すし職人になるには、修行が必要だ。
「すし学校」で、すしに関する基本的な知識に関しては教えている。たとえば魚の種類であるとか、包丁の持ち方であるとかいった、本当に初歩的なことだ。
ところがすしの道は深いので、すし学校で教わった知識だけで一人前になれるわけではない。すし学校を卒業した後も、研修(=修行)が必要になる。
この研修は前期を後期に分かれている。
前期の研修は2年間だ。この期間においては、寿司一般の作り方を学ぶべく、いろいろな部門を数か月おきにローテートする。例えば小魚を良く扱っている部門も廻るし、魚の卵を中心に扱う部門も廻る。
ちなみに、小魚を扱う部門はあまり人気がない。
小魚のすしに対する需要はどんどん減っているし、かつ値段があまり高くないので、その部門だけ見ると赤字になってしまう場合が多い。また、小魚を扱うのは大きな魚を扱うよりも、手間がかかる。それで、小魚を専門に扱う職人には、成り手が少ない。
しかしそれだけに、小魚のすしを扱う職人には、しっかり目的意識を持っている奴が多い。少なくともあたしには、そう見える。
だから若い職人で、「小魚のすしを専門にしたい」という奴がいる場合には、あたしはそいつを応援してかわいがる。あたし自身の専門は違うけどね。
前期の研修が終わると、後期の研修期間に移る。後期の研修は4年間だ。
前期の研修において習得した基礎的な技術を土台にした上で、専門化された内容に入ってゆくのが、後期の研修だ。
一口にすしと言っても、奥が深い。イワシを調理するのと、マグロを調理するのでは、包丁の使い方が全く違うのはわかるだろう?大きさが全く違うからね。また、例えばアナゴみたいに煮て食べる食材と、カツオみたいに生で食べる食材とでは、材料の扱い方が違う。
昭和の昔には魚の種類や調理法に関係なく、「寿司」と名がつきさえすれば、なんでも握るすし職人は沢山いた。ところがやっぱりそういうやり方だと、ハイレベルのすしは握れない。「『なんでも屋さん』はなにもできない(Jack of all trade is master of none.)」っていうことわざがあるよね。すしについても同様で、ある特定の種類に集中して取り組まないと、高い水準には至らない。
それで、「すし」もだんだんと専門化するようになった。
兜煮やあら炊きを専門とする「頭部門」もあるし、目玉を専門にする「目玉部門」もある。鯛やカツオなんかの刺身を作る際には、皮をパリッとさせることが大事なので、皮を専門に扱う部門もできた。「皮部門」だね。
また、すしというものは単純に味が良ければいいってもんじゃない。切り方や色合いを工夫して、美しく作らなくてはいけない。それで「すし美術」なんていう部門も生まれたんだが、なにを隠そうあたしの専門はそれだ。
こういうふうに、専門化・細分化された特定領域の技術を習得するのが、後期における研修の目的だ。
前期と後期の研修をどこの施設で行うかは、以下のように決められる。
まずは若い職人たちに、どこの店で研修をやりたいのか希望を出させる。
ただし彼らの希望がそのまま通るわけではない。受け入れる側のすし店の方だって、むやみに若い職人たちを雇えるわけではない。人件費には限りがあるからね。
また、たとえば職人が一人でやっているような町中のすし屋が、「うちで若い職人を教育したいんだが」と手を挙げたとしても、すなおに「ではお願いします」と任せるわけにはいかない。その職人が、若い職人に教育を行うだけの腕を持っていない可能性もあるからだ。
そこで、「すし研修機構」という、厚労省の外郭団体が設立された。
若いすし職人たちに教育を行わんとする店は、まず「すし研修プログラム」を作成する。「すし研究プログラム」の内容は複雑で、細かく説明するとそれだけで今回の話が終わっちまう。だからざっくり説明すると、1年間にその店で握る寿司の内容と、その店で受け入れる職人の人数を記載するんだ。
