すし学校における「働き方改革」―せとうち寿司シリーズ8

カストリ焼酎って、なんか、美味しそうですよね

 

 ここ数年、「働き方改革」が世の中で議論されているね。いわく「日本人は働きすぎで人生を楽しめていない。だから仕事をする時間を減らして、趣味の時間や家族と一緒にいる時間を増やしましょう」というわけ。

 あたしが受けた昭和の教育では、日本は「加工貿易」の国ということになっていた。日本には石油や鉱物の天然資源がないし、耕地も狭い。資源と言えば、人間の労働力だけだ。だから国民が一所懸命に働くしか、日本が豊かになる道はないと。

 そうやって働いて、たしかに20世紀の終わりごろには、日本人は昔に比べるとずっと豊かになった。 

 だけど21世紀が始まって20年ほど経った今、日本は再びどんどんビンボーになっている。海外に旅行にゆくと、このことがよく解る。ちょっと前までは安いなと思っていた外国の物価が、日本よりもずっと高くなっている。これは日本円の実力、すなわち日本という国の経済力が、どんどん低くなっているからにほかならない。

 貧しくなっているのだから、頑張って働いて、また豊かになろうとするのが普通の考えじゃないか?「これからもうひと踏ん張りしよう」と思うのが自然じゃないの?なぜ貧乏になっているのに、働く時間を無理矢理減らすのだろうか。

「最近、成績が下がっているから、もうちょっと勉強時間をへらそう」と言っているのと同じで、「働きかた改革」を本気で信じてるやつらがいたとしたら、すこし頭がおかしいんじゃないかとあたしは思うね。

 結局のところ、雇う側が労働者に賃金を払いたくない、そういうことだろう?企業は硬直化した体制のために外国企業との競争に負けて、収益がどんどん下がっている。そのために税収も減っているから、国もお金がない。だから、社員や公務員の賃金を引き下げたいのはわかる。ならば、「うちの会社(国)は経営が厳しくなっているから、申し訳ないが残業代は出せない。しばらく辛抱してくれ」とはっきり言えばいい。そう正直に言った方が、「まあ今は苦しいけども、会社なり国のために頑張って働こう」と、みんな思うんじゃないだろうか。それが日本の文化だったはずだ。

 それを、「お前ら労働者は働いてばっかりいて、生活の楽しみ方を知らない。お上が働く時間の上限を決めてやるから、せいぜい人生を楽しめや」みたいな、上から目線のやり方で物事を進めるところが、あたしには気に食わないんだ

 でもまあ、それはみんな思っていることだと思うし、いまさら繰り返しても仕方がない。それより今回は、コクリツの「すし学校」で起こっている「働き方改革」のアホさ加減を紹介するので、まあ笑ってやってくださいよ

 コクリツのすし学校では、職人たちの残業代をなるべく抑えようとする試みが、何年も前から少しずつ進められてきた。

 すし学校における職人たちの、基本的な勤務時間は8時半から17時半までだ。ところが、現実的には、こんなもの全く意味をなさない。なぜかというと、緊急で働かなくてはいけないことや、所定の勤務時間内でとうてい終わらせることのできない仕事が、しょっちゅう舞い込むからだ。

 これは、「すし学校」のあり方に直接関係する。「すし学校(特にコクリツのすし学校)」には、すし職人を教育すること以外に、日本のすし文化を発展させることが期待されている。つまり、すし学校の職人たちは、こと寿司に関する事ならば、すべからく国民のみなさまの期待に応える義務を負っている。このために緊急の仕事が多いんだ。

 たとえば、漁師さんが漁に出て、非常に珍しい魚を獲ったとするね。そうすると、その魚を「寿司にしてください」って言って、すし学校に持ってくる。滅多に獲れない魚を素材にして、新しい寿司を開発し、日本のすし文化の程度を引き上げてくれというわけ。

 離島や山奥でとれた魚などは、時としてヘリで運ばれてくる。そうまでして送られてきた魚であるから、あだやおろそかに扱うわけにはいかない。もたもたしていると魚の鮮度が落ちてしまうから、ヘリが到着したらすぐに調理にかかれるように、周到な準備をしなくてはいけない。

 魚によっては調理に特殊な器具が必要な場合がある。たとえば、甲羅がすごく硬い蟹だったりすると、非常に強い鋼の包丁が無くては調理ができない。逆に、肉質がきわめて脆い魚であれば、カミソリのように鋭い包丁がないと、細胞をおしつぶしてしまう。こういう器具の手配を大至急、行わなくてはいけない。

 こういう準備をしているだけで2~3時間はあっという間に吹き飛ぶから、17時半の終業時間なんて当たり前のように過ぎてしまう。というより、そもそも魚が獲れる時間が、深夜だったり早朝だったりすることも多い。それから準備を始めると、「時間外に働き始めて、時間外に働き終わる」ということになる。

 このように、「すし学校」にたいして国民が期待する役割から考えると、すし学校において「働き方改革」を行うのは、もともとかなりの無理がある。それでもすし学校を監督する役所(文科省厚労省)は、何とかして職人たちの勤務時間を減らそうとしてゴリ押しを進めてきた。

