すし職人たちの将来―せとうち寿司シリーズ6

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今後いったい、どうなるのか

 わが国においては)、すしを握る国家資格を取得しないと、職人として働くことはできない(「初めてこのブログを読まれる方々は(https://nagasao.hatenablog.com/entry/2021/05/27/215956)をご参照ください」。

 つまり、だれもが寿司業界に参入できるわけではない。

 国によって守られた体制の中にあって、すし職人たちの収入は、世間一般に比べると、かなり良いものになっている。

 あたしみたいな雇われ職人だって、国民平均の1.5倍から2倍くらいの収入をいただいているし、自分で店をもっている職人は、さらにその倍ぐらいの収入を得ている。

 職種別の平均給与でいうと寿司職人は、パイロットなんかに次いで、ベスト5には入っている。それゆえ、すし職人は人気の高い職業の一つになっている。少なくともいまのところは。

 ただ世の中、すべてのものは変わりゆく

 だから多くのすし職人は、現在の厚遇を享受しつつも、果たしてそれがいつまで続くであろうかと、ときどき不安になる。

 そこですし職人が集まると「今後のすし業界のゆくえ」がよく話題になる。

 よく比較されるのは、法曹業界だ。

 弁護士や裁判官になるためには、司法試験に合格しなくてはいけない。

 国家試験に合格しないと就業できない構造が、寿司業界とよく似ている。

 20世紀の末くらいまでは、司法試験はものすごく難しかった。

 あたしの高校時代の友人で、弁護士になった男がいる。彼はものすごく頭の良い奴だ。

 その彼ですら、司法試験を受験している頃は、ハンスト中のマハトマ・ガンジーよろしくがりがりにやつれ果てたくらいだ。

 試験が難しかったのは単純に合格者が少なかったからで、1年に500人くらいしか合格者がいなかった。

 そのためアメリカやヨーロッパに比べると、人口当たりの弁護士の数がかなり少なかった。それらの国々とビジネスを進めるためには、弁護士の割合も近づけなきゃいけないと、政府は考えた。

 そこで21世紀に入ったころから合格者の数を徐々に増やした。今(2022年)では毎年1500人くらい合格者がいる。昔に比べると3倍だ。

 業界で働く人間が3倍になるわけだから、自然に競争は激しくなる。弁護士の先生がたの収入も昔よりは少なくなっていて、なかなか大変らしい。

 昔は法曹資格を持ってさえいれば、かなりの高収入が約束されていた。

 でも今では、資格を持っていても食っていけない先生もいるらしい。

 すし職人たちは、自分たちの業界でも同じことが起きるんじゃないか、と心配している。

 現在のところ、すし職人たちの収入は、それなりによい。

 でも日本の人口は次第に減っているから、すしに対する需要も減るかもしれない。その一方で、すし職人の数は少しずつ増えている。

 加えて、人工知能の脅威もある。すしを作る機械やロボットが開発されたのならば、それらの機械に、とって変わられる可能性がある。

 だからすし職人全般の収入も、今後は下がってくるのではないか、というわけだ。

 これに対しては、喧々諤々の意見がある。

 今と同様に、良い状態が続くという意見と、いやいや今までの待遇が良すぎたのであって、今後は弁護士の先生がたと同じように、だんだんとよろしくない待遇になってゆくのではないか、という意見だ。

 あたしも一応はすし業界の人間であるから、こうした討論にそれなりの関心はある。もっとも自分自身はもう50も超えてしまっているから、すし業界の先行きが暗くなったって、別に怖くはない。いざとなれば野垂れ死にする覚悟は、とっくにできている

