ある名(迷?)案

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二人の関係は本文を読めばわかります

 大学に勤めていると、ときどき入試の監督をやらされる。試験会場に問題を持ってゆき、受験生に配る。試験中は受験者がつつがなく試験に集中できるかに気を配り、時間が来たら答案を集めて試験本部に持ってゆく。

 ぼくはこの試験監督が、大変に苦手である。

 大学の入試はだいたい、一科目が75分ないし120分で行われる。この間、監督者はじっと様子を見ているだけなのである。自分で本をもって来て読むことは許されない。

 ぼくは貧乏性で、常になにかをやっていないと落ち着かない。温泉などへ行くと、多くの人は、少なくとも20分くらいは体を洗ったりに湯船につかったりして、ゆったりとした気分を楽しむであろう。しかしぼくにはこれができない。10分くらいで出てきてしまう。体を動かしているか、何か読んだり書いたり、話を聞いたりしていないと落ち着かない体質なのだ。

 そんなぼくにとって、1時間以上も何もすることを許されないのは拷問に等しい。

 もっとも、試験中には問題文は読むことができる。だから、英語だとか国語のテストの時間には、問題を解いて少しは無聊を慰めることはできる。だが、地学だとか化学などはとっくに忘れてしまっているので、問題を解くのが面白くない。

 時間がもったいないので、予定している手術のことを考える。来週の患者さんは右側の乳房の付近が落ち込んでいた、だから右側の肋骨を少し切らないと、いい形にはならないだろう、などと考えたりする。

 なにかいいアイディアが浮かぶと、それを書き留めたくなるものなのだ。しかし紙を試験場にもって行くことはできないから、名案を書き留めることはできない。これがくやしい。かといって、答案用紙にあばら骨や乳房の絵を描くわけにもいかない。事情を知らない人が見たら、大変な騒ぎになるだろう。だいたいぼくは、人を監視したり、不正を指摘したりすることは嫌いなのだ。

 手持無沙汰な空想の中で、ぼくの意識は過去に飛ぶ。20年ほど以前、ぼくはリンゴで有名な東北のある県で、国立大学の助手をしていた。その際にもやはり、センター試験の監督をやらされた。

 社会科の試験の時間に、明らかに不審な動きをしている受験生がいた。彼は食い入るように、すぐ前に座っている受験生の答案をのぞき込んでいた。前の受験生が少し右に動くと彼は左に動き、左に動くと右に動いている。

 ぼくはその受験生の動きを見て、あしたのジョー」を思い出した。ジョーのボクシングの師である丹下段平氏は、ジョーに相手のパンチをかわすコツを教える。相手の体の動きを予測して軽快にフットワークをこなせば、打たれないで済む、というのだ。

 その受験生のフットワークというか、動きは絶妙だった。上半身の動きが柔らかいのである。前の受験生の動きに合わせて体を動かすタイミングも絶妙で、リズム感すら漂わせている。きっとこの子はボクシングをやったらうまくなるだろうな、とぼくは感心してみていた。

 しかし、ぼくは曲がりなりにも試験監督をしているのであるから、だまって見ていることは許されない。さりとて、いきなり捕まえたりするのはかわいそうだ。くりかえしになるが、ぼくはそういうのが嫌いなのである。そこでぼくは、「あしたのジョー」君の真横に立って咳払いをした。いくら何でも、試験監督が横に立っていれば、不審な動きはやめてくれるだろう。

 ところが、もはや頭に血が上っているジョー君は、試験監督が横にいることすら構わずに不審な動きを続けているのである。なにか変だ。もしかするとジョー君は、一見不審な動きはしているものの、この動きは彼の単なる癖なのではないか。じつはカンニングなどしていないのではないか。そう考えて、彼の答案と、前の学生の答案の回答を、それとなく対照してみた。

 すると…

 見事なまでに一致しているのである。鉛筆で塗りつぶされたマークシートは、彼と前の学生とで同一のパターンを示している。ジョー君は目も良いのである。この子はますますボクサーに向いているな、とぼくは感心した。

 しかし感心している場合ではない。こうなるともはや、ジョー君がクロである確率はかなり高い。ぼくは困った。

 これはやはり、何らかの形で警告を与えないとダメなのであろうかと考え、悩んだ。しかしぼくが警告すれば、ジョー君は試験資格を失うだろう。試験監督が隣に来ても気が付かないほど、彼は錯乱している。なにがなんでも合格しなければいけない事情があるのかもしれない。もしかすると、「今年ダメだったら、大学行くのはあきらめて、リンゴ園を継ぎなさい」などと、両親に言われているのかも知れない。そうした学生の将来を奪うのはいかがなものか。

