演劇も、面白そうじゃないか

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楽しそうですよね

 先日、「あばら」の形で悩んでいる少年の手術をした。ぼくは今、香川県の病院で働いているが、ぼくのもとを訪れる患者さんは、関東や関西、九州など遠隔地の方が80%を占めている。残りの20%が岡山や四国の方だ。

 その少年は香川県に住んでいた。ぼくの患者さんの中では少数派に入る。しかも、ぼくの勤める大学病院のすぐ近くの市に居住している。

 手術はもちろんうまく行った。手術か終わって経過が順調ならば、だいたい1週間から10日で退院ができる。

 しかし、「胸の形を治す」というのはかなりの大手術で、正常の生活に戻るには、ひと月ほどのリハビリが必要だ。退院ができるからと言って、全ての患者さんがまったく普通の生活をすぐに送れるわけではない。一口に「あばらの変形」と言っても、患者さんに応じて手術の内容は全く異なる。

 だからぼくは、手術を行った患者さんが退院するにあたっては「やっても良いこと、やってはいけないこと」を、詳しく説明することにしている。

 患者さんの居住地が香川から遠ければ遠いほど、この説明はしっかりしなくてはいけない。万が一、退院した後に問題が生じたら、なかなか緊急の対処がしにくいためである。

 しかし香川県に在住の患者さんの場合には、それほど厳重な注意をしなくてもすむ。仮に調子が悪くても、ぼくの勤めている病院にすぐに来ることができるからだ。

 そんなわけで香川県在住のその少年が退院するにあたっては、ぼくは、どのような生活を送るべきかの指導を厳しくするつもりは、あまりなかった。

 

 ところが退院の直前に、両親がお礼を言いに、ぼくに会いに来てくれた。

 「先生、このたびはありがとうございました。胸の形がきれいになって、息子もすごく喜んでいます。ところでお聞きしたいことがあるのですが」

 「それは何よりです。やはり男の子の場合、胸の形は男らしさのバロメータになりますからね。多くの患者さんは、胸の形がよくなると人生にポジティブに向き合えるようになります。ぼくはそれが嬉しくて、ずっと頑張っているのですよ。ところで、お訊きになりたいこととは一体なんでしょうか?」

 

 「ミュージカルはいつ頃から可能でしょうか?

 

 ぼくは一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。

 それでつい、アホな答えをしてしまった。

 「ミュージカルを観るのがお好きなのですか?座っているだけでしょうから退院後、すぐにでもおいでになって構いませんよ。ぼくも、サウンド・オブ・ミュージックとか好きですからねー。」

 「いえ、息子がミュージカルに出演して、歌うのです。

 

 これにはびっくりした。

 

 ぼくの周辺には、ミュージカルを観に行った人はいても、ミュージカルに出た人はいない。ぼく自身ももちろんミュージカルに出演した経験はない。

 だいたいミュージカルどころか、演劇など滅多に観ない。最後に観に行った芝居は中国の京劇で、これは10年くらい前だ。

 

 ぼくは考えた。はたして、手術を受けた少年に対して、いつ頃からミュージカルに出ても良いというべきであろうか。

 

 くり返しになるが、胸の形を治すというのは大きな手術である。

 どんな人でも、怪我をしたり、体の調子が悪かったりすることはたまにあるだろう。お腹が痛いとか、指をナイフや包丁でうっかりして切ってしまう、などということは、だれでも時々、していると思う。

 そうした経験を思い返すしていただくと、「体の中心に近いほど、回復に時間がかかる」ということが、お解りになるのではないか。

 仕事をしていて指や手を少し切っても、その日にビールを飲んでいる人はたくさんいる(ぼくなど、その典型だ)。しかしお腹が痛いときに外に飲みに行く人間は少ない。

 また、風邪をこじらせて肺炎になりかけているときに、焼肉を食べにゆく人間もほとんどいない。「胸と腹」はある意味において特別な身体領域であって、それらの部分に対する手術は、他の部分の手術とはだいぶん違う。

 

 それだけにぼくは、胸の形を整える手術をするときには、患者さんが一日も早く日常の生活に戻ることができるよう、いろいろ工夫をしている。

 ぼくの手術を受けに来てくれる患者さんのなかには、サッカーやバスケットボールなど、運動好きの少年もかなり多い。

 だから、手術を行ったあとに「いつ頃からゴールキーパーの練習をしていいですか」とか「バスケの夏合宿に参加していいですか」などという質問はよく受ける。

 

 しかし、「ミュージカルにはいつから出て良いですか」と訊かれたのは初めてだ。

 

