飼い犬か、野良犬か

 札幌で同業者(形成外科医師)の集まる全国規模の学会があったので、自分の高校の卒業生を招集して飲み会(同門会)をやった。ぼくの卒業した高校は医学部に進学した人間がかなり多い。一学年は400人いるのだが、ぼくが卒業した35年前にはその3割程度が医学部に進学した。最近はその割合がもっと増えたと聞いている。だから形成外科のようなマイナーな診療科であっても卒業生がそれなりの人数は進んでおり、学会で同窓会を招集すれば10人くらいは集まるのである。会に参加する思惑は各人各様だと思う。ぼくは若いころは、将来の可能性を求めて人脈を作る意味でこの会に出席していた。しかし現在はすでに教授の立場になったので、逆に恩返しの意味として、後輩の中から壮士を発掘し、鼓舞する目的がかなり大きい。

 中国の成語に嚢中之錐(のうちゅうのきり)というのがある。錐を袋の中に入れておくと、いつの間にか袋を突き破って出てきてしまう。これと同じように、能力のある人間は放っておいても自然と頭角を現すことを示している。ぼくはさておいて、ぼくの卒業した高校の後輩の中には、客観的に見て能力の高い人間がかなりいる。形成外科のような小さな世界にすら、ぱっと見ただけで優秀な人間が何人もいる。ある後輩は、臨床医でありながら、基礎の専門家ですら一生に一度も論文を載せることができるかどうかというほどの、超一流の英文科学誌に論文を掲載した。また別の後輩は、微小血管吻合の世界では世界的な業績を出し、一流の国立大学で頑張っている。後輩たちの活躍を見るのはとても誇らしいことだ。

 こうした人間にはさっさと嚢を破ってほしい。しかしこのブログで今までいろいろ書いているように、日本の人事では実情が往々にして、かなり優先される。つまりは嚢が厚すぎて「錐」が出て来ることができない。能力がありながら、いつの間にか組織に埋もれてしまって、おとなしくなってしまうのではないかとぼくは危惧するのだ。


 そこで後輩たちに喝をいれるつもりで、くだんの高校同窓会で、少し過激な発言をしてみた。といっても人の生き様を批評するのはエラソーなので、自分を引き合いに出して、近況報告という形でメッセージを伝えた。

 ぼく自身は東京にある、形成外科としてはかなり大きな組織に属していた。幸いなことにその組織のナンバー2の地位までは昇進させていただいていた。しかし年齢的なタイミングや、狷介な性格がゆえに上の人間に好かれていなかったことなど、諸般の事情があり、その組織においては、ずっとナンバー2でいるしかない状況であった。そこでぼくは、自分が中心になって運営することができる組織がどこかにないか、ずっと探していた。その結果として、現在の、地方にあり、かつ規模もやや小さい組織のトップに移った次第である。こうしたぼくの生き方を、「飼い犬より野良犬のほうが良いと思って、野良犬になった」と表現して発言した。東京にいるころには、東京という場所だけで患者さんもたくさん集まってきてくれていたし、若い医師を勧誘するのも、とても簡単であった。しかし仕事上では自分の思うとおりに出来ないことが多々あった。つまり生活は安定していたが、精神的な自由がなかったのである。この状態は飼い犬に擬せられる。一方、香川県に来てからは、自分で何でも好きなように決められる。しかし患者さんに支持していただくためには東京にいるころよりも何倍もよい結果を出さなくては駄目であるし、他の大学に比べてずっと高い技術を見せなくては、若い研修医も入ってきてくれない。自由はあるけれども、いろいろ苦労する点で、野良犬そっくりである。しかしおかげさまで今は、仕事上のストレスは全くない。前の組織を辞める選択をしたことは自分にとっては大変に正しいことだったと、心から思っている。

 反面で、せっかく東京にある大きな組織でそれなりのポジションにあったのに、なんで辞めたの、ということを言う人もずいぶんいる。逆にぼくは、30代や40代前半までならばともかく、50過ぎてまで上の人間にあれこれ言われるのはどうしても嫌だ。だから、何で定年まで准教授や講師などのナンバー2的ポジションにいて耐えられる人がこれほどたくさんいるのかが理解できない。

 そもそもお互いに、理解する必要がそもそもないのだと思う。飼い犬タイプの人間と野良犬タイプの人間は先天的に決まっているのだろう。ぼくは明らかに野良犬タイプだ。
 だからなるべく多くの人に仲間になって欲しいのだ。才能の有無と、野良犬or飼い犬のタイプ別に相関はない。ぼくの文調のせいで、なんとなく野良犬=有能、飼い犬=無能のような流れになっているが、これを証明する論理的整合性はない。飼い犬タイプで優秀な人間も多々いるし、野良犬タイプで無能な人間もいるだろう。だいたい、偉そうにこんな文章を書いているが、自分だってただの才能の無い野良犬かもしれないのだ。

 結局言いたいことは、日本では少数派である野良犬グループに、優秀な人材をスカウトしたい、ということなのだ。野良犬だって仲間がいると嬉しいですからね。