ぼくの勤めている病院は、高松市から電車で20分ほど離れた場所にある。
新宿や池袋のようなかなり大きな街とて、そこから電車で20分も乗れば、それなりに田舎になる。
いわんや高松においてをや、である。
つまり、ぼくの勤務地はかなりのDOINAKAということだ。
日本語には、そのまま英語としても通じる単語がある。
たとえばSAYONARAは、「スキヤキ・ソング」の影響で、多くのアメリカ人が知っている。TEMPRAやKAMIKAZEも同様である。
よきにつけ悪しきにつけ、人の心にグッとくる言葉は、言語の枠を超えて人々の頭に残るのであろう。
DOINAKAもそうした、「国際的日本語」のひとつになりうるはずだ、とぼくは思っている。まず発音が楽である。“D”という子音は、どの言語でもかなり明確に発音される。
しかもDOINAKAという一語のなかに4つもの母音含まれているので、他の語と混同される率も少ないはずだ。ドイツ人ならば「ドッヒナカ」、フランス人ならば「デュ・イナカ」と言うふうに、母語に応じて、多少の訛りは出るかもしれないが。
より肝心なのは、緑豊かな日本のDOINAKAは、アートの観点からみるとかなり美しいことだ。
水は美味しいし、庭園は美しい。特に野菜の美味しさは格別である。
日本は水に恵まれた国である。
そのことに日本人自身は気が付いていない。
しかしヨーロッパや中国など、水に恵まれていない国の人間にとっては、自然が豊かな日本のDOINAKAは、真剣に永住を考えるほど魅力のある場所なのである。
そのことにもぼくは、香川にきて初めて気が付いた。
これからの時代、日本のDOINAKAは世界に誇るセールスポイントになると、ぼくは確信している。Viva、DOINAKA!
ともあれ、そうしたDOINAKAでほぼ毎日ランニングをしていると、東京に暮らしていなかったころには思いもよらなかったことに、よく出会う。
そのひとつが、カメによく遭うことである。
「カメに遭う」といっても、何のことかさっぱりわからない人が多いに違いない。
だからもっと分かりやすく言うと、路上でよくカメに出くわす、ということである。
香川には「丸亀」という地名がある。
香川に来たばかりの人間にとっては混乱のもとになるのだが、同じく「丸亀」という名前を冠していても、異なる場所が香川県には二つある。
ひとつは丸亀市という人口8万人の町であり、丸亀城や団扇の製造で有名である。
「丸亀製麺」といううどん屋も全国展開しているから、他県の人でも丸亀の名前くらいは知っているだろう。
今一つは丸亀町という街の名前で、これは高松市の中心街にある。東京でいえば銀座である。
丸亀町以外に、高松市内には「亀岡町」「亀水町」「亀田町」という町もある。
これらの地名に反映されているように、香川県にはカメが多い。
高松市の中心部から車で20分も運転すれば、ため池がそこかしこにある。
こうしたため池を少し覗いてみると、ほとんど確実にカメが泳いだり、ひなたぼっこをしたりしているのを見つけることができる。
池や川のほとりでカメがひなたぼっこをするのは、冬になると寒いのと同じくらい当然なことだ。
ただ、「路上にいる」となると、少しばかり話が変わってくる。
ぼくがランニングをしていると、しばしばカメがぼくの行く手に鎮座している。
断っておくが、ぼくは一応人間なので、池の中をランニングするような芸当はできない。ごく普通の道路でランニングをしているのである。
池や川の近くの道の路上に、カメが居てもそれほど不思議ではない。
カメたちとしても、いつも水の中にいるばかりでは飽きるであろう。
だから、時には散歩にでたいのであろう。
ところが池の外に遊びにでたのは良いが、道に沿って歩いているうちに、道のわきに側溝があるところまで来てしまうのである。
側溝が越えられないから、池に戻れない。だから道にうずくまってしまうのである。
あるいは、側溝に落ちてしまって、ジタバタすることになってしまう。
ぼくはそういうドジなカメに、平均すると1か月に1回くらい遭遇する。
週に5日はランニングしているから、20回に1回くらいの割合である。
なぜ自分ばかりこんなにドジなカメに会うのであろうかと、最初はいぶかしく思っていた。
しかしよく考えてみると、別に不思議ではない。
ぼくのランニングコースはDOINAKAにあるがゆえに、道を通る人はかなり少ない。
車で道路を通る人はいても、歩道の部分については、歩く、あるいは、(車でなく)足で走る人は一日に3~4人しかいないような、寂しいところも多い。
つまり、カメが遭難していた場合に、発見者となりうる人間の母数が少ないのである。
さらに、ぼくは一回のランニングでだいたい7から10キロくらいは走るから、通過するカメの「居住区」の数もかなり多いはずだ。
