せとうち寿司親方ブログ16―人間の「運」について

運だけはいい奴ら

 先月(2023年9月)の初旬に、東北に行った。

 あたしは魚の胸鰭のあたりを調理するのが得意だ。そのことについて話してほしいと、りんご寿司の親方にリクエストを受けたのだ。

 実は27年前に、あたしはりんご寿司で1年ほど修行していた。りんご寿司の親方はその時はまだ見習い職人だったが、あたしとはその時に友人になった。彼とはいまでも仲良く付き合っている。

 あたしは平成の初めごろに、四谷すし学校を卒業した。そしてそのあと何年か、関東で働いていた。ところがある日突然、(当時の)四谷すし学校の親方から電話がかかってきた。来月からりんご県に行って働けという。

 東京の人間はおしなべて、首都圏を離れるのは嫌がる。上からの命令でしぶしぶ赴任するにしても、栃木や群馬が関の山だ。四谷ずしの親方はなんらかの事情で、りんご寿司学校から人を送ってくれるよう頼まれたのだろう。しかし行きたい奴がいないので困っていた。

 ところがあたしは、無鉄砲というかいろんなところに行ってみたいと思うタイプだ。だから「こいつならまあ、東北に行けと言っても文句も言わないであろう」と、四谷寿司の親方は考えたのだと思う。そのようなわけで、あたしは1年ほどりんご県で修行をすることになったのだ。1990年代の後半のことだ。

 その時のあたしはまだ、多感な20代であった。それで関東とは文化の全く異なる、りんご県での生活は非常に新鮮であった。りんご県に友達もたくさんできた。このたび何十年ぶりかにりんご県を訪れると、やっぱり昔の友人たちの消息が気になった。

 あたしはりんご寿司学校の中でも、魚の「皮」を扱う部門に、親しい友人がたくさんいた。そして風のたよりに、「皮部門」の親方がそろそろ引退することを聞いていた。

 それであたしは、りんご寿司の親方に訊いた。

 「りんご寿司、皮部門の親方を募集しているよね。あれもう決まったの?」

 「決まりましたよ。」

 りんご寿司の親方があたしに敬語を使っているのは、あたしの方が5歳ほど年上だからだ。親方になっても、謙虚でいい奴なのである。

 「ふーん。それで、やっぱり准親方がそのまま、昇進したの?」

 「それが…」

 りんご寿司親方いわく、選考の最中に(選考は半年くらいかけて行われる)、その准親方が身罷ってしまったということだ。そして、最有力候補であった彼ではなく、ナンバー3であった「握り師」が親方に昇進しとのことだった。

 「准親方」だの「握り師」だの言われても、すし業界以外の方にとっては、何を言っているのかさっぱりわかるまい。だから、それらの職位について少し説明する。

 すし学校ではいろいろな部門がある。稚魚を専門に扱う部門もあるし、頭を主に扱う部門もあるし、目玉を専門に調理する部門もある。30部門ほどに分かれるのだが、「親方」というのは、その一つの部門の統括者である。

 「親方」の次のポジションは「准親方」という。さらに「握り師」「握り手」と続く。ここまでが「スタッフ」と言って、寿司学校における正式の職員である。これらの職位を持たない若い職人たちは「すし員」と呼ばれている。寿司学校に籍をおいて、卒後教育を受けている連中だ。

 教育が完了すると「すし員」たちは、市中の寿司店で働いたり、自分で開業したりして、寿司学校を離れる。ただマニアックなすしを握りたかったり、新しい寿司の握り方を開発したい、といった希望があったりする場合には、寿司学校に残って「握り手」から始まるアカデミック・キャリアを歩むことになる。その「上がり」のポストが「親方」なのだ。さらに詳しく知りたい方は、山崎某という作家が「すしの巨塔」という小説を書いているから、それを読んで欲しい。

 親方に就任するのは45歳から55歳くらいなのだが、いったん親方になると、定年(多くは65歳)まで辞めない奴が多い。そいつの引退が近くなると、次の親方はだれにしようか、という選考が行われる。

 りんご寿司だとか、あたしの勤めているせとうち寿司のような、国立の寿司学校では、この選考は全国公募で行われる。全国の寿司学校に「誰か適任の職人はいませんか」という掲示を出して候補者を集め、その中から選考をするのだ。

