいおい、マジかよ?」とか「自分たちの文化はないの?」とか思うだろう。

 まあ人によって感じ方は違うだろう。

 でもどのような感じ方をしたとしても、根底には共通した点があるはずだ。

 それは、もしこういう生活をアメリカ人がしたとすれば、彼らの文化に対して、少なくとも尊敬の念は抱けないということだ。

 だってわれわれの文化の外形だけを、模倣しているわけだから。しかも変なふうにアレンジして。

 愚かしい、とまでは言わない。だけどみんな「アホやなー」と思って苦笑いくらいはするのではないか

 あたしがクリスマスに対して気恥ずかしさを感じるのは、そこなんだ。クリスマスは日本人の生活にすっかり定着した。みんな、それなりに楽しんでいる。でもアメリカやヨーロッパから見ると、われわれの姿は、かなり滑稽なんじゃないか

 もっと具体的に言おうか。

 日本ではクリスマスはケンタッキー・フライドチキンが飛ぶように売れる。でもアメリカ人がクリスマスに食べるのは、フライドチキンではなくて七面鳥だ。開拓時代に食糧不足に悩む移民が、現地人から供与されたという歴史的背景があるからだ。

 「どっちも鳥肉だから同じようなもんだよ」なるほどそうだ。

 「旨けりゃいいじゃん。うるさいこと言うなよ」もっともです。

 でも、われわれがクリスマスにケンタッキーを食うのは、おせち料理に伊勢海老を入れる代わりに、赤いソーセージをいれるのとどこが違う?アメリカ人からみたら爆笑もんだろ。というか、すでに実際に、かなり笑いのネタにされているらしいよ。調べてみてくれ。

 さらに言おう。

 日本人の大半はキリスト教徒ではないのに、クリスマスには街に「諸人こぞりて」とか「ハレルヤ」とか、讃美歌が流れる。年越しのザゼン組みに行く、トーマス君のパパと、おなじだよな。ショーガツ・イブにタイムズ・スクエアアメリカ人が集まって「ナミアムダブツ」の大合唱をしていたら、あたしなら腹を抱えて笑っちゃうね。

 こういう理由でだね、あたしはクリスマスが恥かしいんだ。

 何年か前に、何気なくテレビを見ていたら、ダパンプとかとかいうグループが、その名も“U.S.A”というダンスを踊っていた。

 “カモン・ベービー・アメリカ”なんて歌っている。あたしは、同じ日本人がこんなはずかしい歌詞を臆面もなく平気でがなりたてているのを聞いて、心の底から情けなくなった。

 だって考えてもみてくれ。アメリカのテレビで白人のダンサーが「ジャパン・クール・ナンバーワン」と歌っているのと同じなんだぜ。これを見たアメリカ人たちは、「こいつら、やっぱり俺たちの属国なのね」と思うに決まってるじゃないか。

 ダパンプと同じことを北朝鮮でやったら、まず間違いなく死刑だろうな。あたしはキム・ジョンウンほど怒りっぽくない。だから仮にあたしが独裁者でも、彼らを死刑にはしないとは思う。でも重労働を5年くらいはやってもらいたいね。そうでもしないと、自分のやってることのみっともなさに気が付かないんじゃないか。日本の文化を体に染みつかせるために、田植えをやらせるといいんじゃないか。

 

 日本のクリスマスソングの定番になっているのは、山下達郎の「サイレント・クリスマス」と松任谷由美の「恋人はサンタクロース」だよね。これら二つの歌は、ダパンプの“U.S.A”とは違って、みっともなくはない。だけどその歌詞に、あたしは昔からひっかかっるところがあった。

 山下達郎は歌う。「きっと君は来ない~」

 ほー、そうですか。だったらなんで家にいるの?そういう暗い態度だから、彼女にふられるんじゃない?来ないってわかっているんだったら、飲みに行くとか、スポーツジムに行くとか、仲間と麻雀やるとか、いろいろやることあるでしょうに!家でジーっとしてネガティブなオーラを育ててどうすんだよ。そういう奴は、女の子はおろか、男の友達もいなくなっちゃうぜ。

