夜、どこの店に飲みに行こうかと思案している最中、とても面白い(というかchallengingな)店名の店を見つけた。
「常連」という名の店である。あまりに面白い経験なので、Facebookのタイムラインに投稿させていただいた。
こんなふうに思い付きでFacebookに投稿をするのは、ぼくにとってはかなり珍しいことなのである。
ぼくは昭和の教育を受けた人間なので、「世間様」という感覚が常にある。
世の中になにか物を発表する際には、皆様が喜んでくれるモノを提供しなくてはいけない、と思っている。
だから食べ物の写真をとって、それをアップするようなことは少し気恥ずかしく感じる。「お前が何喰おうと知った事ではないよ」と言われてしまいそうな気がする。
ゆえに世の中に伝えたいことがあるときには、少し手間暇かけて文章を書く。
世間様に物を贈るのだから裸で渡すのではなくて、せめて箱に入れて、のような義務感を感じるのだ。
そして、「こんなもの書いてみたのですけどお気に召すかどうか…」的なスタンスで、おずおずとブログに投稿することにしている。
ところが今回の件に関しては、この原則を破ってその場で写真を投稿してしまった。持ち前の悪戯心に火がついてしまったのである。
いつもはブログにして編集するのだが、たまには衝動で投稿しても良いように思った。店の名前があまりに面白かったからだ。
かくのごとき経過から思い付きの投稿をしてみたところ、いつもそれなりに頑張って書いているブログよりも、テキトーに撮った写真がかえって高い評価を受けるという結果に至った。まあそういうのが世の中なのでありましょう。
念のためにぼくがFacebookで報告したことを概括する。
時系列で話すと、
- 初めて、高知の四万十市に行った。
- 夕方になって、飲む店をぶらぶらと探していた。
- 『常連』という挑発的な名前の店を見つけた。
- 面白いのでそこに入ってみた。
- 運よく、叩き出されなかった。
- カツオのタタキきにありついた。
以上である。自分としては、これでこのアホな話は終わりかと思っていた。
しかしその件から2日も経たないうちに、4人もの友人から、「無事でよかった」とぼくの安否を気遣ったり、「もっと詳しく顛末を話せ」と脅迫をしてくださったりする、ありがたい電話をいただいた。
そこで改めて自分のFacebookへアップした内容を見てみると、「カツオの塩たたきにありついた」で終わっている。
たしかにこれでは説明不足だ。
人様をお騒がせした以上、その顛末をもう少し詳しく述べなくてはいけないと反省した。そこで筆をとることにした。
まず、なぜそもそも四万十に行く気になったか。
ぼくはローカル線の電車駅や、地方都市の街並みを見るのが大好きなのである。
おそらく放浪願望が、遺伝子に刷り込まれているのであろう。
地方都市とは言っても、いまどき県庁所在地はどこもかしこも似てしまっている。
人口が3万~10万くらいの中核都市が一番、ローカル色が豊かで面白い。
四万十のローカルさを他の地域の方々に解っていただくためには、少し説明がいる。
どのくらいローカルなのかというと、高知に住んでいる人でも「あんな遠いところは年に1回くらいしか行かんき」というくらいなのである。
高知市から四万十まではだいたい150キロだから、東京から静岡に行くくらいの感覚である。
高知県はかなり横に広いのだが、四国の外に住む人にとっては、高知市ですら行くことは希であろう。それよりさらに2時間半、車に乗る必要があるといえば、どの程度のものかはお判りになるであろう。
緯度から言えば鹿児島などの方が南にあるが、南九州には新幹線が通っている。四国にはそんなものはない。
だからアクセスの悪さの点からいうと、四万十は、北海道の稚内や、青森の竜飛崎にすら引けを取らない、「最果て」というにふさわしい場所なのである。
たまにはそういう場所に行ってみたくなるではありませんか。
それで高松から車を5時間運転して四万十に行くことにした。
このドライブコースは素晴らしく景色が良い。主として海岸線を走るからである。
併行して「土佐くろしお鉄道」というローカル線が通っている。これは、小さな駅なら一日の乗降者数が10人程度という横綱級のローカル線で、だからこそ非常に面白い。