 繰り返しになるが、ぼくはミュージカルに出たことは一度もない。したがって、ミュージカルに出演することが、どのくらい体にとって負担になるかはわからない。

 かといって、患者さんに対して曖昧な返事をするのも嫌だ。

 

 だからぼくは、「ぼくはミュージカルに出たことはないのですが、仮にサッカーや野球と同じくらいの負荷であるとすると、だいたい術後3か月くらい経てば、できるでしょう。とくに中高生に対して手術を行う場合には、早々にクラブ活動に参加しなくてはいけない場合があるので、それを想定していろいろと手術に工夫をしていますから」と答えた。

 

 これは本当のことで、同じく胸郭の形を修正すると言っても、やり方によって結果に大きな差が出る。ぼくは、「手間暇かけても(患者さんの)日常生活への復帰を早く」というポリシーで手術を設計している。

 だから、ぼくが手術したその16歳の少年がミュージカルを演じるとしても、ほとんど問題はないであろうという直感はあった。

 また、よく考えて手術をしているのだから、めったなことでは問題も生じないだろうという自信もあった。

 

 しかし、世の中に「絶対」ということなどありえない。ミュージカルを歌っている最中に、転んで胸でも打ったらどうしよう、舞台からは落ちないだろうか。

 仮にそんなことはなかったとしても、ミュージカルを演じる上ではかなりの肺活量が要求されるであろう。日常生活に戻るだけならすぐに可能であろうが、ミュージカルで歌うとなるとだいぶハードルが上がるはずだ。もし思うようにパフォーマンスができなかったら… いろいろと心配だった。

 

 ところが、その子が退院してほどなくしたころ、ぼくはその子の母親から電話をいただいた。

「おかげさまで、ミュージカルの練習も問題なくできております、つきましては講演にご招待したいです」とおっしゃる。

 ぼくは、その子が不自由なくミュージカルを演じられるのかどうかが、非常に気になった。

 だから、ミュージカルのチケットを送るという、お母様の申し出を快くお受けし、県民ホールで行われる上演に参加することにした。

 

 大変に失礼ながら、ぼくは当初、素人の「のど自慢」的なものを想定していた。

 少年のお母様が「ミュージカルの好きな人が集まって、地域でやっている劇団なのですよ」とおっしゃっていたからだ。

 観客も良いとこ50人くらいではないであろうか、と思っていた。

 

 しかし会場についてみるとそれどころではない。コロナの予防で一つずつ座席を空けての配席となったが、それでも観客は優に500人はいる。入場制限をしなければ1000人は観客が入れるであろう。

 

 そして劇の幕が開いた。

 劇の内容は、第二次大戦の末期における特攻の話と絡めて、手紙を書くことの大切さを訴えるものであった。

 

  演劇の水準の高さにぼくはおどろいた。

 

 劇団は100人ほど団員がいるのであるが、そのうちの半分くらいは高校生以下の若者なのである。小学生の団員も20~30人くらいはいる。

 それらの団員たちが、セリフの淀みもなく、踊りや配置もしなやかに、一糸乱れぬ演技を繰り広げるのである。

 上演の時間は1時間半くらいであるが、ワンシーンは10分~20分ほどかかる。

 

 これらのシーンを積み上げることのなんと難しいことか。

 

 想像してみるとすぐわかる。10分あるセリフ、もしくは歌詞を覚えるのは並たいていのことではない。一人で演じるならまだよい。ミュージカルの場合には、一人のセリフを受けて、次の人が歌いだす状況が多い。

 だから一人が躓くと、次の人にも影響が出る。切れ目のないようにセリフや歌のバトンを常いでゆくのは、相当に修練を必要とする技術だ。

 

 正直なところ、ぼくはさほど期待をしていなかった。

 学芸会に毛が生えた程度で、セリフも時々は間違えるかもしれない、くらいに思っていた。

 しかし彼らの演劇の水準は高く、ぼくは自分の偏見を恥じた。

 肝心の、手術を受けた少年のコンディションについても杞憂であった。

 予科練の兵士を演じていたのであるが、見事な演技だった。

 歌声は朗々としている。姿勢も良い。ぼくは安心した。

 

 ぼくはしばしば観劇に行くタイプではない。だから演劇の技術の細かい評価はできない。だが、かなり昔に観た、プロの劇団員の演じるミュージカル(その時も切符を人に貰った)と比べても遜色がないように、ぼくには思われた。

 

