せとうち寿司ブログ14―ギャグブログ「委員会」

 

 

 

 すし職人むけの雑誌で、「造形すし学」というのがある。「造形すし学」は、美しく寿司を握ることをテーマにしている月刊誌だ。あたしはこの雑誌で、今年(2023年)の1月から連載を始めた。このブログの読者の皆さんの中には、読んでくれている人もいると思う。

 連載の内容は、魚の「ひれ」についてである。「ひれ」の構造は非常に複雑で、理解するのはなかなかむつかしい。だから若い寿司職人たちを対象に、「『ひれ』の構造と機能」についてなるべくわかりやすく解説しているのだ。東北にある「伊達政宗すしセンター」の師匠がこの方面の達人なので、二人で相談しながら書いている。あたしの勉強にもなってありがたいことだ。

 しかし、あたしがこの連載を始めたのを見て、驚いている人達がたくさんいる。「なんでまた、急に連載を始めたの?」と、ほかの職人たちによく訊かれる。今回は、その理由について書く。

 ちょっとややこしい理由なんだが、日本の社会全体に蔓延している問題点にもちょっと関連する話なので、すし業界以外のみなさまにも、知っていただきたい。

 順を追って説明するね。

 まず、想像してみてください。もしもあなたが大学生でだね、なにかのスポーツにハマったとするよ。毎日熱心に練習するので、だんだんうまくなる。そうすると、みんなと一緒に練習して、切磋琢磨したくなるよね。

 ところがあなたの大学には、そのスポーツの部活はない。だからあなたは新しく、部活をつくろうとする。そのためには顧問が必要だ。そこで、理解のありそうな先生を捕まえて、「新しく顧問になってください」とお願いにゆく。快諾すると思いきや、その先生は「悪いけど、忙しいから」と断った。とんでもない教師だよな!学生のやる気を台無しにしている。

 あるいはあなたが、ある街の町内会長だとするよ。町内で何かイベントをやって、皆を楽しませたい。噂によると、面白い技をもっている職人が、町内に住んでいるらしい。そこであなたは、その職人に講演を頼むことにした。

 あなたは思う「面白い話を聞けば、町内の皆様もきっと喜んでくれるだろう!」

 ところが講演のリクエストを、その職人はにべもなく断った。なんと付き合いの悪いやつだ!その職人は!

 あるいはだね、あなたは、ある学校の理事で、国際交流に力を入れている。外国の学校と、積極的に付き合っていこうと思っている。そんなあなたの国際性を知ってか、タイの学校があなたにメールを送ってきた。「今後あなたの学校と、交流活動をしてゆきたい。話をしたいので、1週間ほどわれわれの学校に、おいでになりませんか?」

 あなたはもちろん、快諾する。そして考える。ほかのだれかにも協力してもらえないだろうか。そうだ、よく北京とかハルビンに、よく行っているあいつを誘おう。アジアとの交流には熱心そうではないか!そう思って、ある職員に、タイに一緒に行かない?と誘う。ところがその職員はあなたの依頼を、にべもなく断る。失礼な奴だ!

 

 こに出てくる3人の野郎どもは、どうしようもないやつらだ。そうは思わないか。1番目の奴は、学生の創造性を育もうとはしない、教員としてあるまじき姿だ。2番目の奴は、地域のコミュニティを大切にしない。自分勝手だ。3番目の奴は、国際交流への貢献をしない。利己的だ。

 実はだね、これらはみんな実際の話で、しかも同じ人間がやったのだ。そいつはもう、救いようのないほど自分勝手な野郎だよな。生きてたって仕方がない、そう思わないか?

 ところがだね。実はそいつは……あたしなんだ

 しかもだね、この1週間のうちに、これら3つのことを全部、やってしまった。

 まず、最初の話だ。あたしはすし職人を養成する学校で教員をしているんだが、学生たちはさまざまなクラブを作って、楽しんでいる。ところが、ゴルフ部はないんだ。それでゴルフの好きな学生たちが、あたしに顧問になってくれと言ってきた。しかしあたしは、「悪いけど、あたしはゴルフのことはよく知らないから」といって、顧問を断った。

 2番目の話だが、せとうち県の役人がやってきて、あたしに講演の依頼をした。寿司職人としてのあたしの経験談を、来月、県民に話してやってほしいという。あたしは、丁重にお断りした。

 3番目だ。すし学校の偉いさんが、あたしに言ってきた。「タイの学校から要請があって、今後、交流活動をやってゆきたい。タイ交流委員会をつくるから、君にも入ってもらいたい。」しかしあたしは「お客さんの予約がたくさん入っていますんで」と言って断った。

 この三つの行為から判断すればだね、あたしは、教育者としてもダメだし、地域社会にも溶け込んでないし、国際人としても自覚が足りない、ということになる。そうだろ?