こうした駅には本当に「味」がある。
ぼくは東京に住んでいるころには「駅」イコール「電車に乗るところ」と思っていた。それはその通りに違いはない。
しかし本当に田舎、といえるレベルの駅に立ってみると、駅が単なる乗降の機関ではなく、その駅になにか人格があるように思えてくる。
乗降客が少ないから当然赤字で、廃線がしょっちゅう取沙汰されている。
だが、非常に数少ないとは言え、駅を毎日利用している人は確かにいるのだ。
そんな人々のために、逆境の中でも踏ん張っているところがいじらしい。
おもわず、頑張れよと肩を叩きたくなってしまう(駅に肩なんかないが)。
例えば「海の王迎え」という駅がある。
この駅のネーミングを目にしたとき、ぼくは車を止めずにはいられなかった。
「海の王迎え」は、その名の示す如く太平洋に面している。
土佐湾に沿って敷設している「くろしお鉄道」の性質上、大半の駅は海に面しているのだ。
高知の海は外海なので荒く、砂浜は少ない。大半が岩場になっている。
そこから3メートルくらい高いところに幹線道路がある。おそらく南海トラフ地震が来ると、道路は津波で水没するだろう。
そんなことはみんなわかっているから、幹線道路からかなり高いところに、山肌にへばりつくような駅を造る。そうして、それらの駅には、海抜が必ず書いている。
海べりに家が建っている。浸水しないようにするためでろうか、少しでも床を高くしている。
こんなふうに道草を食いながら、ようやく四万十についた。
四万十の中心は中村という駅で、この駅はそれなりに大きくて立派だ。
さらに、中に入ってみるとたいそうきれいな駅なのである。後でわかったことなのだが、この駅はそのデザインの美しさで、国内外の多くの賞をとっているとのことである(https://www.travel.co.jp/guide/article/9645/)。
ここからいよいよ、本題に入る。
中村について夜になったので、飲みに出かけた。
街の中心部は、京都の観光スポットのように石畳がひかれている。人通りこそまばらであるが、十分な品格がある。
中心街の近くには小さなスクエアもある。清潔、かつ美しくライトアップがされている。横浜あたりにこんな場所があったら、週末などは立錐の余地もないほど人々が集まるに違いない。
中村は「小京都」と言われるだけあって、街全体が何となく上品な感じがする。
雰囲気の良さそうな店を見つけたので、そこに入ろうかと思った。
しかし、もう少し散歩して街を見てから店に入ろうと思った。
そしてぶらついているうちに、その店を見つけてしまったのである。
ぼくはこの看板を見ると、すっかり嬉しくなってしまった。
よほど変わり者のオヤジがやっている店に違いない。これは見過ごしにはできない。
好奇心と悪戯心によって、先ほど狙いをつけておいた店に入ろうという気持ちはすっかり消し飛んでしまった。
しかし冒険にリスクはつきものである。
高知というところは、もともと血の気の多い土地である。
成人式でも北九州や大阪と同じく、毎年ヤンチャ坊主たちが運動会をやってくれるし、パンチパーマやスキンヘッドが似合う職業の方々も多そうだ。
そういう場所で、「常連」などという店に入ったら、何がおこるだろう。
「おまん、どっから来ちゅう。看板に『常連』と書きゆうが。よそもんは入れんぜよ!」などと荒々しい言葉が飛んでくるのくらいは覚悟しなくてはいけない。
そんなことはないにしても、カウンターでそれこそ「常連」が楽しく談笑しているところに入って行って雰囲気を壊すのは、あまり嬉しいものではない。
おりしも、コロナ問題でよそ者は嫌われているであろう。
だから他の店に行こうかとも、一瞬、考えた。
しかし、これでもぼくは大学の教官をしている。
「チャレンジせよ」「困難な道を避けるな」と、若い医師たちには常々、指導している。
若者たちの規範になるためには、自らが率先して困難を怖れない態度を実践するべきではないだろうか。「先ず、隗より始めよ」というではないか。
そう思って、ガラッとドアを開けた。
7席あるカウンターと、小上がりのテーブル席が二つあった。店構えからしてカウンターだけの店と思っていたので、意外に広い。
しかも、薄汚い感じと予測していたのに、店内は清潔に掃除してある。
