せとうち寿司親方つれづれ日記12―俺のクリスマスソングは竹原ピストルだぜ!

この歌詞、みんな変だと思わんのですかね?

 あまり人前では言わないが、あたしはクリスマスが苦手なんである。

 「せとうちの野郎は、またつむじ曲がりなことを言って!」と、非難されるのはわかっている。でもまず、次の文章を読んで欲しい。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 トーマスは高校から帰ってくると、母親に用事を言いつけられた。ウォルマートにオセチ・ボックスをとりに行けと言うのである。今夜の家族パーティで食べるためである。    

 トーマスは五大湖湖畔のある州に住んでいる。この地方の冬の寒さは厳しい。トーマスは外に出るのは気が進まなかった。しかしここで母親の言いつけを断ると、明日のガンジツ・ホリデイに父親からもらうオトシダマ・チップの100ドル札が、3枚から2枚に減る可能性がある。そこでトーマスはコーヒーを一杯飲んで体を温めると、雪の中をウォルマートに向かって行った。

 街は寒く、息は凍る。しかし、ショーガツという、年間最大のフェスティバルを迎えて活気がある。大通りには若いカップルがたくさんいる。いつのころからか12月31日、つまりショーガツ・イブは『恋人たちの祭日』になってしまった。ひと昔前の景気が良かったころには、ショーガツ・イブには高級なスシ・バーで食事をして、高価な指輪を彼女に送ることが、男の甲斐性だと考えられていた。そういう時代に生まれなくて、本当に良かったとトーマスは思う。

 ウォルマートにたどり着くと、トーマスはオセチ・ボックスを配布するコーナーへ行った。ネット予約しておいたオセチ・ボックスを受け取るためである。オセチ・ボックスの大きさは値段に応じて異なる。安いものはウメ・セットと言って100ドルだが、高価なマツ・セットは1000ドル以上する。オセチ・ボックスの中央には、大きくて真っ赤なソーセージが入っている。焼き上げたのちに、皮の部分を染色するのだ。この着色料は、本来はゼリービンズに使われるものだと聞く。トーマスの家では時々、ソーセージを食べる。しかし赤く染めたソーセージは、ネンマツ・イブにしか食べない。なぜ赤く染めるのか、詳しくは知らない。ヒノマル・フラッグの丸模様と同じ色だからであろうか。ソーセージの半分は切れ込みをいれていて、放射状に広がっている。オクトパスを模しているのであるが、これほど大きなソーセージとなると、もうほとんどハムと言ってもいいだろう。ソーセージのもう片方には、ヒノマル・フラッグがさしてある。そういえば今日は街中でも、ヒノマル・フラッグの模様の帽子や服を身に着けた人が多い。

 本当に最近の日本人気は相当なものだ。ヒノマル・フラッグは車のステッカーやTシャツ、食料品のパッケージなど、いたるところに使われている。ここはアメリカなのに、とトーマスは思う。

 オセチ・ボックスを受け取ると、帰路についた。途中、ブッキョー・テラの前を通りかかった。この街の大半はキリスト教徒だ。だからテラは、ふだんは閑散としている。ところが今日は長蛇の列ができている。Zazenを組みながら年越しの瞬間を迎えるのが、流行になっているからだ。

 ブッキョー・テラとしても大みそかは書入れ時であるので、Omamoriというグッドラック・チャームを売っている。これを買えば来年1年、病気にも事故にもあわないということになっている。

 大みそかにおけるブッキョー・テラの盛況を見て、これにあやかるキリスト教の教会も増えている。Year endの瞬間から、108回の鐘を打ち鳴らすのである。

 トーマス家の晩餐は、19時からはじまった。トーマス一家はキリスト教の信者なので、いつもは食事の前には神に祈りをささげる。

 しかしショーガツ・イブだけは特別の儀式を行う。

 まず、家族みなでスキヤキ・ソングを歌う

 歌い終わると、手のひらを打ち鳴らす。これには定められたリズムがある。3回拍手をしたあと、大きく1回手を鳴らす。これを3回繰り返す。この拍手はサン・サン・クドというらしい

 サン・サン・クドが終わると、いよいよ楽しみにしていたオセチ・ボックスを食べ始める。

 オセチ・ボックスには真っ赤なオクトパス・ソーセージの他に、スウィート・ポテトのマーマレードや、チョコをまぶしたビーンズも入っている。これらはそれぞれ、king-tongならびにkuro-mameというそうだ。King-tongを食べると保有している株価があがり、kuro-mameを食べると免疫力がつくらしい。医療費の高いアメリカでは喜ばしいことである。