 松任谷由実は歌う。「恋人はサンタクロース、背の高いサンタクロース!」

 ほー、そうですか。じゃ、背の低い男はどーすんの?そりゃ背の高い奴はモテるけどさ、でも、背が高い以外にも男の魅力はあるんじゃないの?筋骨隆々であるとか、足が速いとか、ケンカが強いとかさ。

 そういう男としての魅力を全部無視してだね、「背か高い」だけに焦点を絞るのはいかがなものか。たとえばボクシングの日本チャンピオンでも、ライト級クラスになるとだいたい身長は170センチくらいだ。そう高くないよな。しかし男としては、ただ背が高い奴よりもずっと魅力はあるんじゃない?フィギュアスケートの羽生君もそうだ。すごい選手ではあるが、背はそんなに高くない。背の高さだけにこだわると、そういう魅力を見落としちゃうよ。

 だからだね、「恋人はサンタクロース」の歌は1番から20番くらいまで創って、

 「恋人がサンタクロース筋肉ムキムキのサンタクロース

 「恋人がサンタクロースケンカ強いサンタクロース

 「恋人がサンタクロース足の速いサンタクロース

 なんかのフレーズも、ぜひ入れてくれ。

 「恋人がサンタクロース相撲の強いサンタクロース

 なんかも入れて欲しいね。だって、力士だってクリスマスにデートくらいするだろうからね。でも待てよ、力士はだいたい背も高いから、もともとの「背の高いサンタクロース」で良いわけだ。ハハハ。

 まてよ?藤井聡太君みたいな人もいるわけだから、「将棋の強いサンタクロース」も入れんとアカンね。

 それにしても、昔はみんな、よく働いていたよなー。「今夜、8時になればサンタが来る」んだろ?8時って、遅くね?いまなら働き方改革で会社から5時になると追い出されるから、6時にスタートできるぜ。

 こんなわけで、クリスマスに街に出ると、あたしにとっては?と思われることが、けっこうたくさんある。人は人、と割り切ろうとしても、同じ社会の一員であるわけだからね、やっぱり恥ずかしい。

 その気恥ずかしさを、どうにかしたくなる。

 日本におけるクリスマスはバブルのころに比べると、ずいぶんとおとなしくなっている。でもいまだに、フレンチレストランなんかは、クリスマスになると満席だ。

 とくに銀座であるとか、広尾なんかの都心部の有名フレンチは、何か月も前から予約が入っている。クラシックなんかを聴きながら、高価なワインを飲み、テリーヌだの、ポワレだのを食べている。

 流れているクラシックはたぶん有線だと思うのだが、チャンネルを変えて泉谷しげるの歌を流してやったら面白いだろうな。本人を連れてきたら、もっと面白いだろうな。「てめーら、日本人のくせにフォアグラなんか食ってんじゃねー」なんてね。ギター振り回したりしてな。

 ただそこまでゆくと、冗談が過ぎるだろうな。それに、正直言ってあたし自身も、若い頃にはフレンチだのワインだの、ベタなクリスマスの送り方をしていた。だから若者を邪魔しちゃいけない。彼らだってある程度、年齢を重ねると、あたしと似たような気持になることだろう。

 そこであたしは、独りで勝手に飲みに行く。これが正しい、オッサンのクリスマスだ

 気取りのない、というか、積極的にうらぶれた感じの居酒屋がいいね。カウンターは年季の入った木でできていて、そこここにタバコの火を始末しそこなった焼け焦げがある。あたしはタバコの煙は嫌いなんだが、この日だけは気にしない。

 つまみは牛スジ煮込みとか、魚のアラ煮なんかがいいね。メニューは紙に書いて、壁に貼り付けである。その紙はもちろん、油ですすけている

 酒はやっぱり焼酎だな。あたしがよく行く日暮里の居酒屋は、焼酎を頼むと、なぜかヤカンからコップについでくれる。

 焼酎には「バクダン」と「梅入り」という2種類がある。「梅入り」は焼酎に梅シロップを入れていれたもので、怪しげな褐色を呈している。「バクダン」には何が入っているのか、怖くて聞いたことがない。ただ、体には悪いことだけは間違いない。だいたい普通の人間は、1杯半も飲むと足に来る。あたしはだいたい、5杯くらいは飲むけどね。