 最初に導入したのは、月並みながらタイムカードだった。出勤したらカードを押して、退勤するときにも推すという規則を作った。

 役所側はおそらく、「タイムカードを押して(あたしら労働者が)出退勤の時間を意識するようになれば、もう少し早く帰るようになるだろう」と考えたのだろう。

 ところが笑ってしまうことに、せとうち寿司学校では、かえって職人たちに支払う残業代が増えてしまったんだ。

 タイムカードが導入される前は、時間外勤務は自己申告制だった。紙媒体のシートが毎月、配布されてきて、超勤をした日と時間をマス目に書き込むことになっていた。

 ところが、すし職人たちは時間外で働いても、必ずしもそれを申告していなかったんだ。単純に申告するのを忘れたり、申告するのが面倒くさかったりしたんだろう。こういうところは、地方のコクリツすし学校のすごくいいところだと、あたしは思う。おおらかな人間が多いんだね。東京なんかでは考えられない。

 でもタイムカードを押すのが義務化されると、面倒だからといってカードを押さないでいると「欠勤」ということになってしまう。それでは無精者たちもさすがに困る。だから几帳面に出退勤を報告するようになった。その結果、いままでは報告していなかった超勤も網にかかることになって、すし学校側が支払う手当の総額が増えてしまったのだ。

 給料を下げてやろうと思って取り入れた制度が裏目にでたのは、かなり笑えるギャグだよな。すし学校の事務方にとっては赤っ恥もいいところだ。おそらく、上(役所)から言われてこんなことをやったんだろうが、かなり𠮟られたに違いない。

 ここまで不細工な結果に終わったんだから、ほどほどで手を引いときゃいいものだ。

 でも、一向にめげることなくアホな手管を使ってくる。次なるアホな規制として、「客との接触時間」などというものを言い始めた。すし職人の究極の業務は、客のために寿司を握ることだ。だから「客と接している時間に限っては、時間外勤務を認める」などと、わけのわからないことを言うんだ。

 でも、どこからどこまでを「客と接している時間」とするかは、はっきりと区切りようがつけようがない。たとえば、遠くから来てくれるお客さんと、電話とかメールで連絡をとらなくてはいけないことが、しばしばある。あたしは魚の胸鰭のあたりを調理するのがすごく好きで、その分野にかけてはかなり努力をして新しい調理法を開発してきた。だから四国みたいな片田舎にいたって、大阪や東京から沢山のお客さんが、あたしの握った寿司を食べに来てくれる。

 本当に職人冥利に尽きると、あたしはとても感謝している。

 ところが、昨今のコロナ騒ぎの際には、かなり大変な目にあった。膨大なエネルギーをお客さんとの連絡に費やさなくてはいけなくなったんだ。

 去年(2021年の夏ごろ)のことだ。大阪や東京で連日何千人も感染者が出ていたとき、せとうち県ではせいぜい100人くらいしか感染者が出ていなかった。

 だから、せとうち県では、せとうちすし学校に命令して「感染対策委員会」なるものを作らせて、「しばらく、東京や大阪からのお客さんを受け入れるな」と言ってきた。

 あたしは、とんでもないと憤慨した

 あたしのお客さんの2割くらいはせとうち県の人間だが、8割は関西や九州、関東の人間だ。これらのお客さんは、あたしの握る鮨を食べに来るために、何か月も前から予約を入れてくれている。飛行機の切符を買ったり、ホテルの予約を済ませたりしてもいる。仕事を休む段取りも済ませている。

 それを、自分の県を護るためだけに、追い返せという。

 これでは漂着してきた外国船を冷たく追い返す、鎖国時代の意識レベルと、なんら変わりはないではないか

 あたしは心底情けなくなった。こういう時こそ頭を絞って、無理してでも他の県からのお客さんを歓迎するべきなんじゃないのか?それなのにせとうち藩は、キリシタンバテレンを追い返せという。

 あたしは何度も県の役人に説明に行ったのだが、聞く耳なんか持ちやしない。

 あたし一人がいくらお客さんを歓迎しようと思ったって、県が店にお客さんを入れることを禁止するんだから、どうしようもない。

 あたしとしては、毎日、感染状況をこまめにチェックしながら、なるべく早く振り替えの手続きをとるほか、方法はなかった。

 たとえば大阪や東京の店に自分が出張して、そこでお客さんに寿司を握るなどして、お客さんになるべく迷惑のかからないように努力した。このやりくりが、すごく大変だった。

 まず、一人一人のお客さんに電話して、いつなら都合がつくのかをお聞きする。そのうえで大阪がいいのか東京が良いのかをお尋ねする。お客さん側の都合がついたら、出張する店に連絡する。そして、何月何日にお宅の店の板場を貸してくれませんか、とお願いする(とくにナニワ寿司学校の職人方には、大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます)。

 こういう連絡をするのに多大な時間と労力が費やされた。この時間は、だれがどう考えたって「客と接する時間」だよな。文句がある奴がいたら、表に出ろ。

 だからあたしは、この時間分についての残業代を請求した。ただしこそこそするのは嫌なので、経理部に行って事情を説明した。経理はあたしの言い分を認めはしたが、「本当は、実際にお客さんと接して、寿司を握っている時間だけが超勤ですよ」などと恩着せがましいことを言った。