たとえばある店で1年間に10000貫のマグロのすしを握るとする。そして、そこで受け入れる見習い職人の数を4人とする。そうするとひとりの見習い職人は、年間で2500貫のマグロのすしを握れますよ、というわけだ。つまり、研修の機会を数量化するわけだね。
若い職人を教育したい店は、こうした「すし研修プログラム」を「すし研修機構」に提出する。それが承認されれば、その店には晴れて、見習い職人を教育する資格が生じる。こういう店を「教育基幹店」という。
「せとうち寿司」みたいな、「すし学校」に付属する寿司屋は、ほとんどすべてが「教育基幹店」になっている。しかし、すし学校に付属していなくても、それなりに名の通った店であれば、「教育基幹店」になることはできる。たとえば岡山県には、すし学校並みに規模が大きい「倉敷中央すし」というのがある。「倉敷中央すし」では1000人くらいのお客を同時に扱えるキャパがある。だから、この店も「教育基幹店」になっている。
見習い職人たちは、全国の「教育基幹店」の中から、自分が修行したいと思う店を選んで、研修の申し込みをする。
ところでこの選択には、はっきりした傾向がある。大都市にある店は人気があって、地方にある店は人気がない、ということだ。
たとえば、あたしは8年前までは東京にある「四谷寿司」という店で働いていた。そのころには毎年10人くらい、修行したいといって応募してくる職人がいた。ただし実際に雇い入れていたのは6人から8人くらいだった。
東京にあるまわりの寿司屋を見回しても、やはり同じような感じだったので、「見習い職人というものは、ずいぶんたくさんいるものだな」と思っていた。
ところが8年ほど前に、せとうち県に赴任して来てから、東京とはずいぶん状況が違うことに、初めて気が付いた。毎年4人か5人くらいは、応募してくる若い職人がいるだろうなと思っていたのだが、実際には2人くらいしかいない。
最初のうちは自分の教育の仕方に問題があるのかな、と悩んだりした。
しかし周辺を見回しても、やはり一様に研修希望者が少ない。というより、周りにある他の寿司屋に比べると、せとうち寿司はかなりマシな方なんだ。
たとえばお隣の県にある「龍馬すし」は、研修希望者が2年か3年に一人しかいない。山陰地方にある「鬼太郎寿司」や「八雲寿司」なんかも、似たような状況だ。
これらの寿司屋の親方とあたしはよく知った仲なんだが、みんな腕の方は一流だ。
さらに言えば、あたしと同じように、もともとは東京なり名古屋の大店にいて、そこの店の屋台骨を支えていた職人たちだ。
だから、もし「寿司を握る技術を身に着ける」ということだけを、純粋に修行の目的にするのならば、「鬼太郎寿司」や「八雲寿司」で修行をしたいという職人は、これほど少ないはずがない。
さらに言えば、地方にあるすし店で修行をする方が、東京で修行をするよりも、より多くの経験ができる場合が多い。
こう言うと、「東京の方が人口が多いのだから、東京のすし学校で修行する方が、地方のすし学校で修行するよりも、多くの経験ができるんじゃないの?」と思うかもしれないね。
ところが、実際には逆なんだ。
たしかに東京の人口は多い。
しかし、東京にあるすし学校は、人口の割合以上に多い。
現在、東京には13のすし学校がある。これらのすし学校のそれぞれが、それに付属する本店を持っている。本店に加えて、一部のすし学校は「分店」を持っている。たとえば天命堂すし学校の本店は文京区にあるんだが、ディズニーランドの近くにも分店を持っている。
また、「すし学校」とは分類されていないけれども、高い水準の寿司を提供している施設がいくつかある。こういう店は「すしセンター」と称されている。築地や新宿のすしセンターは特に有名だ。こういう、すし学校の本店・分店や、すしセンターを足し合わせてみると、東京には「教育基幹店」が40店ある。