 ミュージックは、竹原ピストルがいい。中年のオッサンの心に、グッとくるものがある。彼の歌を聴いたことのない皆さんは、ぜひ聴いてみてくれ。

 となりに座っているのはカップルなんかじゃなく、癖のありそうなオッサンがいいね。ブルーハーツの(今はクロマニヨンズ)の甲本ヒロトみたいな奴だったら、きっと意気投合すると思う泉谷しげるも良いな(俺、ホント好きだなー)。

 ユーミンよ。あなたは今年、勲章をもらったらしいね。このブログではいろいろ批判したけど、本当は、あたしはあんたの歌が大好きだ。やっぱりあんたは天才だ。これは間違いない。あなたは、日本の元気さを象徴するディーバであった。あんたが現れるまでは、日本の歌謡曲は恋愛が主たる題材だった。でもあんたは、惚れた腫れた以外のテーマを導入した。そこが、あんたが天才的な点だとおもうな。「ひこうき雲」は美しい死に方を題材にしているし、「陰りゆく部屋」は夕刻の寂寞感をしみじみ伝える。

 とりわけ素晴らしいのは「ノーサイド」だった。あたしはすし学校時代には、かなり真剣にラグビーをやっていた。そのころ、あんたは「ノーサイド」という歌を作ってくれた。これは本当に、心に染みた。今でもこの曲を聴くと、はるか昔の学生時代の思い出が、鮮明によみがえる。

 ユーミンよ。あんたは天才だ。だからどんなことをテーマにしても、人の心を動かす歌を作れるんじゃないかと、あたしは信じている。

 その感性を持ってだね、あの時代に青春を過ごしたオッサンたちのために、もう一度だけ歌を作って欲しい。そしてもう一度、日本を元気にしてくれよ。

 そしたらあたしは、クリスマスには竹原ピストルと、あんたの歌を聴くよ。泉谷しげるもね。

 ユーミンよ。オバサンたちのためにも、もう少し頑張ってくれよ。

 あんたは「恋人がサンタクロース」のなかで「昔となりのおしゃれなおねーさん」と歌っていたよね。あの歌がリリースされたのは1980年だ。その頃に「昔のおねーさん」と言われた人は、だいたい1950年くらいにお生まれになったんでないかい?としたらだね。2022年の現在においては、ざっと72歳から75歳になってるわけだ。

 そういう人たちのフォローもしてくれ。人生100年時代らしいからね。75歳のオバ…いや「おねえさん」が「あたしをスキーに連れてって」って言ったっていいじゃないか。75歳じゃスキーは厳しいか。「あたしを温泉に連れてって」でもいいや。何しろそのせつない気持ちを、歌にしてくれよ。

 クリスマス批判が、いつの間にかユーミン賛歌になっちゃったな。ハハハ。

 それではみなさん、メリークリスマス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せとうち寿司親方つれづれ話11—ランチョンセミナーでは、ベントー作ったシェフが本当のヒーローだぜ!

本当のヒーローは、君だ!

 

 

 われわれすし職人は日々、新しい鮨を開発している。新しい握り方を試してみたり、今まではなかったネタを使って新機軸の寿司を作ったりしている。こうした発見を伝えるために「すし学会」という場があることは、前回のブログで述べた。

 

 すし学会はふつう、ホテルや会議場で、朝から晩まで行われる。昼飯を食べなきゃいけないのだが、こういうところのメシはとても高い。また、何百人もいる参加者が、一挙にレストランなり食堂に押し寄せると、ホテル側としても困る。

 それゆえ「ランチョンセミナー」というものが行われる。すし職人をお得意様とする業界にとっては、全国からすし職人が集まる「すし学会」は、またとない宣伝のチャンスだ。だから昼休みの時間を利用して、それぞれの商品を宣伝するわけだ。

 たとえば、包丁はすし職人とは切っても切れないアイテムだ。だから包丁メーカーは、息のかかった職人をつれてきて、自分たちが製造している包丁がいかに素晴らしいか、皆の前で話させる。

タダでこういう宣伝ショーをやったって、見にくる奴はいない。だからメーカーとしては、弁当をみんなに配って「お抱え職人」の話を聴いてもらう。セールストークを聞く時間を提供する代わりに、弁当を提供するわけだ。

