どうでも、イーヤス

すし屋vs家康

 

 「どうする、家康」というドラマが流行っているらしい。主役である徳川家康を演じているのが有名なタレントであることもあって、このドラマはかなり人気があるそうだ。

 しかしぼくは、徳川家康が嫌いなので、このドラマは見ない。徳川というか、江戸時代が嫌いなのだ。

 江戸時代はミラクル・ピースともいわれるように、平和な時代であった。

 「またつむじ曲がりなことを言って!江戸時代こそ日本の原点だ。その時代を創った始祖を批判することは、わが国の基礎を否定するもの同じだ!」と息巻く人もいるであろう。 

 無理もない。

 でもちょっと抑えて、しばらく読み進めてほしい。家康ファンの人以外はね。

 

 最初に断っておくが、こう見えてもぼくは、愛国者なのである。愛国者といっても右翼のように、天皇を奉ったり、大和民族の誇りなどを強調したりするタイプの愛国とは違う。ああいうのは愛国「主義」者なのであって、ぼくのような「愛国者」とは異なる。

 最近、日本円が弱くなっている。ぼくは自分の資産のかなりの部分を、日本円で保有している。日本は資源のない国だから、多くの物資を輸入に頼っている。円の弱化は、物価の高騰につながる。同じ額面の資産を有していても、物価が高騰すれば、資産の価値は相対的に下落する。そうすると、いつのまにか貧しい生活をおくることになる。それは嫌だ。

 自分だけではなく、家族や友人など、自分の周囲の人たちが貧しくなってゆくのをみるのも嫌だ。だから日本の経済が弱くなってもらっては、非常に困る。

 こういうきわめて現実的な理由から、ぼくは、いかにしたら日本という国の国力を強くすることができるのか、いつも、けっこう真剣に考えているのだ。

 政治評論家などは、テレビ番組にでたりして、少子化を解決すれば経済は発展するとか、いや税制の改革が必要だとか、勝手なことをほざく。

 しかし、彼ら自身が何かをしているわけではない。自分が何もせずに、ああだこうだと騒ぐのは、ぼくにはカッコ悪く見える。

 こういうと「ではあんたは何をやっているんだ」と、人は問うであろう。

 ぼくは形成外科医である。世間様に対して売り物になるのは、形成外科の知識と技術以外には、なにもない。したがって形成外科の技術をもって、わが国に貢献するしかない。ぼくの患者さんは、いまのところ大半が日本国民だ。国民をしっかり治療することで、日本という国にそれなりに貢献はしていると思う。

 しかし国内の人だけを治療していては、日本の経済力を強くする役には立たない。だから外国の方々に日本に来ていただいて、治療を提供する体制を創ろうと思っている。そのために日々、努力をしている。

 志を実現するためには、具体的な計画を立てなくてはいけない。具体的に、どの国の方々においでになっていただくか、からスタートするべきだ。

 この点、やはりナンバーワンの商売相手は中国であろう。人口は日本の10倍以上であるし、地理的にも近い。

 こういうわけでぼくは、中国大陸の動向には、常にアンテナを張っている。そんな中で常々思うのは、中国の人たちは、実に創意工夫に富んだ発想をすることだ。

 たとえば、ある北京のレストランは、味が良くて値段が安いので、いつもお客であふれている。予約をして行っても、30分くらいは待たされる。お客としては、この30分がなかなか辛い。そこで店側としては、あるサービスを提供し始めた。

 なんのサービスか。

 なんと、ネイルアートをするのである。レストランで

 たしかに良いアイディアである。客としては時間が有効に活用できる。ネイルアートの美容師にしても、単独で商売するより、料理と抱き合わせた方が、集客の効率が良い。男性客などはさすがにネイルアートなどしないだろうが、人がやっているのを見るのも面白い。皆がwin-winのやり方なのだが、日本人にはこういうやり方は、なかなかできない。食事は食事、美容は美容と分けて考えるのが普通だ。考え方が硬い。

 一方、中国人は「なんでもやってみよう」的な精神にあふれている。失敗したら止めればよいという、合理的な楽天性に支えられているのだ。

 中国人は商売だけではなくて、死生観にもこうした楽天性があるように思える。

 今はもちろん廃止されているが、20世紀の初めくらいまでは、罪人を処刑する前に、街を引き回す習慣が、中国にはあった。罪人は後ろ手に縛られて、馬もしくは車に乗せられる。刑場に向かう短い時間に罪人は、ある行為を行うことを群衆に期待される。

 なんの行為か。

 なんと、俳優になり切って、京劇の名セリフを大声で唄うのである。

 たとえば謀反をして捕まった場合には、「民草は飢えているのに、役人は食い放題。懲らしめようと暴れたが、天に時無し。あいにく捕まってこの有り様。めげずに生まれ変わって、再び天下の大盗賊とならん」こんなセリフを、引き回しの車の上、もしくは馬の上で歌うのである。観衆たちはこうしたセリフを聴いて、「好(ハオ)、好(ハオ)」と喝采をする。

 ぼくはこの、やけっぱちというか、開き直りの精神が、大変に気に入っている。どうせ数十分後に殺されるのであるならば、最後くらいは自分の好きなことをやりたい。

 かといって、何を食いたいとか、どこへ行きたいとか言ってみても、かなえられるものではない。それならばせめて、好きな歌を歌ってやろう。おれの境遇にあった歌を歌って、おれが生きてきた証拠を、観衆の心に刻み付けてやる

 非常に合理的な考え方ではないか!

