医療サイトリテラシーについて

 医療機関を営む以上、多くの患者さんに集まって欲しいと思うものです。患者さんに集まっていただきたい理由はその医療機関に応じて異なるでしょう。個人で開業している先生ならばクリニックを運営するために利潤をあげる必要があります。そのためには多くの手術を行う必要があります。
 幸い私が勤務しているのは国立大学の附属病院なので、収益についてあまりうるさくは言われません。ゆえに私は利潤をあげようと気持ちはあまりありません。自身の手術で多くの患者さんに喜んでいただくことが、漏斗胸の手術に私が力を入れている大きな理由です。この気持ちに偽りはありませんが、あまりにも理由がまっとう過ぎてかえって偽善的ですね。
 そこで本音を正直に言います。私が漏斗胸の治療に心血を注いでいる理由は、個々の患者さんの幸福もさることながら、自身で手術法を開発し、それが認められることによって自己実現をすることに喜びを覚えるからです。
 私が自己実現をするか否かは私個人の事情であり、治療を受けられる患者さんには直接の関係はありません。このことをわきまえつつ、独善的にならないように留意することも大切であると思っています。

 話が少しわき道にそれました。本題に移ります。漏斗胸の治療を行っている病院は世の中にたくさんあります。そうした病院は(私自身の病院を含め)、行っている治療について帆の中に知らしめることを目的としてホームページを作成しています。
こうしたホームページを作成する上で、私が気を付けていることがあります。それは、「あるものごとを主張する場合、必ず筋の通った理由をつける」ということです。

このことについてご理解をいただくため、まずは以下のいくつかの叙述をご覧になってください。どれも医療機関のHPから取り出した内容です。また、漏斗胸の治療を行っている医療機関とは限らず、他の専門分野の医療機関も含んでいることをお断りしておきます。


叙述例1.「医師としてのキャリアは何年ある」
叙述例2.「医療に対する情熱は誰にも負けない」
叙述例3.「患者さんの喜びは私たちの喜びである」
これらの叙述をご覧になって、その病院を受診したくなる方は多いことと思います。キャリアが長く、情熱を持った医師ならば確かに良い治療をできるかもしれません。
しかし、もし私自身が何かの治療を受けるとして医療機関を探す場合、上記の3つのような叙述をしている病院は、遠慮すると思います。

その理由を述べます。
 まず「医師のキャリアは何年ある」と言っても、そのキャリア内のすべての期間で腕を磨いて来たとは限らないからです。ときには手術をしていない期間もあったかもしれません。
 また、その医師と他に2人~3人しか手術をする医師のいない小さな施設で永年、働いてきたのかもしれません。小さな施設で働いている場合、手術の手技を向上させるのはなかなか困難です。その理由は、他者の批判にさらされないからです。同じ病院に何十年もいて手術を繰り返していると、もともと腕の良い先生でもいつしか我流に陥ってしまうものです。自分では上手に手術が行えているように思えても、なかなか腕は向上しません。
 周辺の医師に客観的に評価され、競争し、時には批判されてこそ技術は向上します。ゆえに、大学病院やセンター病院において積んだキャリアならばその長さを評価できるかもしれませんが、ただ永く医師をしている、ということだけではその医師の能力の証明にはなっていません。
「医療に対する情熱だけは誰にも負けない」というのはどうでしょう。「誰にも負けない」というのならば、比較をされたのでしょうか。医療に対する情熱コンテストでもあれば、こうした言い分もある程度は認められるかもしれません。しかしそんなものはありませんから、単なる主観的な思い込みに過ぎません。
「患者さんの喜びは自分たちの喜びである」というのも似たようなものです。そもそも患者のためを思わぬ医者などいません。医療者が患者の幸福を目指して施療を行うのは当然で、なんら説得力はありません。

