地方には文化はない?

 よく「地方には文化がない」という人がいます。こういう人たちの中には東京以外の場所に生まれて東京に出てきた人もいますし、地方に在住していてたまに東京に行く人もいます。

 こうした人たちに「ではどういう点で、地方には文化がないのですか」とお聞きすると、「演劇やコンサート、イベントなどの催しが少ない(ない)」という答えが、判で押したように帰ってきます。

 これらの興行を開催するには会場の設営やスタッフの居所などの手配などといった投資をすることが必要です。その投資に見合う収入が得られなくてはペイはしません。そして収入は集まってくれる人の人数に比例します。したがって東京や大阪などの大都市に興業が集中してしまうことは自然の流れでしょう。

 しかし演劇やコンサートが開かれることは、それほど重要なことなのでしょうか?私自身の経験に照らすとこうしたイベントにはせいぜい年に1~2回くらいしか行きません。それで全く不自由もしていません。たまに演劇や歌舞伎などが見たいと思っても、今はインターネットの発達のおかげで、どこにいても居ながらにしてそれらの芸術を楽しむことができます。演劇やコンサートが頻繁に行われるから東京が良いと言っている人は、その芸術そのものを味わうというよりも、「趣味を共有する者たちとの一体感」が地方にはないと言っているのではないでしょうか。つまりは、「共感できる(あるいは共感していると思っている)多数」の欠落感が問題なのであって、文化そのものが地方にないのではないと私は考えます。

 また「文化」を構成するものには演劇とかコンサート以外にも、読書とか絵画などもあるはずです。前者は人々が集まって開催するもので、いわば「集合型」に文化を享受するスタイルです。これに対して後者は「孤」として文化を楽しむ方法です。

 前者を味わうには人の多い環境が適していますが、後者を味わい、創作するには喧噪な環境よりも静寂な環境の方が適しているはずで、あまり人の多い大都市より地方の方が向いています。

 こうしてみると「演劇やコンサートが来ないから文化がない」という人は、上で述べた「孤」型の文化を教授する素養がないということを自ら吐露しているように思えますがどうでしょうか。