 さりとて、彼を見過ごすことは、他の受験生を間接的に害すことになる。入学できる定員は決まっており、彼が不正に合格したら、他の学生が落ちることになる。人情と職務の板挟みにあって、ぼくはハムレットのごとく煩悶した。

 しかしジョー君と、前の受験生の答案用紙をふたたび見比べた瞬間、ぼくの悩みはたちまち霧消した。前の受験生は「地理」の問題を解いていたのだが、ジョー君は「歴史」の解答用紙に、前の受験生の答えを書き写していたのである。試験はマークシートだから、気がつかないのだ。

 正解のマーキングが、地理の試験と歴史の試験でまったく同じという確率は、おそらく天文学的に小さいであろう。これならば、ジョー君を見逃したからとて、他の受験生に対して不公平でもあるまい。それにジョー君は、動きこそ不審ではあるが、動きが敏捷なので音は立てていなかった。だから他の受験生に迷惑はかかっていないはずだった。ぼくはジョー君の幸運を祈りつつ、静かにその場を離れた。

 そして僕の意識は再び20年飛び、令和2年の試験中に戻る。

 要するに、ぼくは試験監督が向いていないのである。だれかに代わっていただきたい。だが、忙しいのはみな同じだろう。また大学の教員などはそもそも、ハイパーアクティブ系が多い。そういう方々もやはり、何かやっていないと落ち着かないはずだ。だから、ぼくに輪をかけて試験監督が向かない人もいるだろう。彼らに面倒をかけるのは悪い。

 どうすればよいだろう?

 ふと、名案が浮かんだ。禅僧のお坊さんに、試験監督の仕事をアウトソーシングすればいいんじゃないか

 禅僧は精神の修行として座禅を組んでいる。それによって彼らは悟りを得るのかもしれない。でも、第3者的に見れば、別に何かを生み出しているわけではない。いい大人が黙って座っているのは時間がもったいないのではないか。

 僧侶に向かって試験家督をやってくださいなんて言えば、「僧侶は内面を鍛えることが本分なのであって、世俗的なことは行わない」などと言う人も多いだろう。しかし今の時代、本業だけやっていれば、それで良いなんていうのは甘い。花形職業だった飛行機のflight attendantすら、コロナの影響で仕事が減ったせいで、バーで接客をしたりしている人も多いと聞く。

 ぼくだって、本業は外科医なのに、試験監督なんかやらされている。学長から辞令をもらった時に、「香川大学病院の臨床を支えてください」と言われた覚えはあるが、「試験監督を頑張ってやってください」と言われた覚えはない。

 そうだそうだよ。試験監督by僧侶、じつに良いアイディアではないか。禅僧たちは瞑想に慣れているから、たかだか1、2時間くらいなにもしないでいることくらい、なんでもないだろう。もちろん、タダでとは言わない。時給1000円くらいと交通費くらいは払うべきだ。ただ国立大学はケチだから、こんな人件費は払わないかもしれない。

 その場合には、ぼくは自分でバイト代を支払おう。1回か2回飲みに行くのを我慢することになるが、それでも有難い。寺院経営も今は相当大変だという。だから、いくばくかの謝礼が入った方が、お坊さんとしても嬉しいのではないか?繰り返していうのも失礼かも知らないが、座禅を組んだって1円ももうからないんですからね。

 ただ問題は、入試の機密が守れるか否かだ。試験の最中に問題が外部に漏れると困る。また、ある学生がどの大学を受けたか、と言う事だって、大切な個人情報だ。情報の漏えいが起こらぬようにするには、監督者の身元がしっかりしていなくてはいけない。だったら永平寺本願寺のような大きな寺院と契約して、恒常的に人を派遣してもらっては?これは結構なビジネスチャンスかもしれない。

 そんな空想(妄想)をしていると、試験終了のベルがなった。ぼくは急いで答案用紙を回収する。今年はジョー君のような学生が居なくて良かった。

 でも、いったい彼は今、どこで何をしているんだろう?本当にリンゴ園でも継いだのかもしれない。幸福な人生を送っていればよいが。ぼくは答案を集めて試験本部に提出したあと、「青森」「リンゴ園」「経営」で検索をするために、自分の居室にもどった。