「転校番長」はつらいよ

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気合が大切じゃい!

 

 ぼくの勤務している大学の胸部外科に、この4月から新しく教授が赴任されてきた。

 新任の教授は·、いままではある関東の国立大学に准教授として勤務されていた。肺の手術が上手なので、腕を見込まれて、晴れて香川大学に教授として招聘されたのである。

 たしかに栄転には違いない。

 選考の応募者は10人ほどいたし、そのほとんどがどこかの大学の准教授であった。かなりの名門大学に所属しているものも何人かいた。

 並みいる猛者どもを差し置いて選ばれたことは、名誉なことだ。

 だから彼も、選出されたというニュースを聞いたときは、かなりうれしかったに違いない。ぼくも優秀な同僚が来てくれて、非常にうれしい。

 しかし、自分の母校でない、別の大学にトップとして転勤してくるのは、移ったあとがとてもとても大変なのである。とくに、手術を行う、外科系の診療科のトップになる場合には、かなりのプレッシャーがかかる。

 こう言うと「会社や役所だって、新しい上役が赴任してくるなんてことはしょっちゅうあるじゃないか。それと同じことだろ?」と言う人もいるかもしれない。

 ところが、ある大学の医師が、別の大学の教授になることと、銀行なり会社の内部での栄転で部門を変わることとは、ものすごく違うのである。

 第一に、組織を維持するために、かなりのエネルギーが必要である。

 たとえば銀行のある支店に、新しく支店長が赴任してきたとする。その上役を部下がどんなに気に入らないとしても、面と向かって反抗したり、サボタージュをしたりすることは、まずないであろう。そんなことをすれば、たちまち自分が首になって、路頭に迷うからだ。

 したがって、いくら滅茶苦茶な上役が赴任してきたとしても、その部門そのものが崩壊するようなことは、銀行や会社ではまず起こらない。

 これに対し、大学病院の医者たちは、教授が気に入らなかったら、あっさり辞めてしまうのである。医師免許を持っているので、転職が簡単にできるからだ。むしろ他の病院に移ったり、開業した方が、収入が増えたりする(これは「白い巨塔」をご覧になった厚労省文科省の官僚の方々が、一所懸命に大学病院の予算を削ってくださった結果、待遇が悪くなったおかげである。)それゆえ、会社や銀行と違って、大学病院では経済的な束縛で部下をつなぎとめておくことができないのである。

 さらに、外科医の場合には、個人的な「腕」を示すことが要求される。

 新任の教授が赴任してくると、まわりのだれもがこの人って、なにができるの?という目で見ている。経験を積んだ医師は目が肥えているので、新参者の「腕」がすぐにわかる。若い医師も、自分たちの将来を託すに足りる人物であるか否か、じっと見つめている。

 こういう時、ミスが怖くて平々凡々とした手術ばかりやっていては、リーダーとして認めてもらえない。だからと言って、難手術に挑戦して、もしうまく行かないと、イメージがものすごく傷いてしまう。

 銀行などで新しい支店長が来た場合でも、前の支店長の時と比べて預金額とか融資額を増やすことが求められるだろう。だが、仮に営業成績がぱっとしなくても、すぐに支店長の責任、というふうにはならない。「まだチームワークができていなくて」と言えば、まあそんなものかなと周辺は納得してくれるだろう。

 ところが外科医の場合は違うのである。ダイレクトに責任が問われる。

 外科の手術は、だいたい3-4人で行われる。これら3-4人の役割は同じというわけではなく、重要な手術操作は、かならず(助手でなく)執刀医が行わなくてはいけない。教授というのはその部門のトップだから、必然的に執刀医になる。だから手術の上手い下手が、あっという間に、皆にわかってしまうのである。

 万が一ミスをしたりすると、一緒に手術に入っている医師たちはもとより、麻酔科医や、手術室にいる看護師さんも、すぐにそのことに気がつく。その日のうちに噂が病院中に広まってしまう。「まだチームができていなくて」なんていう言い訳は通らない。「腕が悪い人」というレッテルを貼られてしまうのだ。

 つまり、自分の母校ではない大学に教授として赴任する場合、リーダーとしてふるまい始める前に、たしてあんたは、俺たちのリーダーたりうるの?」という無言の問いに答えなくてはいけないのである。

 よく西部劇でこんなシーンがある。他所からやってきたガンマンがバーに入ってバーボンを注文する。そのバーには土地の荒くれものたちがたむろしていて、「お前はミルクを飲め」などと言いがかりをつける。ガンマンはコインを打ち抜くとか、からんできた相手をノックダウンとかして、初めて仲間として認められる。