 審査員はすべて、募集をかけている寿司学校の内部メンバーである。だからその学校の「准親方」が出馬する場合には、他から来る候補者に比べて、ものすごく有利だ。ゆえにあたしはてっきり、りんご寿司の「皮部門」でも、准親方がそのまま親方に昇進するのかと思っていた。じっさいに事態は当初は、そのように動いていたらしい。

 ところが親方選考というのは、候補者にとって、とても心理的プレッシャーがかかる。それで「皮部門」の准親方は、身体を壊してしまった。

 大本命であった准親方が急にいなくなったものだから、ポジションが急に、ナンバー3であった「握り師」にまわってきて、彼が新しく親方に就任したわけだ。

 この話を聞いてあたしは、人生と「運」の関係を再認識した。やはり運がいい奴はなんもしなくてもハッピーになるし、運がよくない奴にはスポットライトは当たらないのだ。

 あたしは、すし業界の外の世界においては、いかなる選考を得て人々が出世するのかよく知らない。例えば三井物産の重役になるには、なにをすればよいのかなんてことは全然知らない。

 でも寿司職人の世界においては、ある部門の親方が選ばれるにあたり、かなり熾烈な競争が行われることは、身に染みてわかっている。そういう選考において「運」の占める割合の、なんと大きいことか。

 あたし自身も「運」に翻弄された経験がある。

 10年ほど前、関東地方にある“サンタクロース寿司学校”の親方選考に応募したときのことだ。あたしを含めて8人の候補者が応募してきた。

 サンタクロース寿司学校における親方選考においてはまず、親方会(各部門の親方から組織される会)の中から、7人の選考委員が、互選により選出される。委員は、選考の対象となる分野に関係が深い部門の親方が選ばれる。たとえばあたしの専門である「すしを美しく作る部門」の委員としては、鱗(うろこ)部門や、骨部門、皮部門なんかの親方が選ばれた。

 こうして選出された委員が組織する委員会においては、まず書類審査で候補者を半分に減らす。それで、最初8人いた候補者が4人に減った。そして、勝ち残った候補者たち4人が、選考委員会に呼ばれて面接を受けた。

 面接においては、どういう寿司を握ることができるのか、今までにどんな寿司を開発してきたのか、サンタクロース寿司のために何ができるのか、なんてことが訊かれ、それぞれの項目について評点がつけられた。

 評価の対象になるのは面接での受け答えだけではない。候補者たちが書いた本や、メディアへの知名度や、業界における評判なども勘案して、多角的に評点がつけられる。

 その評点が最高であったものが親方会に、「選考委員会の推す候補者」として推薦される。大多数のすし学校においては、これが最終決定になる。これが自然だと、あたしは思う。なぜなら選考委員たち以外の親方は、候補者の専門分野のことをまったく知らないし、彼らに会いもしないからだ。

 しかしサンタクロース寿司学校では、かなり独特のシステムを採用していた。評点が次点であった候補者も、なぜか親方会に報告されるのだ。

 あたしの評点がもっとも高かったので、7人の選考委員はあたしを「選考委員会の推す候補者」として親方会に報告することにした。

 それまでの20年くらいはずっと、この「選考委員会の推す候補者」が親方会の承認をうけて、そのまま当選となっていた。だから選考委員会の評点で首位となったあたしは、すっかり当選した気持ちになっていた。また実際に、サンタクロース寿司学校の何人もの親方から「おめでとう」とか「今後、よろしく」という電話を受けていた。

 ところが2か月後に行われた親方会において、なんとあたしの就任が否決されてしまったのだ!そして次点であった候補者が繰り上げ当選した。これには、まったくぶったまげた

 なぜこんな滅茶苦茶なことが起こったのかあとで調べたところ、以下のような事実が判明した。

 サンタクロース寿司学校の「すしを美しく作る部門」の准親方は、あたしより7歳年上であった。彼を仮にAとしよう。あたしが親方に就任すると、自分よりかなり年下の者が上肢になることになる。それは当然、彼にとって面白くない。

 それでAはいろいろ方法を考えた。すると、選考委員会の評点において次点の候補者が、自分と同じ年齢であることがわかった。しかももともと、彼とAとは旧知の仲だった。それでなんとかあたしを落選させて、次点の候補者を当選させることができないか、二人で作戦会議をしたらしい。

 そうすると運の良いことに(あたしにとっては不運なことに)、目玉を扱う部門でも親方の選考がまさに進行中で、しかも似たようなことが起こっていることがわかった。サンタクロース寿司でずっと働いていた准親方も出馬したのだが、委員会の審査で次点になってしまったのだ。