それでは以下の叙述はどうでしょう。
叙述4.「世界で高い評価を受けている」
叙述5.「学会発表をしている」

「世界で高い評価を受けている」という記述がいくつかのサイトにありますが、これは何に基づく主張でしょうか。海外の学会で発表したことがその根拠のように思える場合が多いのですが、これについて皆様にぜひ知っていただきたい事実があります。それは、「学会発表は、国内学会であろうと国際学会であろうと、申込さえすれば誰にでもできる」ということです。結婚式や政治家の先生方が行うパーティーと同じで、学会はできるだけ人が集まった方が良いのです。医学の学会はだいたい、ホテルを借りて行います。会場を借りるためにはホテルに何百万円(大きな学会では何千万円)も支払わなくてはいけません。また、受付やアナウンスをする人を雇うにも費用が発生します。学会は歌手のコンサートなどと同じで一種の興行です。したがって参加者の数が多ければ多いほど黒字になり、経費の支払いがしやすくなるため、できるだけ参加者を多くしようとします。ゆえに多くの学会においては、発表を申し込んだ場合、よほどのことが無いかぎり発表を断りません。このため、米国の学会であろうがヨーロッパの学会であろうが、申し込みをしさえすれば発表することができる、というのが現状です。したがって外国の学会で発表をすることは、その病院もしくは医師が優れている根拠とはなり得ません。
 ところが、英文論文となると全く話が変わってきます。海外の一流雑誌に、手術法や治療法が掲載されれば、それらが外国の医師にも受け入れられたと、文句なく考えて良いでしょう。こう言いますと、「学会発表は信憑性に足らないと言っておきながら、論文発表は価値があるのか」という批判があることでしょう。
学会発表と論文発表の価値がまるで異なる理由をずばり述べます。それは、学会発表は発表者が多いほど主催側が黒字になり、論文発表は発表者が多ければ多いほど赤字になってしまうからです。
学会は 学会は発表者が多いほど黒字になりやすく、したがって凡庸な内容でも発表の機会が与えられる理由については前述しました。
論文発表はこれとは逆で、なるべく発表者の数を少なくしようとするのです。論文は医学雑誌に掲載されます。学会発表と論文発表の決定的な違いは、論文は印刷された形で発表されるということです、個人出版などをされた方は良くお判りだろうと思うのですが、出版物を作るためには非常にお金がかかります。とくに医学の論文ではカラー写真が多いので、あまり多くの論文を雑誌に載せようとすると、印刷代がかかりすぎて赤字になってしまうのです。このため、一流の英文雑誌では損益分岐点を考えて、大半の論文を不掲載にしてしまうのです。優れた、一握りの論文だけを掲載します。このため内容的に秀逸なもののみが掲載されます。ゆえに医学の玄人は、英文の論文として認められるのならば、内容的に価値があると考えるのです。

 逆に言えば、英文雑誌に論文が掲載されてこそ、「世界に認められている」と言えるのです。玄人である医者にはこの事情が分かっていますが、患者さんにはなかなかわかりません。しかし大切なことですから、ぜひご理解なさってください。

 このように自身が批判的なものですから、私のHPは、どうしても理屈っぽい説明が多くなっています。例えば「痛みの少ない漏斗胸治療を行っています」ということを患者さんにお伝えするために、「そもそも漏斗胸の手術後に痛みが生じるのはなぜか」ということから話を説き起こしています。
おかげで話がかなり長くなっているきらいがあります。また書かれている内容も少し複雑なので、医療者はともかくとして、医学的な知識のない方々が理解されるのは骨が折れるかなとも自省されるところです。

しかし嬉しい副作用というか、有意に知的水準の高い方がたくさんおいでになってくださっているように思います。
やや複雑に書かれているホームページをご理解いただくことだけでもハードルの高いことだと思います。ただそればかりではなく、東京や東海、北陸、関西、九州などから交通の不便な香川までおいでになっていただくのは、相当な行動力が必要なはずです。ご自身の意見を形成された上で行動するのは知性と意思が必要なはずで、これをクリアされた患者さんの知性が高いのはある意味、自然なことなのでしょう。
おかげさまで私も、是が非でも美しい形に治して差し上げたいというmotivationを、いつまでも保つことができます。この正の循環を、より大きく広げてゆきたいものです。