せとうち寿司つれづれ日記10―「すし学会」は未来の鏡

オシャレしたい気持ちはわかるけどね

 

 すし職人の業界には「学会」というものがある。

 皆が集まって仕事に関わる情報を交換するのが、学会の目的だ。

 たとえばある職人が、寿司の新しい握り方を開発したり、いままでになかったネタを使った寿司を創作したりしたとする。役に立つことを発見した時には、それを人に伝えたいものだ。「すし学会」は、こうした発表を行う場所である。発表はふつう、パワーポイントや動画を用いて行われる。新しく開発した寿司の写真を見せたり、どうやって寿司を握るかを動画で説明したりするわけだね。

 あたしは「いかに美しい寿司を握るか」を専門にしている。この専門領域で最大の学会は、「日本すし美会」と言って、毎年4月に行われる。

 「日本すし美会」の下にも、いろいろな学会がある。魚の皮を美しく調理する「光り物研究会」なんて言うのもあるし、器用に包丁を操作して、きめ細かい刺身を作ることを競う「微小技術研究会」なんて言う学会もある。職人はそれぞれ興味の対象が異なるし、得意分野も異なる。だからそれぞれ「同好の士」が集まってマニアックな討議をするわけだ。

 すし学会で発表をする場合には、一人当たりの持ち時間が決っている。だいたい5分から10分くらいが制限時間だ。限られた時間のなかで思っていることを伝えることは、なかなか難しい。聴く方にしても、「この発表は面白いから、もうちょっと詳しく話を聞きたいな」ということがよく起こる。こういう場合のために、学会の後にはふつう、懇親会が行われる。もっと話を聞きたいと思う人は、発表した職人に懇親会で会いに行って、さらに深く議論を行うというわけだ。懇親会は立食パーティの形式で行われることが多い。それゆえ学会は(参加者の人数にもよるが)だいたいの場合、ホテル、もしくはホテルに近接する会議場で行われる。

 ところで、最近のパンデミックにより、すし学会の開催のされ方は一変した。いままではホテルなり会議場に皆が集って情報交換が行われていた。しかし大勢のひとびとが集まれば、感染が拡大する危険が増す。それゆえ、ここ数年で、ZOOMなどの遠隔会議システムを用いて、発表を行う方式が、急速に広まった。

 遠隔会議システムを使えば、会わなくても情報を交換することができる。その意味ではたしかに、「すしに関する情報を交換する」という、すし学会の本来の目的は達しているとはいえるだろう。だから今後は、皆が会場に集まって議論を行う、伝統的なやり方は完全になくなってしまうであろうと言う人もいる。 

 しかし、あたし自身はそうは思わない。学会に参加することにより得られるものは、単純に知識だけではないからだ。人と人が直接会ってはじめて伝わるものがあると、あたしは思っている。

 たとえば学会には、ご年配の職人の方々も大勢、参加される。あたしにとっては彼らの姿をみることが、自分の生き方を再考する上で、とても良い参考になる

 あたしは今のところ、わりに恵まれた環境のなかで仕事をしている。お客さんも全国から来てくれるし、弟子も毎年、入門してくれる。

 しかし世の中、すべてのものは移ろい行く、永久にこの状況が続くわけではない。先の話ではあるが、いつかは職場を去る日が来るのだ。その時までに何をすべきなのか、そして、その後どのように生きるかについて、ときどき考える。そういう目で学会に参加される先輩方を見ると、いろいろな事が見えてくる。

 まず感じることは、「地位」というものは、はかないものということだ。

 現役の時にかなり高い地位にあった大御所たちも、すし学会によくおいでになる。退任してしばらくは、みな彼らの事を覚えている。だから会場を歩けばすれ違う人たちは皆あいさつするし、懇親会に出れば周りに人の輪ができる。

 ところが退任して3~4年も経つと、少し雰囲気が変わってくる。30代~40代ぐらいの中堅の職人はビッグネームを覚えているから、廊下なんかで会えば頭を下げるし、エレベーターに乗り合わせれば80センチくらいは距離をとる。

