地方の「ベスト・キッド」たち

地方で研修

 はじめて封切されたのは40年ほど前にもなろうかと思うのだが、“ベスト・キッド”という映画があった。いじめられっ子の少年が、空手の修行を通じてたくましくなり、ついにはいじめっ子をやっつける話だ。勧善懲悪とスポ根のミックスしたストーリーで、しかもハッピーエンドである。非常にわかりやすくて、すっきりする。アメリカ映画の典型である。

 いじめられっ子の少年に空手を教えたのは、ミヤギという日系の老人である。ミヤギは沖縄出身で、空手の達人だ。彼は雑用を通じて、単調な反復動作を少年に叩き込む。たとえば壁塗りを少年に強要する。何万回と刷毛を動かすうちに、少年の手首はいつの間にか鍛えられる。練習の意味について疑いながらも、少年はミヤギの言うことを着実にこなしつつ、強くなってゆく。

 映画のクライマックスは、いじめっ子との試合だ。主人公は最初、押され気味であった。しかし、ミヤギの指導によりいつの間にか身についた手足の動きを使って、いじめっ子をノックアウトする。ラストシーンはミヤギのにんまりとした笑顔だ。

 最近、しみじみミヤギの気持ちがよくわかる。

 ぼくは香川県にある国立大学で、若い医師たちを教育している。手取り足取り教える、ということはしていない。いろいろやって見せるから、いいところは見て学びなさいよ、というスタンスをとっている。

 ただやはり若い人は伸びてゆくものだ。みんな手術が着実にうまくなってきているし、患者さんへの対応など、社会で生きてゆくスキルも少しずつ身についている。

 教育とは互恵的なものなのであろうか。彼らの姿を見て、ぼくのほうが新たな真実に気が付かされることも、しばしばある。

 最近とみに感じるのは、地方に生まれ育った人間は、独特の力をもっているということだ。「愚直の力」とでも表現すればよいのであろうか。こういうタイプの力があることは、東京で暮らしているころには、気が付かなかった。

 ぼくは9年前に香川に赴任してきたのだが、その前には東京の大学病院で働いていた。その大学病院は、東京でもかなりの中心地にある。ものの10分も電車に乗れば新宿に着くし、六本木には歩いて行ける。全国に大学病院はあまたあるが、遊ぶ環境としては3指に入る。

 そういう華やかな環境の中で、若い医師たちは、仕事を終えたらよく集まって飲みに行っていた。手術が終わって1時間もすれば、当番だけ残してだれもいなくなる。いわゆる「オン・オフがはっきりしている」生活を送っているのである。「働き方改革」を推奨する役人が、泣いて喜ぶライフスタイルだ。

 ところが香川の大学病院では、状況がだいぶ違う。

 ぼくは手術をやり終わっても、職場に残って夜中まで仕事を続けることがよくある。その日の手術を反省して、新しい方法を考えるのである。「ここはこうすればよかった」、「いやいやこうすればさらによくなるだろう」などと、図など描きながら考えているうちに、それに没頭してしまうのである。それでつい、時間が過ぎてしまう。

 けれど若者たちには、仕事が終わったらさっさと帰って、飲みに行くなりデートするなり、自由な時間を楽しみなさいよ、と言っている。こういうと、あたかもぼくが人格者のように聞こえるかもしれない。しかし、決してそういうわけではない。自分だって若いころは、仕事が終わるとソッコーで大久保のチャイナタウンや、六本木に繰り出していたからだ。だけど今は、仕事をしていることが純粋に面白い。ただそれだけだ。

 まあ理由はどうあれ「早く帰りなさい」と、若い医者たちにはいつも言っている。

 ところが、はやく帰れといくら言っても、香川の若者たちはよく夜遅くまで残っているのである。「何をやっているの」と訊くと、「患者さんが心配なので残っています」とか、「さっきの手術の写真を整理しています」とか答える。

 こういう真面目さをもった若者は、東京の大学病院にいたときにはあまり目にしなかった。長い手術があっても、担当でない人たちはさっさと帰ってしまっていたし、自分の仕事でないことには手を出さない。つまり「要領がいい」のだ。地方の若者たちには、こういう要領の良さがない

 香川に来たばかりのころには、ぼくにはそこが大変もどかしく思われた。たとえば学会の準備などを東京の若者にさせると、ぱっぱっとパワポでまとめあげる。そして物怖じせずに、大勢の前で発表する。ところが香川の若い医師に同じことをやらせると、準備に倍の時間がかかる。ひとつひとつ理解しないと、次のステップに進まないからだ。

 一緒に手術をやると、両者の気質の違いが肌でわかる。大学病院では規模の大きな手術が多い。5-6時間の手術はザラで、長い手術になると12時間以上かかることもある。

 こういう大きな手術となると、すべての手順を一人でやるわけにはいかない。ぼくは、血管を縫ったり骨を切ったりという、核心となる操作については、責任をもって自分で行っている。だが皮膚を縫うなど簡単な操作に関しては、若手に任せることが多い。もっとも、きちんとできているか否かには、しっかり目を光らせているが。

 東京にいたころに若い医者にこういう「下請け」の仕事をやらせると、なるべく早くすませようとする傾向があった。よく言えば効率的、悪く言えば手っ取り早くやるわけだ。ぼくも、そのころはそれが当然と思っていた。それゆえ、なぜ「効率的」に作業を行うのか尋ねたことはない。

 おそらく二つの理由があるのであろう。

 一つ目は、なるべく早くすませて帰りたいことだ。娯楽へのアクセスが良いので、スイッチをはやく「オフ」に切り替えて、遊びに行きたかったのであろう。

 二つ目は、核心部分をじっくりと見学したかったのであろう。簡単な操作とはいっても、よそ見をしながらやるとミスが出る。したがって、それを行っている間は、ぼくが行っている操作を見学することはできない。そうするといつまでたってもその手術ができるようにはならない。だから早めにデューティをこなしてしまって、あとはお手本をよく見よう、そう思っていたのであろう。