 ぼくは「意地」は、人間にとって、とても大切なものだと思っている

 どんな人間でも、自分なりの価値観を持っている。

 たとえそれが時流に合わなかったとしても、そして死刑になるほど権力者には忌まれるものであったとしても、それを貫く姿勢は美しいと思う(ただ、凶悪犯罪で死刑になる奴はダメだよ。政治犯の話だよ)。

 わが国にも江戸時代くらいまでは、「引き回し」の習慣があったらしい。

 今はもちろん、そんな習慣はなくなってしまっている。しかし世の中、何が起こるかわからない。「引き回し」制度が復活する可能性だって、ゼロというわけではない。

 さらに、こんなアホなブログなんか書いているぼくは、政治犯として極刑に処せられるかもしれない。

 ここだけの話、ぼくはなんの歌を歌うか、ひそかに決めているのである。そういう場合に備えて。

 あまつさえ、堂々と歌うことができるように、ときどき練習をしているのである。ただ、その歌がなんであるかは、今は言えない。

 要するにそれぐらい、”ひきまわしsinging”における開き直り精神が、気に入っているのである(ここらへんの論理構成、しっかりしてるな)。

 ところが日本においては、処刑の前に歌を歌うなどということは、聞いたことがない。農民などが一揆をおこして、鎮圧されるシーンなどは、ときどき日本映画にも出てくる。首謀者は馬に乗せられて、引き回される。「お上と世間様に、申し訳ないことをした」的な表情をして、うつむいて黙って馬の背に揺られてゆくのが、ありふれたスタイルである。

 このときに死刑囚が芝居を演じた話など、聞いたことがない。家族や友人が首謀者に近寄ったときに、「皆によろしくな」くらいのことを言うのが関の山である。そして近寄った人は、役人に蹴散らされる。こういうのが日本人的な美学なのであろう。だまって耐えるのが「潔くて良い」わけですね。

 ところがぼくは、「ちょっと情けないんでないかい」と思うのである(なぜか北海道弁)。 

 そもそも一揆をおこしたことには、それなりの理由があったはずである。

「藩の財政運営が下手で、年貢という形で農民にしわ寄せをした」とか、「災害対策を怠ったために凶作になった」とか、要するに上のやり方に憤りを感じたから、一揆をおこしたわけでしょ?

 だったら最後までそれを主張すべきとちがうか?どうせ処刑されるんだし

 一揆がうまくいかなかったことと、その正当性には、直接の関係性はない。たとえ失敗したって、立ち上がったことには何らかの「理」があったはずだ。結果が失敗に終わったって、その「理」まで引っ込める必要はない。堂々と押し通せばよいではないか。それこそ、人間の意地というものではないか。

 そう思っているので、「負けたら謝る」というメンタリティが嫌いだ。でも悲しいかな、今の日本には、このメンタリティが蔓延しているように思える。 

 たとえば、米国との関係だ。第2次大戦でコテンパンに負けたことは仕方がないと思う。国力に差があり過ぎた。また戦後、米国の同盟国になったことも、戦略的には正しかったと思う。

 ただ、多くの日本人の米国に対する態度を見ていると、どうも必要以上にへりくだっているように、ぼくには見えるのである。外国と付き合うにあたり、礼儀は確かに必要だ。でも、こちら側の態度とあちら側の態度に、温度差を感じる場合が多々ある。

 ぼくの身近な例について、述べさせていただく。

 たとえば米国の医学会と、日本の医学会では「協定」というものが結ばれている。交流の機会を増やして、相互の治療水準を上げてゆこうというのがその趣旨である。この趣旨そのものは、とてもいいことだ。ぼくとしてもなんら異存はない。

 ところが取り決めの詳細を詰めてゆく中で、日本側はいつも、だんだんと負けてくるのである

 手術のやり方について情報交換をするはずであったのが、いつの間にか、アメリカで開発された手術機械を、日本でも使う約束をさせられたりしている。または、一緒に研究をやりたいからぜひアメリカに来なさいなどと言われて、若い医者が何年も、ただ働きをさせられたりしている。あるいは、アメリカの医学界にもっと参加しなさいと言われて、20万も30万もする参加費を払わされているのである(本当に、アメリカの学会の参加費はバカ高い)。

 実質的にはかなりの損をしているのに、国際交流ができたと無邪気に喜んでいる。あまりに人が良い。こういうところが、ぼくとしては歯がゆいのである。

 「日本の医者にも米国で診療をさせんかい!」とか「円安だから、アメリカで生産している薬は日本人にとっては高すぎる。値引きせんかい!」とか、もっともっと要求すればよいのである。