 ところがすし学校を出たばかりの若い職人は、彼らが大御所だなんて知りはしない。だからすれ違ったって会釈もしないし、懇親会に出ても若い仲間で話しているだけだ。かつてのビッグネームたちは彼らの傍らで、寂しそうな顔をしている。そういう姿を見ると、諸行無常」という言葉が身に刺さる

 何年か前のすし学会で、こんなことがあった。

 すし学会では昼休みに「ランチョンセミナー」というものが催される。包丁のメーカーや、魚の卸売り業者にとって、寿司職人はお得意さまだ。だから学会の昼休みを利用して、自分たちの商品を宣伝する。これがランチョンセミナーだ。

 たとえば包丁メーカーであれば、ある職人にいくばくかの謝礼を渡して、店で包丁を使って貰う。そしてランチョンセミナーで、自社の包丁の切れ味がいかに素晴らしいかを、他の職人たちに話してもらう。

 ただでセールストークを聞くやつも少ないから、メーカーとしてはお弁当を用意する。みんな昼休みはどこかでメシを食わなくちゃいけないが、ホテルのメシは高い。そこで参加者たちはランチョンセミナーに参加して、お弁当をもらう。お腹を満たすのと同時に、新しい製品についての情報も得られるから、一挙両得なわけだね。

 その学会でもランチョンセミナーが設けられて、あたしもそれを聴きに行った。セミナーのテーマは、「いかに魚の色合いを良くするか」についてであった。レーザーという器械を使えば魚の皮膚の色を美しくしたり、ツヤを出したりすることができる。そのセミナーを主催したのはレーザーの器械のメーカーで、職人たちにレーザーの性能を知ってもらうことがセミナーの目的であった。面白そうな内容だったので、それを聴きに来た職人が多かった。あたしが会場に到着した時には、席はほぼ埋まっていた。

 ふと見ると、会場の入り口に、ご年配の職人が所在なさげに立っている。この方は、魚の色を見栄え良くする技術については、先駆者とも言える人だった。彼もセミナーを聴きに来たのだが、席がなくて座れないのだ。

 あたしは彼とは直接の面識はないし、専門も大きく異なる。しかし彼のことはひそかに尊敬していた。

 あたしは思った。普通の人ならともかく、彼はその道の開拓者だ。たしかに混んでいて席は少ない。だからといって、高齢の彼に立ち見などさせてよいものであろうか

 そう思ったので会場の前の方に行って、空いている席がないかどうか、よく探してみた。

 席はほとんど埋まっていたのだが、2つだけ空いていた。ただその上に、女物のコートやバッグなどが置いてある。空席の隣には、若い女性の職人が3人ほど並んで座っていた。席の上の荷物は、彼女たちのものと思われた。

 すし学会は、学術的知識の交換の場ではあるのだが、若い職人たちにとっては、出逢いの場でもあるのだ。全国から職人たちが集まるので、優秀なイケメンもたくさん参加する。だから女性の職人など、美しく着飾って来る人が多い。コートやバッグはそのアイテムなのだ。

 とりわけその3人の服装には気合が入っていた。高そうな指輪なんかもしていたし、みんな銀座のホステスみたいな、化粧と髪型をしていた(銀座なんか行ったこと、ないけどね)。

 美しく着飾りたい彼女らの立場も解るが、他の人が座れないのは困る。

 だからあたしは嫌みったらしく「ここ、空いているの?」と、彼女らに話しかけた。

 彼女らは露骨に嫌な顔をした。彼女たちはすでに弁当を食い始めていた。

 われわれ2人を座らせるためには、

 ①弁当をいったんしまい、

 ②空席の上の荷物を膝に乗せ、

 ③その上で弁当を再び広げる という動作をしなくてはいけない。

 これは面倒だ。せっかくイケメンと知り合いになろうと思って気合を入れていたのに、席につこうとしているのは、たちの悪そうなオッサンと(あたしのことだ)、ジーサンだ。鯛を釣ろうと思っていたら、ウツボとクラゲが釣り針にひっかかったようなもんで、面白かろうはずがない