 あたしも「すし学会」に参加すると、こういうランチョンセミナーをよく利用していた。外へ昼食を食べに行くのは面倒だし、セコイ話だがメシ代も浮くからね。つまり昼休みの時間つぶしと、ささやかなる節約のために、投げ与えられた餌を食っていたわけだ。

 ところが、ある講演をきっかけに、こういう「ランチョンセミナー」のあり方に対して、問題意識を持つようになった。

 その講演は「レーザー」についてであった。すしを握る上では、味だけではなくて、すしの見栄えにも配慮しなくてはいけない。とりわけ大切なのは、皮の色だ。いくら刺身をきれいに切ったって、魚の皮がくすんだ色をしていたのでは、味は半減する。そこで魚に一種の光を当てて、魚の皮の色を美しくする。この器械が「レーザー」だ。

 講演をされたのは、大阪で「御堂筋寿司」という店をやっている、K師匠という職人だった。彼はレーザーの世界ではかなりの権威だ。

 講義の中でK師匠は、レーザーメーカーの「お抱え職人」たちを痛烈に批判した。

レーザーという機械は高額で、安いものでも何百万円もするし、高いものだと3000万円くらいする。1台販売すれば、メーカーにはかなりの金が入る。だから宣伝に力を入れる。この理由で、レーザーに関する「ランチョンセミナー」は非常に多い。

 「ランチョンセミナー」の内容は多岐にわたる。包丁などの調理器具を宣伝する場合もあるし、魚の肉の質を良くする薬品を宣伝する場合もある。そんな中でも、「レーザー」に関するランチョンセミナーは非常に多い。売れば非常に儲かるからだ。ランチョンセミナーが100あったら、だいたい40くらいはレーザーに関する内容だ。それだけレーザーのメーカーは製品の宣伝に力を入れている。

 レーザーメーカーにはそれぞれ、お抱えの職人がいる。レーザーという機械は買っても高いが、借りても高い。毎月、何十万円もリース料を支払う必要がある。だがレーザーメーカーはお抱え職人たちに、ほぼ無償で機械を貸し与える。そして、機械の「使用経験」をランチョンセミナーで「報告」させる。

 こういう「報告」がまともであるはずがない。いかにそのメーカーの製品がすばらしいか、その製品を導入してから店が繁盛するようになったか、ヨイショまみれの話が続く。総領様を「マンセー」で持ち上げる、北朝鮮のおばちゃんアナウンサーも真っ青太鼓持ちぶりだ。

 レーザーのメーカーがお抱え職人たちにやらせる仕事は、「ランチョンセミナー」で新しい製品をもち上げることだけじゃない。雑誌の執筆も依頼する。雑誌の表紙は、新しく開発したレーザーだ。ピカピカに磨きあげられたレーザー機械の傍らに、なぜか白人の美女が立っている。

 2ページ目はお抱え職人の写真で、なぜか実物よりもはるかにハンサムであり、美女である。本当に、最近の写真加工技術はたいしたものだ。

 そして3ページ目からは「使用効果」とか言って、レーザーを打つ前の魚の皮の状態と、打ったあとの状態の写真を並べて出したりする。

 こういう演出をすることにより、「お抱え雑誌」は、体裁的には学術雑誌を装う。

 あたしはこういう「お抱え雑誌」を見るといつも、あやしげな週刊誌の巻末によく載っている広告を連想する。「幸福を呼ぶペンダント」とか「背が5センチ伸びるサプリ」なんかの宣伝だね。「このペンダントを買ってから、馬券は百発百中です」とか、「この薬を飲んでから、彼女ができました」なんて言って、さえない男が札束を両手に持っていたり、美女にかしずかれたりした写真が載せてある。

 K師匠は実に明快に、こういう「お抱え雑誌」の記事を批判した。批判した、というと正しくはない。正確に言えば、それらの記事のデタラメさを証明したのである。快刀乱麻を断つ語り口で。あたしは魚の胸鰭のあたりの調理は得意だが、レーザーの分野については素人だ。しかしK師匠は、素人でもわかるように「お抱え記事」のお粗末さを解説してくれた。

 たとえばある記事においては、カツオの皮に対してレーザーを使用した際の、「使用前」と「使用後」の皮の写真が並べられていた。彼はその写真の拡大版を聴衆に見せて、「なにか気が付きませんか?」と訊いた。

 カツオの皮膚には縞模様がある。「使用前」と「使用後」で、縞模様が違っていた。レーザーの効果を正確に判定するためには、まったく同じ部分を比較しないと意味はない。だが縞模様から判断するに、両者は明らかに別の部位なのだ!