東京の人口はだいたい1300万人だ。だから、一つの教育基幹店あたりの人口は、単純計算で30万人を少し超えるくらいにすぎない。
これに対して例えば、砂丘県の人口は57万人しかいない。しかし、「基幹店」は鬼太郎寿司の一つだけだ。だからこの件では、県民が高級な鮨を食いたくなると、みんな鬼太郎寿司に集まってくる。ゆえに、「教育基幹店」一つあたりが担当するお客の数は、砂丘県の方が、東京よりも多い。
こういう理由で、地方都市にある「教育基幹店」の職人たちの方が、東京の普通の「教育基幹店」で働いている職人よりも、忙しいんだ。
よく会社員が東京の本社から地方の支店に転勤を命じられたりすると、「閑職にまわされた」とかいうよね。
「左遷」というのはまあ解るにしても、「閑職」というのがどうしてもあたしにはピンとこない。サラリーマンの世界では地方にくると仕事が閑になるかもしれないけど、すし職人の世界ではむしろ、忙しくなるからだ。
こういうふうに、サラリーマンの世界とは逆で、すし業界においては、地方勤務ほど忙しいという「逆閑職現象」が存在する。
この「逆閑職現象」を、あたしは骨身に染みて知っている。
あたしは8年ほど前までは、東京にある「四谷寿司」という店に勤めていた。
せとうち県に勤め始めてからずいぶんと忙しくなったので、いったいどのくらい多く働いているのかと思って、1年に握る寿司の数を数えたことがある。
そうすると、東京にいるころに比べると、1.6倍くらいの数のすしを握っていることがわかった。
いままで話したのはあたしのようなベテランの職人の状況なんだが、見習い職人の修行ついて言えば、「逆閑職現象」はさらに増幅される。
せとうち寿司ではだいたい、毎年2人の見習い職人を受け入れている。ところが、四谷寿司には、毎年6~8人くらいの職人が入職する。
店全体の仕事量がすこし少ないのに、3倍ないし4倍の見習い職人を受け入れるわけだから、1人当たりの見習い職人が修行できる機会は、ぐっと少なくなる。
こういうわけで、東京の普通の「教育基幹店」で修行するよりも、地方の「教育基幹店」で修行する方が、ずっと実力がつくんだ。
ただ、これはあくまでも一般的な話であって、もちろん例外もある。
東京や大阪には、特殊な領域を売り物にしている店もある。
たとえば「築地すしセンター」は、魚の組織の中にある血管の位置を考えて、なるべくきれいに切る刺身の切り方を研究したりしている。それでお客の数も非常に多く、したがって職人たちの腕が良い。
また世田谷にある、「子育て寿司」は、小魚を調理する技術においては、他の追随を許さない。
新宿にある「国際寿司センター」なんかも、魚のリンパ管の位置に着目して、水っぽくない寿司をつくる方法を開発していて、海外からもお客が来ると聞いている。
こういう店はいつも「大入り満員」であるので、見習い職人たちもそこで修行をすると、かなりの実力がつくだろう。
ただ、東京の「教育基幹店」のうち、こういう優良店は3割くらいに過ぎない。
かれらのように特徴を打ち出した店にお客さんは集中するから、普通の「教育基幹店」の仕事はより少なくなる。
そういうわけで、東京や大阪にある7割くらいの「基幹店」は、職人一人当たりの仕事量で言えば、地方の平均的な「基幹店」には及ばない。
これは世間一般の認識とは違うかもしれない。でも、東京で20年、せとうち県で8年と、二つの「すし学校」で働いたあたしが言うのだから、間違いない。
であるのに、地方にあるすし学校を卒業したあと、東京に移って修行をする見習い職人は、非常に多い。というより半数以上の学生は、その道を選ぶ。
あたし自身が卒業した、「四谷すし学校」について言えば、卒業した人間の大部分は母校で修行をする。
だからあたしも、東京にいた頃には、他の学校もおそらくそうだろうなと思っていた。たまに地方のすし学校を出て上京してくる奴を見ても、彼らはおそらく例外なんだろうな、と思っていた。