 さらに、膝の上にコートをおいて、その上でメシを食うと、食物が落ちてシミになる可能性もある。

 だけどそんなことあたしの知った事ではないし、彼女らに睨みつけられたって屁でもない。こういうの気にしないのが、オッサンの特権だ

 だから、渋るお姉さんがたに荷物を無理矢理どかせて、あたしはその老職人を空いた席にお連れした。そしてその大御所と隣り合って席についた。

 銀座のバーは「座るだけで5万」と言われるが、幸いにしてそれらのオネーチャンたちには舌打ちされただけで、お金は請求されずに済んだ。よかった。

 「それにしても」とあたしは思った。

 セミナーの会場には40代以上の職人もたくさんいた。若いお姉さんたちはさておいて、中堅どころの職人ならば、かの大御所を知らないはずがない。それほどの人ですら、現役を退いて10年も経つと、このような扱われ方をしてしまうのか。

 もっとも、あたしの場合には、すでにそういう「忘れられる」経験を一度している。あたしは長らく、東京にある四谷寿司に務めていたが、今から8年前に、四国にある「せとうち寿司」に転籍した。つまり四谷寿司はあたしの古巣なのだ。

 しかし最近の、四谷寿司の若い職人は、みんなあたしのことなんか知らない。時が流れたのだから当たり前なのだが、やはり虚しさは感じる。年を経て忘れられる孤独さと、なじんだ組織を離れる虚しさは、似た部分が多かろう。もともと地位とか肩書なんかは自分の「外」にあるものであって、立場が変われば失われるものなのだ。すし業界においては、ほとんどの職人が、自分が卒業したすし学校と関わり合いながら一生を過ごす。ところがあたしは、自分の古巣をとび出るという、例外的な道を歩んだ。このことには得も損もあるが、「人はいずれ忘れられる」という真理に直面し、ある種の免疫がついたように思う。これは一つの収穫ではないかと思っている。学会に出て、去っていった老兵たちをみると、この真理をしみじみ認識する。

 ただ、時とともに忘れられるのが世の習いであったとしても、年月を得ても輝き続けるものは、たしかに存在するのではないだろうか。そういうものが本当の意味での実力だと、あたしは思う。

 あたしの眼から見ると、その人でなければできなかったであろう、と思うような偉業をやり遂げた人というのは確かに存在する。そういう人の数は少ないが。

 たとえば、前にアルプス寿司学校の親方をしていたM師匠なんかは、魚の眼の周辺を調理する名人だった。今は浜松で自分の店を開いている。彼は単純にたくさんの寿司を握っただけではなくて、新たな調理法を次々と紹介した。もともと目の周りを上手く扱える職人はすごく少なかったが、その親方が編み出した調理法のおかげで、食っている人間がたくさんいる。すしを握るのが上手な職人はたくさんいる。だけど、ある分野を創り上げて、自分だけじゃなくて他人のメシの種もつくるなんてことは、そんじょそこらの職人にはできるもんじゃない。

 また、非常に細かく魚の血管を処理して、刺身が水っぽくなるのを防ぐ調理法を開発した職人もいる。彼は東京の一流すし学校で親方をしていたのだが、今までは不可能と思われていた調理方法をたくさん発表して、一つの分野を作った。彼の技術は世界的に評価されていて、彼の愛弟子たちも非常に活躍している。

 こういう人たちは優秀だが、おしなべて癖が強い。だから第一線を退いたあとは、冷遇とういうのは言い過ぎにしても、彼らの実績に見合った厚遇を受けていないことが多い。ただ、少なくともあたしは彼らを尊敬する。さっきあたしが、「ランチョンセミナー」で、ある老職人に席を探して差し上げたと書いた。その方も歯に衣着せぬ物言いが有名で、かなり癖のある人物だ。ただ彼が若いころに行った仕事は、たしかに価値あるものだとあたしは思っている。それで、あたしなりに礼儀を尽くさせていただいた次第である(彼からみると余計なお世話だったかもしれないが)。創造的な仕事をした人間は、たとえモノを知らない若者には無視されたって、その偉大さは、わかる人間にはわかるのだ。