 でもいざとなると、腰が引けてしまってこれができない。情けないことだ。

 しかし、である。日本人の本当の姿は、こんなに情けなくはないはずなのである。

 というより日本人という民族は、本来はかなりしたたかな民族なのではないか、とぼくは思っているのである。それが今回のブログで言いたいことだ。

 今の日本人は江戸時代を、日本社会のデフォルトとみているのではないだろうか

 たしかに江戸時代には、武士は規則に縛られた官僚社会の中に生き、百姓は重税に苦しむ弱い存在であり、商人の社会は世襲制で硬直していた。江戸時代だけをみると、たしかに日本人は活力を欠いた民族に思える。

 ところが江戸時代というのは、日本人が「例外的に」おとなしかった時代ではないか、という気がするのですね。ぼくには。

 中世以前の日本人は、実にたくましい生き方をしている

 たとえば日本の社会は、上下関係を重視した、秩序ある社会と、思われている。「主君のため」という江戸時代の価値観が、その根底にある。

 しかし中世以前には、家臣が主君を打倒する「下剋上」が、ごく普通に行われていた。

 農民にしても、中世の農民は、江戸時代における弱い立場を微塵も感じさせない。領主から無理な年貢を要求されると、鍬を刀に持ち替えて、あっという間に一揆をおこす。戦争でもあれば徒党を組んで、兵隊として参戦する。

 今の日本人は、国際的には弱腰である。

 ところが13世紀から16世紀ごろには、九州の漁民など朝鮮半島や大陸に乗り出していって、かなり強引に商売をしていた。いわゆる「倭寇」だ。なんともたくましい生き方をしていたのである。

 とくに素晴らしいのは、合戦の際の作戦の立て方で、きわめて創意工夫に富んでいる。たとえば太平記には、楠正成がわずか数百人の手勢で、万を超える(鎌倉)幕府軍を苦しめた話が出てくる。幕府軍が石垣を登ろうとすると、油をぶっかけて登りにくくするばかりか、火をつける。

 かくのごとく、中世における日本人は、とてもとても逞しかった。

 現代の日本人はリストラなんかされると、しゅんとしてしまう。

 だが中世の日本人だったら、自分をリストラした会社の前に行って、会社の無理を言い立てるであろう。

 現代社会は中世の社会と違って、そう簡単に戦争など起こすわけには行かない。

 だが日本人が中世のメンタリティをもっているのならば、少なくとも、例えば米国となにか取り決めをする際に、原爆を落としたことに対する非難を、ごねごねいうことであろう。原爆こそ戦争犯罪だと、ぼくは信じている。

 「ゴネる」というのは、外交の基本なのではないだろうか。

 フランスなど大したものだ。

 第2次大戦中の、フランスの政権(ペタン政権)は、実は親ナチスの立場をとっていた。つまりフランスは日本やイタリアと同じ枢軸国で、本来ならば敗戦国なのである。

 しかし大戦が終わってドイツが敗けると、「あの政権はわれわれの意図したものではない」とゴネた。そして「イギリスに亡命していたドゴール政権こそが、われわれの本当の政権なのだ」という強引な理屈をつけて、いつの間にか「戦勝国」になってしまった。そのしたたかさは、大したものである。日本も見習うべきだ。

 でも先ほど書いたように、中世の日本人は、まことに逞しかった。

 フランスと同じくらい、ゴネるのもうまかったに違いない。

 日本人は江戸時代に無理やり抑え込まれてしまったのではないか。

 それが300年というあまりに長い期間続いたので、日本人自身が、われわれはおとなしい、草食系の民族と誤認している気がする。

 ちなみに、中世以前の日本人の元気さは、大阪や九州あたりには残っているように思える。

 ぼくは大阪や九州の人たちとは、非常に相性がいい。

 ひとつの理由は、彼らが関東の人間にはない活力を持っていることだと思う。もともとこれらの地域は、「アンチ江戸」でやってきたので、中世の元気さが残っているのではないか。こういう人たちもいるので、ぼくは日本人の将来を悲観はしていないのである。いずれ日本人は、本来の元気さを取り戻すはずだ。

 なにしろ、江戸時代が終わってから、まだ150年しか経っていないのである。

 300年かけて飼いならされた性根が抜けるまでには、同じ期間が必要なのではないか。ただそれだけのことである。

 人間と同じで、国にも「成熟」というものがあるはずだ。

 日本が外国にズダボロに敗けたのは、第2次大戦が、歴史上で初めてのことだ。

 それで「しゅん」してはいけない。

 ドイツがこれほど早く復興したのは、昔からしょっちゅう敗けていたからだと思う。

 負け慣れしているので、敗けても、また次に勝てばいいという逞しさがあるのではないか。

 日本人だってもう150年くらい経てば、第2次大戦で負けたことも、今まさに経済戦争で負けていることも、いい教訓として、逞しくなってゆくに違いない、とぼくは思っている。

 だって、中世の日本人は実に逞しかったのだから。

 こう考えているので、江戸時代という時代が、ぼくは嫌いなのである。

 それで、「どうする、家康」なんていうドラマのタイトルを見ると、「どーでも、イーヤス」なんてオヤジギャグを言って、せせら笑うのである。

 家康ファンは読まないでね、と言っても、もう遅いか(笑)。