タコはバカか?

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 ぼくは山口で生まれ、東京で修学し、卒業後は東京以外に青森・静岡・栃木・群馬などを転々とした。

 そして40代の後半に高松に住むようになり、今年で7年になる。

 人間はさまざまな理由で、住む場所を換える。

 運命というものは予測がつかないから、これは仕方がないと思う。

 面白いのは、生活環境の変化に応じて、いままでは自分の人生にさして関係ないと思っていたものが、急に身近になったりすることだ。

 ここ数年のぼくにとって、「タコ」がそういうものひとつである。

 東京に住んでいるころには、タコなんて1年に2~3回くらいしかお目にかからないしろものであった。しかし高松に暮らすようになってから、しょっちゅうタコを見たり食べたりしている。

 

 高松は瀬戸内海に面しているので、美味しい魚が沢山とれる。

 海鮮の美味しさに目覚めたぼくは、週に一度は割烹か寿司屋に言って、刺身や焼き物を肴に酒を呑む。

 瀬戸内で美味しい魚には、鯛・マナガツオ・鰆(さわら)などがある。これらの魚には旬があって、出される季節とそうでない季節がある。

 ところが「タコ」だけは、年がら年中出てくるのである

 先日も気に入りの割烹で、小さなタコの煮たのが酒のアテに出て来た。

 板さんは、春はタコが美味しいですよ、という。

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 たしかに美味しい。

 しかし何か月か前、つまり冬にも「今はタコが美味しいですよ」と言っていた。

 さらには夏にも「この季節はタコの旬ですから」と言って、刺身を出された気がする。

 そこで不思議に思い、「いったい何時が、タコが一番美味しい季節なのですか」と尋ねると、種類によって異なるそうなのである。

 イイダコは春先に美味しくなるし、ミズダコは夏に味が良い、マダコは冬に身がしまる。というわけで、高松では一年中、なにがしかのタコが旬なのである。

 タコがどうやって生きているのかはよく知らないが、ともかく瀬戸内海というところはタコたちにとって楽園のように住みやすい場所らしい。

 

 瀬戸内の街では、ぼくの住む高松以外でもタコがよく獲れる。

 先週の週末、徳島に飲みに行った。

 徳島に赴任していた友人が転勤になるので、送別会を開催したのである。

 海辺にある割烹が会場だったので、駅からタクシーに乗って行った。

 タクシーの中で友人と釣りについて話していると、運転手さんが話に乗ってきた。

 あそこの埠頭では太刀魚が良く釣れる、こちらの港では鯵がつれるなど、実に詳しく教えてくれる。

 あまりに魚と釣りの事について詳しいので不思議に思ったのだが、何と本職は漁師ということだった。

 コロナ肺炎の問題で徳島も観光客が激減し、魚を獲っても売れないので、食べて行くためにタクシーの運転手をしているそうである。

 この本職は漁師の運転手さんは、ぼくたちを送る道すがら、実に面白い話をしてくれた。

 徳島市の中心部からほど近い港では、実に魚がよく釣れる。

 休日になると釣り人たちが、はるばる関西からも集まって来るそうだ。

とりわけタコが良く釣れるとのこと。

 ただ、素人の釣り人がタコを獲る場合、釣って獲るのはまあ大目に見るとしても、タコつぼを使って獲るのは駄目だそうである。

 たくさん獲れすぎるので漁業権に抵触し、違反すると海上保安庁につかまるとのことだ。

 タコつぼを使ってタコを獲る場合には、20個ほどのツボを縄で連結して、水底に沈める。するとタコがタコつぼに入る。それを引っ張り上げて捕まえる。

 ぼくは、このタコつぼ漁というものについて、かねてから知りたいことがあった。

 漁師がツボを引き上げるには何分間か、かかるはずである。

 タコはなぜ、この間に逃げてしまわないのであろうか

 いったんツボに入ったら出て来られないように、蓋がブービートラップのような構造になっているのであろうか?