 また、30年以上も真剣に修行をしてきたので、いかにすし業界が変化したって、とりあえず食っていけるだけの技は身に着けた、という自信もある。

 ただ、いくらオッサンである自分が野垂れ死にする覚悟ができていたって、若い人間を巻き添えにしちゃいけない。

 こんなあたしでも、ついてきてくれる弟子が何人かいる。

 自分が野垂れ死にしたとしたって、弟子たちは何十年も生きて行かなくてはいけない。

 だから少しでも将来性のある方向に、弟子たちを導かなくてはいけない。

 そのためには、今後の業界の方向性について、冷静な評価をしなくてはいけない。

 後述するが、あたし自身の、すし業界に対する見通しはだいたい定まっている。

 しかし、できるだけ正確に未来を予測するためには、いろいろな角度から状況を見極めなくてはいけない。

 そこで「今後、すし業界はどのようになるか」ということに関する、他のすし職人たちの意見について、絶えずアンテナを張っている。

 すし職人たちの意見を聞いてみると、見事なまでに二分している。

 今までと同じように良い時代が続いてゆくと考える職人と、いやいや今後はIT技術も進歩するのだから、すし職人の仕事も奪われるんじゃないか、と考える職人がいる。

 どのような意見を持つかは本人の自由だ。

 ただ、なぜその意見を持つに至ったのか、思考のプロセスについては、よく考えるべきだとあたしは思っている。

 楽観論者(すし業界の待遇の良さが、今後も続いていくと信じている職人たち)に、なぜそう考えるのかを訊いてみると、だいたい3つの回答がかえってくる

 一つ目は、「すし職人があふれるという話は、何十年も昔からあった、ところが、いまだその事態には至っていないではないか」という答えだ。この考えを、「昔から論」としようか。

 二つ目は、「機械やAIで寿司が握れるというけれども、やはり人間の握った寿司のような温かみを欠くだろう」という答えだ。この考えを、「手作り論」としよう。

 三つめは、「業界が政治的に働きかけるから、職人たちの給与は下がることはないはずだ」という考えだ。この考えを「政治圧力論」としよう。

 三つ目については少し説明が必要だ。わが国には、すし職人たちで構成される「日本すし職人会」という団体が存在する。この団体は、あたしのようなサラリーマン職人ではなくて、自分で店を持っている職人が、主たるメンバーになっている。この団体の主たる目的は、すし店主たちの権益を守ることだ。「日本すし職人会」はかなりの組織力を持っている。それで、すし店主たちの収入が減りそうな政策ができそうになると、政治運動を起こして反対する。すし店主たちの経済的な待遇が良い一つの理由は、今まで税制上の優遇を受けていたからだ。そういう優遇措置が取られてきたのは「日本すし職人会」の努力の賜物(?)といえる。今後も、もしも時代の流れですし職人たちの待遇が悪くなりそうになったとしても、「日本すし職人会」が頑張ってくれるだろうというのが、「政治圧力論」だ。

 あたし自身もすし職のはしくれであるから、すし職人の未来に関しては楽観的に考えたいのはやまやまだ。

 だけどあたしは、これら三つの説は、どれも根拠がおかしいと思う。しかも非常におかしい

 まず「昔から論」について考えようか。この説の本質は「いままで起こらなかったことは、今後も起こりようがない」ということだよね。

 こんな考えがおかしいことは小学生だってわかりそうなもんだ

 反例はいくらでもある。たとえば今、世間を停滞させている新型肺炎だ。

 パンデミックは2019年から始まった。

 もしも2017年に、「いつか世界規模の感染症の蔓延があって、経済成長に甚大な影響を及ぼすだろう」なんて予測した人間がいたとしたらだね、おそらくその人間はキチガイ扱いされたと思うね。「パンデミックが起きたのは、1920年スペイン風邪で最後。そのあと、パンデミックは起きていない」なんて言われたことだろう。

 福島原発の事故だって同じことだ。それ以前に警鐘を鳴らす人間がいたとしても、「いままでに大規模な事故は起こっていないから」といって、だれも相手にしてくれなかったんじゃないかな。

 「いままで俺は死ななかったんだから、死ぬわけがない」という論理がおかしいのは誰だってわかるだろう。すべての人間は、いつかは死ぬ。

 こういうふうにだね。「今まで起こらなかったから、これからも起こらない」という論理は、そもそもが破綻している

 続いて「手作り論」に移ろうか。機械で握ったよりも、職人が握った寿司の方がうまいのは確かな事実だ。これについては、あたしもまったく異論はない。

 そもそも人が鮨を食いに行く目的は、単純に、食品としての鮨を口で味わう事だけを目的にしているわけではない。職人や仲居のサービスや、カウンターに座る雰囲気を味わいたいから、わざわざ寿司屋に行くんだよな。