30代前半位の、作務衣を着た料理人がぼくの前に立っていた。
かなり意外なことに、感じが良い。
大学の地質学教室あたりで准教授をやっているかのごとき、理知的な感じなのだ。
ぼくとしては、「深夜食堂」のマスター的な感じの、拘置所くらいは入ったことのありそうな、とっつきの悪い中年が(ぼくもそうだけどね)出刃包丁を持って調理しているところを期待していたのである(これがブログのトップイメージです)。
その場合には、こっちも肩を怒らせて「おれ一人だ。常連じゃないけど、入ってもいいかい」と言おうと思っていた。
ところがその若主人の知的な風貌を見ると、そういう言い方をするのは良くないように思われた。
そこで「私は前に来たことないのですが、入れてもらえますか」と言った。
外科医なので、突然の状況変化に対応するのは慣れているのである。
若い料理人はごく普通に「どうぞこちらへ」と言って、カウンターの右から2番目の席にぼくを案内した。
その正面に若旦那の父親と思しき老練そうな板前がいる。
ははあ、さてはこいつが曲者だなと思ってよく見てみた。
しかるに、この板前さんも実に、実直で温厚そうなのである。
知性も感じられる。深夜食堂のオヤジというより、市役所の総務課にいるような感じなのである。
自分でいうのもなんだが、ぼくのほうがよっぽど性質が悪くて癖がある。
ぼくは真正面に座って、その老板前の仕事ぶりを見た。
タタキを非常に丁寧にあぶって、それにかけるアサツキをならびにニンニクを几帳面に切っている。
なんだ、この店はいい店じゃないかよと思って、ビールを中瓶で頼んだ。
メニューを見ると、天然ウナギだの鮎だの、青のりの天ぷらだの、ホントーに四万十っぽいメニューが列記してある。
そんな品々をコンパクトにまとめた「おまかせ懐石コース」なるメニューもある。
具体的な献立のわきに、「四万十にはじめておいでになる方には、お勧めのコースです」などと書いてある。「四万十に初めて来た」ということはつまり、この店も当然、はじめてと言う事だ。
おいおい、じゃあ「常連」という店の名前はどういうことよ。
ぼくはカツオの塩タタキとイタドリを注文した。
これらは両者ともに非常に美味しかったので、日本酒2合がすいすいと入ってしまった。イタドリは大変に美味しい野菜だから、みなさんも高知に来たら食べてください。
そのあとに何を頼もうかと考えていたら、こちらの気持ちを読むかのように老板前が「ハスイモはいかがです」という。
イモが酒の肴になるのであろうかと思ったのだが、出てきたものは地下茎ではなくて茎を食べるタイプの野菜であった。
これがいい意味で、不思議な野菜であった。キュウリと冬瓜の中間のような微妙な感じである。キュウリはコリコリしていて食感は楽しいが、味は染みない。冬瓜は味が染みるが、食感は少し頼りない。ハスイモはキュウリのような食感を持ちつつ、冬瓜のように味が染みる不思議な野菜で、ぼくはすっかり魅了されてしまった。
しかも酢で〆た鯵も入っていて、これがまた美味しい。
そこで日本酒をもう2合追加。
これ以上書くと、食べログの記事のようになってしまうので、ここらあたりで止めておく。
結論から言って、「常連」は非常に良い店であった。
四万十に行く機会があったら、また是非行ってみよう。
それにしても、なぜ「常連」などという名前を付けたのか、そこまではさすがのぼくも訊けなかった。
もしかしたら、「一度おいでになったお客さんが、いつも来てくださるように」という願いを込めているのかもしれない。
しかし大半の人間は、この名前を見るとおそらく尻込みするであろう。
だからそもそも、最初の「一度」がないはずである。
もしかするとここの店主は、変わり者が好きなのかもしれない。
こんなに癖のある店名をつけると、一見のカップルや家族連れは間違いなくブロックされるであろう。かわりに入ってくるのは、へそ曲がりばかり。
キャピキャピした若者よりも、そういうつむじ曲がりに料理を作りたいのではないか。
そんなふうに深い理由から名前を付けたとしても、おかしくはない懐の深さを、四万十というところは持っている。また行こう。
みなさんもおいでになってくださいね。飛行機に乗れば東京からたったの6時間、大阪から電車だとたったの7時間です☺