 あるいはタコがどうしても離したくないほど美味しい餌を、ツボにいれるのであろうか?

 この謎について知りたかったので運転手さんに、「なぜタコは途中で逃げないんでしょうか?」と訊いてみた。

 運転手さんの回答は簡潔明瞭であった。

 「アホやから。」

 こういうはっきりした物言いは西日本に特有のものだ。

 おそらく東日本の漁師さんだったならば、「まあ、気がつかんのだろーねー」というような言い方をするだろう。

 ぼくは、運転手さんのすっきりした物言いが嬉しかったので、大声で笑った。

 その反応を見て運転手さんも気を良くしたのであろう。続けて、さらに面白いことを教えてくれた。

 港に行くと側岸に、よくタイヤが吊り下げてある。ご覧になった方も多いと思う(下の写真)。

 これは港に船を繋留する際、船の側壁が岸辺に当たって痛まないよう、クッションにするためだ。 

 

 このタイヤの中で、よくタコが天国に召されているというのである

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 運転手さん曰く、タコはこのタイヤの中に入るのが非常に好きで、満潮になるとここに潜り込む。そしてすやすやと眠っているうちに、潮が引いてしまう。タコはタイヤの外に出ることが出来ずに、そこで脱水になってしまうそうだ。

 なぜタコはタイヤの中が好きなのかを訊くと、「タコはきれい好きなんや」との返答。

 つまり、タイヤの中には土砂やゴミが入りにくいので、タコとしても居心地が良いのであろうという事である。

 それにしても、タイヤから出るのは、タコつぼから出よりさらに簡単そうに思える。

 そこでなぜそうしないのかと訊くと、ふたたび「タコはアホやから」という。

 

 たしかに、「タコ」=アホというのは何となくイメージ的にマッチする。

 しかし本当にタコは「アホ」なのであろうか?

 タコは小さな魚やカニを捕食して生きているはずである。捕食するためには一定の知能が必要なはずだ。

 そこでほんとうにタコ=アホなのかどうか、ぼくは調べてみた。

 

 調べてみて驚いた。

 タコはアホどころではなくて、かなりの知性があるようなのだ。

 ざっと調べただけでも、タコは以下のような行動をとることができるらしい。

 1.透明なビンの中に入った餌を、蓋を開けて食べることができる。

 2.ダイバーに近づいて、興味津々と観察することがある。

 3.鏡に映った姿を、自分自身と認識することができる。

 4.美しい貝殻やサンゴを、コレクションすることがある。

 

 全然、アホなんかじゃないではないか

 地域によってはタコを「海の賢者」とすら呼ぶことがあるらしい。

 でも、タコがこれほど賢いならばなぜ、タコつぼから逃げることなく人間に捕まってしまうのだろうか?

 タコの身になって考えてみた。

 タコつぼは誰がどこで造っているのか、ぼくは知らない。

 しかし、タコつぼを造るにあたっては、タコにとってかなり居心地が良いように工夫がされているはずである。

 でなければ、タコがわざわざ入るはずがない。

 大きさであるとか、入口の形とかが、タコたちにとって絶妙に設計されているに違いない。

 人間に例えてみると、間取りも日当たりもよい豪邸のようなものであろう。

 また、タコつぼを設置するにあたっても、おそらく中に餌を入れたり、あるいはタコにとって餌となる小魚が多い部分を選んで仕掛けたりにするに違いない。

 近くに三ツ星レストランや、高級食材店があるのと同じである。

 つまりタコたちにとってタコつぼというのは、人間にとっての芦屋の高級住宅のようなものなのだろう。日々の暮らしがきわめて快適だ。歩いて行ける場所に品のいいフレンチや、本場で修行を積んだ料理人のいる中華もある。成城石井のような高級スーパーもあるわけだ。

 

 ということはだ。

 漁師さんがタコつぼを引っ張り上げるということは、芦屋のお家が突然、動き出してしまうことに相当するわけですよ。

 快適な住居がですね、なぜかはよくわかりませんが、突然、地面の上を滑り始めるわけですよ。

 

 住んでいるあなたはどうしますか?