 しかし、あたしにだって理由ってものがある。まずゴルフ部の顧問を断った件だ。あたしは胸鰭のあたりの調理をするのがすごく好きで、したがって得意である。そのため大阪や東京の店からも、寿司を握ってくれと、よくお呼びがかかる。それで大阪には毎月、東京には2か月に1回は、すしを握りに行っている(とくに大阪の店は、ナニワすし学校ならびに甲子園すし学校を卒業した職人たちがいろいろ手伝ってくださり、非常にありがたい。)

 あたしの住んでいる、せとうち県から大阪までは2時間半、東京までは5時間半かかる。いずれも日帰りで行くのは、ちょっと厳しい。だから少なくも1泊か2泊はするのだが、平日に2・3日連続で職場を空けるのは気が引ける。それゆえ、週末に入り込む形で出張をする。つまり土日を、仕事に使っているわけだ。

 もしもあたしがゴルフ部の顧問を引き受けたとするよ。学生たちはおそらく、週末にほかの学校と試合をするはずだ。ゴルフはあまりケガをしないスポーツだとは思う。だけどやっぱり、遠征先で食中毒になったり、熱射病になったりするかもしれない。そういうことが起こっても、大阪や東京で仕事をしているあたしには、対応ができない。だから顧問を断った。

 次に県からの講演を断った件だ。すしを食いにくるお客さんにも、いろいろある。まず「すしが食いたくなったからとりあえず、手近なすし屋に行ってみよう」と思うお客さんがいる。こういうのが、どちらかというと普通だろう。一方で、特徴のある寿司を食いたくて、ネットで全国の職人を検索し、その職人の店にわざわざ行くお客さんもいる。あたしのお客さんは、後者がほとんどだ。わざわざ遠方からおいでになってくださる苦労を思うと、胸が熱くなるこちらとしても全力ですしを握らないといけないな、と心から思う。それがあたしの生きがいだ。つまり「近いから、あの店に行ってみるか」というお客さんは、あたしの場合には少ない。

 せとうち県は小さな県であるが、立派なすし屋は多い。すし店の競争が激しいから、役人としても、あたしの店に宣伝の機会をあげるよ、という気持ちだったのだろう。

 でもおかげさまで、遠方からおいでになるお客さんで、あたしの店の予約は、だいたい1年くらい先まで埋まっている。だから近場で宣伝をする必要性が、それほどないのだ。

 それに、あたしはかなり詳しいホームページを作成している。あたしのやっていることに興味を持ってくださる方がいれば、少し検索すれば必ずヒットするはずだ。ネット上に動画も配信しているから、わざわざ会場を準備してくれなくたって、用は足りているはずだ。こういう理由で、役人の誘いを断った。

 最後に、タイ交流委員会の件だ。言っとくが、あたしはタイ料理は好きだよ。パクチーとタイカレーなんか、大好きだ。タイは「微笑みの国」というから、いつかは行ってみたいとは思うよ。

 しかしだね、あたしは中国を相手に「すしツーリズム」をやろうというプロジェクトに、真剣に取り組んでいる。これだけでも結構、いそがしい。動画を創ったりして宣伝しなきゃいけないからね。いままではコロナの流行のために控えていたのだが、これからは上海とか北京に出張することが増えると思う。年に2回は行くことになるだろう。シンガポールとかアメリカでもすし学会があったりするから、それでもう、年に3・4回は海外に行かんといかん。

 これでもし、タイとの交流の仕事がさらに増えたらだね、年に5・6回、外国にゆくことになるではないか。仕事は下に任せて、自分は年に5回も6回も海外にいっている親方も、たしかにいるよ。でもあたしは自分で寿司を握っているから、そんな余裕はない。それでタイ交流員会のメンバーになるのは断ったのだ。

 要するにあたしには、「ひいきにしてくれるお客さんたちのために、きちんとした寿司を握る」という、ミッションがある。それ以外のことには、あまり時間とエネルギーを使いたくない

 でもあたしだって、専門のことだけをやっておけばいい、というほど世の中は甘くないのもわかっている。いやしくもすし学校の親方を任されている以上、「寿司を握る」だけではなくて、世の中になにかプラスアルファをもたらさなくてはいけない。そういう義務もあるのは知っている。だから各方面からの依頼を断ることに、少しは良心の呵責を感じているのだ。