 しばらくすると玄関のベルが鳴った。宅配のピザが届いたのである。ネンマツのピザは特別で、mochiというライス・ケーキの上にチーズが乗っている。これもなにか宗教的な理由があるようなのだが、トーマスは普通のピザの方が好きだ。

 晩餐と家族の団らんを楽しんでいるうちに、23時になった。トーマスの父親は外出のために身支度をし始めた。ブッキョー・テラに行って鐘の音を聞きつつ、zazenを組むためである。

 しかしトーマスはベッドに入った。明日はNew Year Dayであるので学校は休みだ。しかし、キンチャンズ・カソー・フェスティバルというイベントにDorae-monの着ぐるみを着て参加するので、早く起きる必要があるのだ。

 明日もらう、オトシダマ・チップの額を気にしながら、トーマスは眠りについた。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 この文章はあたしが書いた。外国の社会科やなんかの教科書は、ある国の生活について紹介する際、そこの住民の視点に立って日記風に書く。そうすると具体的なイメージが湧きやすいからだ。その書式にのっとって、あるアメリカの高校生の視点から書いてみた。

 もちろんこれは現実ではなく、架空の話だ。

 でもこの話が現実になっていた可能性だって、あながちゼロというわけではない。

 現実には悲しいことに、日本の国力は凋落している。しかしバブル景気のころには飛ぶ鳥を落とす勢いだった。もしもかじ取りをうまく行っていれば、今頃はアメリカをしのぐ経済大国になっていた可能性だってある。強者に憧れるのは世の常だ。だからこの話のようなことだって、もしかすると現実に起こっていたかもしれない。

 そろそろ本題に入ろう。

 仮に、仮にだよ。もし上の話が現実だったとするよ。日本人であるあなたは、トーマス君一家のふるまいを、どう思うかね。

 「アメリカにも日本の文化が浸透して、喜ばしいことだ」

 そうかい、そうかい。でも優等生的な解答だな。本音を言おうよ。本音を。

 「正月をパロってくれるのはありがたいけど、なんか笑っちゃうよね

そうだろ?本音は。日米友好のために、はっきりそういう人は少ないだろうけどね。

真面目な人だと、「おいおい、マジかよ?」とか「自分たちの文化はないの?」とか思うだろう。

 まあ人によって感じ方は違うだろう。

 でもどのような感じ方をしたとしても、根底には共通した点があるはずだ。

 それは、もしこういう生活をアメリカ人がしたとすれば、彼らの文化に対して、少なくとも尊敬の念は抱けないということだ。

 だってわれわれの文化の外形だけを、模倣しているわけだから。しかも変なふうにアレンジして。

 愚かしい、とまでは言わない。だけどみんな「アホやなー」と思って苦笑いくらいはするのではないか

 あたしがクリスマスに対して気恥ずかしさを感じるのは、そこなんだ。クリスマスは日本人の生活にすっかり定着した。みんな、それなりに楽しんでいる。でもアメリカやヨーロッパから見ると、われわれの姿は、かなり滑稽なんじゃないか

 もっと具体的に言おうか。

 日本ではクリスマスはケンタッキー・フライドチキンが飛ぶように売れる。でもアメリカ人がクリスマスに食べるのは、フライドチキンではなくて七面鳥だ。開拓時代に食糧不足に悩む移民が、現地人から供与されたという歴史的背景があるからだ。

 「どっちも鳥肉だから同じようなもんだよ」なるほどそうだ。

 「旨けりゃいいじゃん。うるさいこと言うなよ」もっともです。

 でも、われわれがクリスマスにケンタッキーを食うのは、おせち料理に伊勢海老を入れる代わりに、赤いソーセージをいれるのとどこが違う?アメリカ人からみたら爆笑もんだろ。というか、すでに実際に、かなり笑いのネタにされているらしいよ。調べてみてくれ。

 さらに言おう。

 日本人の大半はキリスト教徒ではないのに、クリスマスには街に「諸人こぞりて」とか「ハレルヤ」とか、讃美歌が流れる。年越しのザゼン組みに行く、トーマス君のパパと、おなじだよな。ショーガツ・イブにタイムズ・スクエアアメリカ人が集まって「ナミアムダブツ」の大合唱をしていたら、あたしなら腹を抱えて笑っちゃうね。