つまるところ、東京にいる頃には、マンパワーの問題に関心がなかったんだね。
ところが「せとうち寿司学校」に来ては、卒業生が母校を離れることが、大きな問題だということに気が付いた。。
さっき言ったように、東京にいたころに比べると、鮨を1.6倍くらい握らなくてはいけなくなったからだ。
もう少し若い職人が増えてくれれば、ベテランの職人の負担が減るはずだ。
それで、学生たちの勧誘に力を入れ始めた。せとうち寿司学校の学生たちに、「卒業したら、せとうち寿司で修行をしないかね」と呼びかけたんだ。
3~4年くらい、努力してみた。
ところが、7割方の学生についていえば、努力して勧誘してもあまり意味がない、ということに気が付いた。
それはなぜかというと、彼らにとっては、修行先を決める基準が「実力がつくかどうか」ではないからだ。
かれらは、「楽しく生きられるか否か」で、修行先を選ぶ。
すし学校を卒業するのは24歳だ。そのあと一人前の職人になるには10年くらいかかる。この期間は、人生の中でも最も楽しい時期なんじゃなんだろうか。恋愛・結婚の適齢期とも見事に一致する。
刺激を求めるならば、出逢いを求めるならば、東京の方が地方よりも有利だ。
だから多くの見習い職人は、東京に行くんだね。
こういう若者たちに対して、地方のしっかりした店で修行する方が、東京の普通の店で修行するよりも実力がつきますよ、なんて言ったって効果はない。だって、もともとの物差しが違うのだから。
このことに気が付いてから、あたしは学生を口説くのが空しくなってしまった。
また、あたし自身の人生観も変わってきた。
たしかに今の、せとうち寿司における生活は、東京の四谷寿司にいた時よりも、ずっと忙しい。
しかし、忙しいゆえに、技術が向上していることも事実だ。
自画自賛になるが、自分のすしを握る腕は、東京にいた頃よりも上がっているな、とあたしは肌で感じる。
「四谷寿司」にいた頃には、忙しくて昼飯を食えないなんて日は、週に1日もなかった。ところが今は、週に3日くらいはそういう日がある。
単純に、多く働くから腕も向上したわけだ。
ベテランになったって、自分の腕が上がってゆくのは嬉しい。
だから、別に若い職人たちに理解してもらえなくたって結構、あたしはあたしで「すし道」を究めよう、そういう気持ちになってきた。
そうすると不思議なもので、かえって学生たちに人気が出たりするんだね。
今では、「せとうち寿司」で修行をしたいと言ってやって来てくれる若手も、昔より増えている。
でも、新弟子をとるのは、年に2人くらいがちょうど良いと思うようになった。あんまりたくさん来てもらったって、まともな教育はできない。
ついこの間、忙しくて夜中の12時くらいまで寿司を握らなくちゃいけない日があった。
休みの前日だったので、若い職人に「デートやなんかがあるだろうから、早く帰んなさい」と言っても、みんなあたしに付き合って最後まで仕事を手伝ってくれた。
四谷寿司で働いていた頃はこういう時、「自分の担当ではないですから」と言って早々に帰ってしまう若者が多かった。
それを思うと、やっぱり「せとうち寿司」を選んで修行に来てくれる職人たちが、いじらしく思える。きちんと育てなきゃな、と思う。
多くの見習い職人たちが、刺激や出会いを求めて東京に行きたがる傾向は、これからもずっと変わらないだろう。
でも長い目で見ると、どっちが幸せかな?10年、15年先が楽しみだ。
また、本当に「すし道」を究めたくて東京に行き、毎日、真剣に修行をしている若い職人がいるってことも一面における事実だ。少数派ではあるが。
結局、伸びる奴はどこへ言ったって伸びるし、駄目な奴は駄目ってことなのかもしれない。時代が結果を出すだろう。
そんなことを考えながらあたしは、”Let It Be”を聴きつつ、グラスを傾けるのである。