つぶし効きますか?

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廃車になっても鉄としての価値はある

 たとえば200円でくじを買うとします。くじには2つのタイプがあります。一つのタイプは当たる確率が10パーセントで、賞金は1000円です。もうひとつのタイプは当たる確率は1パーセントで、賞金は10000円とします。この際に受け取りうる期待金額は、前者においては1000円×0.1=100円です。後者でも10000円×0.01=100円で、両者における期待金額には相違はありません。
 いずれにしても200円のうち100円の金額をテラ銭として胴元に取られるわけなので、数学的に考えると本当は、くじを買わないのが一番正しい選択ではあります。
 しかし何れかを買わないといけない場合、どちらの種類のくじを買おうとも損利は同じなはずです。
 とすると、例えば100人の人間のうち前者を買う人が50人、後者を買う人が50人いそうなものです。しかしこの世の中に存在する集団は、その集団の性質によっていずれを購入するかの比率が異なっています。

 前者を好む人間はローリスク・ローリターンを志向し、後者を好む人間はハイリスク・ハイリターンを志向します。だから例えばミュージシャンを目指す若者100人に対してアンケートをとってみると、後者を購入する人が70人くらいいるかもしれません。小説家を目指す青年100人に尋ねてみてもやはり、後者の人気が高いことが予測されます。
 これに対し、公務員を目指す若者100人や、銀行員になりたい若者100人に対して同じ質問をしてみると、おそらく前者を目指す人間のほうが多いでしょう。
 おのおのの職業のあり方からすると、その職業に合った志向というものがあり、それに見合った若者を取り込むことは正しいことです。例えばハイリスク・ハイリターン志向の人間が銀行の中で多数を占めると、危険な融資先にも融資をするようになるから、安定・安心をモットーとする業種である銀行は成り立たなくなってしまいます。だから銀行では人員を採用する段階で、当たれば10000円のくじを買うようなタイプの人間を篩にかけて落としているはずです。もっとも最近は、海外の銀行と比肩して行く上で型破りな人材も必要であるという認識のもとに、多少毛色の変わった人間も採用していると思いますが、それはあくまでも一部の特別枠としてでしょう。


 逆に、「あまり大きな賭けはしたくないな。手堅く行こう」などと考える人間がミュージシャンになったとしても面白い曲は作れないはずです。小説家も同じで、リスクの少ない生き方を志向する人間に小説を書かせても秀逸なものはできません。
 このように、職業に応じた性癖というのは確かに存在するはずで、すべての職業において、志向・性癖の分布が同じ、ということは決してありません。

 

 ぼくは医学部の教官という仕事をしているので、医学生接触する機会が多くあります。彼等との接触の中でいつも思うことは、前述のローリスク・ローリターン志向型のタイプの学生の割合が、最近、とても多くなっていることです。
 これはおそらく、日本の景気が悪化していることが原因でしょう。東芝のような大企業でもなにかあれば倒産の危機に面する、ならば何が起こっても大丈夫なように、資格をとっておこう。昔ほどではないようだが、医者は収入がまあいいようだ、だから医学部に行っておこう、というわけです。


 この選択の仕方そのものはなんら、責められるべきではありません。誰しも失業はしたくないし、できれば豊かな生活を送りたいものです。だから、人々の健康を守って人類の幸福に貢献したいことが直接の動機ではない人が医学部に来たって仕方がありません。医者になったあとに、きちんと仕事をしてくだされば、それでいいではありませんか。


 ただ、「ローリスク・ローリターン」の思考法を君たちはする傾向にありますよ、という、その事実そのものについては、医学生たちに自覚して欲しいと思っています。

 われわれは、人生のいくつかの局面において、自分がこれから帰属する集団を選択する事態にしばしば遭遇します。大学入試も入社試験も、「大学」なり「会社」という集団を選択する行為と言い換えられます(もっとも、相手方にも選択の権利がありますが)。
 集団を選択する基準として、2つのタイプがありえます。
 第一の基準は、「集団の下位になった場合、どの程度、ましな待遇になるのか」
 第二の基準は、「集団の上位になった場合、どの程度、優良な処遇が得られるのか」
医学生たちは、あるいは近年の若い医師たちは、第一の基準をとる者の割合が多いようです。そもそも「医師ならばつぶしが効くだろう」というのがなんだかんだ言いつつ医学部を志望した本音の理由のひとつなのだから、これは当然です。

 ぼくは形成外科という、医学の中でもかなり特殊な分野を生業にしています。おそらく形成外科になる医学生は、100人に1人か2人でしょう。研修医や医学生に形成外科の魅力を説明すると、「でももしも自分に適性がないとわかったら、あとで困りませんか」とか「内科など大きな科に比べて人が少ないので、つぶしが効くかどうか心配です」とかいうことを、しばしば訊かれます。

 ただそもそも、「つぶしが効くか」というのはどういう事なのでしょうか。「つぶし」は「潰れる=失敗する」と言う事だろうから、「つぶしが効くかどうか」という問いは、「自分がその道に進んで、失敗した場合の保障は」と訊いているのと同じです。すなわち発想のスタート地点がネガティブなのです。

 ぼくが今勤務しているような地方の国立大学について言うと、医学生の性癖の相違は研修先の選択にも反映されます。ざっくり言って地元を含め地方で研修をしようとする若者たちは、「その地域の医療を牽引していこう」という意欲を持ってそうした決断をする割合が多い。これに対して東京や大阪で研修を行う人たちには、「とりあえず大都会に行っておけば、なんとか仕事があるだろう」という考え方が強く見え隠れします。つまり前者は「集団の上位になろう」というスタンスであるのに対し、後者は「集団の下位になってもなんとか生きて行こう」というスタンスの場合が多いのです。そして、哀しいかな、後者の割合がざっと8割、前者は2割くらいで、後者の割合が比べようもなく多いのです。

 別に若い「慎重派」を非難しているのではありません。そもそも慎重でないと受からないように医学部の入試はできているので、当たり前の現象です。
ぼくが言いたいことは、医学生の多く、あるいは研修医の多くは今まではローリスク・ローリターン志向で第一の方針を採用してきたと思うけれども、その方針を転換して、ハイリスク・ハイリターンの方向に進んでもいいのではないか、と言う事です。能力はそれなりにあるのだから、ここらへんで、もう少し向こう見ずな生き方に切り替えてもいいのではないのでしょうか?

 サッカーのJ2リーグの選手の中にはJ1に移れる能力のある選手がかなりいるといます。しかし同時に、「J1に上がって大変な思いするより、J2でのんびりやりたい」という人も少なからずいるらしいです。

 そういう人たちに対して、まあ人それぞれなのだから、放っておこうというのが令和という時代なのでしょう。しかし昭和時代に人格の大半を形成したぼくとしては、「それはおかしいのではないか、J1目指せよ」と言いたいのですよ。