「お抱え記事」は、こういう子供だましのトリックのオンパレードだ。K師匠は関西人特有の子気味のよいテンポで、そういうインチキをぶった切って行った。

 昔、水曜スペシャルというテレビ番組があって、その中の人気企画で川口浩の探検隊」というのがあった。「未開のジャングルに原始人が出現!」とか「インドの奥地で前人未踏の洞窟を発見!」とか猟奇的なタイトルで、あたしたちガキの心をひきつけたものだ。

 ところが「原始人」の腕にはなぜか時計をはめた跡があるし、「鬼の頭蓋骨」は何百年も埋まっていた割にはピカピカに光っていたりする。コメディアンの嘉門達夫は「行け、行け、川口浩」というギャグの歌を作ってこういう「やらせ」をぶった切った。この歌はかなり笑える。

 K師匠の話も、「行け、行け、川口浩」と同じような意味でおかしかったので、あたしはその時は、爆笑しながら聞いていた。その一方で「お抱え職人」たちの講演や記事に、いかにねつ造や歪曲が多いかを知り驚いた。

 ところが驚きはしだいに、「お抱え職人たち」の演じる茶番劇を、ただ笑って放っておいて良いのであろうかという、疑問に変わって行った。

 お抱え職人たちがランチョンセミナーに出てきて、メーカーをヨイショするのはまあ仕方ない。ところが、「お抱え職人」の中には、なにを勘違いしたのか、本を書く奴すらいる。

 聴衆から注目されるのは確かに快感だ。だから、セミナーの講師になるのが病みつきになるのは仕方ない。ただ、さらにその気になって技量まで人に教え始めるのは、ちょっと違うのではないかと思う。若い職人たちが、間違った薫陶を受けると困る。

 それに、なにか不公平な感じがする

 「すし学会」には、全国から職人たちが集まる。そんな中で、ガチの発表を1時間する権利を与えられるのは、かなり大変なのである。何年間も努力して、人にできない技術を身に着けた職人であるとか、今までになかった寿司を開発した職人なんかが、ようやく認められて「今度のすし学会で1時間話しませんか」なんて言われる。

 ところがランチョンセミナーに呼ばれるのは、単純にメーカーの言う事をきく職人だ。すしの腕とは直接、関係がない。「○○社の包丁はいいですよ。皆さんこの包丁を買ってくださいね」と言い続けられる人間が、講師として選ばれる。話す内容が正しいかどうかなんて、まったく検証がなされない

 こういう理由で、「ガチ」のセミナーと「ランチョンセミナー」では、クオリティが全く異なる。それなのに両者を同じく「講演」と呼ぶのは、公正さを欠く。「『ランチョンセミナー』には、なにがしかの規制を加えるべきなのではないか?」あたしは悩むようになった。

 ところがある日、寄席に行った際に、ふと悟りを得たのである。

 あたしには落語家の友人がいて、彼の誘いで落語を聴きにいったのだ。その日の演目には「芝浜」と「文七元結」があった。両方ともあたしの好きな噺だ。

 「芝浜」の噺が終わってあたしは、さあ次は「文七元結」だと期待した。

 ところが高座に出てきたのは、落語家ではなく、物真似芸人だった。あたしは「あれ?なんで真打がでてこないの?」と拍子抜けした。物真似の芸も、それなりに面白かったので、別に不満はなかったが。

 10分くらいの物真似芸のあと、ようやくトリの「文七元結」が始まった。噺は確かすばらしく、あたしは満足した。

 しかし、なぜあそこで物真似が入るのであろうか?純粋に落語だけを楽しみに来ている客にとっては、蛇足なのではないだろうか?

