靴など作らず、ラップを歌え!

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この人ならば前頭くらいは行くかも?

 最近、花田家が世間の耳目を集めています。花田家というのは元横綱貴乃花花田光司氏と、その元奥さんで元アナウンサーの河野景子さん、ならびに彼らのご子息である花田優一君のことです。

 花田優一君とそのお父さんとはうまくいっていません。

 優一君はお父さんのことを、家庭暴力で告発しています。

 妻である景子さんに対して暴言を繰り返したり、息子である自分に対してやはりつらく当たったりしたことを、声を大にして言い立てています。

 お父様である貴乃花も記者会見まで開いて、ご自身の息子である優一君を、虚言癖のある人間であると、滔々と説明しております。

 

 お父様である貴乃花は相撲の世界では間違いなく一流であるし、息子の優一君だってイケメンです。しかもお互いに親子です。なんで罵り合う必要があるの?と思います。

 「アホちゃう?」と思います。

 

 少し脱線しますが、同じ日本語でも東京の言葉と、西日本の言葉は別の言語ではないでしょうか。

 ぼくはもともと山口の生まれで、北九州出身の母親を持っております。ゆえに西日本の日本語についてはネイティブとまではいかないまでも、ネイティブ並みに語感を理解できます。

 ですが、関東に生まれて東日本にしか暮らしたことのない人にとっては、この「アホちゃう?」という言葉はなかなか理解できないと思います。

 関西における「アホ」は関東における「バカ」ではありません。

 なんというかもっと、共感を持った言葉です。

 つまり相手も愚かな所があるけれど、そういう愚かな所は自分にもある、人間とはみんな仕方がないもんやね、というような感覚で使うのです。

 それを「バカ」と言ってしまうと、「自分は賢いけれど、相手はダメ」というような上から目線が感じられるのです。

 そこが「アホ」と「バカ」の違いだというのが、ぼくの今の理解なのですけれど、ぼくは北九州ならびに山口県、そして東京のセンスは持っているのですが、コテコテの関西人ではないので、ぼくの使う「アホちゃう?」という意味は、大阪や京都の人とは少し違うかもしれません。

 

 ともあれ、花田親子の罵り合いを見ると、大半の西日本の人は「アホちゃう」という言葉が素直に出てくると思います。

 アホ同志が記者会見までやって、自分の父親や息子を罵り合っている。

 まったく、親子喧嘩ならば家庭内でやってくれよと思います。

 ですが、そのアホ親子の醜い争いを見ているぼくだって、アホなのです。

 わが香川県の隣県は徳島ですが、ご存じの通り徳島は阿波踊りが名物です。

 その踊りの囃子歌では「踊るアホウに、みるアホウ、同じアホなら踊らにゃ損損」と歌っています。

 花田親子はそれこそ横綱級のアホだと思うのですが、それの内輪もめに興味を持つぼくだってアホです。

 

 本来ぼくは、芸能会のことにはほとんど関心がありません。だいたい、まったくテレビを見ません。AKBの誰が結婚したって知ったことではありませんし、何とかデラックスと美輪某も、最近になってようやく区別がつきました。

 

 ぼくはかくのごとく芸能界のことに無関心なのです。

 それなのに、どうも花田親子のことだけはなぜかアンテナに引っかかるのです。だからこの文章を書いているのです。

 花田優一君のことを、世間一般では「愚かな二代目」とみています。

 でも優一君の立場に立つと、そんなことを言われても困ってしまいます。

 

 おそらく優一君には、父親ほど高い運動能力はないでしょう。

 横綱に息子が生まれて、父親が息子の運動能力に期待しなかったわけはありません。

できれば自分の跡を継がせたい、と思ったことでしょう。

 しかし優一君にはその才能がない。おそらくは運動能力については母親に似たのでしょう。

 父親は、自分が一流なだけに息子の才能の無さを早めに見切ってしまいます。

 母親も当然、それに気がつきます。そして母親は呵責の念にさいなまれたのであろうと思います。自身は美人で頭も良い。ですが運動の才能があるわけではない。優一君も自分に似てしまって、父親ほどにはスポーツの才能は無い。相撲界に進んだって、横綱なんかなれっこありません。

 これはかなりストレスフルな状況です。景子さんもつらかったでしょうが、優一君本人もかなり辛かったのではないかと思います。

 

 ぼくは、優一君には面白いところがあると思っています。このブログで言いたいのはそのことです。

 優一君にはどういう面白いところがあるかと言いますと…

「靴職人」という切り口で生きて行こうとした点です。

 はっきり言ってぼくは優一君が一流の靴職人なんて、まったく信じていません。

「職人」はスキルを持って生きてゆく人間です。

スキルというものはただ一所懸命に修行すれば身につくものでもなく、人生経験とともに身についてゆくものです。

 ゆえに、定義的に言って、歳若くして職人として一流になるのは不可能です。

 しかるに優一君は20代そこそこでセレブの仲間入りがしたいと考えているようです。

 それで不相応なお金の使い方をして、それがゆえにマスコミにいろいろ叩かれているのでしょう。それは当然のことで、20代そこそこの若者が銀座で飲み歩いていれば、それは反感を買うでしょうよ、一般的にはね。

 ぼくは日暮里で飲み歩くほうが銀座で飲み歩くよりも楽しいと心から思っておりますので、優一君が豪遊したって別に腹は立ちません。まだまだガキだから、はしゃぎたいのだろうな、と思うだけです。

 

 単純に親が偉いだけで生きている人間は、世の中にたくさんいます。

 そういう人たちは、だいたい親と同じ業界に行きます。

 ぼくの生きている医療界なぞ、その最たるものです。親が開業して、そこそこ流行っている場合には、相撲界で言えば横綱とまではいかないまでも、関脇ぐらいの収入は手に入ります。