 業績とはすこし別の話だけれども、自分が苦しいときに良くしてくれた人の事も、やっぱりあたしは忘れない

 あたしは東京のあるすし学校にいたころには、親方に好かれていなかった。その親方はあたしと同じすし学校を卒業し、かつ20歳ほども齢が離れていた。それなのになぜ、ここまで冷遇されるのか、不思議に思うくらいであった。もっともあたしの態度や性格にも問題があったことは自覚しているから、文句を言うつもりはない。馬が合わない奴って、だれにでもいるからね。

 とは言えアカデミアの世界は、上からの「引き」がとても重要なことは、まぎれもない事実である。そうであるのに直属の上司に嫌われていたのだから、お先真っ暗な気持ちであった。

 そんな時に、ある学会の懇親会で、K師匠に話しかけられた。K師匠とあたしとは、それまで面識がなかった。K師匠は近畿地方にあるすし学校を卒業されたが、東京で修行をして、本郷寿司の「すし閥」に属す人だった。その頃には東北のあるすし学校で、親方をしていた。

 彼はかなり酔っていたのだが、私の肩に手を置いて言った。

「N(あたしの名前)~。お前、これから一体どーすんだよ!

 あたしは、面識がないと思っていたK親方に、急に話しかけられてびっくりした。

 「あたしのことを知っているんですか?」

 「知っているよ。お前は頑張っているが、可愛げがないのがよくない。なんか、生意気そうに見えるんだよな。もう少し愛想よくした方がいいぞ。だから上に好かれないだよ。」

 K親方はさらに、お前はあごひげが似合わないとか(そのころのあたしは、あごひげを生やしていた)、背が高くて偉そうに見えるから、横に太いお前の上司には好かれていないだろうとか、いろいろ言いたいことを言った。

 初対面で「お前」呼ばわりされれば普通はむっと来るところであろう。ただK師匠は、口は悪いけれども親身になって心配してくれているのが、あたしにはよく解った。

 自分の知らないところで見ていてくれる人がいることが、あたしにはとても嬉しかった。またその後、彼の忠告を受けて「偉そう」な態度を改めようと、自分なりに努力はしたので、いまいるせとうち寿司学校から「うちに来ないか」と誘っていただくことができた。

 K師匠にアドバイスをいただいたのは10年くらい前の話だ。

 だから彼も、もう引退してしまっている。

 このあいだ岡山で学会が開かれた際に、K師匠も参加されていた。そこであたしは、そのとき「アドバイス」をいただいたことについて、お礼を言った。K師匠は、話した内容については詳しく覚えていなかったけれども、あたしにアドバイスをしたことはよく覚えていた。あたしは彼に心から感謝をしている。その気持ちはK師匠に伝わったらしく、彼も嬉しそうにしていた。

 以上つらつら述べてきたが、尊敬とか感謝の気持ちは時空を超えて存在するものであるし、実際にその対象である方々に会えば、さらに輝くものではないか。そうした輝きを感じたいと思えば、やっぱり実際に人と人とが会うしかない。その理由で、全ての学会が遠隔システムになることはないであろう、とあたしは思うのである。

 ここまで書いて気が付いたんだが、ランチョンセミナーの会場で、コートで席をふさいでいたオネーチャン方も、人と人とが会うことの大切さをよーくわかっていたんだよな。だって、遠隔会議システムで学会に参加しても、イケメンとは知り合えないからね。かっこいい彼氏見つけるためには、実際に会場に行かないとね!そう考えると、あたしとあのオネーチャン方は、「主義を同じくする同志」と言えなくもない。

 彼女らのコートに、ベントーの汁はこぼれなかっただろうか。狭い同業の世界のこと、彼女らももしかしたら、このブログを読んでいるかもしれない。もしそうなら連絡くださいね。クリーニング代払いますから。5万円は払わないけどね!