せとうち寿司親方つれづれ話11—ランチョンセミナーでは、ベントー作ったシェフが本当のヒーローだぜ!

本当のヒーローは、君だ!

 

 

 われわれすし職人は日々、新しい鮨を開発している。新しい握り方を試してみたり、今まではなかったネタを使って新機軸の寿司を作ったりしている。こうした発見を伝えるために「すし学会」という場があることは、前回のブログで述べた。

 

 すし学会はふつう、ホテルや会議場で、朝から晩まで行われる。昼飯を食べなきゃいけないのだが、こういうところのメシはとても高い。また、何百人もいる参加者が、一挙にレストランなり食堂に押し寄せると、ホテル側としても困る。

 それゆえ「ランチョンセミナー」というものが行われる。すし職人をお得意様とする業界にとっては、全国からすし職人が集まる「すし学会」は、またとない宣伝のチャンスだ。だから昼休みの時間を利用して、それぞれの商品を宣伝するわけだ。

 たとえば、包丁はすし職人とは切っても切れないアイテムだ。だから包丁メーカーは、息のかかった職人をつれてきて、自分たちが製造している包丁がいかに素晴らしいか、皆の前で話させる。

タダでこういう宣伝ショーをやったって、見にくる奴はいない。だからメーカーとしては、弁当をみんなに配って「お抱え職人」の話を聴いてもらう。セールストークを聞く時間を提供する代わりに、弁当を提供するわけだ。

 あたしも「すし学会」に参加すると、こういうランチョンセミナーをよく利用していた。外へ昼食を食べに行くのは面倒だし、セコイ話だがメシ代も浮くからね。つまり昼休みの時間つぶしと、ささやかなる節約のために、投げ与えられた餌を食っていたわけだ。

 ところが、ある講演をきっかけに、こういう「ランチョンセミナー」のあり方に対して、問題意識を持つようになった。

 その講演は「レーザー」についてであった。すしを握る上では、味だけではなくて、すしの見栄えにも配慮しなくてはいけない。とりわけ大切なのは、皮の色だ。いくら刺身をきれいに切ったって、魚の皮がくすんだ色をしていたのでは、味は半減する。そこで魚に一種の光を当てて、魚の皮の色を美しくする。この器械が「レーザー」だ。

 講演をされたのは、大阪で「御堂筋寿司」という店をやっている、K師匠という職人だった。彼はレーザーの世界ではかなりの権威だ。

 講義の中でK師匠は、レーザーメーカーの「お抱え職人」たちを痛烈に批判した。

レーザーという機械は高額で、安いものでも何百万円もするし、高いものだと3000万円くらいする。1台販売すれば、メーカーにはかなりの金が入る。だから宣伝に力を入れる。この理由で、レーザーに関する「ランチョンセミナー」は非常に多い。

 「ランチョンセミナー」の内容は多岐にわたる。包丁などの調理器具を宣伝する場合もあるし、魚の肉の質を良くする薬品を宣伝する場合もある。そんな中でも、「レーザー」に関するランチョンセミナーは非常に多い。売れば非常に儲かるからだ。ランチョンセミナーが100あったら、だいたい40くらいはレーザーに関する内容だ。それだけレーザーのメーカーは製品の宣伝に力を入れている。

 レーザーメーカーにはそれぞれ、お抱えの職人がいる。レーザーという機械は買っても高いが、借りても高い。毎月、何十万円もリース料を支払う必要がある。だがレーザーメーカーはお抱え職人たちに、ほぼ無償で機械を貸し与える。そして、機械の「使用経験」をランチョンセミナーで「報告」させる。

 こういう「報告」がまともであるはずがない。いかにそのメーカーの製品がすばらしいか、その製品を導入してから店が繁盛するようになったか、ヨイショまみれの話が続く。総領様を「マンセー」で持ち上げる、北朝鮮のおばちゃんアナウンサーも真っ青太鼓持ちぶりだ。

 レーザーのメーカーがお抱え職人たちにやらせる仕事は、「ランチョンセミナー」で新しい製品をもち上げることだけじゃない。雑誌の執筆も依頼する。雑誌の表紙は、新しく開発したレーザーだ。ピカピカに磨きあげられたレーザー機械の傍らに、なぜか白人の美女が立っている。