 だから、親の用意した道を歩くだけの人間が実にたくさんいる。そうした人間を見慣れてくると、優一君がまた違った角度から見えてくるのです。

 

 優一君は、とにもかくにも、親が用意した道ではない道を歩もうとはしているではないですか。

 今はまだ靴職人として三流とは言え、そしておそらく10年後も一流にはなれないであろうとは言え、親の用意した道をそっくりそのまま歩かないという点だけでも、一定の矜持は見て取れます。

 つまり負けず嫌いとか、チャレンジ精神において、優一君は父親に似ているのです。

 ぼくは優一君の、そういった若者的なチャレンジ精神が気に入っているのです。

 

 ただ、もはや50歳を過ぎたぼくから忌憚なく言わせていただきますと、やはり優一君は普通にタレントになるのが一番なのではないでしょうか。

 日本にはもともと革文化がありません。何百年も靴を革で作ってきたイタリアに、つい百年前まで草鞋や下駄を履いていた日本人が勝てるわけがありません。

 だから優一君は靴職人として一流になるのは、おそらく無理だと、ぼくは思います。

 では、タレントになったとして、優一君はどのように生きてゆけばよいのでしょうか?

 優一君の両親(特に父親)は確かに大物ですから、七光りだけでもまあ、生きては行けるでしょう。ですが、負けず嫌い(勝手に決めつけてますが)の優一君は、おそらく父親を超えたいでしょう。

 そのためにはパンチがあるタレントにならなくてはいけません。

 

 ぼくからのアドバイスがあります。

 彼はたぶん自分では気がついていないけれども、るひとつの点において「日本一」なのです

 それは「大物の二世でありながら、その特典を利用できていない」点です。

 今の世の中、二世は普通うまく行っています。

 政治家の世界では、個人的な能力としては何ら特記すべきものはないのに、高い地位についてしまっている人が沢山います。

 彼らは「二世という地位」に寄りかかり、それだけで世渡りをしています。

 アベ元総理、アソー元総理、コイズミ議員など、政治家の家に生まれていなかったらどうなっていたでしょうか?

 おそらく部下や上司に気を使い、リストラにおびえ、老後の生活に不安をいだきつつ、限りある給料をやりくりしながら、平々凡々とした人生を送っているはずです。

 それなのに名門の出自というだけで、人々の(表面上の)賛辞を得、飢えや貧しさにおびえず、あるいはそんなものに気が付きもせず、温かい水槽の中の熱帯魚のごとき人生を送っています。麻生さんなどは、あたかも自分が特別な能力を持っているかのように勘違いすらしているようです。

 彼ら以外にも、歌手や役者の家に生まれただけで生きて行っている芸人はたくさんいます。

 家柄が良いのに、うまく行っていないのは花田優一君だけです

 しかも、驚異的にうまく行っていない。

だから花田君も内心、「なんで、俺だけ!」と思っているのではないでしょうか。

 だったらその気持ちを、素直に口に出せばよいのです。

 一昔前に「どんだけ~」という言葉が流行語になりました。

 花田君は「俺だけ~」という決めゼリフで攻めると良いのではないでしょうか。

 

 花田君は「二世であることの特権」を有効に活用するどころか、それがゆえに叩かれまくっています。

 強い武器を持ちながら、その使い方がドヘタです。

 ドヘタであるからこそ、その武器の強力さを強調できるのではないでしょうか。

 黒は白を強調します。

 スイカに塩をかけるのは、スイカの甘さを強調するためです。

 秦の末期に農民反乱を主導した陳勝呉広は、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と叫びました。今風にいうと「王様や将軍はみんな威張っているけど、DNAが俺たちと違っているわけじゃねーだろ」という意味です。

 陳勝呉広は貧しい農民でした。だからこそコントラストをつけて「身分」と言うものを浮かび上がらせることができたのです。

 その意味で、「二世であること」の有利さや狡さを、最もわかりやすく表現する立ち位置にいるのは、花田優一君をおいて他にいないのです。

 

 優一君が名門の出自であることは、お父様やご自身が記者会見を開いたために、今やすべての日本人の知るところになりました。

 だから「政治家は爺さんやオヤジが賢いだけで危なげない人生を送っているのに、なんでおれだけこんな目に」という想いを国民に届けるべきです。

 

 たとえばラップ風にやると、

“アベもアホー、アソーもアホ―、でもhappy.

でも俺はunhappy, なぜ、why?

それはdaddyがYokozunaだから。

政治家のガキは政治家になれる、アホでもなれる。

でもYokozunaのガキはYokozunaなれない。SumoつよくないとYokozunaなれない。

アサ・ショーリューにぶっ飛ばされる。

ウソ、信じない?

ならアベ―、アソー、スモーTore!

Yokozunaなれるかやってみろ、Hey!Try You!”

 

 こんなラップを歌ったら、優一君はブレイクすると思いますね。

 こんなラップを歌うのは恥ずかしいだろう、と思う人も多いでしょう。

 でもすでに、身内でアホな親子喧嘩をして、すごく恥ずかしい状態になっているではありませんか。もう失うものはありません。

 ぼくは花田優一君を揶揄しているわけではありませんよ。念のため。

 ぼくが花田君の立場にあったら、本当に上のラップで売り出します。

 どうせこのままだと先細り、度胸を決めてやってみなはれ。

 その時こそ花田優一君はアウフヘーベンして、ビートたけし並にインパクトのある芸人になれるのではないでしょうか。それならばお父さんを超えられます。

 ぼくもCD買って応援しますよ、10枚くらい。