 こういう理由でだね、あたしはクリスマスが恥かしいんだ。

 何年か前に、何気なくテレビを見ていたら、ダパンプとかとかいうグループが、その名も“U.S.A”というダンスを踊っていた。

 “カモン・ベービー・アメリカ”なんて歌っている。あたしは、同じ日本人がこんなはずかしい歌詞を臆面もなく平気でがなりたてているのを聞いて、心の底から情けなくなった。

 だって考えてもみてくれ。アメリカのテレビで白人のダンサーが「ジャパン・クール・ナンバーワン」と歌っているのと同じなんだぜ。これを見たアメリカ人たちは、「こいつら、やっぱり俺たちの属国なのね」と思うに決まってるじゃないか。

 ダパンプと同じことを北朝鮮でやったら、まず間違いなく死刑だろうな。あたしはキム・ジョンウンほど怒りっぽくない。だから仮にあたしが独裁者でも、彼らを死刑にはしないとは思う。でも重労働を5年くらいはやってもらいたいね。そうでもしないと、自分のやってることのみっともなさに気が付かないんじゃないか。日本の文化を体に染みつかせるために、田植えをやらせるといいんじゃないか。

 

 日本のクリスマスソングの定番になっているのは、山下達郎の「サイレント・クリスマス」と松任谷由美の「恋人はサンタクロース」だよね。これら二つの歌は、ダパンプの“U.S.A”とは違って、みっともなくはない。だけどその歌詞に、あたしは昔からひっかかっるところがあった。

 山下達郎は歌う。「きっと君は来ない~」

 ほー、そうですか。だったらなんで家にいるの?そういう暗い態度だから、彼女にふられるんじゃない?来ないってわかっているんだったら、飲みに行くとか、スポーツジムに行くとか、仲間と麻雀やるとか、いろいろやることあるでしょうに!家でジーっとしてネガティブなオーラを育ててどうすんだよ。そういう奴は、女の子はおろか、男の友達もいなくなっちゃうぜ。

 松任谷由実は歌う。「恋人はサンタクロース、背の高いサンタクロース!」

 ほー、そうですか。じゃ、背の低い男はどーすんの?そりゃ背の高い奴はモテるけどさ、でも、背が高い以外にも男の魅力はあるんじゃないの?筋骨隆々であるとか、足が速いとか、ケンカが強いとかさ。

 そういう男としての魅力を全部無視してだね、「背か高い」だけに焦点を絞るのはいかがなものか。たとえばボクシングの日本チャンピオンでも、ライト級クラスになるとだいたい身長は170センチくらいだ。そう高くないよな。しかし男としては、ただ背が高い奴よりもずっと魅力はあるんじゃない?フィギュアスケートの羽生君もそうだ。すごい選手ではあるが、背はそんなに高くない。背の高さだけにこだわると、そういう魅力を見落としちゃうよ。

 だからだね、「恋人はサンタクロース」の歌は1番から20番くらいまで創って、

 「恋人がサンタクロース筋肉ムキムキのサンタクロース

 「恋人がサンタクロースケンカ強いサンタクロース

 「恋人がサンタクロース足の速いサンタクロース

 なんかのフレーズも、ぜひ入れてくれ。

 「恋人がサンタクロース相撲の強いサンタクロース

 なんかも入れて欲しいね。だって、力士だってクリスマスにデートくらいするだろうからね。でも待てよ、力士はだいたい背も高いから、もともとの「背の高いサンタクロース」で良いわけだ。ハハハ。

 まてよ?藤井聡太君みたいな人もいるわけだから、「将棋の強いサンタクロース」も入れんとアカンね。

 それにしても、昔はみんな、よく働いていたよなー。「今夜、8時になればサンタが来る」んだろ?8時って、遅くね?いまなら働き方改革で会社から5時になると追い出されるから、6時にスタートできるぜ。

 こんなわけで、クリスマスに街に出ると、あたしにとっては?と思われることが、けっこうたくさんある。人は人、と割り切ろうとしても、同じ社会の一員であるわけだからね、やっぱり恥ずかしい。

 その気恥ずかしさを、どうにかしたくなる。

 日本におけるクリスマスはバブルのころに比べると、ずいぶんとおとなしくなっている。でもいまだに、フレンチレストランなんかは、クリスマスになると満席だ。

 とくに銀座であるとか、広尾なんかの都心部の有名フレンチは、何か月も前から予約が入っている。クラシックなんかを聴きながら、高価なワインを飲み、テリーヌだの、ポワレだのを食べている。