 「これは大変な危機である」と判断して、逃げ出すことができるでしょうか?

 

  傍から一部始終を見ている第三者がもしもいたとすれば、そのときにわれわれの取りうるべきベストな行動は、「家から逃げ出すこと」であることはすぐにわかる。

 しかし現実的には、かなり沈着冷静な人間でないと、こういう行動はとれないであろう。

 そもそも、家が動き出すなんてことは想定外の事態だ。

 「どうすればいい?」と考える前に、「なんだ?なんだ?」と慌てるのが普通の反応であろう。

 また、仮に状況が把握できたとしても、心地よい家をそうあっさりと捨てられるものであろうか?

 家を得るためにはそれなりの苦労がある。

 人間ならば家を購入するために負担の重いローンを組むであろう。

 タコの世界にはローンなどはないであろう。しかし、居心地の良い家(=タコつぼ)を得るために、他のタコと闘うとか、それなりの苦労はやはり、あるのではないか?

 人が暮らす家には、家族と一緒に過ごした思い出なども沁みついている。

 タコが家族と一緒に暮らすかどうかは知らないが、仮に一人(タコだから1タコ?)で暮らすにしても、やはりその家で暮らした青春の日々(タコの青春がどんなものかは検討もつかないが)などを思い返すかもしれない。

 これと同じで、タコがタコつぼから飛び出ないで人間に捕まってしまうのは、むしろ「頭がいいから」かもしれないのだ。

 頭が良いからこそ、さっさと住処を捨てられず、後ろ髪(タコに髪なんかないが)を引かれるような思いでタコつぼを握りしめて離さないのではないであろうか。

 なんだ、タコの野郎、人間によく似ているじゃないか。

 

 ここまで考えてきて気がついたのだが、ぼくらの住んでいる日本という国が、どうも最近、「タコつぼ」化しているように感じられる。

 いままでは日本は住みよい国だと、ほとんどの日本人が信じて来た。

 海外から帰ってきて成田空港に着くと、「やっぱり日本が一番」という声が、必ず聞こえたものだ。

 ところが最近は、我が国の競争力がどんどん落ちている。

 バブルのころは世界一とも言われた経済力は、この10年間で下がりに下がっている。

 国力の低下こそが、喫緊に論じなくてはいけない本質的な問題のはずだ。

 それなのに、官僚が業者から何万円のメシをおごってもらったとか、プラスティックのスプーンを有料にするとか、小学校の学級会レベルのことを国会で争っている。

 日本だけは大丈夫、と思っているうちにどんどん立場が悪くなるとするならば、タコつぼが引き上げられても逃げない、タコのことを嗤えない。

 

 ひるがえって考えてみると、タコのことを「アホや」と一刀両断した、タクシーのおっさんは立派である(ぼくもおっさんだが)。

 おっさんは永年、漁師としてキャリアを積んできた。

 徳島の海のことはすべて知り尽くしている。

 漁師として身に着けたスキルに対する執着もあるはずだし、誇りもあるはずだ。

 えてしてこういうベテランはプライドが高く、頑固である。

 それゆえに、貧乏してもなかなか、他の仕事をやりたがらないものだ。

 しかるに、おっさんはコロナ等で漁業が生業として立ち行かなくなるとみるや、即座にタクシーの運転手に鞍替えしているではないか。

 人間に個人差があるように、タコにも性格や頭脳の個人差があるはずだ。

 もしもこのおっさんがタコであったとすれば、タコつぼが引っ張られて動き始めた途端、危険を察知して逃げることができるに違いない。

 彼のような人が政治家になってくれたら、わが国の進路も変わるではないか。

 

 というわけで、タコに関する一連のぼくの思考は、運転手のオッサンへの賛美となって締めくくられる。

 もう一度オッサンに合う機会があれば、この結論を彼に話してみたい。

 オッサンはおそらく「あんた、タコよりアホやなー!」というであろう。それが楽しみ、楽しみ。