 この理屈が通るとするとだね。

 警察官は、泥棒を逮捕している瞬間しか働いていないことになるよな。

 裁判官は、判決を言い渡している瞬間しか働いていないはずだ。

 相撲取りは、取り組みの数分間しか働いていない。

 北朝鮮のおばちゃんアナウンサーは、「偉大なる首領様、マンセー」と言って万歳している時しか働いていない。

 ゴルゴ13は、ライフルの引き金を引いている時しか働いていないはずだ。月労時間は3秒くらいじゃないか。まったく、怒って狙撃されるぞっての。

 

 そういうことを担当の職員に言ってやろうとも思った。だけど彼だって上に言われてやっている訳だから、いじめても仕方ない。あほらしいので、やめておいた。

 そもそも「働き方改革」は、考え方の根本が間違っているんじゃないかと思うね。

 「超勤時間を年間1000時間以内に抑えなさい」とか、「あれをやっている時は超勤と認める、これをやっている時は認めない」とかいうやり方は、働くってことを西欧的な視点からとらえている

 よく知られたことだが、”labor”という言葉はもともと「苦行」という意味だよね。つまり、労働者が苦行の時間を資本家に提供して、その代償として賃金を得る、という考え方だ。

 あたしはこういう考え方は、わが国には合わないと思う。

 日本は極めて自然災害の多い国だ。過去における世界の大地震の、実に20%が日本で起こっている。台風も極めて多い。それなのに日本人は、環境の安定を前提とする、農耕をなりわいとして、何千年も生きてきた。

 米や麦を作っていてだね、たとえば台風が来て河が氾濫しそうになったとする。そういう時に「おれは今日オフだから、家でじっとしているよ」なんてことを言う奴、いる訳がない。自分の田んぼが大切だからね。

 こういうふうに、日本人にとって仕事とは伝統的に「単純に、やらなきゃいけないこと」なんだ。それに対して「働き方改革」では、仕事を「時間の切り売り」と定義している。この考え方が間違っていると、あたしは言いたいわけさ。

  じゃあ今後、日本人はどう生きてゆけばよいんだろうか?

 あたしは、終戦直後の日本人の生き方が、お手本になるんじゃないかと思う

 日本がビンボーになっていると言っても、それはバブルの時代を基準にした話だ。高度経済成長の前には、日本はもともとかなり貧しかった。海外旅行なんて一生に一度も行けない人間がほとんどだった。

 だから、今の状況は、単にもとの状態に戻っているわけだね。

 終戦直後に比べれば、肉だの魚だの食えるようになっているだけ、まだ幸せだ。

 あたしの亡くなった親父は戦争が終わったころ20代の前半だったんだが、そのころのことをよく話してくれたものだ。たとえば、食べ物がなかったから、小麦の「フスマ」を食べていたそうだ。フスマというのは小麦の表皮部分で、いわゆる「ぬか」だね。英語でいうと「ブラン」だ。ブランパンとか、ブランケーキとか、最近、よく聞くだろう?フスマは糖質が少なくて満腹感が得られるから、健康食品として着目されている。

 終戦後への回帰は、健康面から見ても望ましいわけだね。〇クドナルドのハンバーガーを食うのを止めてフスマ粉のパンを食べるようになればだね、成人病はだいぶん減るんじゃないかね、ハハハ。

 とにかく、「ぬか」を食ったって生きていけること、つまり日本人はビンボーに耐えうる遺伝子を持っていることを、われわれの先輩方は示してくれたわけだ。われわれだっていざとなりゃ、そういう生き方ができるはずだ。

 働き方についても伝統的なやり方に回帰して、「やるべきことができるまで働く」というのがいいんじゃないかと、あたしは思う。といっても、こういう考えが若い人に合わないのはわかっている。だから他の人に自分の考えを強要するつもりは、まったくない。

 ただ、あたし自身は「働き方改革」なんか関係なく、いままで通りに働く。たとえば来週、東京からお客さんが来るのならば、週末をつぶしたってきちんと準備する。中途半端なことはしたくないんでね。「法定」の労働時間なんか超えたって知るもんか。給料なんか出なくたってかまいやしない。それが職人だと思っているからね。

働き方改革」で、勤務時間の上限を決めるのは、勝手にやってくれ。あたしは相手にしないから別に構わない。だけど、お願いだから仕事のジャマだけはしないでくれ

 おそらく、「働き方改革」は成功し、あたしらすし職人たちの給料は減ってゆくだろう。今の時点(2022年)では「すし保険制度」のおかげで、すし職人の俸給は比較的良く、わりと良い職業と思われている。しかしこれからは、だんだんとビンボーになってゆくだろう。だけど終戦直後に比べれば、いくらビンボーになったって知れたもんさ。

 この意見に同調してくれる人がいたら、一緒にカストリ焼酎でも飲みに行きましょうか。肴はもちろん、スイトンか、ふかし芋でね。