ぼくは国立の大学に務めている。
国立大学の教官は、昔はホンマもんの公務員だったらしいが、現在では「みなしコームイン」なるものになっている。
平成時代には日本国の財政が昭和ほど豊かではなくなって、国立大学も「独立行政法人」というものになった。要するに、自分のメシは自分で稼いでね、と言うことらしい。
それで教員たちも、このようなわけのわからない身分と相成ったのである。
いきなり荒唐無稽なことを言って申し訳ないのだが、コームインになると日本海を1日で泳いで渡れる、らしい。
実際にやれと言われると非常にこまるのであるが、少なくとも理論的には可能である、そうだ。
なんのことを言っているかさっぱりわからないと思うが、構わず読み進めていただけませんか。そのうちにわかりますから。
ぼくはなぜか子供のころから華僑と相性がよく、中国人の友人が多かった。
大学時代には外語大学にもぐりこんで正式に勉強もしたので、彼らの国の言葉をそれなりに話すことができるようになった。
ぼくの勤めている大学は中国にいくつか姉妹校がある。今はコロナの流行で交流は一時的にストップしているが、学長や副学長など偉い人が毎年、表敬訪問に行く。
英語を話す人はたくさんいるが、中国語を話せる教員は、ぼくの大学にはそれほどいない。だからこうした交流活動があると、雑務要員として、おのずと白羽の矢がぼくに立つことになる。
公務なので、旅費は大学から支給される。
学長とか医学部長のような偉い方々は、飛行機のチケットを自分で買う必要はない。秘書が購入する。
ところがぼくのようなヒラの教授は、チケットを自分で買わなくてはいけない。
自分でお金を出してまずチケットを買い、事後的に清算することになる。
ぼくは会社に勤めたことがない。それゆえ、一般の企業に勤めるサラリーマンが、こうした場合、どうやって払い戻しを受けるのかはよく知らない。
以前ぼくが勤めていた私立の大学では、チケットの領収証を見せれば、建て替えた旅費の払い戻しを受けることができた。
だからおそらく、一般の会社でも出張旅費の精算は、飛行機チケットの領収書だけでOKなのではないだろうか。
ところが同じく旅費の精算と言っても、国立大学の「みなしコームイン」がそれをするのはとても大変なのである。
「みなしコームイン」になってから、はじめてこういう雑用に駆り出されたのは7年前のことだった。
中国の北京に、香川大学の代表団の一員として参加したのだ。
帰国してからすぐ、旅費の清算を受けるために、ぼくは航空券の領収書を大学の経理課に提出した。
1週間くらい経って、経理からなぜか連絡が来た。
追加の書類が必要だから出してくれという。
なんの書類が必要かと訊くと、パスポートの出入国記録をコピーして出してほしいという。
ぼくはやや面倒くさく思ったものの、国立なのだから私立大学より厳しいのは仕方がないなと思い、言われた書類を提出した。
これで一件落着、と思ったのだが、さらに1週間ほどして再び経理から連絡を受けた。出張先である中国の河北医科大学に行ったという証拠となる書類を出してほしいという。
ぼくは、ややうんざりしながらも、出張先で撮った集合写真と、先方からの招待状のコピーを経理に提出した。
ところがところがである。さらに1週間くらい経って、経理課が3度目の連絡をしてきた。
飛行機の搭乗券を出せという。
断っておくが、ぼくはそんなに怒りっぽい人間ではない。
医者の中には患者さんが言いつけを守らないと、切れたりする人も多い。
また手術をやっている時に、若い医者がもたもたしていると、大声で怒鳴りつけたりする人もいる。
ぼくはこうしたことは、絶対にしない。
患者さんに怒ったとて関係が悪くなるだけだし、若い医者を怒鳴ったら、かえって緊張して、より手が動かなくなる。
そのように温厚なぼくではあるが、さすがに3度目の呼び出しなのでイラっとして思わず声を荒げた。
ぼくは経理の担当者に言った。
「搭乗券が必要なら、すぐ言ってくれないと困りますよ。もう捨てたかもしれない。」
経理の担当者は言う。「でも、搭乗券がないと、飛行機に乗ったという証拠がありませんから。」
ぼくはクラクラっときた。
ぼく:「じゃあお尋ねしますけど、ぼく、この間あなたにパスポートのコピー、渡しましたよね。」
経理:「はい…。」
ぼく:「11月15日に関西空港から出たって、日本の出国スタンプ押してありましたよね。」
担当:「はい…。」
ぼく:「そんで、11月15日の同じ日付で、北京から入国したって、中国側の入国スタンプ押してありましたよね。」
担当:「はい…。」
ぼく:「ということはですよ。ぼくは11月15日に日本を出て、同じ日に中国に入ったわけですよね。」
担当:「おっしゃる通りです…。でも飛行機以外にも交通機関はありますし。」
担当が言うには、航空券を経費で購入したあと、それを転売してカラ出張を行った教員が、他の大学にいたとのことである。そういうことが起こると大学としては非常に困るので、きっちり証拠をそろえないといけないとのことだ。
彼の立場は確かに解る。