 そしてますます(Aたちにとって)運の良いことに、「目」部門の審査でトップになっていたのは、四谷寿司学校の出身者であった。あたしの卒業したすし学校だ。

 これを知ったとき、彼らは「ラッキー!」と大喜びしたと思う。あたしをやっつけるための、とてもいい材料が見つかったからだ。

 すし職人の世界には「すし閥」というものがあって、卒業した学校にごとに集まって派閥をつくる。サンタクロース寿司学校の親方会では「本郷すし閥」、「左京すし閥」、そしてあたしの卒業校である「四谷すし閥」が三つ巴の派閥を形成していた。

 この状況で「すしを美しく作る部門」と「目玉部門」の2つの部で四谷すし学校の卒業生たちが親方になってしまうと、「四谷すし閥」の構成員が一挙に二人も増えてしまう。それでは派閥間の均衡が崩れるので、「本郷すし閥」と「左京すし閥」にとっては歓迎すべきことではない。

 ここを狙ってAと次点の候補者たちは、「四谷すし閥」をターゲットとするネガティブキャンペーンを、猛烈な勢いで展開した。2023年の現在において、「悪の権化」として世界中で最も嫌われているのはロシアのプーチン大統領だろう。四谷寿司も「悪の帝国」として喧伝されたと伝え聞いている。各部門に行って、「四谷すし学校」を卒業した奴らにろくな奴はいないことを、力説して回ったとのことだ。Aは、果ては親方会に出席をもとめて、涙ながらにあたしの評判の悪さを訴えたという。そのときに親方会に出ていたあたしの友人(彼も「四谷すし閥」ということになる)が、あとになって教えてくれた。

 Aはサンタクロース寿司学校の卒業生なので、友人がそこかしこにいた。それでネガティブキャンペーンは大成功し、「悪の権化」である二人、つまりあたしと、「目」部門の選考においてトップ評点だった職人は、枕を並べて討ち死にしてしまった。

 先に書いたように、サンタクロース寿司学校においては、それまでの20年間ずっと、選考委員会の決定がそのまま最終決定になっていた。だからこのどんでん返しは、20年来の珍事であった。しかも、「すしを美しく作る部門」と「目玉部門」において、同時にそれが起こった。これはとてもインパクトのある事件なので、業界ではかなり話題になった。

 経過の公正性はどうあれ、落選したということは、あたしにとっては汚点である。だからあたしは、このことについてはあまり人に話さなかった。ただ不思議なことに、あたし(たち)が嵌められたことを知っている人はたくさんいて、すし学会などに行くと「大変でしたね」と声をかけてくれたものだ。

 さらに、そうした不遇を気にかけてくれる人々はやっぱりいるものだ。それらの人々に援けられて、あたしは別の寿司学校(いまいる「せとうち寿司」だ)で、親方のポストに就くことができた。

 振り返って考えると、もしそのときあたしが波風なくサンタクロース寿司学校の親方に就任していたとすれば、おそらく一生、関東以外の土地を詳しく知ることはなかっただろう。流浪癖のあるあたしにとっては、あまり面白い人生ではない。だから、あたしにとっては結果オーライではある。小林秀雄は「人はその性格に合った事件にしか、遭遇しない」と言ったが、まったくその通りだと思う。

 ちなみに、あたしとともに嵌められた「目玉部門」のトップ評点者も、ほどなくして三鷹すし学校の親方に就任した。この点から見ても、結果オーライではある。

 さらに言えば、あたしがせとうち寿司学校の親方に就任する際には、左京すし学校出身の職人たちに援けていただいた(もちろん、サンタクロース寿司の左京ずし閥とは別の人たちではあるが)。つまり「昨日の敵は今日の友」になったわけだ。本当に選挙というか政治というものの複雑さが、骨身に染みてわかった

 このように、すべて結果オーライにはなったのだが、サンタクロース寿司学校には言いたいことがある。選考委員会の審査評点は残っているはずだ。それらを公表していただきたい。私立とはいえ、寿司学校は文科省からの助成金を受けている。つまり公器なのであるから、選考経過の記録ぐらいは残っているはずだ。それらの記録を見れば、次点候補者が繰り上げ当選したことは、だれの目にも明らかなはずだ。