すなわち、ぼくの管轄下(?)にあるカメの総人口(総亀口?)が多いのである。
カメに縄張りがあるのかどうかは知らないが、おそらくカメたちにとっての新宿や赤坂、道頓堀のようなところも、ぼくはいつも通過しているに違いない。
ついでに言わせてもらうが、人間にとり香川は田舎かも知れないが、カメたちにとっては、香川こそが大都会で、東京や大阪は田舎なのだ。驕るな、東京よ。
ともあれ、1か月に1回の高頻度で、ぼくが道でドジなカメに遭遇することは、確率的な必然なのである。春先や夏などはカメたちも気分がいいのか、よく出歩くのだろう。頻度はさらに跳ね上がって2週間に1回くらいになる。
「馬鹿な子はかわいい」というが、こういうドジカメたちは実にかわいい。
冒険心が強いだけに、やらなくてもいいことをしてしまって窮地におちいることの多い、自分自身の姿を見ているようだ。
だからぼくはドジカメたちを見つけると、必ず救出する。
彼らをまず丁寧に拾い上げ、一番近くにある川か池に運んであげるのだ。そうしてそこで、水の中に離してやる。
ぼくが必ず救出すると分かっているのだろうか。逃げたり、噛みついたりするカメは一切いない。
カメはわりあいに知的な動物で、小鳥や犬などと同じく、愛情を持って育てるとなつくこともあるらしい。だからこそ、浦島太郎の物語があるのであろう。
また、神社などの池でカメを観察していただけると分かることだが、カメたちはよく、みんなで集まってひなたぼっこをしている。
相互にコミュニケーションが取れなければ、こんなことはしないであろう。
だから、ぼくの大学の周辺に住んでいるカメの社会にも、災害対策マニュアルのようなものがあるのかもしれない、とぼくは睨んでいる。
「道に迷って遭難した場合には、無駄に動いて体力の消耗を防ぐよりも、永竿が走ってくるのを待って、救出されましょう」などと書いてあるのかもしれない。
それならそれでよい。
ぼくとても、人助けならぬ「カメ助け」をすると気分がよいからだ。
今後も君たちが遭難したら、必ず救出しましょう。雨が降っていても、15キロ走った後で疲れていたとしても、必ず君たちを助けましょう。
ただし、一言、ぼくとしてもカメたちに言いたいことがある。
あまり自分の住んでいる池や川から遠くに行くのは、なるべく避けていただきたい。
君たちを見つけるのは、だいたい、池か川の近くだ。
100メートル以内に、そのいずれかがある。まあときどき、300メートルくらい離れていることもあるけどね。
だけどこの間は、びっくりした。
だって君たちの一人が、全く近くに池も川もない、山の中にいたのだから。
ぼくはそれでもその子を抱えて、なるべく近い池に連れて行って離してあげたよね。
あのとき、10分ぐらいは走ったと思う。距離にすると1500メートルはあったよね。
本当にあの子は、どうやってあんな山の中にいったんだろう。今でも謎だよ。あれぐらい遠くに行くとなると、もはや君たちにとっては海外旅行だよな。
まあ、君たちも時には一人旅をしたいんだろう。誰だってそういう時がある。だから池や川を出て、散歩をすること自体については、ぼくは何も言わない。
でも、一つ頭に入れておいてくれないか。
君たちが池から1000メートル離れたら、ぼくはきみたちを抱えて1000メートル走らなくてはいけないのだよ。わかるね。往復だと2000メートルだよ。
2000メートルくらい走るのは、ぼくにとってはどうということはない。だってぼくは、一回にその4倍から5倍くらいは走るのだから。
だが、人間には人間の社会の事情、というものがあるんだ。
君たちの中で大きい子は、甲羅が30センチくらいもある。
そういう諸君を抱えて走っていると、かなり目立つんだよ。
大学のまわりには、ぼくの教えている学生が、かなりたくさん住んでいる。ぼくが診察している患者さんもたくさんおいでになる。
そういう人たちが、君たちを持って走っているぼくを見たらどう思うだろうか。
単に、「カメを捕まえて持って帰っている、危ないオッサン」にしか見えないよね。
もしも写真でも撮られて「国立大学教授、カメを密漁」なんて、Yahoo!ニュースに出たらどうするんだね?竜宮城に招待するぐらいじゃ、割に合わないよ。だいたい、君たちは淡水生のカメだから、君たちの竜宮城は川か池にあるんだろ、なんか、行きたくないな。
登山家たちの鉄則は、体力に見合った山を選ぶことらしい。
高尾山→日本アルプス→アルプスとステップを踏んで、はじめてヒマラヤに挑戦する資格がある。
たまたまぼくの体調が悪くてランニングを休んだりしたら、君たちは干からびでしまうよ。
だからカメたちよ、君たちも、自分の実力に合った散歩コースを選ぶのですよ。
わかりましたね!