しかし大阪から北京まで、飛行機以外で一体、どうやって1日で行けるというのであろうか。
ぼくとしては搭乗券を捨ててしまっているので、払い戻しが受けられないと、何万円かが自腹になるのである。
それが嫌だったので、ぼくは粘った。
ぼく:「飛行機のらないで、どうやって一日で北京に行けるんですか?日本海を泳いでわたったとでも言うのですか?ぼくは鑑真じゃないんですけど。」
担当:「ガンジン?」
担当は怪訝な顔をした。
鑑真は知っての通り、奈良時代に中国からわたって来た僧である。唐招提寺に招聘されて、多くの学術的知識と仏跡を伝えた人だ。
当時、唐から日本に来るには海路しかなかった。鑑真の航海運は悪く、何回も難破した後にようやく日本にたどりついた。
「日本海を船で渡る」という議論から、ぼくは鑑真のことを連想して彼の名前を出したのだ。
ところが経理の担当者には、この連想が伝わらなかったらしい。
そこでぼくは言った。
「奈良時代のお坊さんですよ。中国から苦労して日本に渡ってきたでしょ。何回も難破して最後には失明したの、知りませんか?一日で日本海を泳いで渡れる方法があったら、彼に教えてあげてくれませんか?」
思わずこう言った。
その瞬間、ぼくの脳裏には日本海を高速で泳いで渡る、鑑真さまのイメージが浮かんでしまった(これが今回の挿絵です)。
ぼくはそのイメージがおかしくなって、思わず笑ってしまった。
こうなると不思議なもので、最初にイラっとしていた気持ちはどこかに行ってしまった。
あらためて冷静に状況を見ると、この担当はまだ若い。
怒ったかと思うと急に笑い出した不気味なオッサンを、明らかに怖がっている。
20代の後半といったところであろう。
鑑真まで持ち出して、若い彼を問いつめているぼくは、クレーマーのオヤジそのものではないか。
彼とて、なにもぼくに意地悪や嫌がらせをしたくて、何回も書類を持って来させているわけではあるまい。
ぼくは冷静になった。この子をいじめても仕方ない。
そこで彼に、だれかからの指示を受けているのかと訊くと、経理の上役から命令されてやっているのだという。
ぼくは彼の肩を軽く叩いて、真直ぐに事務長(60代)の部屋に向かって行った。
そこで談判すること30分、「旅費が自腹なら、もう通訳なんかやりませんよ」と開き直ったり、ぼくが通訳としてお援けした副学長にその場で電話をかけたりして、ようやく旅費の払い戻しを認めさせた。
これ以後なぜか、ぼくに対する旅費の払い戻しはなぜかスムースに行われるようになった。
おそらくは経理の「クレーマーリスト」に載せていただいたのだろう。誇らしいことだ。
このように交渉には勝ったのであるが、なんとも言えない徒労感を感じる。
なぜなら、費やした時間やエネルギーが何も生み出さないからだ。
ぼくや他の教授たちの立場からすれば、そうしょっちゅう公務で外国に行くわけではないので、こんなつまらない交渉は1年に1回か2回すればよいだけだ。
だが、先の経理の若い担当者は、全職員の出張費を清算している。
だからぼくのようなクレーマー(?)の処理に、人生のかなりのエネルギーを費やしているだろう。
そのエネルギーを別のことに費やせば、かなりのことができるはずだ。
つまり多くの人間の時間とエネルギーが、無駄になっているのである。
何か月か前、船橋市役所の職員だったかが常習的に早退していたのが問題になったことがある。定刻より2分早く帰るのを何か月か続けていたそうだ。
勤務時間は17時までだが、16時58分になると退庁していたのだ。
タイムカードは仲の良い同僚に押してもらっていたらしい。
これが発覚してニュースになったとき、人々は憤慨した。
「公僕でありながら、何ということをするのだ。われわれの税金を何だと思っている!」
ところがさらに調べると、意外な事実が判った。
問題の公務員はバス通勤しているのだが、市役所から出るバスは少ない。だから17時きっかりのバスに乗れないと、30分以上待たなくてはいけないそうなのだ。
ということはだ。
グダグダ残業をやって意図的に退庁時間を遅らせれば、退勤時間の規則を破らないで済むし、残業代もつくわけだ。
実際にその手を使っている職員は、おそらく少なからずいると思う。
そこで改めて、日本国民に問いたい。
2分早退するのと、30分無駄な残業代を稼ぐのとで、どちらの罪が重い?
シェークスピアが現代にいたら、コームイン版ハムレットをお書きになるに違いない。ドストエフスキー先生がご存命であったならば、コームイン版「罪と罰」をお書きになって欲しい。
ぼくとしては、2分早く帰るかわりに昼休みを2分短くするというのが、妥当な解決法だと思う。
ただ、コームインにはそういう融通はきかないんですね。
といいつつ、ぼくは今日は夜10 時まで残業しました。
若い医師が書いた論文に、朱を入れなくてはいけませんし、コロナで手術が延期になることを患者さんたちに伝えなくてはいけませんでしたからね、今日中に。
ご安心ください、サービス残業ですから。あとこのブログは、帰ってから家で書いてますから。
ところで、前から思っていたのですけど、「鑑真像」と「平清盛像」って、似てませんか?