 外科系の教授として別の大学に赴任するのは、これととてもよく似ている。

 そのプレッシャーをくぐり抜けた気持ちは、経験したものでなければ分からない。

 こう言うと「ある大学から別の大学に移るのがそんなに大変ならば、もとからその大学にいる人を教授にすればいいじゃないか」と、みなさま思われるであろう。

 まったくその通り。だから最近では、大多数の教授選考は、そういう結果に終わっている。

 何十年間も同じ組織にいる人が素直に昇進すれば、下の人間は「今度来たボスはどんな人間なんだろう」と不安に思わないですむ。

 上に上がった人間だって、自分がリーダーに値する人間かどうかということを新たに示さなくても済むわけだから、プレッシャーは少ない。

 だから医学部で教授の選考を行う場合、10回に8回くらいは、その大学の卒業生を採用しようとする。ようするに「気心しれた仲間」の中から新しいトップを選ぶわけであるので、組織がまとまりやすいのだ。

 「愛校心」という強力な武器を使えば、組織をまとめ上げるコストが格段に小さくなる。

 難易度の高い手術をやって自分の腕を見せなくたって、「〇〇大学万歳!」と叫んでいれば、何となくみんながついてきてくれる。「君はサッカー部?ぼくもサッカー部だよ」なんていうのも、よく効く。

 だから医学部で教授を選考する場合、他所の大学からどんなに優秀な人間が立候補してきても、選考会議で「この人は手術は上手みたいですけど、ちょっと癖がある人みたいですねー」とか、「やっぱり○○君(内部の候補者)が、今のチームを良くまとめていますからねー」など言いがかりをつけて、門前払いを食らわせる、なんてことは日常茶飯事なのである。

 ところが、内部に適切な年齢の候補者がいなかったり、候補者がいても理事会に嫌われていたりすると、「それでは今回は(特別に)他の大学から教授を連れてきましょう」ということになる。平成のはじめくらいまでは、こうしたケースもよくあったらしい。だが、医学部人気が何十年も続いて、どこの大学でも自前の人材が豊富に育った今では、こうしたケースは非常に少なくなっている。ぼくの実感としては、こういう「ガチンコ」の公募は5回に1回じゃないかと思う。

 このように、同じく医学部の教授になると言っても、母校にずっといる生え抜きの人間が教授になる場合と、他所の大学から(まっとうな公募を経て)教授になる場合とは、まったく性質が違う。

 前者は「学級委員」であり、後者は「番長」なのである

  ある学校に転校生が来た場合を考えると、この喩えはわかりやすいと思う。

 転校してきた生徒が、いきなり学級委員になれるだろうか?

 そういうことは、まず絶対に起こらない。

 学級をまとめるには、その学級にどういう人間がいるかどうかを知ってなくてはいけないが、転校してきたばっかりの人間に、そんなことわかるわけがない。

 人付き合いが良くて、先生からも可愛がられる、成績のそれなりによい人間が選ばれるはずである。母校の出身者から教授を選ぶのは、これと同じである。

 ところが「番長」は、そういう選ばれ方はしない。

 昨日、転校してきたばっかりの人間だって、喧嘩が強ければ、すぐ番長になれるのである。

 その代わりに、もともといる不良グループとタイマンを張って「喧嘩が強い」ことを証明しなくてはいけない。別の大学から来た教授が、手術の腕を皆に示さなくてはいけないのは、それと同じだ。

 ぼくは自分の母校では、上司や先輩とそりが合わなかった。ぼくの生意気で協調性のない性格に多分に原因があるので、恨み言をいうつもりは全くない。ただ不遇だったことは事実であり、だから「転校番長」にならざるを得なかった。

 たまたまぼくは、「あばら」のかたちを治すことに偏執狂的な興味を持っており、それがゆえに、その手術がすごく得意だ。だから、母校を去って香川大学に来ても、なんとかリーダーとして認めてもらうことができた。だが、もしもそうした「得意技」を持っていなくて、通り一遍の手術ばかりやっていたのならば、もともと香川に居た人間たちに、受け入れてもらうことはできなかったと思う。

 形成外科の業界のなかで、ぼくには親しい友人がたくさんいる。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、彼らの多くが「転校番長」だ。年回りが悪かったり、上司にかわいがられなかったりと言った理由で、自分の母校を飛び出ざるを得なかった奴らである。それだけに、みんな「喧嘩」の腕は確かだ。顔の骨のかたちを治す手術が特別うまかったり、細い血管やリンパ管をつなぐのがとてもうまかったり、それぞれが得意技を持っている。動物実験の得意な「学級委員」タイプの教授が多い中で、周辺からさしたる援けも得ないで、腕一本で生きて来た「濃い」連中たちだ。

 今週は大阪で学会がある。オンラインで発表ができるようになった現在、別に学会場まで足を運ばなくたって、発表したり、人の発表を聞いたりすることは可能だ。でもやっぱり学会に参加するのは、そんな「転校番長」たちと一緒に飲むと、とても楽しいからなのである。