 2ページ目はお抱え職人の写真で、なぜか実物よりもはるかにハンサムであり、美女である。本当に、最近の写真加工技術はたいしたものだ。

 そして3ページ目からは「使用効果」とか言って、レーザーを打つ前の魚の皮の状態と、打ったあとの状態の写真を並べて出したりする。

 こういう演出をすることにより、「お抱え雑誌」は、体裁的には学術雑誌を装う。

 あたしはこういう「お抱え雑誌」を見るといつも、あやしげな週刊誌の巻末によく載っている広告を連想する。「幸福を呼ぶペンダント」とか「背が5センチ伸びるサプリ」なんかの宣伝だね。「このペンダントを買ってから、馬券は百発百中です」とか、「この薬を飲んでから、彼女ができました」なんて言って、さえない男が札束を両手に持っていたり、美女にかしずかれたりした写真が載せてある。

 K師匠は実に明快に、こういう「お抱え雑誌」の記事を批判した。批判した、というと正しくはない。正確に言えば、それらの記事のデタラメさを証明したのである。快刀乱麻を断つ語り口で。あたしは魚の胸鰭のあたりの調理は得意だが、レーザーの分野については素人だ。しかしK師匠は、素人でもわかるように「お抱え記事」のお粗末さを解説してくれた。

 たとえばある記事においては、カツオの皮に対してレーザーを使用した際の、「使用前」と「使用後」の皮の写真が並べられていた。彼はその写真の拡大版を聴衆に見せて、「なにか気が付きませんか?」と訊いた。

 カツオの皮膚には縞模様がある。「使用前」と「使用後」で、縞模様が違っていた。レーザーの効果を正確に判定するためには、まったく同じ部分を比較しないと意味はない。だが縞模様から判断するに、両者は明らかに別の部位なのだ!

「お抱え記事」は、こういう子供だましのトリックのオンパレードだ。K師匠は関西人特有の子気味のよいテンポで、そういうインチキをぶった切って行った。

 昔、水曜スペシャルというテレビ番組があって、その中の人気企画で川口浩の探検隊」というのがあった。「未開のジャングルに原始人が出現!」とか「インドの奥地で前人未踏の洞窟を発見!」とか猟奇的なタイトルで、あたしたちガキの心をひきつけたものだ。

 ところが「原始人」の腕にはなぜか時計をはめた跡があるし、「鬼の頭蓋骨」は何百年も埋まっていた割にはピカピカに光っていたりする。コメディアンの嘉門達夫は「行け、行け、川口浩」というギャグの歌を作ってこういう「やらせ」をぶった切った。この歌はかなり笑える。

 K師匠の話も、「行け、行け、川口浩」と同じような意味でおかしかったので、あたしはその時は、爆笑しながら聞いていた。その一方で「お抱え職人」たちの講演や記事に、いかにねつ造や歪曲が多いかを知り驚いた。

 ところが驚きはしだいに、「お抱え職人たち」の演じる茶番劇を、ただ笑って放っておいて良いのであろうかという、疑問に変わって行った。

 お抱え職人たちがランチョンセミナーに出てきて、メーカーをヨイショするのはまあ仕方ない。ところが、「お抱え職人」の中には、なにを勘違いしたのか、本を書く奴すらいる。

 聴衆から注目されるのは確かに快感だ。だから、セミナーの講師になるのが病みつきになるのは仕方ない。ただ、さらにその気になって技量まで人に教え始めるのは、ちょっと違うのではないかと思う。若い職人たちが、間違った薫陶を受けると困る。

 それに、なにか不公平な感じがする

 「すし学会」には、全国から職人たちが集まる。そんな中で、ガチの発表を1時間する権利を与えられるのは、かなり大変なのである。何年間も努力して、人にできない技術を身に着けた職人であるとか、今までになかった寿司を開発した職人なんかが、ようやく認められて「今度のすし学会で1時間話しませんか」なんて言われる。

 ところがランチョンセミナーに呼ばれるのは、単純にメーカーの言う事をきく職人だ。すしの腕とは直接、関係がない。「○○社の包丁はいいですよ。皆さんこの包丁を買ってくださいね」と言い続けられる人間が、講師として選ばれる。話す内容が正しいかどうかなんて、まったく検証がなされない

 こういう理由で、「ガチ」のセミナーと「ランチョンセミナー」では、クオリティが全く異なる。それなのに両者を同じく「講演」と呼ぶのは、公正さを欠く。「『ランチョンセミナー』には、なにがしかの規制を加えるべきなのではないか?」あたしは悩むようになった。

 ところがある日、寄席に行った際に、ふと悟りを得たのである。

 あたしには落語家の友人がいて、彼の誘いで落語を聴きにいったのだ。その日の演目には「芝浜」と「文七元結」があった。両方ともあたしの好きな噺だ。

 「芝浜」の噺が終わってあたしは、さあ次は「文七元結」だと期待した。

 ところが高座に出てきたのは、落語家ではなく、物真似芸人だった。あたしは「あれ?なんで真打がでてこないの?」と拍子抜けした。物真似の芸も、それなりに面白かったので、別に不満はなかったが。

 10分くらいの物真似芸のあと、ようやくトリの「文七元結」が始まった。噺は確かすばらしく、あたしは満足した。

 しかし、なぜあそこで物真似が入るのであろうか?純粋に落語だけを楽しみに来ている客にとっては、蛇足なのではないだろうか?