 だから、職人が寿司を握るシステムが消滅することは、絶対にないだろう。

 しかし、だからと言って安心するのは早い

 「機械で握る鮨よりも、職人の握った鮨の方が美味い」ことと、「鮨である以上、職人が握らなくてはいけない」こととは、まったく別の問題だ

 職人の腕はまさに千差万別だ。

 機械よりずっとうまく寿司を握る職人がいる一方で、機械と同等か、それ以下の水準の鮨しか握れない職人もいる。

 とくに、すし学校を卒業した後、さしたる修行もしないで自分の店を早々に持ってしまった職人なんかは、機械に勝てる鮨は握れない。

 いままでは、国家資格をもった職人でなければ、鮨を握ることは許されなかった。つまり「鮨である以上、職人が握らなくてはいけない」ということが、国家によって保証されていたんだね。

 だけど人工知能や機械は、どんどん精度を上げて来ている。

 機械の握った鮨に勝てない職人の割合は、増えてくるだろう。

 そうすると国としても、機械の握った鮨を認めるようになるはずだ。

 こういうことを言うと、「それじゃ職人たちの生活はどうなる!」と気色ばむ奴が必ずいる。そういう人間たちが持ち出すのが、3番目の「政治的圧力論」だ。

 つまり、機械に寿司を握らせるのを認めると、多くの職人が仕事を失うだろう、そういう蛮行を「日本すし職人会」は認めるわけにはいかない。だから政治家や役所に働きかけて、そういう動きをつぶすだろう、というわけ。

 あたしは、こういう考え方は、かなり的外れだと思う。すし職人たちは「すし保険」のおかげで、その職域が守られて来た。なにしろライセンスがないと、鮨を握れないんだからね。人間は恵まれた環境の中にいると、危機感を認識できなくなる。それで「平和ボケ」なり「繫栄ボケ」が起こって来るんだが、この「政治的圧力論」なんかは、その典型だと思うな。

 この考え方がなぜ的外れかと言うと、すし職人の側からのみ物事を見ているからだ。

 政策を決めるのは国民全体だ。現在、わが国には33万人のすし職人がいるが、これは国民400人当たり一人にすぎない。つまり、すし職人たちは圧倒的少数派に過ぎない

 いままでは国民全体が、「まあ鮨は日本の文化として大切だから」となんとなく思っていて、すし職人たちが分不相応に多い収入を得ていたって、大目に見てくれていた。

 だけど日本と言う国の台所が借金まみれになって来て、多くの人間が仕事を失う、もしくは低賃金で働かなきゃいけないようになってくると、「なんですし職人たちだけ、優遇されるんだ」という声が、必ず強くなってくるはずだ。そうした声が強くなってきたら、400人に1人しかいないすし職人たちがいくら団結したって、かなうもんじゃない。

 そもそも、すし職人たちが現在のように優遇されるに至ったのは、すし保険と言うものを作った方が国民全体の幸福につながるであろうという判断によるものだ。

 べつに、すし職人を豊かにしようと思ってそういう制度が出来た訳じゃない

 こういうふうにだね、「すし業界は安泰」とうそぶく人間たちの持ち出す論理は、どれも、かなりおかしい。

 わが国の経済状況とか人口構成を勘案して客観的に判断するとだね、すし業界全体の先行きは明るくない、と言うのがあたしの意見だ。

 でも誤解しないで欲しいんだが、すべてのすし職人の将来が暗い、と言ってるわけではないんだ。

 すし業界全体としては右肩下がりに落ち込んでゆくだろう。

 ただ、それは「すし職人だから一生安泰」と考えるタイプの人間が淘汰されるだけであって、自分でプロジェクトを考えて進めてゆく人間は、むしろ先行き明るいと思うな。

 たとえば戦争に負けた時だって、財産を失った奴もいる反面、新しく商売を起こした人間もいるだろう。そういう時代になるだろう、と言っているんだ。

 くわしくはまた次に説明する。今回はここまで。