 流れているクラシックはたぶん有線だと思うのだが、チャンネルを変えて泉谷しげるの歌を流してやったら面白いだろうな。本人を連れてきたら、もっと面白いだろうな。「てめーら、日本人のくせにフォアグラなんか食ってんじゃねー」なんてね。ギター振り回したりしてな。

 ただそこまでゆくと、冗談が過ぎるだろうな。それに、正直言ってあたし自身も、若い頃にはフレンチだのワインだの、ベタなクリスマスの送り方をしていた。だから若者を邪魔しちゃいけない。彼らだってある程度、年齢を重ねると、あたしと似たような気持になることだろう。

 そこであたしは、独りで勝手に飲みに行く。これが正しい、オッサンのクリスマスだ

 気取りのない、というか、積極的にうらぶれた感じの居酒屋がいいね。カウンターは年季の入った木でできていて、そこここにタバコの火を始末しそこなった焼け焦げがある。あたしはタバコの煙は嫌いなんだが、この日だけは気にしない。

 つまみは牛スジ煮込みとか、魚のアラ煮なんかがいいね。メニューは紙に書いて、壁に貼り付けである。その紙はもちろん、油ですすけている

 酒はやっぱり焼酎だな。あたしがよく行く日暮里の居酒屋は、焼酎を頼むと、なぜかヤカンからコップについでくれる。

 焼酎には「バクダン」と「梅入り」という2種類がある。「梅入り」は焼酎に梅シロップを入れていれたもので、怪しげな褐色を呈している。「バクダン」には何が入っているのか、怖くて聞いたことがない。ただ、体には悪いことだけは間違いない。だいたい普通の人間は、1杯半も飲むと足に来る。あたしはだいたい、5杯くらいは飲むけどね。

 ミュージックは、竹原ピストルがいい。中年のオッサンの心に、グッとくるものがある。彼の歌を聴いたことのない皆さんは、ぜひ聴いてみてくれ。

 となりに座っているのはカップルなんかじゃなく、癖のありそうなオッサンがいいね。ブルーハーツの(今はクロマニヨンズ)の甲本ヒロトみたいな奴だったら、きっと意気投合すると思う泉谷しげるも良いな(俺、ホント好きだなー)。

 ユーミンよ。あなたは今年、勲章をもらったらしいね。このブログではいろいろ批判したけど、本当は、あたしはあんたの歌が大好きだ。やっぱりあんたは天才だ。これは間違いない。あなたは、日本の元気さを象徴するディーバであった。あんたが現れるまでは、日本の歌謡曲は恋愛が主たる題材だった。でもあんたは、惚れた腫れた以外のテーマを導入した。そこが、あんたが天才的な点だとおもうな。「ひこうき雲」は美しい死に方を題材にしているし、「陰りゆく部屋」は夕刻の寂寞感をしみじみ伝える。

 とりわけ素晴らしいのは「ノーサイド」だった。あたしはすし学校時代には、かなり真剣にラグビーをやっていた。そのころ、あんたは「ノーサイド」という歌を作ってくれた。これは本当に、心に染みた。今でもこの曲を聴くと、はるか昔の学生時代の思い出が、鮮明によみがえる。

 ユーミンよ。あんたは天才だ。だからどんなことをテーマにしても、人の心を動かす歌を作れるんじゃないかと、あたしは信じている。

 その感性を持ってだね、あの時代に青春を過ごしたオッサンたちのために、もう一度だけ歌を作って欲しい。そしてもう一度、日本を元気にしてくれよ。

 そしたらあたしは、クリスマスには竹原ピストルと、あんたの歌を聴くよ。泉谷しげるもね。

 ユーミンよ。オバサンたちのためにも、もう少し頑張ってくれよ。

 あんたは「恋人がサンタクロース」のなかで「昔となりのおしゃれなおねーさん」と歌っていたよね。あの歌がリリースされたのは1980年だ。その頃に「昔のおねーさん」と言われた人は、だいたい1950年くらいにお生まれになったんでないかい?としたらだね。2022年の現在においては、ざっと72歳から75歳になってるわけだ。

 そういう人たちのフォローもしてくれ。人生100年時代らしいからね。75歳のオバ…いや「おねえさん」が「あたしをスキーに連れてって」って言ったっていいじゃないか。75歳じゃスキーは厳しいか。「あたしを温泉に連れてって」でもいいや。何しろそのせつない気持ちを、歌にしてくれよ。

 クリスマス批判が、いつの間にかユーミン賛歌になっちゃったな。ハハハ。

 それではみなさん、メリークリスマス