 あたしは不思議に思ったので、友人の落語家にそう言った。

 落語家は答えた。

 「あれはあれでいいんすよ。『芝浜』も『文七元結』も大ネタで、45分くらいはかかるでしょ?二つの噺を続けてやったら、お客さんは疲れちまいますからね。軽い芸を入れて、その間にトイレに行ったり、せんべい食ったりしてもらうんすよ。」

 「そうだったのか!」

 その瞬間、あたしが「ランチョンセミナー」に対して抱いていた違和感は、氷解したのである。

 「ランチョンセミナー」はそもそも、襟を正して聴くものではなかったのだ。大トリ前の物真似芸と同じで、あくまで休憩時間であり、前座であるのだ。みんなそれが解っているから、テキトーに話しを聴いているのだ。それまで、あたしは真面目に考えすぎていた。あたしは、発表者の話が始まる前に、なるべく弁当を食べ終わるようにしていた。物を食いながら人の話を聴くのは礼儀に反すると思っていたからだ。だが、ベントー食う場と割り切って、そんなことは考えなくてもいいのだ。どのみち話の内容は「川口浩の探検隊」だし。

 悟りを得たあたしは、ふたたび、こだわりなくランチョンセミナーに参加するようになったのである。

 だって仕方がないだろ。きょうび円安で、ホテルのメシは恐ろしく高い。ランチなんか食ったら3000円くらいは平気で吹っ飛ぶセミナーの内容が空疎だったら、スマホでメールチェックするか、パソコンでブログ書いてりゃいいんだし。

 というわけで、あなたが今読んでいるこの記事も、ランチョンセミナーの賜物なのである。

 今回も長くなっちまった。そろそろ終わろうと思う。でも最後に、みんなあらためて考えて見て欲しい。

 「ランチョンセミナー」の本当の主役は、いったいだれだろうか

 「それは当然、講師だ」と、みんな思っているだろう。

 しかし、本当にそうだろうか?

 弁当が配られなかったら、ランチョンセミナーなんか聴きに来る奴なんか、ほとんどいないはずだ。

 ということはだ。「弁当こそがセミナーで一番、重要」という帰結になる。この論理をさらに展開すると、「ランチョンセミナーにおける最大の功労者は、ベントー作ったシェフや板前」、ということになる。彼らこそが一番、エラいのだ。

 だから、「ランチョンセミナー」では、ベントー作ったシェフを、まず紹介すべきなんじゃないだろうか

 ランチョンセミナーでお抱え職人が話を始める前には、その職人の「略歴」が、まず紹介される。「どこそこのすし学校を卒業して、どこの国に留学しました、現在は東京のどこそこで店をやっていて、最新のレーザー機器を備えております」てな感じだ。

 そんな紹介も、まあいいだろう。どうせ誰も聴いてないからね。だけど、やっぱり本当の功労者はきちんと紹介するべきなんじゃないか?

 だから「お抱え職人」を使って宣伝をする業者たちよ、今後は、同じ職人でも、お弁当作ってくれたシェフを大切に扱ってくれ。

 「ランチョンセミナー」の冒頭では、座長はまずシェフを紹介すべきだ。

 「本日のお弁当を作ってくれたシェフは、広島の高校を卒業した後、フレンチの道を志し、東京のニューオータニに入職しました。そこで10年の修行ののち、郷里の広島に戻って自分の店を開業しました。瀬戸内の食材を使った新機軸のフレンチは、日本国内だけではなく、海外にも多くのファンがおります」

 その次に、シェフにひとこと言わせるべきだ。

 「私の得意とするのは魚介類のテリーヌで、本日のお弁当にも入っております。瀬戸内海のエビと鯛を使ったテリーヌを、ぜひお楽しみください。」

 こういう核心部分をまず済ませてだね、それから「お抱え職人」に話をさせる。それが筋ってもんじゃないか?

 でも待てよ?これだと最初に「真打(=シェフ)」が話して、次に「前座(=お抱え職人)」が話すことになる。寄席とは逆だな。でもまあいいか。「前座」のあとには、午後から始めるガチのセミナーで、ちゃんと一流の職人たち=「真打」の話が聴けるわけだから。

 

おことわり:本ブログに出て来る人物はたぶん架空のものであり、実際のクリニックとは関係が…あったりして。