 実はこういう不条理な選考はすし業界にあふれていて、サンタクロース寿司学校以外でも掃いて捨てるほどある。それを野放しにしていては、日本の寿司学校全体のレベルが下がってくると思うのだ。それを防ぐために、もっと情報を開示して欲しい。

 すこしヒートアップしたが、ここで「運」の話に戻ろう。

 あたし(と目玉部門のトップ評点者)にとって残念な結果に終わったことには、いくつもの偶然が重なっている。

 まず、Aがあたしより年下であったならば、たぶんネガティブキャンペーンを張らなかっただろう。新しい上司が来たって、それが年上ならばAとしてはべつに屈辱ではないからだ。

 また、もしも「美しく寿司をつくる部門」と「目玉部門」の選考が同時に行われていなければ、ネガティブキャンペーンは失敗に終わっていたはずだ。両部門の次点候補者がタッグを組んで動いたからこそ、キャンペーンは成功した。

 さらに目玉部門のトップ評点者が、あたしと同じ四谷すし学校の出身でなければ、やはりネガティブキャンペーンは成立しなかった。たとえば彼が左京すし学校の出身であったならば、「左京閥」と「四谷閥」の構成員が一人ずつ増えるわけなので、派閥間の均衡はあまり崩れず、浮動票は動かなかったであろう。

 逆にあたしが四谷すし学校の卒業生ではなくて、たとえば「からっ風すし学校」の出身であったとする。やはりこの場合も派閥の力関係は変わらない。だから浮動票は動かず、選考委員会の決定通りに、あたしが当選していたと思う。

 このようにいくつもの偶然が重なって、あたし(と目玉部門のトップ評点者)にとっては喜ばしくない結果になった。

 でもここまで偶然が重なると、もう運命としか言いようがない。運命に逆らってもろくなことはない。神の思し召しに背いてはいけない。だから当初はかなり落ち込んでいたあたしも、2-3か月で吹っ切れた。

 長々と自分の話を書いて申し訳ないが、すし業界における親方の選考においては、いかに偶然、つまり「運」が重要であるか、お分かりになったのではないか。あたしが言いたいのはそこだ。

 親方の地位についていなくたって、寿司を握るのがうまい職人はたくさんいる。寿司を握ることだけに命を懸けるようなタイプの人間は、偏屈な奴が多い。だから周りからの評判が必ずしも良くはない。実はあたしもそういう口で、みんなに人気のあるタイプではない。

 ひどい目にあってから、あたしの価値観はかなり変わった。すし業界において親方になるには、ことほど左様に運が必要なのだ。実力も大切には違いないが、運の方がずっとものをいう。そう思うと、親方なんて肩書にこだわるのはアホらしくなってしまった。それで、親方だの理事だのといった肩書には関係なく、面白い奴とか、いい仕事をしている奴とだけ付き合うようになった。

 全国の寿司学校にはたくさん親方がいる。でもあたしのように波風を経て就任した奴は、実は少数派なのだ。大多数は寿司学校を卒業したあと母校で働いてきて、前任の親方ないしは母校の権力者に気に入られ、指名されて、親方に就任している。そういう職人たちの中には、「自分は実力があるからこそ、指名をされた」と思っている奴も多いだろう。

 しかし、上の人間と気が合ったことそのものが「運」である。「虫の好かない野郎だぜ」と上の方に思われていたら、どんなに優秀でも指名はされない。また、自分の同期にメチャクチャ優秀な奴がいなかったからこそ、平穏無事に出世コースに乗ってこれたとも言える。それだって「運」である。

 より掘り下げていけば、親方になる・ならないはおろか、平和な環境で寿司職人をやっていられることそのものが、運なんだよな。

 たとえば第二次大戦で落とされた原爆の放射能が、まだ残留していたとしたらどうだろう。日本が、人間の住めない場所になっていたとすれば、寿司どころの騒ぎではない。

 また、地殻変動が起こって、映画みたいに日本が沈没したらどうだろう。やっぱり寿司なんか握っている場合ではない。

 また元寇の時に、フビライ・ハンが日本侵攻をあきらめなくて、日本がモンゴル帝国の版図に組み込まれていたならば、羊肉の寿司を握っているかもしれないよな。

 という風に、あたしらが生きていられることそのものが、運の結果なんだよな。だからちょっとくらい運が悪くても、文句言っちゃいけないよな。すべては諸行無常なのだ。

 般若心経が読みたくなってきたので、今回はここまで。