 それで罪滅ぼしというか、なにか人様のお役にたてないかを考えた。たどり着いたのが「ひれの構造と機能」について、教科書を書くことだったわけ。「ひれ」の構造はかなり複雑で、あたし自身、修行時代には「ひれというものは、なんでこんなに複雑なのだろう」と、悩まされたものだ。それについていつも、うんうん言いながら考えていた。そうすると何かの拍子に、ふっと「悟る」ことがある。目の前がぱっと明るくなる感じで、いままで分からなかった問題に、急に答えが見つかるのだ。こういう積み重ねを経て、複雑である鰭の構造が、ようや理解できた。自分の発見したことを、いつか若い職人たちに伝えたいと、あたしはかねてから思っていたのだ。それで「ひれの構造と機能」について連載を始めた。あたしにとっては、この仕事は全く苦にならない、というか、かなり楽しい。もともとあたしはものを書くのが好きだし、あたしの本業である「すしを握る」ってことに直結しているからね。

 なにより、人の役に立つのは気分がいいものだ。この間、あたしの書いた記事を読んだ若い職人が「あれを読んでようやく、鰭の構造がわかりました」と言ってくれた。それを聞いてあたしは、とてもうれしかった。

 どうだね、あたしだって根っからのひねくれものというわけじゃない。世間様に対して、少しは貢献しているだろ?

 そもそも、どんな人でも「世の中のために役に立ちたい」と、多かれ少なかれ思っているんではないだろうか。だから、上の方から「君はこれをやりなさい」と強制するのはいかがなものか。なにをやって世の中に役立つかは、なるべくその人に決めさせるべきだ。あたしの場合にはそれが、若い職人たちのために教科書を書くことだった、ということだ。

 部活の顧問になって学生の面倒を見るのが好きな人もいるだろうし、旅行に行けるならどこでも行くが好きな人も、そりゃいるだろうよ。そういうボランティアをあたしは否定しないし、やってる人を見ると偉いと思うよ。でも悪いけど、あたしは興味ない。

 近年、経済的地位の凋落により、「日本社会は、じつは生産性が低い」ということがバレてきてるよね。その理由はずばり、「人の時間とエネルギーは有限」ということを前提にしていないからだとあたしは思うね。

 「何かをやろう」を誰かが思いつく。そのプロジェクトそのものはいいことだ。それに参加する人を募るのも、自然なことだ。ただそれに参加すると、それなりのエネルギーを費やす。当たり前のことだ。

 プロジェクトの作り手はさまざまだ。あたしのケースで言えば、学生たちであり、県の役所であり、すし学校の幹部たちだ。だけどそういうバラバラの組織によってつくられた、複数のプロジェクトをまとめて相手するのは、あたしという一個人であるわけだからね。「複数の組織 VS 一人の人間」の関係であることを、もうちょっと考えて、その人のキャパを越えないかどうか、を検討してほしい。

 この問題は、おそらくすし学校だけではなくて、日本の社会全体に共通しているのではないだろうか。銀行に勤めている友人が言っていたんだが、とにかく無駄な会議が多いと。たとえばある靴メーカーに対して融資が企画されるとすると、「靴ビジネスに対する勉強会」などが開かれて、その部署のものが全員参加なんだと。それで、靴の製造工程やコストの説明が延々と繰り広げられるんだと。

 融資一般に対する知識は銀行員のキャリアアップになると思う。でも靴底を作成するのに必要なコストは、その担当者だけが把握してればいいんでないかい?素直に考えるとそうなると思うのだが、プロジェクトをつくる側は、「情報を共有」とか「チームワーク」なんて錦の御旗を持ちだしてくる。そうすると参加を断るのは相当な勇気がいる。それで、ずるずると参加せざるを得ない。そして、自分にいとっては重要性の少ない(というか全く無関係な)仕事に、貴重な時間とエネルギーを費やすことになる。

 だから繰り返しになるけど、「人の時間とエネルギーは有限」ということを、社会全体であらためて認識すべきじゃないだろうか。雇われる側だけではなくて、雇う側もね。

 近年になってようやく、「このままいったら地球がやばい」ということが、みんなわかってきた。それで「エコシステム」という言葉が普及してきた。これと同じで、「このまま行ったら日本はやばい」のだから、人間のエネルギーには限界があることを、いまこそみんなで認識しようじゃないか。その上で仕事に優先順位をつけて、どうでもいい仕事はバッサリ切った方が、生産性が上がるはずだ。いい標語が必要だね。「ジョブリミット」なんかいいかもしれない。人間ができる仕事(ジョブ)には限界があるのだから、それを合理的に運用しましょう、という思想がよくわかる。つまらん雑用を押し付けられそうになると、「ちょっと、ジョブリミ的に…」なんて言えばいいんじゃないか。

 ここまで言えば、さすがにみんなわかってくれただろう?