 二つの理由の性質は、かなり異なる。しかしいずれも、「要領の良さ」という点においては共通している。もちろん例外はあるけれど、おおざっぱにいって都会の若者たちにはこうした傾向が強い。

 これに対して、地方の若者たちはどうか。

 与えた仕事を、じつに真面目にやるのである。たとえば舌がんの手術では、大腿部の筋肉を移植して、失われた舌を作り直す。口の中と、大腿部が手術の対象になるのだが、手術の核心は口の中の操作であることは容易に想像がつくと思う。大腿部については、移植する筋肉を採取してしまえば、あとは単純に縫い合わせるだけだ。こういう簡単な作業は、初歩の修行として若者たちに割り当てられる。

 先ほど述べたように東京の若者たちは要領がよい。それで、大腿部の皮膚を縫うのはパパっと済ませてしまって、あとは術者の操作を見学するなり、休憩するなりする。

 ところが地方の若者たちは2時間も3時間もかけて、丁寧に、丁寧に縫うのである。むしろ術者であるぼくのほうが、「お前らなあ。丁寧に仕事やるのはいいけど、こっちもちゃんと見とけよ」と、注意する始末なのである。

 都会の若者と、地方の若者で、なぜこうした気質の違いが出るのであろうか。

 理由はいろいろあるのであろうが、受験環境の相違がひとつの大きな原因だと思う。東京では良い塾が多い。そういう塾では受験問題を分析して「ここが出る」と教える。そして受験生たちは、重要な点を集中的に学習する。ところが地方では良い塾は少ない。だから問題集を買ってきて1ページ目から解いてゆくような、地味な学習をするほかはない。

 勉強への取り組み方が異なるので、頭の使い方もだんだんと異なってくる。東京の受験生は「どこが重要か」を選別することにまず関心が向かうが、地方の受験生は目の前の問題をまず解くことに集中する。

 このメンタリティの相違は、「銀行員」と「農民もしくは職人」の違いにたとえるとわかりやすいのではないか。農場なり工場をつくる場合、銀行員ならばプロジェクト全体を、まず俯瞰するであろう。その上で各プロセスにかかる費用を計算し、資金の点から計画を練るはずだ。

 ところが農民もしくは職人はそう考えない。その土地が野菜の栽培に向いているかをまず考える。あるいは工場に隣接する河川の水量は、タービンを冷却するために十分か否かを、まず考える。

 ぼくは地方で9年近く暮らすうちに、こういう「農民・職人的」な態度の大切さが、だんだんとわかってきた。

 手術はいつも計画通りにゆくとは限らない。東京の大学病院にいた際には、こういう場合、「焦り」や「いらつき」が生じる傾向があった。なぜなら東京では「こうなるはずだ」という型があって、それから逸脱するのを極端に嫌う空気があるからである。

 駅のアナウンスを聞いてみるとよくわかる。山手線が1分遅れると、「ご迷惑をおかけして、まことにすみません」と放送が入る。

 ところが、地方ではあまりこういう雰囲気はない。ちょっとくらい計画どおりにいかなくても、「まあそういうことも、あるんでないかい?」と、おおらかに受け止められる。たとえば岡山駅から高松に向かう急行は、乗り継ぎが悪いと5分でも10分でも発車しない。

 そういう雰囲気のなかで手術をしていると、問題に対する対処の仕方が、知らない間に変わってくる。「どう計画を修正しよう」と焦るのではなく、手を動かしているうちに、自然と解決策を思いつく、という感じになってくるのだ。頭で考えるのでなく、体で考えるようになるのだ

 禅宗には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。言語化できない感覚こそが、大切ということだろう。そういうセンスが、手術を繰り返しているうちに身についてくる。つまりだまって黙々と手を動かす、ということで「動く座禅」を繰り返しているのだ。こういう動作、あるいは生活態度をずっと続けていると、突然、新しい手術の方法を思いついたり、難局の突破口が見えたりする。何十年間も外科医としてキャリアを積んできて、ひとかどの手術技術をもっている人にならば、この感覚はわかってもらえると思う。

 また実際に、ぼくが「この人は手術が上手だな」と思う人は、地方で仕事をしている場合が多い。もちろん東京や大阪の外科医の中にも、手術が上手な人間はたくさんいる。だが彼らとて、高校まではずっと地方にいたとか、若い時に長らく田舎で仕事をしていたとか、どこかの段階で、かならず地方での生活を体験している。

 つまり地方で外科の修行をしている若者は、自分で気が付かないうちに、東京では学びえないものを身に着けているのだ。

 ぼくの勤めている大学の学生は、半分くらいが東京や大阪・名古屋の進学校の出身だ。残りの半分が四国や、山陽地方に生まれ育った者たちだ。都会からきた学生たちは、卒業したら当たり前のように、きらびやかな出身地に帰ってゆく。「地元」からきた学生たちは、いかなる想いで、去り行く友たちの背中を見るのか。

 「地元」派の若い医師たちは、高校時代には、都会の国立大学に進むほど成績は良くなかったのかもしれない。卒業して何年間経っても、いまだにそのことで劣等感をもっている人間も多い。ベスト・キッドのいじめられっ子みたいなものだ。ところがまさに田舎にいるがゆえに、東京にいる同年輩が学べない能力も、学びとっているのだ。いつかは、そのことに気が付く日がくるはずだ。その時にぼくは、ベスト・キッドのジジイように、ニヤリと笑うと思う。明るくはない、陰険な笑顔で(もともとの性格でもあるが)。その日を今から、楽しみにしているのである。