 あたしは不思議に思ったので、友人の落語家にそう言った。

 落語家は答えた。

 「あれはあれでいいんすよ。『芝浜』も『文七元結』も大ネタで、45分くらいはかかるでしょ?二つの噺を続けてやったら、お客さんは疲れちまいますからね。軽い芸を入れて、その間にトイレに行ったり、せんべい食ったりしてもらうんすよ。」

 「そうだったのか!」

 その瞬間、あたしが「ランチョンセミナー」に対して抱いていた違和感は、氷解したのである。

 「ランチョンセミナー」はそもそも、襟を正して聴くものではなかったのだ。大トリ前の物真似芸と同じで、あくまで休憩時間であり、前座であるのだ。みんなそれが解っているから、テキトーに話しを聴いているのだ。それまで、あたしは真面目に考えすぎていた。あたしは、発表者の話が始まる前に、なるべく弁当を食べ終わるようにしていた。物を食いながら人の話を聴くのは礼儀に反すると思っていたからだ。だが、ベントー食う場と割り切って、そんなことは考えなくてもいいのだ。どのみち話の内容は「川口浩の探検隊」だし。

 悟りを得たあたしは、ふたたび、こだわりなくランチョンセミナーに参加するようになったのである。

 だって仕方がないだろ。きょうび円安で、ホテルのメシは恐ろしく高い。ランチなんか食ったら3000円くらいは平気で吹っ飛ぶセミナーの内容が空疎だったら、スマホでメールチェックするか、パソコンでブログ書いてりゃいいんだし。

 というわけで、あなたが今読んでいるこの記事も、ランチョンセミナーの賜物なのである。

 今回も長くなっちまった。そろそろ終わろうと思う。でも最後に、みんなあらためて考えて見て欲しい。

 「ランチョンセミナー」の本当の主役は、いったいだれだろうか

 「それは当然、講師だ」と、みんな思っているだろう。

 しかし、本当にそうだろうか?

 弁当が配られなかったら、ランチョンセミナーなんか聴きに来る奴なんか、ほとんどいないはずだ。

 ということはだ。「弁当こそがセミナーで一番、重要」という帰結になる。この論理をさらに展開すると、「ランチョンセミナーにおける最大の功労者は、ベントー作ったシェフや板前」、ということになる。彼らこそが一番、エラいのだ。

 だから、「ランチョンセミナー」では、ベントー作ったシェフを、まず紹介すべきなんじゃないだろうか

 ランチョンセミナーでお抱え職人が話を始める前には、その職人の「略歴」が、まず紹介される。「どこそこのすし学校を卒業して、どこの国に留学しました、現在は東京のどこそこで店をやっていて、最新のレーザー機器を備えております」てな感じだ。

 そんな紹介も、まあいいだろう。どうせ誰も聴いてないからね。だけど、やっぱり本当の功労者はきちんと紹介するべきなんじゃないか?

 だから「お抱え職人」を使って宣伝をする業者たちよ、今後は、同じ職人でも、お弁当作ってくれたシェフを大切に扱ってくれ。

 「ランチョンセミナー」の冒頭では、座長はまずシェフを紹介すべきだ。

 「本日のお弁当を作ってくれたシェフは、広島の高校を卒業した後、フレンチの道を志し、東京のニューオータニに入職しました。そこで10年の修行ののち、郷里の広島に戻って自分の店を開業しました。瀬戸内の食材を使った新機軸のフレンチは、日本国内だけではなく、海外にも多くのファンがおります」

 その次に、シェフにひとこと言わせるべきだ。

 「私の得意とするのは魚介類のテリーヌで、本日のお弁当にも入っております。瀬戸内海のエビと鯛を使ったテリーヌを、ぜひお楽しみください。」

 こういう核心部分をまず済ませてだね、それから「お抱え職人」に話をさせる。それが筋ってもんじゃないか?

 でも待てよ?これだと最初に「真打(=シェフ)」が話して、次に「前座(=お抱え職人)」が話すことになる。寄席とは逆だな。でもまあいいか。「前座」のあとには、午後から始めるガチのセミナーで、ちゃんと一流の職人たち=「真打」の話が聴けるわけだから。

 

おことわり:本ブログに出て来る人物はたぶん架空のものであり、実際のクリニックとは関係が…あったりして。