 劇が終わって、その劇団のことをよく調べてみた。

 その劇団は、全国区の劇団ではない。香川県のローカル劇団である。香川県の人口は100万人くらいで、しかも同劇団は県の東部の人を中心に構成されている。

 だから東京でいうと、たとえば板橋区とか葛飾区の演劇同好会のようなものだ。団員は100人ほどいるが、すべてアマチュアである。とくにオーディションを受けて入ってきたわけではない。有志の者であれば、年齢を問わず入団できるのである。仕事や学校が終わったあとに2~3時間練習をする。講演は年2回で、12月と2月に行う。

 

 アマチュアによる、しかしとても完成度の高い劇をみて、ぼくは感じたことがある。

 

 本来、演劇とは観て楽しむだけのものではなくて、やって楽しむものでもないだろうか。

 今の時代、演劇に出ている人はとても少ないであろう。1000人に「あなたはこの3年間で演劇に出演したことはありますか」アンケートをしたら、おそらく「はい」と答える人は1人か2人なのではないか。

 

 だが、江戸時代には多くの農村に「ご当地歌舞伎」があり、お祭りになると住民たちが出演した。香川県にも金比羅歌舞伎や小豆島歌舞伎などがあり、かなり盛況を示したという。

 うんと時代をさかのぼって縄文時代のことを調べてみた。すると、多くの遺跡から仮面や呪術的な装身具が出土していることが判った。舞台があったのかどうかは知らないが、仮面をつけて踊れば、それはもはや「演劇」に他ならない。

 こう考えて行くと、芸を演じるのは人間の本能なのかもしれないと思えてきた。

 テレビや映画が発達しすぎて、劇を演じることが職業化されすぎているだけではないのであろうか。われわれ素人だって、もっと「演じたい」のではないであろうか。この制限を解き放って、もっと身近に演劇に参加することができたら、非常に面白いではないか!

 

 「そんな、フツーの人間が劇なんか演じる時代なんてくるわけないよ」

という批判もあるであろう。

 

 しかし、歌を歌うことを考えてみて欲しい。ぼくが小学校・中学校のころには、人前で歌を歌うのは、特に男子にとってはとても恥ずかしいことだった。

 ぼくは音楽の教師に突然指名されて授業中に「鯉のぼり」を歌わされたことがある。 その後1週間ほどは悪友たちに格好の笑いのネタにされ、ぼくは真剣にその音楽教師への襲撃を考えたほどである。

 

 ところがカラオケというものが出来て、歌うことは日常生活の一部になった。カラオケが出来てからもう40年くらいにはなると思うが、今はマイクの奪い合いをする人すらも多い。

 つまり、歌うことは「恥ずかしいもの」から「楽しむもの」に変わったのである。

 これと同じで、演劇をもっと一般化したら、じつは多くの人々が楽しむのではないだろうか。ぼくが手術した少年が出たミュージカルを観て、そう思った。

 

 会議など参加すると、無駄に話が長い人がいる。とりわけ地位の高い人にそういう人が多い。

 世の中、新入生の歓迎会のはずなのに自分のネクタイの話をする社長や、結婚式のはずなのに、自分の専門分野の自慢話をする教授であふれている。

 

 彼らが話をする目的は、情報の伝達ではない。

 「人前で話しをする」という、非日常的な状況を楽しんでいるのである。

 これは演劇と同じある

 

 だったらそういう人たちを集めて、本当に劇をやらせた方が良いのではないか。

 なにか大きな式典をやる際にはあらかじめ、楽屋を設けておく。

 そして偉い人を数人集めて、台本を渡す。役はあらかじめ、割り振っておく。

 そうして、台本を観ながらでもいいから、ちょっとした劇を20分くらいやってもらう。

 こうすることにより彼らの「演劇欲」は満足されるはずである。

 その上であらためて会を催せば、無駄に長いスピーチも減るだろう。

 偉い人自身も楽しめるから、一石二鳥なのではないか。

 

 かくいうぼく自身も、手術した少年のミュージカルを観て演劇に目覚めたところである。

 手始めに留学生たちを使ってやってみよう。

 ぼくの大学にはバングラディシュや中国から沢山の留学生が修学に来ている。ぼくは彼らと仲が良く、ときどき一緒に宴会をする。

 日本語の勉強と称して寸劇を練習しよう。今の世の中、ちょっとしたことでパワハラなんて言う奴らがいるが、知った事か。

 その動画を撮って、国際交流会のホームページに載せれば、日本の国際化に貢献するではないか!

 うまく行けばYou Tubeにアップしてやろう。

 

 もちろん留学生だけでは面白くないから、そのうちに周辺にいる日本人を巻き込んでやろう。というわけでぼくの周辺にいる人は、しばらく気をつけた方がいいですよ。