 なに、わからない!「あんた個人の都合もあるかもしれないけど、それじゃあ組織が回らない」そういうんだね。

 あーそうかい。そこまで言うなら、あたしにも考えがある。断った三つの仕事を、みんな引き受けようじゃないか。ゴルフ部の顧問もやるし、県の講演もやるし、タイ交流委員会も引き受けようじゃないの。

 そのかわり、あたしのいうことも聞いてもらうよ

 まずゴルフ部だ。毎日、朝練をやってもらおうじゃないの。あたしは朝起きると運動するのが好きだ。お客さんの予約が多い日以外には、1時間くらいランニングをやっている。それに付き合ってもらおうではないか。あたしだって一人で走るより、みんなと一緒に走るほうが気合が入る。それに、足腰を強くすれば、ゴルフにだって役立つだろ。毎日6時半に、すし学校の正門前に集合な。言っとくけど、雨でも休まんよ。

 つづいて県による、講演要請の件だ。1回だけなんてケチなことを言わず、毎月、やってあげよう。その代わり、県民大ホールでやらせてもらうよ。せとうち県の県民ホールはかなり立派で、1000人くらいは入れるよな。松任谷由美オフコースのライブも、ここでやっていた。この会場で、胸鰭に関する講演をやってあげる。観客は30人くらいしかいないと思うのだが、仕方ないよな。だってあんたたちのリクエストなんだから。欲を言わせてもらえば、竹原ピストル泉谷しげるとの合同ライブがいいね。あたしはあいつらが好きなんでね。

 また、タイ交流委員会の件。これも引き受けて、タイとの交流をきっちりやってあげるよ。タイの学生が見学に来る際には、土日をつぶして瀬戸内の島々を案内するよ。タイにも行こうじゃないの。だけど、タイにゆく途中で、毎回、上海にもよらせてもらうよ。別々に行ったら、年に何回も職場を離れなきゃいけない、そういうわけにはいかんからね。今まで上海とかハルビンにゆくときには飛行機代は自腹で払ってたんだが、これからは委員会に払ってもらおうか。なにしろ、公の仕事なんだからね。

 こういうと「とんでもない要求ばかりしてんじゃねーよ」と思う人が多いだろうな。

 でも、組織が個人にいろいろ要求してくるわけだから、個人の側から組織に要求したっていいじゃないか。その理屈をわかってほしくてたとえ話をしただけの話で、あたしは極めて常識人なのだ(文句あるか)。そこんとこ、ヨロシク。

 何回も繰り返して悪いけど、「一人の人間ができることの量は有限であるのに、それを考えないのが、日本社会の特徴」ってことは、みんなに認識してほしいね。こういう認識を共有するだけで、日本人の働き方は、ずいぶん変わるんじゃないか。生産性を増すには、そうしないとダメだと思う。

 ここまで言ってわからないのなら、あたしも奥の手を使わせてもらうよ。個人である立場を捨てて、集団の方についてやる。あたしだって、すし学校なり、すし職人学会という「組織」の一部であるわけだからね。そういう組織の部長会なり評議員会に出て、「ギャグブログ委員会」の設立を提案する。最近、ロシアは戦争を仕掛けるし、円は下がるし、物価は上がりっぱなしで、いいニュースが少ない。こういう時勢にあってこそ、ギャグが必要だと思うのだ。それが、あたしがブログを書いてる理由のひとつだ。「ギャグで世の中を明るくする」とても正しいことではないか。だからみんなでやろうよ!毎月1回は委員会を開催して、そこで自分の書いた話を朗読しようよ!だれが反対する人がいたら、挙手をお願いしまーす。いねーよな、そんな不届きな野郎は!

 もっとやってやろうか。「タイ交流委員会」があるのだったら、「ウガンダ交流委員会」があったって悪くないよな。タイもウガンダも、日本にとって大切な外国なことに変わりはないんだからね。タイ委員会だけをつくるのは、民族差別だ。だから今度、県会議員に働きかけて、せとうち県-ウガンダ交流協会をつくってもらおう。

 こういう風にだね、際限なく人の負担を増やすのは、迷惑だろう?だからもうそろそろ、やめようよ。あたしだって、いい年して「ギャグブログ委員会」とか「ウガンダ交流会」なんて、アホなことを言いたくないからね。世間体が、あんまりよくない。といいつつ、けっこう楽しんでるけどさ(笑)。